第四話「ここにいられない」
次第に、家の有様が酷くなっていく。
白い壁紙は所々破れて、壁の中には扉や家具をぶつけて穴が開いたところがぽつぽつとできた。
虹夏の母親は、たまに奇声というか、ぶつぶつとひとりごとを言ってる。
虹夏にはどうしようもなく、母親のその行動が終わるのを見守っていた。
見守りが終わった後の虹夏は、また「生きてる感じ」を、静けさを味わうのが癖になっていた。
そして、虹夏にはいつの頃だったか眠れない日が続いた。
父親の怒鳴る声、母親の泣く声、それだけが頭の中でループした。
学校でも、北川さんを排除する声がどんどんと大きくなっていた。
虹夏はうまくそれに乗っかれずにいた。
今までうまくやっていたはずだった。
でもある日から、少し違うものに気づく。
笑ったあとに一瞬だけ止まる視線。
自分がいないところでの会話。
直接は何も言われない。
でも、“そこに入っていない感じ”だけが増えていく。
親友の笑顔は変わらないのに、何かが少しずつ遠くなる。
虹夏はそれを確かめたくなくて、でも確かめないと怖くて、その間でずっと揺れている。
”ここにいられない”、”ここにいてはいけない”そんな意識が頭を支配するようになる。
算数の授業中、先生が分数式をつらつらと黒板に書いてる。
虹夏はノートを取っている文字が歪んで見える。
急に呼吸が乱れる、浅くなる。
それでも、深呼吸をして、何とか板書する。
次は体育の授業だった。
その日は、よく晴れていた。
運動場の隅で、女の子の集団がこちらを見てクスクスと笑いながら陰口を叩いているのが分かった。
「あいつ、なんか暗くてキモいよね」
その瞬間、虹夏の中で何かが完全に決壊した。
学校での孤立、北川さんを助けられない罪悪感。
そして夕方になれば帰らなければならない地獄のような我が家。
すべてが濁流となって押し寄せ、呼吸ができなくなった。
虹夏は気がつくと、授業中にもかかわらず走り出していた。
校門を飛び出し、全力で走って、たどり着いたのは自分の家の庭の陰だった。
家の中に入れば、またあの息苦しい空間がある。
だからといって学校に戻ることもできない。
建物の隙間の、光の当たらない狭い土の上にうずくまり、虹夏はただ泥の匂いを嗅ぎながら震えていた。
この事件はすぐに学校中で噂になり、虹夏には「あいつはおかしな子だ」というレッテルが貼られた。
こうして、虹夏の最初の不登校が始まった。
北川さんの件は、決して虹夏も加害者ではないとは言いません。傍観者も加害者となりうるのですから。




