29.下宿の黄色荘
ロザ夫人の家は、教会から少し奥へ入ったところにあった。
低い鉄の門の向こうに、灰色の砂利を敷いた短い道が続いていた。その先に、湖畔の古い家が建っていた。
壁は淡い黄色だった。
家は東西に長く、南の庭へ向かって大きな窓を並べていた。窓はどれもよく磨かれていて、午後の光を受けている。
ロザ夫人は門の前で足を止め、門の閂を抜き、古い鉄の門を押し開けた。
「ここがうちです。黄色荘と皆さん呼びますね。」
シエラは家を見上げた。
「黄色い」
「ええ。壁が黄色いので黄色荘です。亡くなった夫は、もっと詩的な名前をつけたのよ。でも、黄色荘って、ここの人たちが呼ぶので、今やどんな名前だったか忘れてしまったわね」
門は軽やかな音をたてた。
灰色の砂利が、足の下でざりざり鳴った。
その音に反応してか、玄関脇にいた犬が立ち上がった。白っぽい毛並みに黒い斑のある猟犬だった。細い鼻先がすっと伸び、耳がぴんと立った。
犬はギラとダンを見た。
ノワールは低く唸った。
ギラが首を上げた。
ダンも足を止めた。
ビリエラは熱でぼんやりした顔のまま、かすかに目を開けた。
「女神よ……犬と鳥が……」
「助祭、気にするな。余計に熱が上がる」
ラモンはギラの手綱を短く持った。
ギラは嘴を鳴らした。明らかに、犬の挨拶が気に入らない顔だった。
ロザ夫人は腰に手を当てた。
「ノワール!」
ノワールは一度だけ吠えた。
「あの大きな鳥さんは、お客様のいわば、馬です」
ノワールはもう一度、短く吠えた。
「ええ、大きいですね。私もそう思います。でも、お客様の馬です。お前は馬に吠えたりしないでしょう」
シエラはノワールを見た。
「馬には見えぬのではないか」
「そこは、気持ちの問題です」
ロザ夫人は言った。
ラモンは低く言った。
「ギラ。やめろ」
ギラは不満そうに片足を鳴らした。
砂利がざりっと跳ねた。
ノワールがまた耳を立て、尻尾をピンと立てた。
ロザ夫人はすかさず言った。
「ノワール!!」
ノワールは耳を伏せた。
「よろしい。見張るだけなら結構です」
ノワールはまだ雷駝鳥を見ていたが、吠えるのはやめた。かなり不本意そうだった。
シエラはノワールを見た。
「言葉が通じてる!」
「ええ。かしこいでしょう」
玄関の扉が開いた。
中から四十代くらいの女が出てきた。髪を後ろでまとめ、袖をまくっている。彼女はビリエラを見ると、すぐに眉を寄せた。
「ロザ様」
「マルタ、熱のある助祭さまです。白鐘熱ですって。先生が薬を後で届けてくださるそうよ」
マルタはビリエラを見た。
「一階奥ですね」
「ええ。西の奥、湖側の部屋を使いましょうか。悪いけど、すぐ湯を沸かして。布も多めに。薄い粥もお願いね」
ロザ夫人は玄関を大きく開けた。
「さあ、中へどうぞ。ノワール。雷駝鳥の足元を嗅ぎに行ったら、今日は夕食を減らしますからね」
ノワールはぴたりと止まった。
ノワールは玄関脇の赤い絨毯に戻り、伏せた。
シエラたちは黄色荘へ足を踏み入れた。
玄関の内側には、天井がちょっと高めの小さなホールがあった。ホールは北の玄関から南の庭へ向かって、まっすぐ伸びていた。奥には硝子の扉があり、その向こうに庭の緑と湖の光が見えた。
床板は古かったが、よく磨かれていた。壁には外套掛けがあり、低い靴棚があった。ホールの途中では東西の廊下が交差している。東側から何かパンの焼いたものの匂いがした。
ロザ夫人は東側を指した。
「あちらが食堂と客間、そして小さいですが、図書室もあります。自由に使って結構ですよ。」
次に西側を指した。
「こちらは書斎や私の寝室、それから小部屋が何個か。病人はこちらです。病人とマルタ以外は遠慮してちょうだいね。」
ロザ夫人は西の廊下へ進んだ。
その途中、開いた扉の奥に書斎が見えた。机と本棚があり、北側の窓から門と玄関前が見える。ロザ夫人はシエラの視線に気づいた。
「あちらは書斎です。北の窓から門が見えるんので、大体私はここにいますから。」
西の奥の部屋に着くと、マルタが先に窓を開けた。南向きの窓から湖の風が入り、薄いカーテンが揺れた。
部屋には寝台と椅子、小さな机があった。余計な飾りはなかったが、窓辺に花鉢が置かれている。
「こちらへ」
マルタが寝台を整えた。
ラモンはビリエラを寝台に座らせた。ビリエラはそれだけで、深く息を吐いた。
「申し訳ありません……」
ロザ夫人は枕を直した。
「お礼は熱が下がってからで結構です。熱のある方のお礼は、長くなりがちですからね」
ビリエラは何か言いかけたが、咳き込んだ。
シエラは一歩前へ出た。
ラモンの手が、すぐにシエラの前で止まった。
「駄目だ」
シエラはラモンを見上げた。
「……わらわが介抱する」
「駄目だ」
「なぜだ」
「うつる。お前が倒れたら、俺は助祭とお前を両方見ることになる。護衛もできない」
シエラは黙った。
ロザ夫人は布を受け取りながら言った。
「お嬢さん。心配だから近くにいたいのでしょうけれど、病人が二人に増えると、湯も布も粥も二倍です。うちのマルタがてんてこ舞いになってしまいますよ」
廊下からマルタの声がした。
「そうなったら、私はお給料を二倍にしてもらったって、辞めさせていただきますよ」
マルタは真面目な顔で湯を運んできた。
「わらわは倒れぬ」
「そう言って倒れた方を、私は何人も寝台へ運びましたよ」
ロザ夫人は言った。
ラモンはロザ夫人へ顔を向けた。
「看病を頼めるか。追加で払う」
「もちろんです。病人の看病は、部屋代とは別です。湯も布も粥も、人の手も、女神さまが棚から出してくださるわけではありませんからね」
「ああ、助かる」
「では決まりです」
ロザ夫人はビリエラの額に布を置いた。
ビリエラは薄く目を開けた。
「みなさん……私は、大丈夫です」
「大丈夫には見えぬ」
「……そうですね」
ラモンは腕を組んだ。
「五日は寝ろ。動いたら、もう五日ここに逗留だ」
ビリエラは目だけを動かした。
「五日……」
ロザ夫人は感心したようにうなずいた。
「あら、それはよい決まりです。今度私も採用しましょうかね。」
その時、外で、りん、と鈴が鳴った。
続いて、灰色の砂利がざりざり鳴った。
ノワールが短く吠えた。
ロザ夫人は顔を上げた。
「門の鈴ですね。今日はよく鳴ること」
シエラはホールのほうを見た。
「誰か来たのか」
「ええ。あの鈴は、人が門を開けると必ず鳴ります。亡くなった夫が買った魔法具で、来客の人柄がわかるという話でしたけれど、丁寧に開けてくれればリンと鳴るし、乱暴に開ければガラガラとなる、ぐらいですね。」
ビリエラが弱弱しくコメントした。
「それは普通の鈴でもそうなのでは・・・」
またノワールが短く吠えた。
ロザ夫人は顔を上げた。
「ノワールが呼んでますね。」
ロザ夫人はマルタへ布を渡した。
「だれか、お客さんかしら。ああ、先生かもしれませんね。でも薬を届ける時間には少し早いと思うけど。さぁさぁ、ここはマルタに任せて、あなた方の部屋に案内しますから、ついてきてくださいな」
ロザ夫人はにこやかに言った。




