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25.マッテオ家の食卓 2日目の夕飯

マッテオ家の二日目の夕方、マチルダは台所の仕切りの向こうで鍋を温め直していた。

昨日の残りの豆と燻製肉の濃いスープは、煮返したぶんだけ色が少し深くなっていた。横の皿には、昼すぎに差し入れでもらった目光がフライになってお皿に山盛りなっていた。

長テーブルの上には深皿と杯が並べられ、ラモンが王都から持ってきた赤ワインも、今夜も卓の端に置かれていた。白パンはもうなく、代わりに少し色の濃い丸パンが切られて籠に入っていた。


マッテオはようやく筆を置いて戻ってきた。指先を布で拭きながら椅子に腰を下ろし、大きく息を吐いた。

「今日はさすがに腕にきたよ」


「腕だけで済んでるならいいじゃない」

とマチルダが返した。

「こっちは足まで重いわ」


「そりゃ悪かった」

とマッテオは言った。

「今日は人の出入りが多すぎた」


ラモンは土間のほうを見た。ダンは首を休めるように下げ、ギラは片目だけこちらへ向けていた。昼のあいだあれだけ人の出入りがあったのに、二羽ともいまは静かだった。


「ようやく落ち着いたな」

とラモンが言った。


「明日までは、こんなもんだろ」

とマッテオは答えた。


そのとき、引き戸の前で足音が止まった。

ビリエラだった。昨日よりはましだったが、やはり少し疲れていた。


マチルダが振り向いた。

「お帰りなさい。今日はどうでした」


ビリエラは襟を軽く正してから答えた。

「今日は迷っておりません」


テオがすぐに言った。

「やっぱり、昨日は迷ったんだね。助祭さん」


ビリエラの口元が少し引きつった。

「昨日も、迷ったわけではありません。少々、通りの見立てを誤っただけです」


「それを普通は迷ったって言うんじゃないですか」

とマッテオが言うと、ラモンは杯にワインを注ぎながら言った。


「同じことだな」


ビリエラはそれ以上言い返さず、空いていた席に座った。

「ですが、今日は本当に人が多かったのです。大聖堂の前も、広場も、寄進に来る方、願掛けに来る方、ただ様子を見に来る方で、朝から落ち着きませんでした」


「明日はもっと増えるわ」

とマチルダが言った。

「今日はまだ紅白戦の前の日なんだから」


皆が席につくと、食卓はいったん静かになった。深皿が並び、スープがよそわれ、魚の皿が中央へ置かれた。昼の仕事の疲れが残っていたので、最初は皆、口より手を動かした。


シエラも匙を動かした。煮返したスープは昨日より少々しょっぱい気がしたが、魚は塩と香草だけなのにおいしかった。

少し食べたところで、クリスが顔を上げた。

「今日、広場で聞いたんだけど」

「ダンジュ・イッチ、今年は出ないかもしれないんですって」


マチルダははっきり残念そうな顔をした。

「まあそれは残念ね。せっかくの紅白なのに」


「でしょう」

とクリスはすぐ乗った。

「ダンジュが出ないなら、見に行かないかも」


ビリエラは魚の骨をよける手を止めた。

「そこまでなのですか」


「そこまでよ」

とクリスは言った。

「だって違うもの」


ビリエラは少し困った顔になった。

「その……わたしには、まだそこまでの違いがよくわかっていないのですが」


マッテオがそこで顔を上げた。

「助祭さん、紅白そのものがよくわかってないんじゃないですか」


「名前くらいは存じております」

とビリエラは言った。

「町のお祭りなのだと」


「お祭りではあります」

とマッテオは言った。

「でも、お祭りという言い方も正しくないかもしれません。敵と味方で舟を出して、本船の旗を奪い合うんです。海の上での戦いを真似たもの、という感じでしょうか」


テオが口を挟んだ。

「白組は西区と北区で組んで、」


「赤組は南区と東区」

とクリスが続けた。


マッテオはうなずいた。

「西は軍のほう、北は貴族街のほうに縁がある。南は港の者が多くて、東は警備隊の人間が多く参加します。だから自然と、応援する側も最初から地区で分かれてるんです」


ビリエラは感心したようにうなずいた。

「思っていたより、都市全体の行事なのですね」


「本格的です」

とマッテオは言った。

「町の者は皆、どっちを応援するかで騒ぐし、賭けまであるんですよ。だから、見るだけでも忙しい」


「見るほうが忙しいの」

とクリスは言った。

「ちゃんと見ないといけないんだから」


マッテオが娘を見た。

「その忙しい見方を、助祭さんにも教えてやってくれ」


クリスは待っていましたという顔になった。

「白組の人気の顔役はアーサー・ランサム。でも、赤組はダンジュ・イッチなの」


言い方だけで熱が違った。

「ダンジュは役者なの」

とクリスは言った。

「赤の本船の旗頭。顔がいいし、立ち姿がいいし、舟の上で旗を持つとちゃんと絵になるの。手の上げ方も、声だってかっこよくて、見せ方がうまいんだから」


テオが首をかしげた。

「強ければいいんじゃないの」


「強いだけじゃだめ」

とクリスは言った。

「見たときに、あ、赤だって思える人じゃないとだめなの」


マッテオが肩をすくめた。

「出たな。ダンジュの熱狂的ファン」


「での大事でしょ!父さん」

とクリスは言い切った。

「旗頭なんだから」


ラモンはそれを聞いて、少しだけ真面目な顔になった。

「まあ、わからんでもない」


マッテオが横を見る。

「ラモンまでそう言うのか」


シエラはその会話を聞いてから言った。

「旗頭は、見栄えも役目なのだな」


クリスはぱっとそちらを向いた。

「そう。そういうこと」


それから、クリスはさっきよりもっと熱を入れて話しはじめた。

「白のアーサーは騎士だし、まあま格好もいいから人気があるの。でも、断然、私はダンジュよ! 立っただけでかっこいいし、旗を上げたときもその姿は神々しいし、舟の上だとほんとに絵になるの。ああいう人はダンジュしかいないわ」


マチルダも小さくうなずいた。

「ほんとうにねえ。せっかくの紅白なのに」


クリスは席に沈み込むように座りなおして言った。

「わたし、ダンジュが出ないならほんとに見に行かないわ。留守番してる」


「そこまで言うか」

とラモンが言った。


「言うに決まってるわ」

とクリスは言った。

「だって、ぜんぜん違うんだから」


しばらく食卓に笑いが混じったあと、また皆は食事へ戻った。


シエラは魚をひと口食べて言った。

「おいしい」


マチルダが顔をやわらげた。

「よかったわ。魚も当たりだったわね」


ビリエラもひと口食べて素直にうなずいた。

「たしかに、おいしいです」


テオがすぐに言った。

「助祭さん、今日は変な顔しない」


「昨日も変な顔なんてしてません」

とビリエラは言った。


マッテオが吹き出した。

「昨日の蛸の煮物は苦手だったんですか」


ビリエラは少し咳払いをした。

「苦手ではありません。ただ、はじめて食するものだっただけです」


食事が進むにつれ、昼の仕事の疲れがだんだん顔に出てきた。マッテオはもう肩を回していたし、クリスも噂話で元気に見えてはいたが、魚の皿が空くころには少し声が落ちていた。テオはまだしゃべる力だけは残っていたが、目がときどき半分閉じていた。


それでもダンジュの話は、卓から完全には消えなかった。


「ほんとうに出ないのかな」

とクリスがもう一度言うと、マチルダは皿を片付けながら答えた。

「明日になればわかるわ」


「朝にはわかるかな」


「町であれだけ騒いでるなら、そのうちもっとはっきりした話も出るでしょう」


マッテオは皿に残ったスープを掬いながら言った。

「出ないなら出ないで、別のやつが立つだけだ」


「それはそうだけど」

とクリスは言った。

「でも、やっぱりダンジュが出てほしいな。ほかの人だったらほんとがっかり」


シエラはクリスの顔を見た。

シエラは短く言った。

「明日、確かめればよい」


クリスはうなずいた。

「そうね」


席を立ちながらマチルダが子どもたちを見た。

「ほら、明日は早く出るんでしょう。なら、そのつもりで動きなさい」


クリスはすぐ顔を上げた。

「早く行かないと、いい場所がなくなるわ」


「橋の近くはすぐ埋まる」

とテオも言った。

「前のほうがいい」


「だからなおさら」

とマチルダは言った。

「遅くまで起きて、朝ぐずぐずすると場所が取れないかもしれないわね」


マッテオが空になった皿を重ねながら言った。

「起きられなかったやつは後ろだな」


「起きる」

とテオは即座に言った。


「わたしも起きるけど、本当にダンジュが出なかったら帰ってもいい?」

とクリスも溜息をつきながら聞いた。


テオはもう椅子から降りかけていた。

「じゃあ寝る」


クリスが止めた。

「皿を片づけてからよ」


豆と燻製肉の濃いスープ ※温め直し

小魚の揚げ物

※船宿の主人か船乗りの知人が、看板仕事の礼に置いていった魚

黒パン

チーズ

酢漬け玉ねぎ、または小きゅうり

前日の薄焼き菓子の残り

ラモンの赤ワイン

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