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(改稿中)リミナ/黒百合は境界に咲く  作者: 林三連撃
第1章「妖オークション」

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1話「いつもの朝」

 中立都市を脅かした大事件、通称「血染めの天使事件」から5か月。

 春の穏やかな陽気に包まれた中立都市オリヴィアは、既に以前の活気を取り戻し始めていた。

 血の匂いや倒壊した建物は見る影もなく、亡くなった人々は埋葬されて慰霊碑にその名を刻んでいる。


 俺は慰霊碑の前に立ち尽くし、あの日のことを思い返していた。

 最近ではもう、出勤前の習慣になってしまっている。

 また守れなかったという自責の念と、「黒百合」という呪いに手を染め、あまつさえ殺意を抱いて戦ったことへの戒めとして。

 ここに立っていると血の匂いや怪物の叫び声が俺の脳を叩く。

 怪物の身体を串刺しにした時の感触が手に蘇り、震えが止まらなくなる。それでも俺は毎朝欠かさずここに立ち続けた。


「――そろそろ行かないとな」


 呟いて俺は歩き始めた。

 肌に触れる暖かい空気が心地悪かった。



「遅かったわね、ラングリ穴。――またいつもの場所?」


 市長室に入ると中にはいつも通りミハルがいた。

 ミハルは事件後に学校を卒業し、この春から俺の秘書として働き始めた。

 

「ああ、まあな」


 俺が応じるとミハルは小さくため息をついた。


「程々にしておきなさいよ」


「ああ、分かってる」


 俺は素っ気なくそう言うと椅子に腰掛けて机上の端末を起動した。

 電子通信にも魔法通信にも対応した代物で、帝国と王国の連絡を同時に捌ける。


「何か連絡は来ている?」

 

 ミハルに尋ねられ、俺は画面を覗き込む。

 10数件の連絡が届いており、その中には両国の外交担当から届いたものが含まれていた。俺はすぐに内容をチェックし、読み終えて深く息を吐いた。


「来てたよ。アカシア王国からは『例の事件には帝国の関与が疑われる。この件について早急に回答を求める』プラタナス帝国からは『例の事件は我々を貶めるために王国が行ったことだ。天使とやらが魔法を使ったことが何よりの証拠。至急回答を求める』まあ、いつもと同じだな」


「5カ月間飽きもせず、よくこんなもの送り続けられるわね」


 この連絡は文面こそ変われど、事件直後から毎日欠かさず送られてきている。

 その全てに「調査中」と返信するのが俺の毎朝の日課だ。


「もういっそ、ブランがやったと言ってしまえばいいんじゃない?」


「駄目だ。奴は記録上、存在しない人間だ。適当に犯人をでっち上げたと思われるだろう。そうなれば俺達が非難の的になる可能性がある。事件は中立都市の内輪もめだった、とか何とか言われてな」


「でもこのまま何もしないと、戦争が起きてもおかしくないわよ。帝国も国境を閉ざしてしまったし」


 帝国は既に国境を閉ざし、軍備増強の噂まで流れていた。他にも内乱の鎮圧に注力しているといった噂もあるが詳しいことは分かっていない。帝国からの情報は毎朝の連絡以外完全に遮断されてしまった。

 なにか手を打たなければミハルの言う通り戦争になるだろう。

 両国の中立的立場であり、裁定者としての役割を担う俺達には早急に行動を起こす必要がある。しかし具体的な策もなく、手をこまねいている状況だった。


 重い沈黙が訪れた。

 ――こんな時、父さんならどうしただろう。きっと、俺が思いもつかないような方法で解決してしまうのだろう。

 ミハルを見ると、俯いたまま何かを考えている。

 化粧を濃くし、スーツとシークレットブーツに身を包んだミハルの姿は15歳の少女には到底見えなかった。

 目の力強さに父の面影を感じ思わず口元が緩む。

 そうしてしばらく彼女の姿を見ていると、突然手をパチンと叩き顔を上げた。


「ラングリ穴、貴方は今日から数日休みなさい。大事な仕事以外は私が済ませておくわ」


 ミハルは真剣な顔で言った。


「冗談だろ?こんな大事な時期に休んでられるか。いつ戦争になるか分からないんだ」


「だからこそ、休める内に休んでおくべきよ。戦争が起きたけど疲れて動きませんじゃあ困るわ」


 そういえば5カ月間まとまった休みなんて一度も取っていなかった。その間、彼女には心配をかけすぎていたかもしれない。


「わかった。言う通りにするよ」


「ええ、こっちのことは心配しなくていいわ。思い切り羽を伸ばしてきなさい」


 そうして俺は外に出ようとしたが、何か違和感を感じて立ち止まった。


「なあ、今は俺達しかいないのに、なんでその口調なんだ?」


 違和感の正体はミハルの口調だった。ミハルは自身の低い年齢を隠すために仕事中は大人らしい口調を使うようにしている。

 素の口調で話しをするのは俺やヒスイを始めとした旧知の仲の者だけだ。


「そ、それは、まだあの口調に慣れてないから、うっかり職場で素が出ないように慣らしておこうと思って……」


 元の口調に戻ってそう言ったミハルの顔はほんのり赤くなっていた。

 改めて指摘されると恥ずかしかったらしい。

 俺はミハルに謝罪し、口に微笑を浮かばせて部屋から出た。


 

 役所の外に出るとそこにはヒスイが立っていた。

 俺に気づいて小さく手を振るヒスイに俺も手を振り返す。


「珍しいですね。こんな時間に外にいるなんて」


「ああ、ミハルに休めって言われてな。そっちこそ珍しいじゃないか。ここで何を?」


 ヒスイは表情を暗くし、天を仰いで何かを見つめた。


「なんと言いますか、思い出してしまいまして」


 思い出す、という言葉だけで何のことを指しているのかは分かった。

 同じ戦場にいた者同士、考えていることは近しい。例の慰霊碑の前で見かけたことも何度かある。

 

「ご飯でも食べに行こうか」


 俺の提案にヒスイは頷いた。


 手頃なカフェに入ると中にはほとんど人がいなかった。朝食には少し遅く、昼食には早い時間、それも当然のことだ。しかしそれが俺達に事件直後の中立都市を思い起こさせた。

 ――来ない方が良かったかもしれない。

 初めは互いに慰めにでもなればいいと思って誘ったがこれでは逆効果だ。

 ただヒスイは思いのほか元気そうだった。

 目元を緩め、右手でカップを揺らしながら中で波打つ紅色の茶を眺めている。

 俺は液面から咄嗟に目を逸らした。どうにもあの日以来、この色が苦手になっている。


「――元気ですか、という質問は愚問のようですね」


 ヒスイはそう言って紅茶を一気に流し込み、空のカップをテーブルに置いた。

 真っ白なカップの中に数滴だけ「血」が残っている。

 俺はぼんやりとカップを見た。周りの風景が不確かになっていき、カップの中には天使と倒れた人々がいて――。


「ラングリ!」


 ヒスイの声が聞こえ、突然景色が変わった。俺達はカフェの中にいて、周囲には人がまばらにいる。彼らはなぜだかこちらを見ていて、ヒソヒソと何かを話していた。


「俺は……どうしてた?」


「少しの間でしたが、急に汗を流して動かなくなりましたよ。大丈夫ですか?」


 額を触ると確かに濡れていた。ここに来てからの記憶自体が曖昧で、特に10数秒前の記憶については全くと言っていいほどない。


「――出よう」


 俺は素っ気なく言い、ゆっくりと歩いて外に出た。

 なぜだかまっすぐ歩けず、何度かテーブルにぶつかってしまった。



「落ち着きましたか?」


 ヒスイの魔法で中心街を離れた俺達は中立都市の西側、王国との境界付近にある草原に寝転がっている。

 辺り一面が緑色に埋め尽くされていて、血や天使はどこにも見えなかった。


「ああ、落ち着いたよ。ありがとう」


 俺の隣で寝転がっているヒスイに目を向けて言った。

 彼女の眉は下がっていたが口は綺麗に三日月を描いていた。


「『黒百合』の調子はどうですか?」


 彼女は少し細い声で訊いた。

 俺の様子を心配しているようだったが、既にその必要は無くなっていた。


「封印のお陰で抑えられてる。殺意が湧いたり、『声』が聞こえることもないよ」


 ヒスイは小さく息を漏らし、「よかった」と呟いた。

 あの暴走の後、ヒスイと共に実験として、封印を部分的に解除し黒百合を何度か使った。

 全身に強烈な激痛が走ると共にあの時の半分程度のエネルギーが流れ込んできた。角や翼が生えることはなく、剣の外見も変化しなかった。「声」は微かに聞こえたが以前に比べれば雑音程度でしかなく、身体は自分の意志で完全に操ることができた。

 きっと封印を解除すればあの事件の時と同じ力が手に入るのだろうが、あんなものに頼り切るつもりは毛頭ない。

 もし使うことがあるとすれば、それはブランとの決戦の時だろう。


「もし使うことがあったら、その時は僕を呼んでください。必ず止めます」


 ヒスイが宣言すると、強い風が吹いた。力強く草木を揺らし、俺達の髪をはためかせる。風は同時に暖かさを孕んでいて、俺は抱き締められているような感覚を覚えた。



 ヒスイと別れ家に帰ってきた頃には既に日が落ちかかっていた。

 窓から橙色の光が差し込み、白い部屋を染め上げていく。

 俺はそれを眺めながら休暇中の過ごし方を夢想する。

 今までは何をしていたんだったか、よく覚えていなかった。

 部屋を見回し目に入った本棚を覗いてみたが、色あせた本の数々には既に手垢がついていた。

 掃除がてら家中を見て回ったが、やはり家の中には何もなかった。数日を過ごすためには外に出るほかないらしい。もちろんそんなアテはないが。


 ――ひとまず今日は寝よう、睡眠を取るのはいつぶりだったっけ。そう思っていた矢先のことだった。

 静まり返った部屋の中に、聞き慣れた電子音が響いた。

 俺は閉じた目を擦り画面に向かう。

 音の正体は友人のミーナから送られてきたメッセージで、辺境国の「宝蘭国」に一緒に行こうという旨の内容だった。

 宝蘭国にある黒い噂を思い浮かべながらこれをふたつ返事で了承し、出発は明朝ということに決まった。

 中立都市の西にある王国からさらに西に位置する宝蘭国へ行くためにはアシが必要になる。むしろ彼女はそれを当てにして連絡してきたのかもしれない。

 燃料は十分か、持ち物は何が必要か、と家中を右往左往した。

 準備が完了した時にはもう日が昇り始めていて、俺は寝そこなったことを思い出しため息をついた。その時、口角は微かに持ち上がっていた。

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