16. 街道
東門を出てしばらく進んだところで、シエラは前方へ目を向けた。王都の外へ伸びる街道は広く、遠くまでまっすぐ続いていた。左右には春の畑がひらけ、その向こうに低い家々や木立が点々と見える。空をさえぎるものが少なく、都の中より空が広かった。
街道はよく踏み固められていた。朝の街道には、都へ入る者の姿がまだ目についた。
前から、荷を背負わせた馬の列が来た。背の両側に木箱や麻袋が括りつけられ、その上から布をかけたものもある。先頭の男が手綱を引き、後ろの者たちも足並みを合わせてゆっくり歩いていた。
ラモンはその列を見て、軽く手を上げた。
「寄るぞ」
ラモンがそう言うと、三人は道の脇へ外れた。低い草がまばらに生えた場所で止まると、荷を積んだ馬たちがすぐ横を通っていった。布の隙間から木箱の角がのぞき、麻袋の口からは乾いた草の切れ端が少しだけはみ出していた。
その後ろにも、もう一列続いていた。どちらも王都へ向かう荷の流れだった。
シエラはその列が遠ざかるのを見てから言った。
「都へ入る者が多いのだな」
ラモンは前を向いたまま答えた。
「朝のうちに入っておきたい者は多い。売るにも、用を足すにも、その方が都合がいい」
シエラは前へ向き直った。王都の外へ伸びる街道は広く、遠くまでまっすぐ続いていた。
しばらくは三人とも歩いた。門の近くは人の出入りが多く、荷を担いだ者や、都へ向かう旅人とも何度かすれ違った。道幅に余裕があるとはいえ、このあたりで鳥に乗ればかえって邪魔になる。
ラモンは人の流れが少し薄くなったところで足を止め、二頭の雷駝鳥の綱を引いた。
「このあたりでいいだろう。ここから乗る」
ラモンが声をかけると、二頭は足を折ってその場にしゃがみこんだ。地面がわずかに鳴り、長い首が揺れる。それでも人が乗るにはまだ高いが、立ったままよりはずっと乗りやすい。
シエラはすぐに動いた。シエラは鞍に手をかけ、足場を使って軽く体を持ち上げると、そのまま上へ収まった。年齢のわりに動きが軽く、無駄がなかった。
ラモンはそれを見てから、自分もギラの後ろへまたがった。もう一頭の綱は短く持ったままだった。
ビリエラはそこで足を止め、目の前の雷駝鳥を見上げた。
「……しゃがむのですね」
「立ったままでは乗りづらいからな」
ラモンは短く答えた。
ビリエラは法衣の裾を押さえ、意を決してダンに近づいた。だが、しゃがんでいても鞍はまだ高い。ビリエラは途中で動きが止まり、鞍にしがみついたまま体を持て余した。
「……まだ高いですね」
ラモンはそちらを見た。
「見たままだ。慌てるな」
ビリエラは小さく息を吸って、もう一度体を引き上げた。今度は腰まで上がったものの、体勢が崩れてぐらりと傾く。すると、ダンがわずかに首を振った。
「っ……精霊よ……」
「動くな、助祭」
ラモンの声が飛んだ。
「ダンは待てる。足を掛け直せ」
「……は、はい」
ビリエラは言われた通りに止まり、足の位置を直した。それから慎重に体を乗せると、ようやく鞍の上に腰を落ち着けた。
「……乗れました」
ビリエラはそう言って、そっと息を吐いた。
それを見ていたシエラは、自分でも知らずに強く握っていた鞍の端から手を離した。
ラモンが綱を引くと、二頭はゆっくりと立ち上がった。
まず前が持ち上がり、続いて後ろが伸びる。鞍の上の体がぐらりと揺れ、シエラはとっさに前の縁をつかんだ。地面が遠くなる。座る位置そのものが、一段高くなったようだった。
そのすぐあとで、ギラが一歩を踏み出した。揺れは細かいのに、進みは大きい。歩幅が長く、体が思ったより前へ運ばれる。
シエラは目を見開いたまま、二歩、三歩とその動きを受けた。やがて少しだけ力を抜いて言った。
「……高いの」
ラモンは前を見たまま答えた。
「見晴らしはいいだろう」
ギラがもう一歩踏み出す。鞍の揺れはまだあるが、さっきほど不意ではない。シエラはその揺れに合わせて体を預け、もう一度言った。
「歩幅も大きい」
ラモンは口の端だけで笑った。
「山を行く鳥だからな。足が強い」
シエラはそこで、前にある首筋へそっと目を向けた。黒に近い羽毛の間に、筋肉が動くたび細かな揺れが走る。
「ギラ」
小さく呼ぶと、ギラの片目がわずかにこちらを向いた。
「……ずいぶん大きいの」
ギラは喉を鳴らした。
ラモンがわずかに笑った。
「そうだな」
後ろから、硬い声が続く。
「近いです」
ラモンは肩越しに言った。
「助祭は近いものすべてに驚くな」
ビリエラは少し間を置いてから答えた。
「大きくて近いものには、驚くものだと思います」
ラモンはそれ以上は返さなかったが、口元だけはわずかに動いていた。
街道の左右には畑が広がり、その向こうには低い家々や木立がぽつぽつと見えた。水場の近くでは洗い物をしている者がおり、畑仕事の手を止めて三人を見る者もいた。王都を離れても、このあたりの街道は人の手がよく入っていた。
ときおり、都へ向かう旅人や、荷を背負わせた馬を連れた者とすれ違った。道幅にはまだ余裕があり、ギラもダンも人の往来に動じることなく、一定の歩幅で街道を進んでいった。
シエラは前方を見たまま言った。
「思ったより速いのだな」
「人が歩くのと比べればな」
ラモンが答えた。
「走らせれば、もっと違う」
後ろから、少し強張った声が入る。
「走らせる予定は、今日はございませんよね、ラモンさん」
「ない」
ラモンは即答した。
ビリエラはそれを聞いて、目に見えてほっとした。
昼前には、小さな宿場でいったん休みを取った。街道沿いには水桶と飼葉桶が並び、旅人や荷を連れた者が足を止めていた。ラモンはまず二頭に水を飲ませ、携行していた飼料を少しだけ足した。ギラは桶に嘴を入れ、ダンはその横で黙々と口を動かしていた。
ビリエラはようやく地面に足をつけると、深く息をついた。
「助かりました……」
シエラはその横で、黙ってギラを見上げていた。立って見ても、やはり大きい。ギラは水を飲み終えると一度だけ喉を鳴らし、それからゆっくり首を振った。
三人は屋台で焼いたパンと薄いスープ、それに干した肉を簡単に取った。長居をするつもりはなく、腹を満たすと、ラモンはすぐに立ち上がった。
「行くぞ」
午後に入ると、街道を行く者の数は朝より少し減った。かわりに、同じ東へ向かう旅人の姿が目につくようになった。背負い籠を負った行商人、徒歩の家族連れ、巡礼らしい一団。追い抜く者もいれば、追い抜かれる者もいる。そのたびにギラとダンは歩幅を少し変え、街道の流れに合わせて進んだ。
シエラは前を見たまま言った。
「皆、同じ方へ行くのだな」
「この先に宿場があるからな」
ラモンが答えた。
「日が傾く前には、そこへ入りたい者が多い」
後ろから、少し疲れのにじんだ声がした。
「その気持ちは、よくわかります……」
ラモンは言った。
「まだ先は長いぞ。助祭」
「ええ……そうだろうとは思っておりました……」
ビリエラの返事は弱かったが、朝ほど切迫してはいなかった。
街道の先で、道がわずかに下りになった。その向こうに、屋根がいくつも並んで見える。煙が細く立ち、建物の脇には馬屋らしい囲いもあった。
ラモンが前を見たまま言う。
「見えた」
シエラは目を細めた。
「宿場か」
「そうだ。今日はあそこで泊まる」
その言葉を聞いたとたん、後ろから小さく息の抜ける音がした。
「……その一言で、ずいぶん救われます」
「降りるまでは気を抜くな。馬もそうだが、雷駝鳥は乗り降りのときがいちばん厄介だ」
ビリエラは小さく息をのみ、それから言った。
「ああ、そうでした。これから降りるのでしたね。精霊よ……厄介ごとは最後に来るものです」
シエラはその会話には加わらず、前で揺れるギラの首筋を見ていた。後ろを歩くダンも、ときおり喉を鳴らしている。二頭とも、宿場が近いことをわかっているようだった。
宿場が近づくにつれ、街道脇の人影も増えていった。水桶を運ぶ女、薪を抱えた男、店先を片づけはじめる者。日が落ちる前の支度で、皆が足早に動いている。
やがてラモンが手綱を引くと、ギラとダンは宿の前で足を止めた。
「降りるぞ」
ラモンがそう言うと、二頭はゆっくりと足を折り、その場にしゃがみこんだ。高い位置にあった鞍が少しずつ下がり、地面が近づいてくる。
シエラは揺れがおさまるのを待ってから、先に降りた。鞍に手をかけ、足場を使って体を下ろす。地面に立って見上げると、ギラはやはり大きかった。
後ろでは、ビリエラが慎重に足の置き場を探していた。
「……ここで気を抜いてはならないのですね」
「そういうことだ、助祭」
ラモンは先に地面へ降りると、ダンの脇へ回った。
「足元を見ろ。飛ぶな。降りるだけでいい」
「はい……降りるだけです……」
ビリエラは自分に言い聞かせるようにそうつぶやき、ようやく地面へ降り立った。着いたあとで一歩だけよろけたが、転びはしない。
「……できました」
「できたな」
ラモンはそれだけ言って、二頭の綱をまとめた。
三人はそのまま宿へ入った。扉をくぐると、煮込みの匂いと暖かい空気が流れてきた。床を踏む音、椀の触れ合う音、客同士の話し声が食堂のほうから聞こえてくる。
ラモンはまっすぐ帳場へ進み、店の者に言った。
「三人部屋を一つ」
店の者はすぐに頷き、鍵を取り出した。横にいた少年が一歩前へ出る。
「ご案内します」
三人はそのまま少年の後に続いた。階段を上がると板が軽く鳴り、案内された部屋の扉が開く。中にはベッドが三つあり、窓際には小さな机と椅子も置かれていた。旅人向けの部屋としては十分に整っている。
ビリエラは部屋を見回して、ほっとしたように言った。
「……よい部屋ですね」
少年は頷いた。
「お荷物はお運びします。雷駝鳥は厩でお預かりします」
「案内しろ」
ラモンはそれだけ言って、少年と一緒に部屋を出ていった。
扉が閉まると、ビリエラは肩の力を抜いた。
「助かりますね」
その横で、シエラはすでに窓へ向かっていた。シエラは窓を押し開けると、外の音がそのまま部屋へ流れ込んできた。
通りでは、天秤棒で荷を担いだ者が行き交い、背負い籠の旅人が足早に宿へ入っていく。日が落ちる前の宿場は、皆が泊まりの支度を急ぐ時間らしく、足を止める者が少ない。
シエラは窓枠に手をかけたまま、しばらく外を見ていた。急ぎ足の者もいれば、荷を下ろしてようやく肩を回している者もいた。
通りの端では、宿の者らしい少年が桶を運んでいる。そのそばを、旅の女が荷を抱えて横切った。向こうでは、店じまい前らしい声が聞こえる。
ビリエラも窓のそばへ寄ってきて、外をのぞいた。
「夕方の宿場というのは、いつもこのようなものです」
シエラは目を離さないまま答えた。
「皆、急いでおる」
「日が落ちる前に、寝床も、食事も、厩も決めてしまいたいのです。遅れるとろくなことがありませんから」
シエラは小さくうなずいた。
「理にかなっておるな」
ビリエラはすぐに頷いた。
「ええ。旅の者は、そういうことには敏いものです」
そのとき、階段を上がってくる足音がして、扉が開いた。ラモンが戻ってくる。
「済んだ」
ラモンはそう言って部屋に入り、壁際へ寄った。
「ギラとダンは厩だ。水も飼葉も出る」
シエラはそこでようやく窓から離れた。
「そうか」
ラモンはシエラの顔をひと目見てから言った。
「気になるなら、明日の朝にでも見に行けばいい」
シエラは少しだけ間を置いた。
「行く」
ビリエラはその短いやり取りを聞いて、わずかに笑った。
「では、その前に食事ですね。私ももう、かなり空腹です」
「助祭は昼にもそう言っていたな」
ラモンがそう言うと、ビリエラは咳払いを一つした。
「旅では、空腹になる回数も増えるのです」
ラモンはそれ以上は返さず、扉のほうを向いた。
「行くぞ」
三人は部屋を出て、階段を下りた。
食堂へ入ると、壁際の席へ案内された。まだ客は多かったが、夕食の手が回りはじめた時間らしく、運ばれていく皿の数も増えていた。煮込みの匂いと焼いた肉の匂いが混じり、温かい空気が広がっている。
ほどなくして、焼いた肉と野菜の煮込み、パン、それに温かいスープが並べられた。湯気が立ちのぼり、香草の匂いが鼻に入る。
三人はまず黙って食べた。旅の一日目で腹が減っていたこともあり、しばらくは食器の触れ合う音だけが続いた。
ラモンは肉を切り分けると、三人の皿にそれぞれ取り分けた。続いてビリエラが椀を持ち、野菜の煮込みを順に盛る。
「どうぞ」
シエラは一口食べて、匙を止めた。もう一口たしかめるように口へ運んでから言った。
「美味しい」
ビリエラは少し笑った。
「それはよかったです」
しばらくしてから、シエラはラモンへ視線を向けた。
「雷駝鳥は、誰でも手に入るものか」
ラモンは顔を上げた。
「誰でも、ではないな。あれは払い下げだ」
返答は短かったが、それで十分だった。シエラは小さくうなずいたあと、今度はビリエラのほうを見た。
「では、もう一つ聞く」
ビリエラは椀を持ったまま目を上げた。
「はい」
「着いたら、わらわはどうなる」
ビリエラはすぐには答えず、少しだけ言葉を選んだ。
「……まずは、教会の養育院でお預かりする形になります」
シエラは黙って先を待った。
ビリエラは続けた。
「そこの暮らしになじんでから、必要なことを学んでいただきます。急に多くを背負わせるようなことはありません」
「何を学ぶ」
「読み書きや祈り、それから身の回りのことです。養育院で暮らすのに要ることを、順に」
シエラは少しだけ間を置いた。
「それだけか」
ビリエラは返答に詰まりかけたが、かろうじて言葉を継いだ。
「……まずは、です」
シエラは皿の上の料理を見たまま、もう一度言った。
「わらわは、そこで何者になる」
その問いに、ビリエラはすぐには答えられなかった。
「……保護される子、という形です」
言葉のあとに、わずかな沈黙が落ちる。
ラモンはビリエラを見た。
「よくわからんな」
ビリエラは姿勢を正した。
「……申し訳ありません」
ラモンは淡々と続けた。
「受け取り先で食い違うと面倒だ。そこだけは、はっきりしておけ」
「はい」
ビリエラは素直にうなずいた。
シエラはそこでようやく顔を上げた。
「そうか」
それだけ言って、シエラはまた食事に戻った。
ちょうどそのとき、店の者が焼きたてのミートパイを運んできた。皿が置かれると、肉の匂いがふわりと広がる。
シエラはナイフを取ると、ためらいなくパイを切り分けた。大きさが片寄らないように角度を見て三つに分ける。切り口から肉汁がにじみ、湯気が立った。
ビリエラはそれを見て目を丸くした。
「……分けるのが上手ですね」
シエラは何も言わなかったが、口元が少しだけゆるんだ。
ラモンは自分の皿へ取りながら言った。
「うまいな」
その一言で、食卓の空気は少しだけやわらいだ。三人はそれ以上込み入った話はせず、宿の夕食を静かに食べ進めた。




