第53話 戦功と代償
ミッドグレイス戦線は、序盤から膠着を保っている。グレイスノヴァの郊外で激突した両軍は、お互いに一歩も譲ろうとはしなかった。
ただし直接的な攻撃はない。ネイルオスが魔法で構築した長大な防御線を、攻め寄せるノッペラトゥ達は突破ができず、半透明の壁を殴り続ける状態だけが続く。
その様子をセシルとギーガンは、遠く離れた茂みに隠れながら眺めていた。
「さすがはネイルオス様ですわ。敵をガッツリ抑え込んでますの」
「大丈夫かな。このままじゃラチがあかない」
膠着が始まって既に半日が経つ。ネイルオスの役目は足止めであり、十分な働きぶりを見せているのだが、魔法を展開し続けるのも重労働だ。いかに邪神と言えども限界はある。持久戦の構えでは、ネイルオスの方が形勢不利だと言えた。
「ある程度待てば、避難民保護を終えたフアングどもが駆けつけますの。でも、そんなもん待つ必要はないですの」
「どういうこと、セッちゃん?」
「あそこをご覧なさいですわ」
セシルの指差す方は、取り分け木々が密集する場所で、そこには50騎程の軍が待機していた。もちろんグラナイストの者達である。
「お馬さんがいっぱい。それがどうしたの」
「真ん中の男。右手に手甲があるでしょう、あれで化物を操っているのですわ」
「そうなの。何で知ってるの」
「魔力の流れを追えば、自ずと分かりますの。手甲に埋まる精霊石を使って魔力を飛ばし、指示を出しているのですわ」
「そうなんだ。じゃあ陛下に知らせなきゃ。あそこを全滅させたら勝ちだって」
「甘いですわよギーガン。それでは手柄として弱すぎますの。ワタクシ達がわざわざ出張った意味がないですわ」
「じゃあどうする気?」
ギーガン問いかけにセシルは顔を歪ませて笑みを作った。まるで小悪党が浮かべそうな色合いのものだ。
「あの手甲を奪ってしまいますの。そうすれば、あの化物共を無力化できますの」
「ギーガン達だけで出来るの?」
「敵はマヌケにも前の方しか見ていませんわ。だから物陰からビャッと飛び出してズギャッと奪ってスタダと逃げれば、万事オッケーですの」
「確かに、敵は陛下に釘付け。目立つもんね」
「さぁ参りますのよ、勝利は約束されたようなものですの」
話がまとまれば実行だ。セシル達は騎兵隊の背後から忍び寄り、一歩一歩と近づいていく。無意味に振り向く者など居ない。そうして順調に距離が詰められる中、パキリと危険な音が鳴った。ギーガンが枯れ枝を踏みつけたのである。
「ん? 誰か居るのか?」
騎兵の1人が振り向くと、隣の男が訝しんだ。
「どうした。ここに居るのは我らだけだぞ」
「いや、何つうかさ、人の気配を感じたんだ。言うなれば、そうだな。10歳くらいの美少女と20歳を過ぎた美女の気配だ」
「それはお前が女好きなだけだ。良いから戦に集中しろよ」
都合よく生える木の幹に隠れた事で、セシル達は見つからずに済んだ。敵兵は再び前線の方へと顔を向けている。
「ギーガン。足元には気を付けるですの」
「ごめん。ついウッカリ」
「では参りますのよ……ヘブシッ!」
今度はセシルがやらかした。派手にスッ転んでしまうのだが、幸運にも、敵が振り向くより早く身を隠すことには成功する。
「あれ、おかしいな。背後で、美少女が服を枝に引っ掛けて転んで、それを美女が引きずるような気配がしたんだけど」
「だから誰もおらんと言ったろう。女好きも大概にせよ」
「うーーん。確かに感じた気がするんだけど」
そうして三度、敵兵は前を向いた。今度こそは失敗する訳にはいかない。セシル達は足音を殺し、息すらも殺し、一歩ずつ近寄っていく。
そして騎馬隊の真後ろで機会を窺った。指揮官は隊の中央。手甲を掲げて指示を出しては、ネイルオスの方だけに注視している。そしてかざした手が降ろされる、まさにその瞬間、セシルは合図を出した。
(今ですわ!)
すかさずギーガンが駆ける。セシルはその肩に乗ったままで敵陣に突入し、指揮官を急襲した。狙うは手甲。手を伸ばして、手甲は外したものの、先端の精霊石をむしり取る事に成功した。
「やった、やりましたわ!」
「このまま逃げるよ、セッちゃん」
ギーガンは足を止めずに騎馬隊の内から離脱した。そのまま直進を続けると、ノッペラトゥ達の姿も見えるのだが、どれも項垂れるばかりで一歩すらも動こうとしない。無力化に成功したのである。
だがそれも逃げ切れなくては意味がない。精霊石を奪い返されれば元の木阿弥だ。事実、騎兵達は馬を駆り立ててセシル達を猛追し、間もなく追いつこうという所である。
もちろんセシルは、追撃も織り込み済みだった。
「喰らいなさい、ダークフローズン!」
指先から生じた冷気が背後を襲う。ただし騎兵に向けたのではなく、地面を狙った。辺りの地表はまたたく間に凍りつき、それは軍馬の蹄をツルンと滑らせる。予期せぬ反撃に騎馬隊は列を乱し、追撃の手を緩めてしまう。
「ネイルオス様、やりましたの! これで軍功第一はワタクシ達……」
遮る者のない戦場を駆け抜け、主の元へ戻ろうとしたのだが、それは叶わなかった。騎兵達は馬から降り、その場で矢を放ったのである。その内の一本がセシルの背中に刺さり、深々と突き立った。
「セッちゃん、しっかり!」
力なく落下して地面に倒れるセシル。それを起こそうとしたギーガンにも、容赦なく弓矢が浴びせられた。遮るものは何もない。ギーガンの胸に、肩に矢が突き刺さり、折り重なるようにして倒れた。
「こ、この程度、かすり傷ですのよ……」
セシルは血の味を覚えつつ、手を伸ばした。奪った精霊石。自分の価値を示す大手柄。あと少しで指先が届く。
だが必死に伸ばした手のひらは、軍靴によって踏み潰されてしまう。
「この汚らわしい魔族め、死ぬ覚悟は出来ているだろうな!」
周囲は既に何十人もの兵士によって囲まれている。もはや逃げ出す事は不可能である。天に向けられた剣先。2人の命をかき消そうとして、ギラリと鈍く輝く。
「死ね、虫けらめ!」
その刃が振り下ろされる瞬間、周囲に凄まじい暴風が吹き荒れた。たたらを踏んだ兵士達が見たのは、邪神ネイルオスが大地に降り立つ姿だった。
音速すらも上回る速度で駆けつけたのだ。人智を超える力の片鱗は辺りの空気を一変させ、兵士たちの獰猛な顔が恐怖で醜く歪む。追う側が追われる側となった瞬間でもあった。
「下郎どもめ、貴様らこそ覚悟は出来ておろうな!」
ネイルオスが拳を振るえば、それだけで甲冑姿の男達が吹っ飛んでいく。ある者は中空高くに飛ばされ、またある者は大木の幹に叩きつけられる。ネイルオスがそれだけの事をやってのけたのは、仲間の安否だけが脳内を占めていたからだ。
「セシル、ギーガン、しっかりせよ!」
駆け寄ったネイルオスが2人の手を握りしめる。反応は薄い。ただ弱々しい力が返されるばかりだ。
「ネイルオス様。この石さえ奪えば、容易く勝利を。魔族に更なる栄光を……」
セシルはそう言い残すと、意識を手放した。青白い顔で不吉なものを匂わせながら。
ネイルオスは2人を両脇に抱えると、間髪入れずに空を飛び、思念を送った。
(フアング、フィーネ。一刻も早く治療師を送れ!)
その念は、どこか悲鳴にも似たものだった。




