14. 床屋
五日市の通りからは外れているが、金庫番から近い通りの石畳の通りの角に、小さな床屋があった。
剃刀と鋏が交差した木の看板が、軒先で揺れている。
ラモンが足を止めた。
「ここだ」
シエラが看板を見上げる。
ビリエラが首をかしげた。
「床屋、ですか?」
ラモンは頷いた。
「シエラの髪を切る」
ラモンはシエラを見た。
「その髪は目立つ」
シエラは自分の髪を触った。腰のあたりまで伸びた黒髪だった。艶があり、量も多かった。
ビリエラが思わず言った。
「とても綺麗な髪ですね……」
ラモンは言った。
「だからだ。貴族の娘に見える」
ビリエラは小さく息をのんだ。
「あ……」
ラモンは続けた。
「誘拐防止だ」
シエラは少しだけ考えた。
「短く?」
「そうだ」
シエラは頷いた。
「承知した」
ラモンは扉を押した。
中は明るかった。窓から夕方の光が差し込み、床は油で磨かれていた。壁には大きな鏡があり、棚には香油や櫛が並んでいる。
椅子の向こうで、線が細い男が振り向いた。紺のベストの胸元には白い布がのぞき、鋏を持った手が止まる。
男はにこやかに言った。
「いらっしゃいませ」
「おや、珍しいお客さんですね」
ラモンが言った。
「この子の髪を切る」
床屋はシエラを見た。そして、少し目を見開いた。
「お嬢さん、少々失礼しても?」
床屋は近づき、黒髪をそっと持ち上げた。
「これはまた……見事な髪だ」
黒髪が床屋の指の間を滑った。光が当たるたびに、艶が出た。
「腰までありますね」
「しかも傷みがない」
ビリエラが言った。
「毎日お手入れされていたのでしょうか?」
シエラが答えた。
「そう、毎日」
床屋が笑った。
「でしょうとも」
「この艶は、櫛だけでは出ません」
床屋は少しだけ考え、それからラモンを見た。
「旅行ですか?」
ラモンが答えた。
「そうだ」
床屋は頷いた。
「髪は、人の暮らしをよく語ります」
「旅に出るとき、不思議と人は髪型を変えたくなりますよね」
ラモンは床屋の言い回しを気にした様子もなく答えた。
「目立たなければそれでいい」
床屋は小さく笑った。
「実に分かりやすい注文だ」
それから床屋は黒髪を軽く持ち上げた。
「さて、もし思い切って切るなら」
「この髪、買います」
ビリエラが驚いた。
「えっ?」
床屋は笑った。
「売れるんですよ」
「かつらや付け毛になります」
「黒い絹みたいな黒髪は滅多にありません」
ラモンはシエラを見た。
「どうする」
シエラは鏡を見た。長い黒髪が椅子の背を流れていた。
シエラは言った。
「よい」
床屋は破顔した。
「ありがとうございます」
「では、遠慮なく切りますよ」
ビリエラが横で手を組んだ。
「……精霊よ」
床屋が笑った。
「安心してください」
「切るのは髪だけです」
シエラは椅子に座り、白い布を首元に巻かれた。床屋は長い髪をいくつかの束に分け、紐で軽くまとめた。
鋏が鳴った。
しゃきり。
最初の束が落ちた。
ビリエラが思わず声を漏らした。
「わあ……」
床屋の手は止まらなかった。長い黒髪は次々と切り落とされた。
ラモンはそれを後ろで見ながら尋ねた
「最近はどんな噂話があるんだ?」
床屋は鋏を動かしながら、答えた。
「最近は宮廷の噂ばかりですよ」
「王子殿下の縁談がどうなるとか、どこの令嬢に花を贈ったとか」
床屋は鏡越しにラモンの顔を見た。
「侍女筋の話では、もう決まったも同然だとか」
ラモンはそれ以上は何も言わなかった。シエラは鏡の中の自分を見ていた。
床屋は小さく笑った。
「……どうやら、こういう話はお好きではないのかな」
鋏を鳴らす。
「では、少し妙な噂をいくつか」
ビリエラが顔を上げた。
床屋は声を少し落とした。
「最近、妖精の話をする客がいるんです」
ラモンの目がわずかに細くなる。
「どんな話だ」
「昔は、道に迷った子を帰したとか、夜道で荷を助けたとか、そういう話でした」
床屋は肩をすくめた。
「けれどこの頃は、少し違う」
「いつも同じ辻に出ていた妖精が、ぱたりと来なくなったとか」
「子ども相手に悪さばかりしていたのに、急に姿を見せなくなったとか」
ビリエラが低く言った。
「それの、何がよくないのですか」
床屋は鋏を動かしたまま答えた。
「今までは妖精が出現したことが噂になっていたのに、最近は妖精が消えた、という噂が多いんですよ。昔の人は、そういう時はどこかでで悪いものが動き出すと言います」
少し間を置く。
「年寄りのなかには、魔王が目を覚ます兆しだとまで言う者もいます」
助祭は顔をしかめた。
「それは……ずいぶんとでたらめな話ですね」
床屋は軽く笑った。
「ええ。助祭様からみたらそうでしょうね。半分は酒場の与太話だって私も思うけど、」
「でも、同じような話が続くと、ちょっと気にはなってきちゃうよね」
ラモンは鏡の中で床屋を見ていたが、何も言わなかった。
床屋はその沈黙を見て、少しだけ声音を変えた。
「もっとも、旅人に本当に役立つのは、こっちかな」
ラモンが言う。
「何だ」
「東の街道でね、」
床屋は櫛を入れながら続けた。
「ここしばらく、運河都市からさらに東から戻って来た客から聞いたんだよね」
ラモンは黙って聞いていた。
床屋はシエラの前髪を揃えながら言った。
「山のほうから、魔獣が降りてくるって。」
「道そのものに居座るほどではないらしいですが、朝早くや夕方に、街道の端で見たって」
ビリエラが顔を上げた。
「そんな近くまでですか」
床屋は頷いた。
「ええ。宿屋馬場までは来ない。けれど、宿と宿のあいだで見た、という話だね」
ラモンが聞いた。
「運河都市の手前までか」
床屋は鋏を鳴らした。
「だいたい、もっと東だと思うな。運河都市で見たという客もいたけど、酒が入っていましたからね。そちらは話半分かな」
シエラは鏡の中の床屋を見た。
床屋はその視線に気づいたらしかった。
「ただ、同じような話が続く時は、用心しておいたほうがいい」
「噂というのは、何もないところから立たないもんでしょう」
ラモンは短く頷いた。
床屋は最後に細かく鋏を入れ、前髪と襟足を整えた。やがて鋏を置き、白い布を外した。
「はい、できたよ」
床屋は鏡を少し寄せた。
「どうぞ」
シエラが鏡を見る。
耳が出ていた。首筋が見える。
前髪と側頭部の髪は短く整えられ、後頭部は刈り上げられいるようだ。
シエラは言った。
「わらわの顔をこんなだっだのか」
床屋が笑った。
「男の子っぽくしたよ。でも、ちょっと目が大きく見えるでしょ。いいでしょ?」
床屋は床に落ちた髪も集め、丁寧に束ねた。
「これはいい鬘になるな」
ラモンが先に外へ出た。シエラとビリエラもそのあとに続く。
外に出ると、日は傾いていた。通りには長い影が伸びている。シエラは首筋に風が当たるのを感じた。
ビリエラが言った。
「本当に短くなりましたね」
シエラは自分の髪を指で触った。
「首の後ろがスースーしている」
ラモンはシエラの背中を軽く触る。
「これで少しは目立たなくなるだろう」
シエラはその言葉を聞いて目を見張る。
「わらわはそんなに目立っているのか」
ビリエラが慰め顔で答えた。
「まぁ、髪のせいだけではないと思いますから。」
三人はそのまま通りを歩いて冒険ギルドまで帰った。
ビリエラが慰め顔で答えた。
「まぁ、髪のせいだけではないと思いますから。」
シエラは心の中で
「髪のせいでないなら何で目立つんだ?」って思いましたが、聞くことはありませんでした。基本人にどう見られるかには頓着しないタイプです。




