5-1
【リッガルト】
目がさめたのは寒さのせいだ。
外は暗い。なんだ、まだ5時じゃないか。起きるには早いが、今日これからやろうとしていることを考えていたら目がさえちまった。
となりのベッドで寝ているテュテュリンを起こさないようにそっと家を出る。できるだけ厚着をしてきたがそれでも寒い。
フォート・マリオッシュは温暖な気候で真冬でも気温が10度を下回ることはあまりない。こんなに寒いのはここがビアンヴィルのあった場所だからだ。
マリオッシュからいちばん近い島とはいえ、150万コール離れているビアンヴィルは海流の関係もあって寒さが厳しい。
急に冷え込んでみんな縮みあがっているはずだ。マリオッシュの島民は防寒着なんか持っていないだろうからな。
冷たい手に息を吹きかけながら歩いていると、何度も転びそうになった。
転移でいたんだ道はたいした補修もされていないし、暗くて足元はよく見えない。慎重に進むしかない。
うっすら明るくなくなってきたのは目的地に着いたころだった。葬儀場に入ると小石を拾ってバランスのよさそうな石積みの上にのせた。葬式の時よりも石積みは増えている。
亡くした大切な人を想って積まれた小石たち。石積みはどんどん多く、高くなっていく。島から人がいなくなるまで。
石積みの広場を抜けて海辺に出る。簡単な作りの桟橋は転移の後で間に合わせに作られたものだ。
小舟に乗せた死者を送り出すためにどうしても必要だったのだ。ここから出て行く舟はあっても戻って来る舟はない。
ウルリカも―――ここから旅立って行った。
葬儀の日、見る影もなくやせ細ったウルリカとあふれんばかりの花を乗せた小舟は、吸い込まれるように水平線に消えた。
ここからじゃ見えないその先に死後の世界があると信じられる光景だった。青く澄み渡った空と引き潮の海が接するあの場所は、別の世界につながっていると素直に思えた。
わざと壊れやすく作られた舟は長くは浮いていられない。浸水すれば重しと共に沈没する。ウルリカの遺体は海に還った。
人は海から生まれて海に還る。大いなる海はすべてを飲み込んであまたの命を育むんだ。
ミーシャはユタンの海に還された。離れていても海はつながっている。
ウルリカ、ミーシャには会えたかい?
気が付くととなりに人の気配があった。
「誘ってくれてもいいのに」
昇りはじめた太陽にきらめく海を、まぶしそうにながめているのはテュテュリンだった。
「睡眠不足は美容の大敵なんだろ」
「なにそれ」
「ウルリカが言ってたんだ」
一歩前にでてしゃがんだテュテュリンは、持っていた花束をそっと水面に置いた。
ロイエリング家の庭に咲いていた花だ。ルシオンが、育てた。花束は波に揺られて散らばりながら沖へと流されて行く。
「だったら、わたしのお肌はボロボロだよ」
テュテュリンは振り返ることなくひとり言のようにつぶやいた。
「夕べはぜんぜん眠れなかったんだから」
怒っている。眠れなかったのは俺のせいだと言うのかよ。
「すまん」
素直に謝ったのは機嫌が悪そうだからだ。今日の作戦にテュテュリンの協力は不可欠だ。今さらやめるとは言わないだろうが、わざわざ地雷を踏む必要もない。
俺たちは白い息を吐きながらたたずんでいた。朝日に吸い寄せられるように流れて行く花が見えなくなるまで。
ロイエリング家に戻ると、朝食の支度をして子供たちを起こした。ファラムリッドとメルカトキオルは夕方まで戻らない。ふたりそろって留守の今日がチャンスだ。
昨日、いつもどうりに家を出た夫婦は、今日、いつもと変わらない家に帰るものと信じている。
「会えなくてさびしかったよ!」と抱き付いて、毎回アインシャにウザがられていてもメルカトキオルにやめる気はなさそうだ。
帰宅して軍服を脱ぐと、まずルシオンがいれたコーヒーで一服するのがファラムリッドの習慣だ。
ふたりにとっての当たり前の日常で、ささやかな幸せをかみしめる時間なんだろう。
俺たちはそんな日常をぶち壊し、この家族の幸せを踏みにじろうとしている。
ルシオンの正体を知りながらかくまっている、ファラムリッドとメルカトキオルが罰を受けるのは仕方がないと思う。でも、アインシャは・・・・・・
チビが俺になつかないままだったなら、こんな気持ちになることもなかったろうに。
以前のアインシャはうさん臭いものを見るような目で俺を見ていた。テュテュリンに言われて手なずけようとしたこともあったが、バカらしくなってすぐにやめた。
いつからだろう? アインシャの俺を見る目が変わったのは。
そう言えば、ためらいもなく俺のひざにのってきて、驚いたことがあったな。
その時はチビの気まぐれだろうと思って気にもかけなかったが、それから急に距離が縮まったのだった。
ままごとの役もペットからじいさんに格上げされた。のろけ話を聞かされる役回りには変わりはないが。
今になって思い返すと謎だ。手をつなぐことさえイヤがっていたのに・・・・・・
俺は何か大事なことを見落としてやいないか?
ただの気まぐれ? そんなワケあるか!
他のチビならそういうこともあるのかもしれないが、あのアインシャだぞ。何か理由があるはずだ。
思い出せ!
そうだ。。アインシャの態度が変わったのは、グリエルモが死んだ後のことだ。グリエルモが死んで、テュテュリンと賭けをして、復讐するのはやめようと決めた。
アインシャは知っていた?
俺がルシオンを殺そうとしていたことを!
だから俺になつかなかった?
そんなはずはない。
だが、俺が抱いていた感情に、ルシオンに向けた感情に、感づいていた可能性がないとは言えない。
ファラムリッドやメルカトキオルの前では気を付けていたが、ふたりがいない時、気がゆるんでいたのは確かだ。
チビの前で油断していたからといって、あからさまな殺意や憎悪をルシオンに向けたことはない。そんなことをすれば本人に気付かれる。
そりゃあ、暗い目でルシオンを見ていたことはあったかもしれない。だからって、それが悪意だと、3、4歳のチビにわかるか、ふつう?
アインシャがルシオンを好きなのはみんな知っている。
「大きくなったら何になりたい?」と聞かれて「お嫁さん」と答えるチビはたくさんいるが、相手が決まっているのは少ないんじゃないか。
アインシャの答えはいつも「ルシオンのお嫁さん」だ。毎日ルシオンのためにおしゃれをして、毎日ままごとで新婚生活の予行練習をする。
いつもルシオンにくっついているのは悪い虫がつかないようにするためだと、テュテュリンは言っていた。あの天使みたいな見てくれに一目ぼれするヤツが後を絶たないんだそうだ。
・・・・・・それだけじゃないのかもしれない。もしかしたら、悪意を持った人間から、つまり俺から、ルシオンを守ろうとしていたんじゃないだろうか。
ひとつ思い当たることがある。以前は俺とルシオンとでふたりきりになる場面はなかった。いつもアインシャがいたからだ。だが、今じゃそんなこともない。
長い時間じゃなかったから気にしていなかったが、これにはたぶん、大きな意味がある。
アインシャは感じたんだ。俺に悪意がなくなった、ルシオンを傷つけることはなくなったと。それは間違ってはいない。マリオッシュに乗り込んで来た時の復讐計画は取りやめにした。
そして今、以前より強く固くルシオンを殺そうと決意している俺を、アインシャは警戒していない。平気で俺のひざにのってくる。
なぜだ?
悪意に気付いていたというのは俺の思い過ごしなのか?
それとも、今の俺に悪意を感じていないということなのか?
アインシャはただのチビじゃない。ルシオンに関しては特にそれが強いような気がする。そのアインシャが俺に悪意を感じていないのだとすれば、今の俺にはそれがないんだ。
これは浄化だ。世界の秩序を壊す怪物を排除するための。俺に恨みや憎しみの感情はない。だからアインシャは俺を警戒しないんだ。
皮肉なことに、アインシャ自身が俺たちのやろうとしていることを肯定しているのか。
ためらう理由は何もない。




