07. 旅の計画
ギルド事務員は扉の前で足を止めると、脇の小卓に置いてあった巻物を一本取り上げた。
「旅程のご相談になさるなら、こちらもお使いください。王都から東方街道沿いの地図です」
ギルド事務員はそう言って机の端に地図を置いた。
それから応接室を出ていった。
扉が閉まると、部屋には三人だけが残った。
ラモンは椅子の背に体を預けたまま、机の向こうの少女を見た。
「契約は結んだ。では、ここからは旅の相談だ」
ビリエラも居住まいを正した。
シエラは小さくうなずいた。
だが、ラモンはすぐには旅程の話に入らなかった。
先に聞いておくべきことがある、と考えたらしい。
「もっとも、その前に事情をもう一度きちんと聞いておきたい。守る相手が何を抱えているのかは、旅に出る前に知っておきたい。」
ビリエラは神妙な顔でうなずいた。
「ええ。では、お話しておきましょう」
ラモンは机の上で指を組んだ。
「では助祭殿、最初から順に頼む」
ビリエラは説明した。
シエラとシーラが妖精の取り換えっこの当人同士だったこと。
二人が会ったことで妖精が現れたこと。
そして妖精が、二人のすべてを取り換えるように命令したこと。
だからいま、シエラが精霊教会都市へ向かうことになったのだと話した。
話し終えると、ラモンはゆっくりとうなずいた。
「なるほど。妖精の命令とは」
ラモンは今度はシエラを見た。
「それで、お前さんはどうしたい」
シエラは少しだけ間を置いた。
「……どうしたい、とは」
ラモンは机の端の地図をあごで示した。
「教会都市へ行くのは決まっている。なら、その道中をどうしたいかだ」
シエラは地図を見た。
シエラは椅子から少し身を乗り出し、地図を両手で引き寄せた。
巻き癖のついた端を押さえ、王都の印を確かめる。
「いろいろ見たい」
シエラは続けた。
「まず運河都市へは寄りたい。大きな橋が二つに割れて垂直になるところを見たい。」
ラモンが聞いてくれていることがわかると、シエラは止まらなかった。
「舟がどの順で通るのかも見たい。水門も見たい。あそこは目光を揚げて香草酢をかけたものが大変美味と聞いた。食べたい」
ビリエラが口を挟んだ。
「えっ、寄りませんよ」
シエラは聞いていなかった。
「湖にも行く。湖の村では、冬になると湖が凍る。氷に穴をあけて湖苺をとり、それを蜜で煮たものを売るそうだ。湖の朝霧も見たい。朝霧はミルクの味がするそうだ」
ビリエラはきっぱりと言った。
「いいえ。今は冬ではないので行きません」
それでもシエラの指は止まらなかった。
地図の上をさらに東へたどっていく。
「葡萄丘にも寄る。葡萄市場も見たい。干し葡萄の菓子も有名だ。あと、有名といえば、このあたりだ」
シエラの指が、街道から少し外れた小さな印で止まった。
「この祠には『龍流一文字宗近』という伝説の剣があるそうだ。石台に刺さっていて、抜けた者は勇者になるらしい。ぜひ、わらわも抜けるか試したい」
ビリエラは真顔のまま答えた。
「あなたは勇者になりません」
部屋がしんとした。
ラモンが先に吹き出した。
ビリエラはまったく笑っていなかった。
「寄りません。試しません。なりません。」
シエラは顔を上げた。
「なぜだ」
ビリエラは机に手をついた。
「なぜだ、ではありません。私たちは気ままな旅に出るのではありません」
ビリエラは自分を指さしながら言った。
「私は、ロドリゴ司祭の段取りと精霊のご意向の結果、あなたを連れて徒歩で持ち場へ帰るのです」
シエラは少し考えた。
「旅ではないか」
ビリエラはシエラを見つめた。
「いいえ。1か月もかかる帰路です」
シエラも見つめ返した。
「なら、なおさら途中で何か見たほうがよい。飽きるではないか。」
ビリエラは額を押さえた。
「そういう話ではありません」
ラモンは腕を組んだまま二人を見ていたが、目だけは面白そうに瞬いていた。
シエラは地図を押さえたまま言った。
「わらわにとっては、はじめて自由に歩き回れる旅だ」
ビリエラは即答した。
「私にとっては、はじめてではない苦行です」
ラモンはとうとう笑い出した。
「助祭殿、言い方がずいぶん率直だな」
ビリエラは少しだけむっとした。
「率直にもなります。私はもともと、王都見物に来たわけでも、伝説の剣を抜きに来たわけでもありません」
シエラは真顔のままで言った。
「わらわは、これからどんなところへ行くのかも知らない。せめて旅の途中で、面白いものを見てもよいと思うのだ」
ビリエラは一拍だけ黙った。
その言葉には、少し返しにくいものがあったらしい。
だが、ビリエラはすぐに顔を上げた。
「気持ちは分かります。ですが、それとこれとは別です」
シエラは地図の上を指でなぞった。
ビリエラはシエラに向き合うように椅子に座りなおした。
「私は、予定通りに帰りたい。雨の日は少なめで、靴擦れもしないほうがよい。そして、何事もなく、あなたを送り届けて、無事に教会に帰りつきたいのです。」
シエラは少し考え、ひとりで納得したように言った。
「じいやが『教会の坊主どもは精霊様にしか興味がない』と言っていたが……本当みたい」
ビリエラは目を見開いた。
「いいえ、私は広く物事に関心を持っている人間です。」
シエラもビリエラに向き合うように座りなおした。
「目光にもか」
ビリエラが答えた。
「目光という食べ物は、いま初めて聞きました」
シエラはさらにビリエラに問いかけた。
「湖苺にもか」
「今は冬ではありません」
シエラが食い下がる
「勇者の剣にもか」
「私は勇者になりません」
ビリエラはラモンを見た。
「ラモン殿、笑っていないで助けてください」
ラモンは笑いながら答えた。
「ああ、お望みとあらば。おれの初護衛の仕事として、現実と楽しみの折り合いをつけよう」
シエラはそこで、ふと思い出したように地図の別の場所を指した。
「では、これはどうだ」
ビリエラが眉をひそめる。
「まだ増えるのですか」
「ここに、白鐘の大巡礼堂があるだろう」
ビリエラの眉がピクリと動いた。
「……あります」
ラモンが目を細める。
「白鐘の大巡礼堂、聞いたことがあるな。」
ビリエラは少しだけ居住まいを正した。
「精霊教会の信徒なら、生涯に一度は参るのが望ましいとされる巡礼地です。白鐘の大巡礼堂に詣でた者は、それだけで果たすべき務めを一つ終えたとも言われます」
シエラはすぐに言った。
「教会の者なら、一度は行っておきたいのではないか」
ビリエラは口をつぐんだ。
沈黙が一拍落ちる。
「……行っておきたくないとは言いません」
ラモンはまた笑った。
「なるほど。そこは効くのか」
ビリエラは少しだけむっとした顔で言った。
「信仰の話です。目光や勇者の剣と一緒にしないでください」
シエラは続けた。
「では、白鐘の大巡礼堂に寄ろう」
ビリエラは反射的に顔を上げた。
「行くとは言っていません」
シエラがニコリと笑って言い返した。
「行きたいのだろう」
ビリエラは苦い顔で黙った。
その沈黙で、だいたい決まっていた。
ラモンは地図を自分のほうへ少し引いた。
「全部は無理だ。だが、いくつかは寄れると思う」
シエラはすぐにうなずいた。
ビリエラはうなずかなかった。
「私は寄り道には反対です」
ラモンは落ち着いて答えた。
「わかった。では、これでどうだ?」
それからラモンは地図の王都から東へ、指で線を引いた。
「最短の街道を基準にする。その近くであまり時間がかからない場所には休憩を兼ねて寄る。街道から大きく外れるものは見送る。宿場に着ける距離で区切る。これならどうだ」
シエラはすぐに食いついた。
「では、運河都市は入るな」
「ああ、入る」
ラモンはそのまま指を先へ滑らせた。
「湖も入る。ただし湖苺は次の冬まで待て」
シエラは少し考えてから、小さくうなずいた。
「……仕方ない」
「葡萄丘も入る」
ラモンが言うと、シエラはさらに地図をたたいた。
「白鐘の大巡礼堂は」
ビリエラが思わず口を挟んだ。
「それは街道沿いです」
ラモンがにやりとした。
「では入るな」
ビリエラは言い直せなかった。
「……入ります」
シエラは満足そうにうなずいた。
ラモンは次に、小さな祠の印を見た。
「剣は保留だ」
シエラはすぐに不服そうな顔をした。
「試したい」
ラモンは地図の端を指で押さえたまま答えた。
「街道から徒歩で半日以上外れるならあきらめろ。近ければ考える」
シエラは少し考えたあと、静かに言った。
「……妥当だ」
ビリエラは眉をひそめた。
「そこは妥当なのですね」
シエラは答えた。
「妥当なものは妥当だから」
ビリエラは呆れたように息をついた。
「急に聞き分けがよくなりました」
シエラはさらに地図を見た。
「では、よい宿にも泊まりたい。よい宿には、運勢を占ってくれる占い師がいるそうではないか」
ビリエラは咎めた。
「増えました」
シエラは首をかしげる。
「場所ではない」
「内容が増えています」
ビリエラが言い返すと、ラモンが口を挟んだ。
「よい湯があるとなおいいな」
ビリエラはすぐにラモンを見た。
「ラモン殿まで増やさないでください」
シエラも続けた。
「食事がおいしいのがよい」
ラモンも続く。
「寝台がやわらかいほうがいっそういいぞ」
ビリエラは二人を見比べた。
「なぜそんなに気が合っているのですか」
ラモンは真面目な顔で答えた。
「大事だからだ」
シエラもうなずいた。
「大事だ」
ビリエラは額に手を当てた。
「精霊よ……分かりました。一度だけです。一度だけ、よい宿に泊まります。ですが高すぎるところはだめです。剣も現地判断です。それ以上は増やしません」
ラモンは笑いながら旅程の紙を軽くたたいた。
「では決まりだ。助祭殿には帰路で、依頼人には旅だ。その両方が成り立つように、おれが間を取ろう」
ビリエラは深く息を吐いた。
「その表現は私にはあまりしっくりきませんが、たぶんそういうことなのでしょう」
シエラは地図を見下ろしたまま言った。
「養育院とはどんなところかわからぬが、その前に、面白いものが見れそうだ」
ビリエラは疲れた顔で答えた。
「私はなんとか、帰れそうだ、としか思えません」
ラモンはまた笑った。
それからラモンは、ふと思い出したように窓の外を親指で示した。
「さて、あとは移動手段だ。ここの馬場に雷駝鳥を二頭待たせている」
ビリエラの肩がぴくりと動いた。
「ら、雷駝鳥ですか」
「山道に強い。気難しいが賢い」
「魔獣ですよね」
「そうだ」
ビリエラは真面目な顔で言った。
「私は歩きます」
シエラは短く言った。
「助祭が歩く必要はない」
ビリエラが止まった。
「……はい?」
シエラはビリエラを見上げる。
「妖精は歩けと言った。だが、誰がどれだけ歩くかまでは言っていない」
ラモンも静かにうなずく。
「おれもそう考える」
ビリエラは半ばあきらめたように言った。
「またそこだけ息が合いましたね」
ラモンは落ち着いた口調で説明した。
「平地は歩く。きつい坂や長い区間だけ騎獣を使う。それなら妖精の命令から大きく外れまい。道中で一人でもへばれば、結局そこで足が止まる」
「倒れられると困る」
ビリエラはまた黙った。
「……必要なときだけなら」
ラモンはうなずいた。
「決まりだ」
ラモンは立ち上がった。
「では、相棒を見せておこう。先に顔を覚えさせておいたほうが、よいだろうからな」
ビリエラも立ち上がったが、表情にはまだ不安が残っていた。
「噛みませんか」
ラモンは椅子から立ち上がりつつ答えた。
「理由もなくは噛まない」
ビリエラも椅子をたった。
「理由があれば噛むのですね」
ラモンは返した。
「たいていの生き物はそうだ」
ビリエラは沈黙した。
シエラは地図を眺めた。
運河都市。湖。葡萄丘。白鐘の大巡礼堂。よい宿。
そして、近ければ試す伝説の剣。
昨日までの旅は、ただ精霊教会都市へ向かうためのものだった。
だが、いま地図の上にある旅は少し違っていた。
見たいものと食べたいものと試したいものがたくさん並んでいた。
シエラは地図を丁寧に巻きなおし、小脇にかかえて、椅子を降りた。
「早く行こう」
ラモンは小さく笑った。
「旅は逃げないぞ。まず、準備が先決だ」
ビリエラは扉へ向かいかけて、ふと思い出したように振り返った。
「それと、できれば小祈祷室のある宿にしてください。朝の祈りを抜くわけにはまいりません」
ラモンは片眉を上げて、笑った。
「助祭、旅の気分がちょっと出てきたじゃないか。」
ビリエラは少しだけむっとした顔で言った。
「必要なことです」
ラモンは笑ったまま扉へ向かった。
シエラもその後に続いた。
旅は計画しているときが一番楽しいよね。だから長めになってしまいました。




