17.紅桜街道宿場街
午後の光は、もう傾きはじめていた。街道はゆるやかに続き、行き交う人影も朝よりずいぶん少なくなっている。
ビリエラが空を見上げた。
「……少し冷えてきましたね」
ラモンは前を見たまま答えた。
「日が落ちる前に今日の宿泊先につこう」
シエラは下をじっと見ていた。轍の深さ、踏み固められた土の色、混じる石の大きさまで、なにもかもがシエラにとっては面白いものに映った。
やがて街道がゆるく曲がった。
その先で、景色が変わった。
道の両側に並んだ木々が大きく枝を張り出し、上で重なり合っていた。枝先はどれも道の中央へ寄せられ、下枝はきれいに払われている。一つ一つの花は白いのに、枝いっぱいに群れて咲くと、全体は淡い紅を流したように見えた。街道の上には、長い花の天井が続いていた。
自然にそうなったというより、長い時間をかけて整えられてきた形だった。
ギラとダンはその下へ入った。やわらいだ光の中を、二頭は歩幅を変えずに進んでいく。風が通るたびに枝が揺れ、白い花びらが道の上に落ちていった。
ビリエラは思わず上を見上げた。
「……精霊よ……」
見上げたままになり、鞍の上の体がわずかに傾く。
「助祭、上ばかり見ていて、落ちるなよ」
ラモンが言うと、ビリエラはあわてて姿勢を戻した。
「は、はい……これは、見入ってしまいますね」
シエラは周囲を見渡した。上を見て、横を見る。枝の広がり方、花のつき方、重なり具合を順にたしかめていく。どこまで続いているのかを測るように、前方へも視線を送った。
低く垂れた枝先が肩の近くをかすめる。シエラは手を伸ばし、花を一つ、指先でそっと寄せた。近くで見れば花弁は白い。だが、少し目を離して枝ごと見れば、たしかに薄紅に見える。
シエラは花を見たまま言った。
「白いのに」
少し間を置いて、もう一度言う。
「どうして、ここから見ると薄紅なのか」
ラモンは前を見たまま答えた。
「萼と枝先に赤みがある。それが花の白に混じって見える」
シエラは黙って先を待った。
「手入れもしている。枝ぶりをそろえて、花の重なり方まで見せているんだろう」
シエラは指先の花を離した。風が通ると、白い花びらがまた道へ落ちていった。
花の天井はまだしばらく続いた。街道はまっすぐではなく、木々の列に合わせるようにゆるく曲がっている。見上げれば白い花が重なり、その全体が淡く紅をさしていた。見下ろせば、道の上には落ちたばかりの花びらが薄く散り、雷駝鳥の足に踏まれてさらに散っていった。
ビリエラは今度は上を見すぎないように気をつけながら、それでも何度も視線を持ち上げていた。
「素晴らしいですね。どのくらい続いているのでしょうか」
「宿場の手前までだ」
ラモンが答えた。
ビリエラはまた花の天井を見上げた。
「毎年こんなに美しいのですか」
「俺が寄るときはいつもそうだな。すいぶんと手を入れているんだろうな」
シエラは気づいた。木の並びだけではない。道の脇の土も崩れておらず、きれいに草が刈ってあった。花だけではなく、この街道そのものに人の手がかかっているのだとわかった。
やがて、花の天井が薄くなった。重なっていた枝がほどけるように離れ、上の空が少しずつ広がっていく。最後の一列を抜けると、傾きかけた午後の光がふたたび街道へ落ちた。
前方では屋根がいくつも連なり、煙が細く上がっている。道の脇には石を積んだ井戸屋根があり、その先には馬屋らしい囲いも見えた。人の声が風に乗って届いてくる。
ラモンが言った。
「紅桜宿場だ」
街道はそのまま宿場町へ続いていた。
町へ入ると、街道沿いには二階建てか、屋根裏部屋つきの三階建てに見える建物が並んでいた。白く塗られた壁と、濃い木の柱の茶色とのコントラストが、王都とは違う街の雰囲気を出している。ほぼすべての窓辺には小さな花枝が飾られ、軒先には店ごとの絵看板が下がっていた。湯気の立つ皿と枕の絵は宿、花を描いた壺は花屋、蹄鉄の絵は馬屋と、文字を読まなくても何の店かわかるようになっている。
ビリエラもつられたように、通りをきょろきょろと見渡した。
「……きれいなところですね」
ラモンは宿を一軒ずつ見ながら進んだ。
「ああ。それに、どの宿もはずれがない」
シエラは軒先を見ていた。看板も花枝も、白い壁にきれいに映えている。その中の一軒で、宿屋の絵看板が小さく揺れていた。
その宿の軒先の台には、焼きたてであろうチェリーパイが並べられていた。つやのある赤い実の煮たものをたっぷり詰めた1枚の花びらの形だ。甘い匂いが通りまで流れてきていた。
シエラの視線が、ぴたりと止まる。
「……ラモン」
「なんだ」
シエラはチェリーパイを見たまま言った。
「ここがよい」
ラモンはその宿へ目を向けた。入口の扉は磨かれ、窓の桟にも汚れが少ない。奥には厩が見え、囲いも広い。雷駝鳥を入れても窮屈にはならなそうだった。
ラモンは小さくうなずいた。
「悪くない。今日はここにしよう」
そう決まると、シエラはすぐに上着の胸元を探った。だが、指先が入ったのは違う内ポケットだったらしい。シエラは少しだけ眉を寄せ、今度は脇のほうを探る。布の重なりを指先で確かめてから、ようやく小さな布袋に触れた。
それを引き出して開く。中には銅貨と銀貨が入っていた。
シエラはしばらく真顔で中を見て、それから軒先の台へ視線を戻した。
「三つ、ください」
台の後ろに立っていた女は、シエラと、その後ろのラモンとビリエラを見比べて、にこりとした。
「はいよ。三つだね」
「おいくらか」
「六銅貨だよ」
シエラは布袋の中をもう一度のぞき込み、銅貨を一枚ずつつまんだ。二枚、三枚、そこで一度止まる。数え直して、もう三枚。掌にきちんと並べてから、女の前へ差し出した。
女はそれを受け取って、少し目を細めた。
「たしかに」
シエラは差し出された包みを受け取り、自分の分を一つ持ち、残りをラモンとビリエラへ渡した。
「焼きたてだからね。熱いかもしれないから、気をつけて」
女がそう言うと、シエラは小さくうなずいた。
軒先の下で、シエラは包みを少しだけ開いた。焼きたての生地の匂いと、煮た実の甘い香りが立ちのぼる。縁をそっとかじると、あたたかい果肉が舌に触れた。
動きが、ぴたりと止まる。
「……美味しい」
ビリエラも包みを受け取りながら、ほっとしたように言った。
「宿に入る前からよい匂いですね」
ラモンは最後の一つを受け取り、宿の入口と厩のほうを見比べた。
「先に部屋を取る。助祭、食うのはそのあとだ」
「はい……そのつもりでした」
そう答えながら、ビリエラの視線はしっかり包みに落ちていた。
シエラはもう一口だけ食べてから、包みを閉じた。
三人はそのまま、チェリーパイの匂いを抱えたまま宿の扉をくぐった。




