8
「──ォーピオン! スコーピオン! 無事なら応答しろ!」
チップの副作用で気を失っていたスコーピオンは、重い頭を横に振り、現在の状況の把握を急いだ。
出入り口のドアに触られた形跡はない。
サーバールームの監視カメラは動いているが、状況から見てこちらは認識していなさそうだ。
「聞こえている。トラス」
そして、通信の声。トラスのけたたましい声がずっと頭に響いて仕方がなく、端的に返答した。
「そうか、なら良い。クラッキングは8割方完了している、こちらはグレーゾーン化の前段階を準備中だ」
気だるそうな返事を聞き、トラスも落ち着きを取り戻したようで以前の冷徹な彼が帰ってきた。
「要求。現在の状況の共有。こちらはしばらく安全。シノメは?」
暗雲迫る中、サーバールームの明滅する電灯はどうも心許なく、鈍くなった体も相まって暗い感情が立ち込めてくる。
「クラッキング中は敵陣中にいる様なものだ。チップを挿入してる君はコンタクト通信ができるから別だが、彼女との通信は行えない。こちらの存在が知られかねないからね。何か簡単で良い、外の状況が分かったりしないか?」
聴覚に神経を張り巡らせ、外の様子を確認する。駆ける大量の足音がサーバールームを通り過ぎ、軽く銃声も聞こえた。
「報告。シノメは恐らく交戦中」
「やはりトラブったか......」
トラスの大きなため息が二人の通信に空しく流れる。彼の姿は見えないが、猫の手を借りて頭を抱えたい程なのだろう。
「最悪の展開だが、まだ想定内だ。希望はある。クラッキングが終わるまで、尻尾は離すなよ」
当然。離す訳がない。この尻尾にはスコーピオンだけでなく、シノメや、トラス、さらに言えば路地裏の人間すら背負っている。離した先に待つは即ち死だ。
「おい、誰かいるのか!?」
サーバールームのドアをノックする音が空間を囲い込む。警備員が尻尾を突き刺した時に発された轟音の調査に来たのだろう。
「報告。サーバールームに来客。クラッキングはいつ終わる?」
「残り10%だ。戦えるか?」
「不可能。チップを摘出しない限り難しい」
脊椎に挿入されたチップはサーバーに繋いでから多少はマシになったものの、やはり受けたダメージは大きい。チップのクラッキングシステムで自動修復機能の進みも遅いため、交戦は無謀に等しかった。
「溶接機だ! 無理やりこじ開けるぞ!」
叫ぶ声は、今自身の薄氷を踏むような窮地的状況を思い出させた。
時計回りに溶断されるドアは、与えられた猶予がどれほどのものかを示唆する。
スコーピオンは思う。このままではシノメも死ぬ。
だが、初めて会った時のしぶとさ──執念だろうか? このタイミングになって彼女の強さの要素が少し理解できた気がした。
まだ、死んではいないという想像が出来るうちは、彼女が死んだという事は到底ないのだろう。
ドアの溶断も半分に入った。想定される突入人数は四人。
機械尻尾のワイヤーを最大限に伸ばしてから、サーバールームの窓を割り外に飛び出す。
そして、変形する右手指と左足のスパイクを起動し、外壁に突き刺してしがみつき、ほとんど灰と化した上空を見上げた。
──ここからなら、間に合うかもしれない。マーセナルを直接狙えるこの距離であれば。
「提案。クラッキング後シノメの援護に向かう」
スコーピオンは賭けた。彼女の執念、しぶとさに。
「スコーピオン、シノメは後だ。今は彼女より自分の身を守れ!」
強く吹き抜けるビル風に、自身が少し小さく感じた。
トラスの判断は冷酷だが正しい。確実にグレーゾーン化した後で動いた方がマーセナルの捕縛も、警備員の殲滅もやりやすいだろう。
しかし、そうじゃない。救える仲間を見捨ててまで完遂する程、スコーピオンは冷たくはなれなかった。
「クラッキングが終わったら報告を。シノメの援護には尻尾が必須」
支えになるのは壁に刺さる右手と左足。これだけでも登れなくはないが、シノメの事もある。尻尾の助けがないととても間に合う距離ではない。
「いいかよく聞け。シノメより自衛を優先しろ、スコーピオン。大事なのはマーセナルの確保だ」
このまま進まず、自己保身の手立ては何度も考えた。だが、結論として止まっていてもどの道変わらない。最善を目指してこの身果てるなら、それまでの女だったと私自身を切り捨てよう。
「トラス、すまない──ここからは私のやり方で進ませてもらう」
彼の溜息が通信を鎮める。
「......勝手にしろ、グレーゾーン生成後の事は君達の領分だ。だが、マーセナルだけは逃すなよ」
溶接機の音が止まり、鉄板の小刻みな音と共にサーバールーム内に入り込む四〜五人の足音が鳴った。
「クリア」
ハンドキャノンの弾はショットシェルとはいえ、留まっているとどうなっていたかは火を見るより明らかだったろう。
それでも、尻尾は残ったまま。元を辿れば私の居場所が知られる以上、左手のハンドキャノンを手放すことはできなかった。
「不審物を発見。窓の外に繋がってる」
警備員の一人が外へ伸びるワイヤーに近づく。万が一を考えてハンドキャノンの照準をその警備に向けた。
祈りを込めて、一つのメッセージを心に刻み込む。
「完全なる影の到来する時、望みは叶う」
陽光は暗雲によって完全に遮られた。だが、たとえ光がなくとも、スコーピオンの希望の灯火が消される事はなかった。
「完了だ! グレーゾーンの変換に移る!」
完了、の言葉と同時に、一度ハンドキャノンをしまいチップを摘出し、ワイヤーを最大限に引っ張る。
尻尾に続き、サーバーの倒れる音と少しの悲鳴が部屋が出てきた。尾の先が帰ってくるのを確認し最上階への登攀を急ぐ。
シノメの性格上、私達が役に立たないと判断したらマーセナルを殺してでも確保しに行くだろう。
サーバールームからの発砲は、シノメだけでなく、スコーピオンもまた時間に追われる人間に変わりない事を知らせた。
「グレーゾーン化までもう少し、倒れてくれるな!」
腕と足の肉が裂けそうな痛みに体は悲鳴をあげる。しかし、登る手足、尾を止めるという退路は既に絶たれた。
無い歯を食いしばって、遂に屋上に到達すると、尻尾をすかさず屋上に固定し、ラペリングの要領でマーセナルの部屋まで降りる。
屋上階のドアの開く音に大量の足音が続く。グレーゾーン化に間に合わなくとも、どうでも良い。
ハンドキャノンを両手に構え、窓を蹴って突入しようとした瞬間。
「グレーゾーン到来だ! 派手に暴れて来い!」
屋上から降る弾丸の雨の中、舞台は整った。
スコーピオンは自身の我儘に付き合ってくれたトラスに感謝し、再び窓の先の標的に目を見据える。
ガラスの割れる音中、新たなる戦いが始まりを知らせる。




