第62話 望みは断たれた
「ここは……どこなんだ?」
ようやく地面に降り立ったリスケルは、見慣れない光景に戸惑った。足元は灰色の大地で、空で濃淡入り乱れる紫がうごめき、何とも不安を誘う。おとぎ話に聞く長閑さは、どこを探しても見つからなかった。ただ圧倒されてしまい、呆然となって空を眺めるばかりだ。
「よくぞ参った。オレルヤンに認められし聖者よ」
怖気を誘う声にすかさず飛び退いた。リスケルの背後にシアンが現れたのだ。ただしそれは、とても人類とは思えぬ程に変わり果てた姿であった。
「お前が元凶かよ……」
「いかにも。そう睨まないで欲しい、こう見えて、次代の神なのだから」
シアンはそう呻くと、自身の身体をよじらせつつ哄笑した。足元には巨大な触手の数々がとぐろを巻き、先端が獲物を求めて虚空をなぞる。腹に開いた大口の端からは、絶え間なくヨダレが溢れ、何かを催促するかに見えた。
人間の名残は胸から上だけだ。しかしそれすらも瞳が、顔が狂気によって激しく歪み、尋常でない気配を漂わせた。三柱の神を吸収した反動だ。身体は元より、精神すらも自我を失いつつある。辛うじてシアンが人格を損なわずに済むのは、ひとえに悲願への執着心だけだった。
「目論見どおりに聖剣を持ってきおったか。大変結構。こうも狙い通りに世の中が動くのは、滑稽ですらある」
「目当てが聖剣なのか。一体どうするつもりだ!」
「もしや、それが単なる武器だと思っているのか? 神の力すらも退ける剣が、ただの人斬り包丁とでも考えているのか?」
「えっ。どういう事?」
剣は剣だろ。リスケルはそう続けようとしたのだが、シアンの講釈が先に出た。
「聖剣とは、この世のあらゆる魔力を吸い尽くす兵器だ。吸魔の魔法など比較にならぬ、神すらも制する唯一無二の神器。使い方次第では、全生命の力を集め、己が力とする事ができるのだ」
「し、知ってるぞ、それくらい。馬鹿にすんな!」
「強がりはよせ。どうせロクに碑文も読んでおらぬのだろう」
リスケルの嘘はアッサリ看破された。彼はいわゆる、説明書を読まないタイプなのだ。性能なら使いながら学べば良いと考えており、その姿勢は一度として変えた事は無い。
「さぁ、お喋りはここまでだ。聖剣をよこすのだ。そうすれば無限の魔力が手に入り、更なる高みに昇る事ができる。そして、じきに世界の摂理すら左右する程の……」
「聖剣なら折れてるぞ」
「……はぁ?」
「うん。この通りだってば」
リスケルは聖剣の鞘を払うと、柄だけになったオレルヤンを振ってみせた。ブンブン、ブンと、見様によっては煽りとも思える仕草で。
その姿を眺めるシアンの瞳は、膨らんでは細まり、顔も引いては前のめる事を繰り返した。そしてビタリと動きを止めると、フツフツと湧き上がる怒りを隠そうともせず、腹の底から呻き声を漏らし始めた。
すると地面が激しく揺れだした。小砂利が膨大な魔力に感応して宙に浮かび、辺りに漂う激しい殺気が肌を打つようになる。
「アァアアァァァア! グァアアーーッ!」
シアンに残された理性が暴走を始めた。血走った瞳は真っ赤に染まり、噛み締めた口元から鮮血が垂れる。想定外の形で望みが断たれた事で、途方も無い憤激を、それこそ神の怒りが吹き荒れたのだ。
もはや両者に対話などない。リスケルは迫りくる触手を避け、跳躍しながら猛攻を避けた。
「消えでじまぇえーーッ!」
シアンの枯れきった叫び声で発動する魔法は強烈だった。精霊の鎧すら貫く電撃は、リスケルの胸を激しく焼き、呼吸までも止めてしまう。
「ゲホッゲホ。これでも喰らえ、この野郎!」
リスケルは怯まずに応戦した。腹の底まで息を吸い込み、肉体強化のスキルを発動させると、両手に渾身の力を込めた。
「くたばれオラァ!」
衝撃波を伴う程の拳打がシアンに浴びせられる。巨大な触手が何本も仰け反り、空高く舞い上がる。だが、それらにダメージは通らなかった。
「クソが。だったら、ここならどうだ!」
リスケルは触手伝いに駆け上がると、相手の懐に潜り込み、飛んだ。眼前に憎悪に染まる顔がある。それを下から激しく蹴り上げた。
「本気の本気だボケェ!」
直撃。明後日の方へと顔が向く。だが、何事も無かったようにシアンは姿勢を戻した。傷一つ刻まれてはおらず、ただ憤激を焚き付けただけに終わる。
「こいつ、全然効いてねぇ!?」
驚愕がリスケルから注意力を奪ったのだが、それは致命的だった。足首を触手に掴まれた。逃れようとしても力勝負では全く歯が立たず、むしろ締め付ける圧力は増す一方だ。
「この……クソ馬鹿力め!」
それからは一方的だった。シアンの怒りは凄まじく、触手を執拗なまでに地面へと叩きつけた。
全身を何度も打ち付けたリスケルは、やがて意識すら手放してしまった。血と泥に染まる両手足をダラリと下げ、逆さ吊りのまま動かなくなる。
「これで終いだ!」
シアンはリスケルの胸に触手を巻きつけ、力任せに絞った。すると精霊の鎧は粉々に砕け、辺りに銀の結晶が舞い上がる。そして、防備を喪った獲物を腹の大口へと放り込んだ。リスケルは聖剣と共に、シアンの中に取り込まれてしまったのである。
「もうどうだって良い! 全て壊れてしまえ!」
次なる標的は地上だった。シアンは瞳を憎悪に染めたまま、両手に魔力を込めた。左右から繰り出されたのは終末の矢。比類なき大火球が、大気を焦がしながら地上へと迫る。
しかしあちらにも精鋭は居た。エミリアが、セシルが、そして精霊師達も懸命に抵抗した。氷魔法によって火勢を失った岩石が、ラスマーオやギーガンの手によって砕かれていく。
それでも地上への被害は小さくない。大空から落下した破片が地上のあちこちを襲い、逃げ惑う人々を戦慄させた。フィーネやフアングも誘導しようとするのだが、いかんせん手が足りず、世界は混乱と失意の渦に飲み込まれていった。
「ハッハッハ。意外とやるじゃないか。ならば、これならどうだ!」
シアンが全身全霊をもって、彼方から引き寄せたのは隕石だ。それを地上に落とし、何もかも焼き尽くそうと決めたのだ。
「もはや地上に未練などない! 人間界も、魔界も、全てを破壊し尽くしてやる!」
渾身の力による『終末の矢』を止められる者は、もはやこの世に存在しない。人々の命運は、破滅へと向かう事が決定付けられてしまったのである。




