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3-4

【テュテュリン】


 あれ以来兄さんは元気がない。


あの日。空から海が落ちてきたすぐ後、兄さんに呼びだされた。


「飲み物を運ぶのを手伝ってくれ」


それが口実(こうじつ)なのは顔を見てわかったから、「力仕事なら僕がやるよ」と言ってくれたメルカトキオルさんの親切は断った。なにかあったんだ。


「見られた」


 前を歩く兄さんのひと言で全部わかった。とうとうその時が来ちゃったんだ。いつかはやってくると覚悟はしていたよ。でも、やっぱりショックだった。


 茂みの中に隠されたグリエルモは気を失っていた。


「使えそうな力はあるか」


張り詰めた声。わたしの模造品(イミテーション)でなんとかするしかない。



 使えそうなのはいくつかあった。でも、グリエルモを傷つけないとなるとひとつだけだ。


消去(デリート)=記憶を消す特殊能力(ヴァイオス)。


本当はルシオンくんに関係している記憶だけ消せればいいんだけれど、そんなに便利な力じゃない。だから、ここ数か月の記憶を全部消すことになる。


グリエルモはわたしたちのことも忘れてしまうんだ。どこかですれ違ったとしても知らんぷりされるなんて、考えただけで胸が張り裂けそうだけどほかに方法はない。


 問題は加減がカン頼りのテキトーだってこと。デリートは相手の身体に触れている時間が長いほど過去にさかのぼって記憶を奪う。それしかわからない。


自分のヴァイオスなら何度もためして確かめることができるんだろうけど、わたしが使えるのはたったの一度だけ。



 本当にこんな方法しかないの?

兄さんは腕時計をにらんでる。時間を計ってもらうように頼んである。


「はじめるよ」


グリエルモのおでこに手の平を当てて合図を送る。


「1、2、3」


兄さんが時間をカウントする。


「4、5」


「もういいかな?」


「まだだ」


 不安でたまらないわたしは少しでもはやくやめたかった。でも、兄さんはやめさせてくれない。


「7、8」


「まだなの?」


グリエルモの大切な記憶まで奪いたくはない。


「兄さん!!」


「ストップ!」


素早く手を離して息を吐く。イミテーションを使うのにこんなに緊張したのははじめてだった。



 不満が声に出ないように気をつけながらさりげなくたずねる。


「ちょっと長すぎじゃなかった?」


「たったの10秒だ」


たったのって!! 10秒でどれだけの記憶を消してしまうかわからないのに。


イミテーションで模造したヴァイオスは一度しか使えない。ルシオンの記憶のかけらを残してしまったら台無しだ。


だから兄さんは念には念を入れたのだと思う。それはわかるけど・・・・・・


 次に目をさましたとき、グリエルモはわたしたちのことも覚えてはいないだろう。


船の上で出会ったことも、一緒にご飯を食べたことも、アインシャちゃんのままごとに付き合わされたことも。なにもかも。


兄さんに背負われて坂道を下っていくグリエルモの背中は涙でかすんで見えた。




【リッガルト】


 グリエルモのことは忘れよう。向こうは俺たちのことを覚えちゃいないんだから。そう自分に言い聞かせてはいても、気が付くといつもあいつのことばかり考えている。


ひとりで料理をしていて、この魚はグリエルモが好きだったよな、とか。アインシャのままごとにうんざりして、あいつがいれば俺の負担が減ったのに、とか。


何かする度に思い出しちまう。


グリエルモは俺たちの日常に当たり前のようにいたんだ。友達というよりは家族に近い存在だったのかもしれない。


 なんだかんだでグリエルモになついていたテュテュリンは、いつも通りに笑って怒ってしょぼくれて。俺に心配をかけまいとしていることはみえみえだった。


こうやって俺たちはグリエルモのいない日常に慣れて、やがてはそれが当たり前になるんだろう。そう思っていた。



 バイトが休みの日の午後、俺たちは特にやることもなく思いおもいに時間を過ごしていた。


テュテュリンはソファでレース編みに熱中している。なんでもルシオンとアインシャにそろいのスカーフを作ってやるんだとか。


針は使わないから指を絆創膏(ばんそうこう)だらけにすることはないし、大人しく座っている分にはそうそう災難にあうこともない。心配しなくてすむからスカーフなんか完成しなけりゃいい。


俺はリビングで筋トレをしながらそんなことを考えていた。


したたる汗が床に落ちる。筋トレが終わったら、掃除をしてワックスがけもしよう。先週かけたばかりだが問題はないよな。


 ドアベルが鳴った。


「俺が出る」


立ち上がろうとしたテュテュリンをとどめて玄関に向かう。家(うち)に客とはめずらしいと思いながらドアを開けて絶句した。


どうしてお前がここにいるんだ!?



 ドアの外に立っていたのは、グリエルモ・パロッティーニだった。


「どうして・・・・・・」


 俺たちのことは覚えていないはずだろ?! 

デリートに失敗したのか?!!


「あんた、この男を知っているんじゃな?」


グリエルモしか見ていたなかった俺は、かたわらにじいさんがいることにはじめて気が付いた。


「知っているかって、、どういう意味だ?」

  

「こいつは自分のことがなんもわからんのじゃよ」


 何もってなんだよ! どういうことだよ!!

混乱した俺の頭の中はぐちゃぐちゃだ。


「兄さん、とりあえず中に入ってもらおう」


いつの間にか後にいたテュテュリンが片目をつぶった。落ち着けという合図だ。



 グリエルモはあきらかに様子が変だった。ソファに座ったもののポンポンはねて遊んでいる。子供がよくやるように。


「自分のことがわからないって、どういうことなんですか?」


テュテュリンがお茶を出しながら切り出した。


「言葉通りじゃよ。名前すらわからん」


俺とテュテュリンは目を見交わした。動揺(どうよう)を隠しきれない目だ。俺も同じ目をしているはずだ。

 

 じいさんの話によると、グリエルモは俺が置き去りにした町はずれの畑で意識を取り戻した。泣いているグリエルモを通りかかったこのじいさんが見つけてくれたのだ。


グリエルモは何も覚えていなかった。文字通り何も。自分がどこの誰で何をしていたのかということだけじゃない。これまでの人生を丸ごと失くしていた。


言葉すら忘れてしまったグリエルモは赤ん坊同然だった。トイレにすら行けずにもらしてしまうから大変だったと聞いてがく然とした。



 警察では何もわからなければ身元は調べようがないと言われ、病院ではどこにも異常がないから入院はできないと言われ、孤児院では大人は預かれないと言われた。


グリエルモを受け入れてくれる所はどこにもなかったのだ。

行き場のない男を見捨てられなかったじいさんは人がいいのだろう。


 赤ん坊同然のグリエルモをひとりにはできない。ばあさんが面倒を見れない時はじいさんが見る。


グリエルモを連れて畑仕事に出かけ、知り合いの所に寄って採れたばかりの野菜を渡し、帰ろうとしていた。


大人しくじいさんの後ろを歩いていたグリエルモが、急に脇道に入って行ったのは遊んでいるのだろうと思った。だが、家(うち)の前で立ち止まったのを見てそうではないと感じた。


 じいさんの話を聞いた俺は必死に涙をこらえていた。


何もかも忘れていながら、この家だけは覚えていたって言うのか?

そんなことがあるもんか! ただの偶然だ。そうに決まっている。


だが、、もし、、そうでないとしたら・・・・・・


グリエルモは俺たちがあいつのことを思っているよりもずっと強く、俺たちのことを思っていたということにならないか。



「この男の名はグリエルモ・パロッティーニだ」


 俺には「こんな男は知らない」と突き放すことはできなかった。


それに、グリエルモが家(うち)に出入りしているところは近所の住人に見られているんだ。変に隠さない方がいいと判断した。


グリエルモが住んでいるアパート、アルバイトで生計を立てていたこと、ここによく来ていたことなどは話したが、本当はミュウディアンだとは言わなかった。


 記憶を失くした男の名前を知ったじいさんは、もう一度警察で調べてもらい男の正体を知ることになる。


当然、軍警察にも連絡がいくだろう。軍警察はグリエルモに何があったのか調べようとするかもしれない。


そうなればここにも来るはずだ。不正にマリオッシュに上陸したことがバレれば俺たちは逮捕される。何か手を打たないと。


「うーうー」


 うなり声に顔を上げると、スコーンをひとつ持って差し出したグリエルモが笑っていた。


「俺にくれるのか?」


スコーンは退屈しているグリエルモにテュテュリンがやったものだ。赤ん坊同然のグリエルモは食べこぼしで大変なことになっている。


親友だと言ってくれた男をこんなにしておきながら、俺は自分の心配しかしないのか。


「俺たちにできることがあったら何でも言ってくれ」


別れ際のセリフは本心だった。



「どうしてこんなことになっちゃったの!」


 グリエルモとじいさんが帰った後、不意に叫んだテュテュリンはソファに身体を投げ出して泣きくずれた。


「わたしのせいだ。デリートなんか使ったりしたから!!」


 声をあげて泣くテュテュリンの言葉が俺の心を突き刺す。


「お前は俺の言う通りにしただけだ。責任は全部俺にある」


ああ、そうだ。全部俺が悪い。効果の程度がわからない力を使うと決めたのは俺だ。


こうなる可能性はあったのに考えないようにしていた。元に戻す方法は、わからない。


ヴァイオスを使った人間が死ねばその効果も消える、というのはデリートも同じだろう。

テュテュリンを殺せってか?! そんなことできるワケがない!!


 だったらどうする。どうしたらいい?

そうだ、ルシオンだ! ヤツならなんとかできるかもしれない。



 ・・・・・・冷静になれ


元に戻してどうするんだ。完全に記憶が戻ってしまったら、俺たちがしたこともルシオンの力も思い出すことになるんだぞ。


そうしたら次はどうするつもりだ? 

グリエルモを殺すのか?


そんなことになるくらいなら今のままの方がいい。


 結局、“何もしない”を選んだ俺はグリエルモを見捨てたんだ。



――――俺に親友なんかいない


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