第二話「静かな日と重くなる日」
父がいない日は、家が別の形になる。
朝から空気が軽い。
母の声も、少しだけ柔らかい。
「今日は出かけようか」
その一言だけで、虹夏の一日は変わる。
車の中は静かだった。
怒鳴り声も、物が飛ぶ気配もない。
窓の外の景色だけが、ちゃんと流れていく。
虹夏はそのときだけ、自分の腕のことを忘れている。
何も考えなくていい時間。
何も壊れない時間。
それが逆に、怖いくらいだった。
でもその静けさは長く続かない。
父が家に戻る日。
空気は一瞬で変わる。
音の質が変わる。
足音が重くなる。
扉が閉まる音が刺さる。
母の声が小さくなる。
虹夏の中で“何かが始まるスイッチ”が入る。
その日は、自分でも気づかないうちに、あの場所に立っている。
もう「考えてやる」じゃない。
身体のほうが先に動いている。
そして終わったあと、少しだけ静かになる。
その静けさを、虹夏は覚えてしまう。
ある日、母がやけに優しかった。
夕飯も普通で、声も柔らかくて、
「最近大丈夫?」なんて聞いてくる。
その瞬間、虹夏の中で何かが崩れる。
安心、ではない。むしろ逆。
「今なら言える」と思ってしまう。
でも出てきたのは、
「死にたい」
だった。
母は一瞬、止まる。
その顔を見て、虹夏は後悔する。
でももう遅い。
母は困ったように笑って、
「そんなこと言わないで」と言う。
その言葉が、優しさなのか拒絶なのか分からない。
ただ虹夏の中で、また“音”が戻ってくる。




