04. 旅立ち
朝、窓から差し込んだ光が、部屋の床を照らしていた。
シーラは目を覚ました。
目を開いた直後、昨夜のことを思い出した。
ここはもう、自分の部屋ではなかった。
ベッド脇のテーブルの上に、服がきちんと畳まれて置かれていた。
誰かが夜のうちに運んできたものらしい。
シーラはそれを手に取った。
見慣れない服だった。
下着も、靴下も、靴も、昨日まで身につけていたものとは違っていた。
シーラは黙って着替えた。
袖は少し短かった。
裾は膝のあたりで止まった。
靴はかなりきつく、歩くたびに足先が押される。
シーラは鏡の前に立った。
そのまま服の裾を指先で引き、少しだけ整えた。
孤児院のシーラの服だった。
胸の奥で、妖精の声が静かによみがえった。
――だ全部入れ替えなさい。
服も。
部屋も。
名前も。
権利も義務も、恩恵さえも。
ぜーんぶ。
シーラは鏡から目を離した。
ふと、本のことを思い出した。
次兄がくれた騎士の物語だった。
「持っていくことはできない……か」
シーラは扉を開けた。
朝の早い時間のせいか廊下はまだ静かだった。
その頃、屋敷の奥の廊下では、司祭と助祭が足を止めて話していた。
まだ使用人の姿はなく、窓から入る朝の光だけが石床を照らしていた。
助祭が声を潜めて言った。
「司祭様、本当に歩かせるのですか」
「そうだ」
司祭は即答した。
助祭は額を押さえた。
「一か月ですよ?」
「そうだ」
「子どもですよ?」
「そうだ」
助祭は一度、天井を見上げた。
それから視線を戻し、恐る恐る聞いた。
「……私も歩くのですよね?」
「当たり前だ」
助祭は胸の前で指を組んだ。
「精霊よ……」
「司祭様、食事は?」
「食べればいい」
「どこで?」
司祭は少し考えた。
「宿屋とか」
助祭は黙った。
黙ったまま、もう一度だけ聞いた。
「宿代は?」
司祭は軽く手を振った。
「なんとかなる」
助祭はさらに聞いた。
「護衛は?」
「必要か?」
助祭は思わず声を上げた。
「必要ですよ!」
その声が廊下に響き、助祭ははっとして肩をすくめた。
慌てて声を落とす。
「女の子を連れて一か月歩くのですよ? 盗賊でも出たらどうするのです」
司祭は少し考えた。
「その時は逃げればいい」
助祭は真顔で言った。
「私、足が遅いのですが」
司祭は少し黙った。
それから言った。
「……冒険者ギルドか」
助祭が顔を上げる。
「護衛を雇うのですか?」
「そうだ」
助祭はすぐに聞いた。
「お金は?」
司祭は平然と答えた。
「侯爵」
助祭はしばらく司祭を見つめた。
それから、ゆっくりと言った。
「つまり、侯爵家に全部払わせると」
「そういうことだ」
助祭は少しだけ目を閉じた。
「それを最初に言ってくださいませんか」
司祭は首をかしげる。
「言ったつもりだったが」
「聞いていません」
助祭はきっぱり言った。
そして間を置かずに続けた。
「でも、侯爵が断ったら?」
司祭は歩き出しながら言った。
「その時は」
少し間を置く。
「お前が何とかしろ」
助祭はその場で立ち止まった。
「え?」
司祭は振り返らなかった。
助祭は小さくつぶやいた。
「……精霊よ」
「異動願いは、今からでも間に合うでしょうか」
その頃、シーラは侯爵の執務室の前に立っていた。
シーラは扉を叩いた。
「入れ」
短い返事が返ってきた。
シーラは部屋に入った。
侯爵は早朝にもかかわらず、すでに身支度を整え、机の向こうで書類を読んでいた。
侯爵はシーラが入ると顔を上げた。
「用件は」
シーラはまっすぐに侯爵を見た。
「お願いがございます」
侯爵は何も言わなかった。
それで先を促しているのだと分かった。
「わらわは、孤児院まで歩いて参ります」
机の上のペン先が止まった。
「ゆえに、旅費を頂きとうございます」
シーラはそこで一拍置いた。
「それと、護衛を。お付けください」
しばらく沈黙があった。
侯爵は書類を閉じた。
声に感情はなかった。
「……なるほど」
侯爵は机の引き出しを開け、帳面を引き寄せた。
一枚の紙を破ると、さらさらと何かを書きつける。
金額と、自分の名だった。
侯爵はそれを机の上に滑らせた。
「これを金庫商に持っていけ」
シーラは紙を手に取った。
一瞬だけ、侯爵と視線が合った。
だが、お互いにそこに何があるのかは読み取れなかった。
侯爵はすぐに別の書類を開いた。
「護衛は冒険者ギルドに依頼するといい」
シーラは何も言わず、
侯爵はすでに書類へ目を落としていた。
「以上か」
「はい」
「ならば下がれ」
シーラは部屋を出た。
玄関近くでは助祭が待っていた。
助祭は落ち着かない様子で、自分の手を何度もこすっていた。
助祭はシーラに気づくと、慌てて歩み寄ってきた。
「ええと……」
助祭は一度言葉を探した。
「では、行きましょうか」
「はい」
シーラは短く答えた。
二人は屋敷の門を出た。
朝の空気はまだ少し冷たかった。
静かに隣に並んで歩くシーラを横目で見ながら、助祭は小さくつぶやいた。
「……本当に歩くのですね」
シーラは一度も侯爵家の屋敷を振り返らなかった。
靴はかなりきつかったが、シーラは歩いた。
まず向かうのは、冒険者ギルドだった。
うぎゃー。この子ってばほんとに身一つで出てきちゃったよ!侯爵もこの子も口かず、少なめ。




