第54話 予期せぬ援軍
グレイスノヴァの迎賓館、その一室にてセシルとギーガンは手厚い治療を受けた。しかし瞳は閉じたまま。かすかに喘ぐ吐息からも、命のきらめきは感じ取れそうにない。
「どうにか一命をとりとめました。しかし、以前のように戻れるかは……」
治療師の顔は沈んでいる。それは疲労のせいか、それとも暗い未来に失望したからか、ネイルオスは考えようとして止めた。知った所で出来ることは少ない。
「こんなものの為に、自らを危険に晒したのか……」
ネイルオスは拳大の石を掴むと、それを枕元に添えてやった。2人が命がけで手に入れた成果である。自分が持つべきでないと、傍らに置くのが良いと思えた。
「治療師よ、セシル達を頼んだぞ。魔人の魂は不滅だが、この2人は魔力が不十分なのだ。もしこのまま死に至れば……」
二度と蘇る事が出来ず、魂は輪廻の渦に飲まれてしまう。その未来は言葉にしなかった。口に出してしまえば、本当に実現されてしまう気がして。
治療師は疲れ顔であったのだが、居住まいを正し、協力を約束してくれた。それを横目に部屋を後にする。
「ネイルオス様、待ってください!」
廊下を進むうちにフアングが背中越しに声をかけた。
「獣人隊は明朝に集結します。フィーネ隊も昼までには。ですので……」
「1人で十分だ」
「危険です。全軍が揃ってから攻撃を仕掛けた方が……」
「ワシに、明日までノンビリ待てと言うのか」
ネイルオスは背を向けたままで拳を握りしめた。それだけでもフアングは圧倒され、身を仰け反ってしまう。これが神の怒り。強者であるフアングですら死を覚悟するほどの恐怖を、たった一つの仕草で突きつけるのだから、まさに別次元の強さである。
「万が一に備え、貴様らはここの防備を固めよ」
「か、必ずや!」
返答を背中で聞くと、もはや階段を降りる事すら煩わしくなり、窓から夜空へと飛び出した。
今宵は三日月。その月の鋭さが、どこか凶兆のように見えて、地上へと眼を背けた。灯りなど必要ない。敵の位置など、敵軍が無造作に撒き散らす魔力によって察知できるのだから。
「進軍を再開したか。やはり予備の精霊石を持っていたのだろう」
そう結論づけると、ネイルオスは口元を歪めた。怒りをぶつけるのにノッペラトゥは歯ごたえのある相手なのだ。人族兵ごときでは話にならなかった。
やがて敵軍の先頭が見える。ノッペラトゥ達は森の木々を薙ぎ倒しながら進むので、詳細位置を探す手間が省けた。
ネイルオスは侵攻方向の真正面に立ち、敵の動きを止めた。後方の騎兵から、邪神だ、殺せと叫ぶ声がする。しかしネイルオスの怒号に比べれば、それらは小鳥のさえずりの様なものである。
「聞け、愚かなニンゲンどもよ! 不遜にも神の怒りに触れた事、悔恨の念を抱きながら死にゆくが良いわ!」
響き渡る怒号は凄まじく、大気が揺れて木々をざわめかせ、大地にさえも振動を与えてしまう。前衛のノッペラトゥなど、その衝撃で仰け反ってしまう程。やはり生物の範疇から突き抜けた存在である。
ただし、グラナイスト軍も強気だった。神すら凌駕する生物兵器を多数従えているのだから。その数は優に百を超える。負けを考えるはずもなかった。
「守りを固めて、中で震えておれば良いものを。全軍、ネイルオスを討ち滅ぼせ!」
前衛の10体が次々と襲いかかる。初めての直接対決。そもそもネイルオスに攻撃など出来るのか。彼の気質が邪魔をするのではないか。
それらは既に、怒りが克服させていた。
「なめるな、木偶どもが!」
ネイルオスは疾走しながら拳を振るった。その攻撃は脅威的で、直接触れずとも拳圧だけでも敵を砕いていく。はせ違うだけでも2体、3体とバラバラになって吹き飛び、他の個体すらも巻き込んで転げ回る。
もちろんこの程度で気が晴れる訳がない。倒れた10体を横目に魔法を浴びせかけた。唱えたのは風魔法で、大竜巻がノッペラトゥ達を飲み込んでいく。ただし魔法無効の性質によりダメージはない。巨体は木の葉の様に、ただ天高く舞い上がるだけだ。
「この程度、効かぬことは想定内よ!」
ネイルオスは夜空に浮かぶノッペラトゥ達を視界に収めていた。そして両手で圧縮した魔力を解放し、大空目掛けて投げつけた。
「消えてしまえーーッ!」
それは全身全霊の爆裂魔法。まるで空が割れると思えるような爆発は、あらゆる攻撃を凌駕するものだった。遠く離れた地上ですらも熱線が降り注ぎ、辺りを真昼のように明るく照らす。それ程の威力だ。直撃した者達が無事で居られるはずも無く、巨体の数々は跡形も無く消えた。
空からは、粉々に砕かれた精霊石の破片がチラチラと落ちてくるばかりだ。月明かりを受けて青く輝く様が、やはり不吉に感じたのだが、ネイルオスは注意を払わなかった。残敵はまだまだ多いのだ。
「さぁ来い。貴様ら全てを葬り去って……!」
言葉を言い終える前に、それは起きた。塵のように降りかかる破片が、突如として魔力を帯び始めたのだ。細かな光線は無数に生じ、その大半はネイルオスに注がれた。
数万にも及ぶ光線だ。回避行動は間に合わず、そのほとんどが直撃してしまう。
「グッ! なんだこの力は……!」
聖属性ではない。この身体に食い込み、焼き切るような痛みはかつて経験の無いものだった。絶対防御を貫き、肌を、肉を断つ光。それらが止んだ頃には、耐え難い程の苦痛に見舞われた。
「お、おのれ……。味な真似を!」
ネイルオスには超回復という能力も備わっている。だがこれまでの魔力の消耗が問題だった。昼からの連戦に加え、大魔法を唱えた直後では十分な魔力を確保できない。特に、休息すら挟まずに飛び出した事が悔やまれた。
「この程度で、負けを認めるハズがあるかッ!」
再び拳を握りしめ、戦闘を続行しようとした。しかしノッペラトゥは奇策に打って出た。前列に並ぶ個体を、後列の者達が次々と攻撃を仕掛けたのだ。
同士討ちにも見えるそれは、捨て身の攻撃だった。味方によって的確に砕かれた精霊石が、暴発する魔力の全てをネイルオスに浴びせようとしたのだ。
「い、いかん!」
飛び退って回避を試みる。ひとつ、またひとつと逃れたのだが、避け切れる数ではない。翼は切断され、肩や腹を貫かれると、地面を滑るようにして倒れた。
視界がゆがむ程の激痛、魔力損耗による目眩。意識が飛びそうになるのは、懸命に堪えた。
どこかに身を潜めなくては、せめて回復が終わるまで身体を休めなくては。そう思いはしても手足が異様に重たい。まるで他人の物かとはき違えそうな程に、自由が利かなかった。
「ワッハッハ、何が神の怒りだ。大口を叩いた割には呆気ないものだ!」
敵の指揮官が高笑いを上げた。それは驕りとは言えない。誰がどう見ても勝負はついている。
「おのれ……。こうなれば、魔人の意地を見せるのみよ!」
膝が笑うのもいとわず、ネイルオスは立ち上がった。飛べも走れもしないのであれば、戦う他に無い。背中を討たれる事だけは避ける。神としての誇りが、そしてセシル達の意地が、ネイルオスに前進を選択させた。
両者は再び相まみえる。詰まる距離、迫る足音。その一つ一つが死の宣告の様に映る。だが両者は激突せず、戦いは中断された。崖の上に登場した2つの影が止めたのだ。
「オーッホッホ! ニンゲン風情が、過ぎたオモチャを見せびらかしての乱行三昧。壊されても文句は言えませんのよ」
月明かりを浴びる2人は、躊躇なく飛び降り、ネイルオスの前に降り立った。そして背後の敵など無視して、その場で平伏した。
「そなたらは、なぜ……」
「ネイルオス様のお手を煩わせる程の相手ではございませんの。後は我らにお任せを」
「陛下は休んでて。全部倒してきてあげる」
これは夢か幻か。ネイルオスは自分の眼が信じられない想いだ。なぜなら、援護に現れた2人はセシルとギーガンであったからだ。それも全盛を誇った当時の姿のままで。




