第64話 諦めの悪い男
ルクディアナは神を交代すると言うが、当然リスケルに理解が及ぶはずもない。ただ重たい聖剣をブラ下げつつ、ボンヤリと口を開けるばかりだ。
「本来であれば力の扱い方から心構えまで、懇切丁寧にお話するべきですが、その猶予はありません」
「お、おうよ。そこくらいは分かってるぞ」
「幸いにも貴方は実地で学ばれる方。きっと馴染むのも早いのでしょうね」
説明書を読まないタイプをからかわれた気になるが、ルクディアナに悪気はない。本心をそのまま伝えただけである。
そうして、些細な真理を探っている間にも事態は動く。今までにない凛とした声とともに、儀式は始められたのだ。
「我が同胞ネイルオスよ、その時は来たれり。今こそ器の元へと集え!」
ルクディアナの掲げた両手に、ひとつの光球が浮かび上がる。それは紐の切れた凧のように、フワリと宙を浮遊する。何の魔法だと窺っていると、そちらから懐かしい声が聞こえてきた。
「考えたよりも早かった。まぁ、事情が事情だ」
「その声は、本当にネイルオスなのか!?」
「うむ。待たせたなリスケル。貴様1人に重責を負わせてしまった」
「本当だよ、散々眠りこけやがって。これからコキ使ってやるから覚悟しろよ!」
ネイルオスの助力があれば心強い。この異質な空間も、シアンとの激闘も乗り越えられると疑わなかった。
だが、リスケルに待っていたのは共闘ではない。予想だにしない分岐点だった。
「リスケルよ、魔人達を頼んだぞ。今の貴様が邪険に扱うとは思わんが、念の為な」
「えっ。急に何を……」
「ルクディアナ。もう構わん、始めてくれ」
「古き神は古き世とともに去りゆくのみ。古典で、口伝で語り継がれる霞となりて、条理の海へと消え逝かん」
ルクディアナの謡うような、語るような口調で綴られた言葉に、リスケルは寒気を覚えた。そして次の瞬間、彼女自身も光球へ姿を変えた。それはネイルオスのものと混じり合い、円を描きながら宙を舞うと、そのままリスケルの胸元へと飛び込んだ。リスケルに痛みはない。それどころか衝撃のひとつもなく、光球だけが姿を消したのだ。
ルクディアナが消失したことで、辺りは一変して無明の闇になる。再び漂い出す空虚な気配が困惑を呼び覚まし、焦燥感にすら火をつけた。
「おい、ネイルオス! ルクディアナ!」
返答は無い。がしかし、リスケルには何が起きたかを理解していた。精霊神の知識が脳裏を駆け巡り、儀式の意味を瞬時に把握してみせたのだ。それでも感情は思考と別の動きをする。到底受け入れる事など出来ない。
ネイルオス達が、二度と戻らないという現実を。
「おまえ、お前ぇ! フザけんなよ!」
リスケルは闇に向かって叫んだ。返事も反響もしないのも構わず、ただただ叫び続けた。
「ネイルオス! お前ずっと人魔併合だ交渉だって抜かしやがって、自分の幸せはどうしたんだよ! 土いじりを楽しんでみたいって夢は、全然叶ってねぇだろうが!」
喚く間も、リスケルの脳裏には断片的な情景が流れていく。想定外過ぎた魔族の進歩、神々の離別、そして魔界の創造と隔離。その合間には必ずと言って良いほど、ルクディアナの涙が伴っていた。
「お前もだぞルクディアナ! こんな辺鄙な星に引きこもって、皆から遠ざかって。そのくせ他人の為にばっかり働きやがって! もっと仲間を頼れよ! 笑顔を忘れるくらい辛いなら、助けてって言えば良かったじゃねぇか!」
頬に熱いものが伝わる。相変わらず視界には暗闇しか映らない。それが一層哀しみを実感させ、とめどなく涙が溢れ出す。
「勝手に死にやがって。残されたヤツの気持ちを考えろよ……」
嗚咽を漏らす程の悲嘆に包まれる。しかし、浸っているゆとりは無かった。吸魔の圧力はいよいよ強まり、リスケルを守る防護が破られるのも、もはや秒読み段階へと迫っていた。
「聖剣、この野郎。大切な仲間達を犠牲にしたんだぞ。生半可な力だったら承知しねぇからな!」
リスケルは頭上に構えた聖剣を、力任せに振り下ろした。煌めく軌跡が閃光となり、夜空を駆ける流星を思わせた。
「やった、突破口だ!」
闇を切り裂いた向こうは神界だ。裂け目から飛び出し、そちらも景色は悪いのだが、脱出は脱出である。少なくとも吸魔の法から逃れただけでも大きい。
「ウガァァ。貴様はリスケル、一体どうして……」
恨みがましい声を出すのはシアンだった。脇腹に穴が空き、自慢の触手も何本か切り落とされた為に、激しく身悶えする。しかも切り口からは濃紫の霧が立ち昇り、いずこかへと拐われた。
「ち、力が。力が抜けていく……なぜだッ!」
「シアンよぉ。自分で言ってたろ、聖剣はあらゆる力を吸い尽くすって。それこそ、神様相手でもな」
「そ、それは聖剣オレルヤン! よこせ……」
シアンは一瞬だけ痛みを忘れ、リスケルの方へとにじり寄った。執念は痛覚を鈍らせたが、同時に戦略眼も曇らせた。
「寄越せ、リスケルゥゥーー!」
無策な突撃で迫る。確かに巨大な触手が押しつぶそうとする力は、凄まじい破壊力があり、並の者なら逃げを選択するだろう。たとえ直線的な攻撃であっても。
だがリスケルは静かだった。足を半歩前に出し、剣は脇に構える。そして頃合いを見計らい横一文字に斬った。それだけで、全ての触手が根本から両断されてしまう。
「な、何だとぉぉ!?」
上半身だけとなったシアンが、勢い余って宙に投げ出される。そこへリスケルの斬撃が走った。袈裟斬りによって肩から腹に一筋の線が走る。そして、受け身すら取れず、そのまま地面の上に倒れた。
「馬鹿な、この私が。神の力を得た、この私がぁぁ!」
シアンの傷口からも霧が立ち昇る。魔力は漏れるがままに放出を続け、止まる様子を見せない。
「マチュア……もう一度だけでも、君と……」
やがてシアンは全身を焼き尽くされたように、灰色に染まって死に絶えた。
その様をリスケルは脇目に捉えつつ、オレルヤンを鞘へと戻した。そして一息つく間もおかず、怪しげに流動する空へ向かって叫んだ。
「ハーベル、ソフィア、居るならここに来い!」
すると、空の向こうから幾人もの天魔が現れた。彼らは地表に降り立つなり、その場で跪いた。1人として健在な者はおらず、どこかしらが焼け焦げている。シアンの攻撃から回復しきっていないのだと、リスケルは眉を潜めた。
「しんどい所を悪いが聞いてくれ。まずオレはルクディアナから……」
「存じております。我ら天魔衆は新たな精霊神リスケル様に忠誠を誓い申し上げます」
「アタシとハーベルはね、一応は片腕ポジションなの。分からないことがあったら何でも聞いてね」
銀の甲冑姿はお揃いなのだが、人格までは一致していない。しかし今は、ハーベルの生真面目さも、ソフィアの明るさも有り難く感じられた。
「まずはシアンの処遇なんだが……」
「こやつの大罪は許され難し。万年にも及ぶ量刑が相応しいかと」
「ヤバイ刑罰なら無間界とか、腐食界なんかが良いかもね。無明監獄も悪くないかな?」
「いや、輪廻界へ送る。オレは初めてだから勝手がわからん、上手くやってくれ」
「……リスケル様。よろしいので?」
「良いんだよ。なぜだかコイツは憎みきれない」
リスケルは改めてシアンの顔を見た。私欲とも言い切れない願望、あらゆる犠牲をいとわずに追いかけた愛。手段こそ褒められたものではないが、ひたむきな熱意だけは認めざるを得ない。その想いがシアンの処遇を、比較的軽いものに導いた。
では、それからシアンはどうなったか。彼は遥か彼方の輪廻界で眼を覚ます事になる。
「こ、ここは……」
うつ伏せで仰いだ空は幻想的だった。中心に浮かび上がる太陽にも似た光に向かって、青白い光が渦を巻きながら向かっていく。これが輪廻だ。長い時を掛けて中央を目指し、辿り着いたなら新たな人生を授かる事が出来る。
自分は死んだ。悲願を達成できず、ただいたずらに破壊だけをもたらした。一体何の人生だったのかと、自嘲めいた笑いを浮かべてしまった。
そんな最中、背後から窺うような声がかかる。
「あなた、もしかして、シアンなの?」
「何……!?」
シアンは気怠く振り返ると、その瞳を大きく見開いた。そして駆け出す。相手も駆け寄る。
願いへと伸ばされた手。繋がる。互いの身体を強く抱きしめ、体温を重ね、言葉で心の内を確かめあった。
「マチュア、会いたかった。あの日からずっとだ」
「私もよシアン。あなたが死後に訪れる日が来るのを、ここで待っていたの」
「そうだ。君はなぜ輪廻へと進まなかった?」
そこで身体を引き離すと、少し不審な姿が見えた。栗毛色の短髪や顔立ち、体格も在りし日のままだが、見慣れぬボロ服をまとっている。生前には無かった装いで、もちろん副葬品でも無い。
「私はね、輪廻へと進む代わりに、ここに居させてもらってるの。もちろん楽な方法じゃないわ。交換条件として、毎日休まず働かされたからね」
「つまりは、もう10年近くか……済まない」
「やめてよ。そんな言葉が欲しいんじゃないの」
2人はもう一度抱き合い、頬を重ねた。懐かしいが、片時も忘れた事のない温もりが、ここにある。
「ねぇ、これからどうするの?」
マチュアが耳元で囁いた。甘いようで、しかし悲壮感のこもる声だ。
「輪廻に飲まれれば、我々は再び引き離される。恐らくは記憶すらも残さずに」
「そうよね。でも、ここに居たって辛いんだよ。過酷なんてもんじゃないからね」
「ならば2人で逃げよう」
「そんな、どうやって?」
「とにかく考え続けるのだ。私は研究心と根気強さだけは誰にも負けない。それから、諦めの悪さもな」
シアンはそれきり口を閉じた。マチュアも同様である。言葉で話すべきことは既にない。今はただ、再会の喜びを肌で感じたいと、互いが両腕に力を込めた。




