第60話 神界に舞う影
馬を駆るシアンが大地を行く。どうにか聖者の手から逃れ、オレルーワ山脈を目指して突き進んだ。難航した魔力核の制御は寸での所で間に合ったのだ。これにて準備は整い、あとは聖地へと赴くだけである。
いよいよ悲願の達成が目前へと迫り、彼の胸は高鳴る。だがそれと同時に、人族とって過大な魔力が衝動的に燃え上がり、鮮血と破壊を求めて滾る。
(まだだ。その時が来るまで落ち着くのだ……)
腹痛でも覚えたように腹をさする。彼の目的は破壊にあるのではない、この世の摂理を捻じ曲げ、壊し、造り直す為である。
「ご苦労だった。どこへなりと行きなさい」
シアンは急峻な山道を前にすると、馬を野に放った。遠ざかる蹄の音。耳に感慨深く響いたのだが、彼は前進を止めなかった。
晴れ渡る空に青い月が昇っている。ほぼ新月に近く細長い。その間近で白く浮かぶ天体を見ては、独りほくそ笑んだ。神界、精霊神の住まう星。ついに今日、そこへ手が届くのだ。
だが、順調に思われた歩みもここで止まる。木々から現れ、道と、そして前方の空を覆い尽くす程の大軍。精霊師の軍団であった。
「おやおや。十分な監視を残したつもりでしたが……」
呆れて嘲るシアンの前に、1人の老人が歩み出た。純白のローブには紅い幾何学模様、手にする樫の杖にも精霊石が埋め込まれている。それは背後に詰める者達も変わらず、戦闘態勢は万全であった。
「規律の緩い軍などカカシも同然。我らが魔法に敵う道理はない」
長老が一枚の布切れを放り投げた。それは軍旗の切れ端で、赤黒い血で塗られていた。
「兵を討ち果たし、自由を得たと。まぁ今となってはどうでも良いことです」
「観念せよ。もはや貴様を守る者は1人としておらん」
「観念しろ……と?」
シアンは思わず高笑いをあげた。愉快であったというより、腹の中に渦巻く憤激に堪えるためだ。気を抜けば、力づくで全てを駆逐しかねず、無駄な損耗を避けておきたかった。
「何がおかしい」
「侮られたものですね。いや、頭数が気を大きくしたのか」
シアンは身体に巻き付けた布を脱ぎ捨てた。そうして露わになった上半身に、一同は眼を見開き、たじろいだ。
「そ、その姿は……!」
彼はもはや人の姿をしていなかった。荒れ狂うマグマように赤黒い鱗が胸を覆い、腹には鋭い牙を生やした大口が開き、獲物を求めて獰猛に唸る。そこから放たれる殺意は並大抵のものではなく、その魔力の質に精霊師たちも色をなした。
「邪神コロシマスとマッカドキナ、二柱の力を取り込んだのです。暴れ者で困らされますよ」
「なんと畏れ多い……。邪とはいえ神は神。その力を私利私欲の為に使おうと言うのか!」
「さえずるな、ひれ伏せ。私は次代の精霊神なのだぞ」
シアンは右手を掲げて力の片鱗を見せつけた。それは吸魔の技であり、辺りから根こそぎ魔力を奪っては、腹の口から取り込んでいく。木々はしおれ草花も枯れ、精霊師たちですらも地面に倒れていく。
「愚かな……。いかに強くなろうとも、その生命は数日と保たんぞ」
長老が意識を手放したのを最後に、付近は静けさを取り戻した。聞こえるものと言えば、精霊師たちが喘ぐ声くらいだ。
「安心なさい、殺しはしませんよ」
お前たちには、聖者を誘き出す役目がある。シアンはそこまで告げずにその場を後にした。
遮る者のない道を行く。胸に過る血肉への渇望に堪え、脇目も振らずに聖地へと赴いた。そこには精霊神を祀る神殿がひっそりと佇んでいる。
「ここだな。まずは封印を解かねば」
行く手を阻む聖属性の防備には、真逆の力で打ち消す。以前ネイルオスがとった手段と同じ方法である。入り口を覆う薄霧は漆黒に飲まれ、その力を喪った。
シアンは特に感じ入った様子もなく足を踏み入れた。長い通路を歩き、荘厳な噴水を通り過ぎてアーチを潜り、最奥の大扉を開けた。
そこはかつて聖剣と精霊の鎧が安置された場所なのだが、今は目につくものなど無い。石造りの台座は武具を飾る役目を終え、明かり取りの天窓から日差しが降り注ぐだけだ。
「方位、角度、問題ない。頃合いだ」
窓で切り取られた空に月が、そして神界の星だけが浮かび上がる。それらを凝視しながら、シアンは体内の魔力を解放した。途端に全身は漆黒のヴェールに包まれ、窓をすり抜けると空に浮かび、星へ向かって際限なく昇っていく。
そうして生まれた星から飛び出すと、間もなく月と並ぶ天体へと突入していった。神界を覆うガスは排他的だ。数千から数万度にも及ぶ灼熱地獄で、神々の力無しには一瞬さえも堪えられない。しかし邪神と同化した彼にとって、何の障害にもならなかった。
「フフフ。神に愛された少年は神界へと至り、残虐な精霊師はその外で焼き尽くされた。文献にあった通りだ」
灼熱と暴風でガス空間は生き物のように蠢き、色彩も褐色から濃紫へと様相を変えていく。どこか終末を思わせる程の光景も、彼にしてみれば抽象画を愉しむ気分である。ようやく精霊神との対面が叶うのだから。
「おや、さっそく天魔どもの歓迎か……」
前方からは徒党を組んだ一団が現れる。背中に純白の翼を生やし、銀に光る甲冑に守られた天魔族。精霊神の加護を一身に受けた彼らが、最後の関門として立ちはだかるのだ。
「そこまでだ、招かざるものよ! これ以上ルクディアナ様の領域を汚す事は許されん!」
双子の守護者が大槍を振るいながら叫ぶ。しかしシアン、捕食者のように嘲笑うだけである。
「雑魚めが、邪魔立てするな!」
挨拶代わりに生み出したのは雷だ。電撃などと言う言葉に収まらない、落雷をも上回るそれは量産され、天魔達を焼き焦がしていく。魔法が鳴り止んだ時には全てを撃墜し、ガス空間の向こうへ落下していくのを見届けた。
「見せ場も無しとは。これは少々強くなりすぎたかな」
薄笑いを浮かべながらシアンは更に潜っていくと、やがて星の中核へと辿り着いた。
ドーム状に魔法の防壁を造るがために、ガスの流入がないので視界は良好だ。しかし書物に残された景色とは似ても似つかない。清水が流れ、草花の咲き誇る場所とあったのだが、様子は全くの別物だった。
だが彼にとっては些細なこと。精霊神、天魔の主ルクディアナが居るのなら、後はどうでも良いのだ。
「あなたが精霊神なのですね?」
シアンは背後に気配を感じ、そう問いかけた。振り向いてみると、たおやかな女性の立ち尽くす姿が見えた。憂いた瞳にはシアンに寄り添う色があり、そこが彼の苛立ちを誘う。
「人の子よ。なぜ力を追い求めるのです」
「私はこの世の理を変える為にやってきました。その為であれば、全てを投げ打つ覚悟です」
「たとえ自滅しても、ですか。血肉が腐り果て、魂すらも消滅四散する恐れがあっても?」
「無論です」
ルクディアナは掌を煌めかせると、1人の過去を宙に映し出した。それはシアンの若かりし頃、まだ政務官に就く以前のものだ。
彼は貧しい村に生まれ落ち、学問を知らずに育ったが非常に優秀だった。両親や村の人間は彼の才能に期待し、なけなしの金とともに王都へと送り出した。最先端の学問を学ばせる為であり、役人に育てようとしたのだ。
(僕が家族を、村のみんなを豊かにしてあげるんだ!)
シアンも期待と役割を重々理解しており、来る日も来る日も勉学に励んだ。油代を浮かすために月明かりで書見する事も珍しくはない。苦労の甲斐あって試験に合格した。
(これで村に帰れる。待たせてゴメンよ、マチュア)
初年から高給であり、更には潤沢な支度金も支払われる。シアンは朗報と、そして小振りな指輪を手にして故郷へと帰った。許嫁への手土産である。晴れて政務官になれたら、結婚しようと将来を固く誓いあった仲である。
しかし、約束は果たされる事はなかった。シアンが眼にしたのは、真新しい墓標だったのだ。悲惨な現実を飲み込む事ができず、ただ立ち尽くすのみ。散々に学んだ書物は、この時に何の閃きも与えてはくれなかった。
「あなたを凶行に駆り立てたのは、愛する人を失ったからですか」
「私は最期を看取る事もできませんでした。マチュアの苦しみも知らず、ただ阿呆のように本にかじりついて」
「神の力を得たのは、その娘を甦らせる為なのですか? それとも世界に対する復讐でも目論見ますか?」
「もちろん蘇生です。せめて今一度、一目だけでも逢えたなら、それで十分なのです」
「哀れな。どれほど莫大な魔力を得ようとも、理を捻じ曲げる事など不可能です」
「いいえ。全ての神々の力を結集すれば、不可能とは言い切れません。コロシマス、マッカドキナ、ルクディアナにネイルオス。そして、聖剣オレルヤン。かつて創造神が単独の神として君臨していた頃に戻れば良いのです」
ルクディアナは何も語らない。ただ、悲しげな視線を送るのみだ。
「神とは言え、女性を手荒く扱うのは本望ではありませんが」
「お気遣いなく。私に性別などありません。人の子が求める姿を映し出しているに過ぎないのです」
「逃げないのですか? 随分と潔いのですね」
「あなたは私の力を遥かに凌いでいます。抵抗も逃走も無意味でしょう。それと……」
「それと?」
「哀れな迷子に最期の言葉を捧げます。どれほど強大であろうとも魔力は万能ならず。私欲のみの願望は、必ずどこかで破綻する事でしょう」
「慈愛深き神よ、お覚悟を」
シアンの腹で大口が開いた。そして本能の許すままに辺りの魔力を吸引した。ルクディアナは霞のように移ろい、一握りの光球に姿を変えると、そのまま吸い込まれてしまった。
世界を創造し、人魔を生み出した精霊神ルクディアナ。最期はこのようにして、呆気なく歴史から姿を消したのである。




