2話「宝蘭国へ」
開いたままになっていた窓から春風が入り込み頬を撫でる。
たんぽぽの綿毛がまぶたの上に乗り、私はゆっくりと目を開けた。
寝ている間に城の方角から鐘の音が聞こえたので恐らく七時過ぎだろう。まさか八時まで寝てしまっていないか、と時計を見たが幸い七時を回ったところだった。
重いまぶたに冷たい水を打ち付けて目を覚まし、キッチンへと向かう。フライパンに卵を割りいれ、底を魔法で加熱する。
帝国では「コンロ」などというものがありツマミを捻ると火が出るらしいが、私は火の魔法がなければ朝食を作るだけでも苦労するだろう。
帝国産のもので唯一使っているのは時計だった。
「時間なんて気にしていたら疲れますよ」なんてヒスイさんは言っていた。
しかし私はそうは思わない。時間がわかるに越したことはないし、それが有用な場面もある。
――と、そんなことを考えている内にフライパンからは卵の香りが流れてきている。急いで皿に移し、塩コショウをかけると、まだ眠っている兄を起こしに部屋へ向かう。扉の前に立ち2、3回ほどノックしてみたけど反応がない。
扉を開けて中に入ると、ベッドから落ちそうになって双子の兄――ミコトが寝ている。栗色の短い髪に緑色の瞳を持つ少年。背丈と髪の長さ以外はほとんど私と同じ見た目をしている。
「お兄ちゃーん」
体を2、3回ゆすっても反応がない。困った。何もない日ならともかく、今日はこの後に予定がある。ミコトの寝起きの悪さは幼いころからのことだが、起こす担当はいつも私じゃなかった。二人暮らしを始めてからはひとりで起きてきてくれることが多かったからこういった場面はなかったのに、よりによって今日遭遇してしまうなんて。
だが幸運なことに、開け放したままの窓から入り込んだそよ風がこの問題を解決してくれた。キッチンから美味しそうな香りが風に運ばれてやってきたことでピン!とひらめく。パタパタと足音を立てながら台所に向かい、香りの元である目玉焼きに手を伸ばす。早朝の兄はお腹が空いている筈なので、ご飯の香りで起きるだろうという作戦だ。
「おにーちゃーん、朝ごはんだよー」
もう一度呼んでからお皿を近づけると、ミコトは匂いに反応したのか勢いよく上半身を上げた。ようやく起きた、と安堵したのもつかの間、起き上がった拍子に体勢を崩し、ミコトはベッドから転落する。
「うっ」
「お兄ちゃん!?」
思わず叫び、兄を見たが怪我はしていないようなので安心した。手を差し出しミコトの体を起こす。
「おはよう、お兄ちゃん」
「おはよ、ミーナ」
二人で並んで階段を下り、1階の食卓に向かいあわせで座る。先ほど焼いた卵焼きに加えて、トーストとヨーグルト。ヨーグルトの上にはイチゴが乗っていて鮮やかな赤色がヨーグルトの白色に引き立てられて輝いている。
すると裏口から、鍵の開閉音が聞こえてくる。朝から我が家を訪ねてくる人間は1人しかいない。急ぎ扉へと向かいそこに立つ友人へ声をかける。
「おはよーラングリさん」
「おはよ」
予想通り、扉の前には友人であるラングリ穴が立っていた。中肉中背に黒い短髪。黒色の瞳に全身黒でまとめた服装。元より今日は来る予定だったが、約束まではまだ時間がある。
そもそも合鍵を渡した覚えはないけれど、一体どうやって入ってきたのだろう。
「ねえ、ラングリさん。 どうやって入ったの?」
「ほら、俺のアルミスあるでしょ?」
「それがどうしたの?」
「アレを鍵にして入った」
私が何かを言う前に右手側を少女が通り過ぎる。もっとも少女が動く姿は見えなかったが、通り抜ける風によってそう分かった。
そして現在、ラングリ穴の首にナイフを突きつけている少女は私の人形であるマリナだ。
「おはようマリナ」
ラングリ穴は両手を挙げて降参の意志を示しながらもひょうひょうと挨拶をしてのける。
「最後ノ言葉ハソレデイイカ?」
「ああー、やっぱそうなる?」
「当タリ前ダ」
ラングリ穴と出会ってまもない頃なら叫んでいたかもしれない。しかし今ではもう見慣れた光景だ。
次の瞬間には、ラングリ穴の首筋にマリナのナイフが添えられていた。
私の目には全く捉えられなかった。
銀色の長髪に私たちと同じ緑色の瞳、細身な体にリボンの着いた服がよく似合っている彼女は、一度ナイフを首から外した。その隙にラングリ穴は逃亡を試み、気づけば2人の鬼ごっこが開始されていた。
――――――――――
少し前、まぶたの重さを感じながら、俺は王国の街中を歩いていた。
石畳が敷かれた大通りに立ち並ぶ、レンガ造りの三角屋根が特徴的な家々。
城がある方向へ少し歩くと住宅街から商店街に移り変っていく。
そんな商店街の一角にミコトとミーナが経営する雑貨屋は位置している。
小規模ながら繁盛しておりこの度リニューアルが決定した。
今回の宝蘭国行きはその為の家具を調達したい、という理由からだった。内装を変更するためにショーケースや装飾の類を購入したいらしい。
ただ宝蘭国には2人とも行ったことがないためガイドが必要だと思ったところに、たまたま休暇中の俺がいたという訳だ。
こちらとしても願ってもない話である。
そんな理由から決まった今回の外出に俺の心は踊っていた。
公務ではない遠出など本当にいつぶりか分からなかった。もしかするとまだ父さんが生きていた頃の話かもしれない。
そのせいで俺はつまらない思いつきをした。
ミーナ達を驚かせてやろうという単なるイタズラ心だった。
俺はアルミスを取り出し、苦労しながらも鍵の形に変化させることに成功した。そのまま鍵穴に差し込み、躊躇なく回す。
――――――――――
そして現在、マリナの追跡を振り切れる道理もなく一瞬で捕らえられた俺はその場で地面に座らされた。宝蘭国における敬意を示す座り方、確か正座と呼ばれているらしいその状態になり、背筋をピンと伸ばしたままマリナの話を聞かされている。
「勝手ニ入ルトハドウイウ了見ダ」
というのがマリナの話の中心である。当然のことだがなんの了解もなく他人の家屋に侵入するのは関係性を問わず罰せられることであって、正直なんの言い訳も持っていない。まさか「久しぶりの外出でテンションが上がっていて」と言う訳にもいかない。
「すみませんでした」
これ以外ない、そう、他の言葉は発する余地がない。俺はただ純粋に謝罪を述べるのみだ――。
――結局、マリナの猛攻は止まらず、十数分程経ったところでミコトとミーナが静止してくれた。マリナはまだ何か言い足りない様子だったが、主人の命令とあっては仕方なく上階に引っ込んでいった。
「さ、行こっか」
ミーナの声に促されて俺達は外に出る。
マリナはお留守番だそうで階段の上から小さく手を振っている。
「ここから歩いて行くのか?」
ミコトの声に引き寄せられて、俺の視線はミコトの顔に向く。
首を傾げて少し口を開けた表情でもミコトは妙に様になる男だ。宝石のような緑色の瞳は陽の光を入れて普段よりいっそう輝いている。
しかしここから歩いていく訳がない。それでは日が暮れてしまうだろう。
「まさか、ついてきて」
そう言って二人を連れ、南方向に王都を歩き始める。時間も時間なのでこの商店街は今現在、活気がなく閑散としている。聞こえてくるのは鳥の鳴き声と三人分の足音くらいのものだ。
商店街を抜け、住宅街を越えると、身長の何倍もの高さを誇る壁が目の前に立ちはだかる。正面には門があり、両脇には2本の塔。その内赤色の方が一際目立って見えた。
「なんか今日、火の塔から出る魔力が強くないか?」
俺がそういうとミーナが答える。
「最近ずっとそうだよ。戦争だなんだって物騒だからね」
――やはり戦争はすぐそこまで来ているのか。
俺は湧き出てきた思考をかき消すように頭をブンブンと振り、足を動かすことに集中した。
門を越えると広大な草原が広がっていて、そこには目的のものがポツンと置かれていた。
「よし、乗ってくれ」
そう言って扉を開く。
目の前にあるのは、中立都市や帝国の人間からすれば何の変哲もない車だった。ただし王国民からすればそうでもない。
「これが車か!」
と大きな声をあげたミコトは興味深そうに車の全体を見て回る。子供のように目を輝かせるミコトを見ると思わず口元が緩む。
王国育ちではミコトの反応も無理はない。
ミーナはというと、もう既に車に乗り込んでいる。彼女は俺の車に同乗することが多かった。目にするのは数回目なのでこれまた当然である。俺も運転席に乗り込み、窓越しに外のミコトを眺める。もうそこそこの時間が経ったと思うのだが、まだ飽きる様子はなく隅々まで確認している。
「お兄ちゃん早く乗ってよー!」
そう言われたミコトは口を尖らせて抗議する。好きそうだとは思っていたがここまで気に入るのは少し予想外だった。
「そんなに気に入ったなら今度あげようか?」
「いいのか!?」
そう言ってミコトは車に飛び乗ってくる。ミーナが苦笑しながらミコトにシートベルトをつけ、ようやく出発の準備が整ったところでアクセルを踏む。出発と同時にミコトが再び目を輝かせたのは言うまでもない。
「なあなあ、これってどうやって動いてるんだ?」
「電気で車輪を回転させているだけだよ。それと、驚くには少し早い」
そう得意げに言い放ち、ハンドルの中心に取り付けられたボタンを叩く。
その直後、多少の振動とともにハンドルが姿を消し、代わりに操縦桿が現れる。三又のフォークのような形状に持ち手が2つ。そこに複数のボタンが搭載されている。
「おお!!飛んでる!!」
車体が浮かんだ瞬間にミコトが叫んだ。
地面が少しづつ遠ざかり、あんなに高かった壁が今は眼下にある。
「これはまだ試験機だけどな、完成したらミコトに渡すよ」
もはや言葉も不要といった様子で、ミコトが激しく首を上下に動かすのが鏡越しに見えた。ここまで気に入られると開発により気合いが入るというものだ。
「ほんと中立都市って変なもの作るよね」
「面白いものって言ってくれ。少なくとも、他の国じゃ作れないものだ」
俺達の会話をよそにミコトは「もう中立都市に移住しようかな」などと言っている。市長としては嬉しい限りではあるが。
そうこうしている内、目の前の景色が急激に変化した。
目に入る建物の形は何度見ても奇妙だ。
木製に瓦作りの屋根、紙でできた扉。
人々の服装はどこかゆったりとしていて、王国や帝国のそれとは完全に異なった歴史を思わせる。
空気の匂いすらも異なり、木と香が混じったような静かで厳かな匂いがした。
「着いたぞ、ここが宝蘭国だ」
少なくとも、この時の俺達はまだ期待に胸を膨らませていた。




