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【リッガルト】
「わたしから話そうか」と言ってくれたテュテュリンに、「俺が話す」と見栄を張ったことを少しだけ後悔してる。
「力を貸してほしい」
さんざんためらったあげくやっとのことで切り出すと、ルシオンは「ん。」と言った。
「パンパン、パンケーキ、パンパン、パンケーキ♪ ふわふわあつあつ、パンケーキ・・・・・・」
テュテュリンとアインシャの歌声がキッチンから聞こえて来る。今日のおやつはパンケーキらしい。
「何をするのかきかないのか」
パンケーキのシロップを取ってくれと頼まれたときのような返事の軽さに、俺は戸惑っていた。
「困っているんでしょう?」
「まあ、そうなんだが」
「じゃあ、いいよ」
「それだけかよ」
「ん。」
「・・・・・・・・・」
俺としてはうれしいが、そんなに簡単に引き受けていいのか?
ロイエリング家からの帰り道、俺とテュテュリンは並んで歩いていた。
「ルシオンくん、やってくれるって言ったでしょ?」
断られることなんか考えていなかったという口ぶりだ。
「あいつにとっちゃ、どうってこともないんだろうよ」
不意にティティリンが俺の顔をのぞきこむ。
「ルシオンくんが引き受けてくれたのは、簡単なことだからだと思っているの?」
そうじゃない気もするが、
「まあ、そうだな」
「はあああ」
目の前で大きな溜息をつかれてむっとする。
「なんだよ」
「そんなわけないでしょ。兄さんの頼みだからに決まってるじゃない」
なぜそうなる。
「俺の頼みならなんでもきいてくれるっていうのか?」
「たぶんね」
「なんでだよ」
「兄さんがルシオンくんのことをどう思っていようと、ルシオンくんは兄さんを友達だと思っているからだよ」
「どうしてそんなことがお前にわかる?」
「本人にきいた」
ぐうの音もでなかった。
よかった。本当によかった。
できれば俺とテュテュリンのふたりだけの力でこうしてやりたかった。でも、もう、そんなことはどうだっていい。
今ごろ、ウルリカとその子供はふたりだけの時間を満喫しているはずだ。
4歳になったばかりの息子を抱きしめたウルリカは、どこまでもやさしい笑顔を浮かべていた。母親の顔だった。
トイショップで買い物をした日、連れていかれたステーキハウスでウルリカは言っていた。
息子のミーシャは幼くても、母親がブロックフィッチであることの意味を理解しているのだと。
だから、どんなにさびしくても、「ママにあいたい!」と言って祖母を困らせることはしない。
ミーシャの夢はウルリカのようなみんなを守れるミュウディアンになること。自分のようになりたいと言われて喜んでいるだろうと思いきや、ウルリカは苦しそうな顔をしていた。
「特殊能力者でなければ、もっと違うことを夢に描いていたんじゃないかと思うんだ」
ウルリカの言う通りだ。強い特殊能力を持つ者は将来の夢を描く前に、まずミュウディアンに“なる”“ならない”のどちらかを選択することになる。
“ならない”を選ぶと、体内にFODチップを埋め込まれ監視、管理されることになる。
自分の人生を死ぬまで支配されるなんてまっぴらだと、ミュウディアンになる者も多い。
当然のようにミュウディアンになることを選んだミーシャは、6歳になったらアカデミースクールに入らなければならない。
「ヴァイオスがないヤツは、いくらミュウディアンになりたくてもなれないんだ。ひとつ選択肢が多くてラッキーだろ」
突然、左足に激痛が走りあやうく悲鳴をあげるところだった。となりのイスに座っているテュテュリンが俺の足を思いっきり踏みつけていた。
「そうかもしれない」
苦笑を浮かべているウルリカを見て、心にもないことを言うんじゃなかったと後悔した。後でテュテュリンの小言をたっぷり聞かされたことになりそうだ。
ヴァイオスは遺伝する場合が多い。俺たちの父親もミュウディアンだった。
ウルリカは子供の将来を奪ってしまったと自分を責めているんだ。そして、ミーシャがあこがれるようなミュウディアンであり続けようとしている。
だから、この人は強いのか。
俺たちの母さんは弱かった。父さんが死ぬまではそんなこと思ってもみなかった。優しくていつも穏やかに笑っている母さんが、俺は好きだったんだ。
ところが、父さんが死んでからは笑わなくなった。泣いてばかりいた。
日増しにおかしくなっていく母さんを支えるため、色んなものを犠牲にしなければならなかった。俺は、母さんの弱さを憎んだ。
――――あの日。
母さんの様子がいつもと違うことには気付いていた。
それまではひとりになることをひどくイヤがっていたのに、俺とテュテュリン、ふたり一緒に出かけて来いと言い出したのだ。
毎年新作が公開されると、父さんと俺たち兄妹とで観に行っていた映画がきていた。もちろん、母さんをひとりにはできないから行かないと言った。
それなのに、母さんは俺たちが出かけられるように支度をして無理やり送り出したのだ。
家を出た俺たちは黙りこくって歩いた。母さんをおいて来てよかったのか、迷いが足取りを重くしていた。
「帰ろう」
背後で声がして振り向くと、テュテュリンが強張った顔で立っていた。
「なんで?」
半分は自分に向けた言葉だった。
「母さんをひとりにはできないよ」
テュテュリンの言う通りだ。でも
「その母さんに追い出されたんだ」
「そうだけど・・・・・・」
「俺たちに父さんとの思い出を大事にして欲しいんだろ」
ただの思い付きだ。本気でそう思ったワケじゃない。それでもテュテュリンを黙らせる効果はあった。そして、映画を観るべき理由ができてしまった。
この時観た映画がどんな内容だったのか俺はまったく覚えていない。後になってテュテュリンにもきいてみたがやっぱり覚えてはいなかった。
お互いに映画を観ているふりをしながら母さんのことばかり考えていたんだ。
だから、映画が終わると走って家へと急いだ。
「母さん、ただいま!」
家に着くまで暗い顔をしていたテュテュリンは、精いっぱい明るい声で玄関のドアを開けた。けれども、「おかえり」の声は聞こえてこなかった。
胸の内側で心臓が暴れている。
俺はテュテュリンを押しのけて家の中にかけこみリビングのドアを開け放った。
母さんはいた――――
ひもに首を引っかけてぶら下がっている母さんは、生きてはいないとすぐにわかった。生者のものではない白い顔はとても穏やかだった。
――――よかった。母さんは父さんの所にいったんだ。
悲しむよりも先にそう思った。
その瞬間にわかってしまった。
俺は心の奥底でこうなればいいと思っていたんだと。だから迷いながらも母さんをひとりにしてしまったんだ。
俺は疲れていた。壊れていく母さんを見ていることに。慣れない家事に。いつまで続くかわからない今の状況にうんざりしていた。
いっそ、母さんがいなくなってしまえばいい。
そんな風に思っていたワケじゃない。時折頭をもたげる思いは形になる前に打ち消して考えないようにしていた。
そんなことを繰り返しているうちに、俺の心の中にはもやもやとした暗い思いが少しずつ積み重なっていたのだろう。
そして、おぞましいものでうめつくされていく自分の心から目をそらし続けていたんだ。
俺は泣いた。後悔と自責の涙だった。
「兄さん」
呼ばれて横を向くと、ハンカチを差し出すテュテュリンがいた。
「なんだ?」
「顔をふいて」
言われてはじめて自分が泣いていることに気が付いた。
「よかったね。ルシオンくんに感謝だよ」
「ああ、そうだな」
何気なく返事をしたのは失敗だった。目を丸くしたテュテュリンに見つめられて居心地が悪い。
「なんだよ」
「なんでもない」
意味ありげな笑顔を浮かべてすり寄って来た。
温かい。。
ホテルの部屋で壁に向かって座っているルシオンは、今この時も、ヴァイオスを使ってふたつの空間をつなげている。
ドアを向こうはミーシャの部屋だ。そこにウルリカはいる。
空間隔離という能力の応用らしい。後で調べてみたら、キューブロックは空間を切り取って別の次元に封じ込める能力とあった。
閉じ込めた空間同士をつなげたり、自由に出入りできるとはどこにも書いてなかった。セイラガムの異名を持つルシオンだからこそできる技なのだろう。
使い方を変えればヤツの力はひとを幸せにすることもできる。不幸にするためにあるワケじゃないはずだ。
本当はわかっていた。
ここでセイラガムが何をしたのか知ったときに。
アビュースタ人にとってヤツは恐ろしい敵で死神みたいな存在だ。でも、リトギルカ人にとっては頼もしい味方で英雄なんだ。
もし、ヤツがアビュースタに生まれていたなら状況は入れ替わっていた。
そもそも戦争なんかしていなければ、あんな子供が戦場に引っ張り出されることもなかった。
そうさ、本当は、全部わかっていたんだ。
数日後、俺たちはレストランに来ていた。お礼がしたいというウルリカに招待されたのだ。食事がすむとテュテュリンは先に帰った。
見たいテレビがあるとか言っていたがそんなもんあったか?
「本当に感謝している。君たちの助けがなければミーシャに会うことすらできなかった。いつも寂しい思いをさせている私は母親失格だな」
食後のコーヒーをすすりながらウルリカは切ない表情を浮かべている。
「そんなことあるもんか。あんたはこうして生きているじゃないか」
自分の言葉にはっとする。
俺は母さんに生きていて欲しかったのか?!
父さんの所に逝けてよかったと思ったのは本心だ。母さんを楽にする方法はそれしかなかったから・・・・・・
俺はさびしかったのだろうか?
ウルリカの手が俺の背中をさすっている。
なんだ? 俺はなぐさめられなければならないような顔をしていたのか。
気が付くと俺は母さんのことを話していた。何もかも全部。
ウルリカはただ黙って聞いていた。
「私には他人の家庭について意見する資格はない」
ウルリカはカップに残った冷めたコーヒーを飲み干して俺の顔を見る。
「でも、母親としてなら言えることがある。
リッガルト。君のお母さんは君が自分のことで悩んだり悲しんだりすることは望んでいない。なぜなら、母親とは子供の幸せを願わずにはいられない生き物なのだから」
「母さんは、、俺を許してくれるだろうか」
「許すも何もないんだよ。母親の愛の前にはね」
「何だよ、それ。そんなはずかしいセリフ、よく真顔で言えるな」
茶化しなが俺は泣いていた。
心の底にこびりついていた黒い感情を洗い流す涙だった。




