第44話 英雄はただ前進を求める
昨晩の夜通しで続いた宴は、朝を迎えた頃には別の国のように静まり返っていた。活発なのは鳥くらいのもので、リスケルは道のど真ん中を歩いていく。商業地区を抜け、議事堂脇も通り過ぎ、宮殿の門をくぐった。咎める者は一人としていない。それもそのはず、陽は既に高くなっているのだが、ほとんどの人間が眠りについているからだ。
それから私室を探し出し、ドアをノック。返事を待たず無遠慮に開け放った。
「おはよーさん。調子はどうだい?」
「リスケル殿……ですか」
キリツネックは既に目覚めていた。だが、昨晩のダンスが堪えたために、ベッドに突っ伏したままだ。とりわけ肩と腰の痛みが激しい。
「ほい差し入れ。腹が減ったろ、それと塗り薬も持ってきたから」
「それは、なんと、申し訳ありません」
「気にすんなよ。楽しかっただろ」
「鐘はいくつ鳴りましたか?」
「今日は鳴らされてない。時間は、そうだな、太陽が昇りきってないくらいだ」
リスケルは麻袋をベッド脇に置くと、中からリンゴをひとつ取り出し、そのまま齧りついた。食育法第114条に触れる行為だが、キリツネックは何も言わなかった。
「リスケル殿。ここ最近の騒ぎは、貴方の差し金なのですな?」
「まぁな、オレだけじゃないけど。首謀者の1人だよ」
「聞けば、随分と気前よく民に振る舞ったようですな。一体どうやってあれだけの物品を調達したのですか」
「こっちには数百人もの味方がいるからな、人海戦術ってやつよ。サンドクラーケンやら魔獣を狩ったり、拾った鉱石を肉と交換したりと、色々な」
それに付け加えて、邪神城から砂糖などを調達したのだが、伏せておいた。この場でネイルオスの名を出せばややこしくなるだけだ。
「私は間違っていたのでしょうか」
キリツネックの声が重々しい。消え入りそうな口調には、以前のような険しさは感じられなかった。
「私はこれまで、不幸や苦難について考え抜きました。その結果に見出したのが平等です。皆が等しく富を持ち、同じ暮らしを送りさえすれば、あまねく民が幸福を享受できる。そう思っていたのですが……」
「まぁ、やりすぎたよな。確かに大勢の人が生きていくにはルールが必要だ。でも、ルールの為に生きてる訳じゃない。あくまでも問題を未然に防いだり、困ってる人を助ける為のもの。違うか?」
「返す言葉もありません」
「だけどさ、そこまで気を落とす必要もないだろ。アンタの政策はきつかったけど、全てが間違いだった訳じゃない」
「果たしてそうでしょうか」
「おぉい皆、入ってきていいぞ!」
リスケルが部屋の外へ声をかけるなり続々と子供たちが入ってきた。年の頃はおおよそが10歳前後といった所だ。キリツネックの脳裏に、男女等距離法と特殊施設侵入法が浮かんでくるのだが、やはり口には出さなかった。
「この子たちは?」
「孤児だ。昔は路地裏でその日暮らしをしていたような子なんだが、アンタの政策のおかげで真っ当に生きていられる。しかも衣食住だけじゃない。全員が読み書き出来るってよ」
「確かに、私が定めた法によるものです」
「ちなみにだが、この少年は物覚えが悪く、一番最後に文字を覚えたらしい。でも手先がとんでもなく器用でさ。木の端切れでも渡せば、上手な置物を作れるんだってよ」
キリツネックの顔が訝しむ風になるが、リスケルは続けた。
「こっちの少女は足が速い。どんなに走っても疲れ知らずで、大人顔負けなんだそうだ。だけど片付けが苦手で、気を付けていても散らかしちゃうんだってさ」
「リスケル殿。貴殿はいったい何を……」
「つまりはさ、皆が皆同じように生きていく事は出来ないんだ。それぞれ命が違えば個性だって違う。だったら得意分野を伸ばしてやって、不得意な部分は補いあえば良い。そうだろう?」
「理屈としてはそうです。しかし、違いを認めれば収入や暮らしに影響を及ぼし、やがて貧富の差が開きます。それが10年20年と続けば、弱者はいつしか虐げられ、一部の勝者のみが幅を利かせるようになるでしょう」
「そんな事態にまで発展しないようにするのが為政者だ。束縛と自由、その真逆の観点をどう扱うか。それを考えるのがアンタらの仕事だろ」
ここでリスケルは子供達に帰るよう促したのだが、彼らは依然その場に残った。それだけでなく、一人の少女がキリツネックの方へと歩み寄り、か細い声を出した。
「ギチョー様。身体、痛いの?」
「う、うむ。起き上がるのが辛い程度には」
「エルメイスね、すごく速く走れるの。だからお医者さん呼んで来ようか? 病気を治してくれるんだよ」
「そこまでせずとも。寝ていれば治るものだ」
「本当に? また元気になってくれるの?」
「ああ。約束しても良い」
「そうなの。安心したぁ」
その少女を始めとして、並んだ顔の全てが綻んでいく。そして納得したのか、元気な挨拶を残して去っていった。
「愛されてんな。父親代わりみたいなもんか」
「まさか慕われているとは思いもしませんでした。こんな偏屈ジジイを」
「自分の評価ってのは、案外見えないもんさ」
キリツネックは眼を細めつつ出口を眺めていたのだが、それはやがて別の色味を帯びていく。哀しみ、悲壮、そんな言葉の似合うものに。
「私が愛し求めたの女性は、魔族だったのですね」
「そうだよ。いつ気づいた?」
「昨晩です。踊っている時に魔力溜まりが見えました」
「相手が人族じゃないと知って、どうだ。やっぱり辛いか?」
「分かりません。ただ、年甲斐もなく、不相応な感情を抱いたなと。不快感が湧かない事には少し驚かされています」
「その魔族だけどさ。協調路線をとってみないか?」
「戯言を仰っている、訳ではないようですね」
「うん。真面目な話」
リスケルは正面からキリツネックを見据えた。少し眼が泳いでいるようにも感じられたが、聞く姿勢には入っていると踏んだ。
「まぁ、あのヒルダって奴も含めた魔人なんだけどさ、アイツらは役立つぞ。なにせ犯罪者の更生を完璧にやってしまえるんだから」
「それは真ですか?」
「そうだよ。あと、アイツらは人の欲望とか煩悩なんかを具現化して食っちまうんだ。つまりは悪事に走りそうな奴を、未然に止める事だって出来ちまう」
「ふむ。確かに我らにとって利のある話ですが……」
「実際、砂賊を真人間に戻したしな。今後は東側にも通商路を敷けるんじゃないか」
「しかし重大な話です。私に個人的感情があるとはいえ、魔族と共存するのは難しいものがあります」
「別に今決める必要はないさ。頭の片隅にでも入れといてくれよ」
そう言い残してリスケルは立ち去った。決して強くは推さない。無理強いすれば必ずどこかに綻びが出るのは、簡単に予想できたからだ。
「リスケル。説得は完了しまして? まさか失敗だとは言いませんわよね?」
宮殿の門をくぐるなり、耳慣れた声を聞いた。生意気な口調も、一周回って愛着すら感じられる。それからセシルだけでなく、ギーガンとイーサンも姿を見せた。
「だいたいは上手くいった。後は仕上げ次第だろうな」
そんな話をしているうち、それは馬車に乗ってやって来た。掲げる旗にミッドグレイスを示す模様が描かれている。
「誰かと思えばエマじゃないか、久しぶりだな」
「あぁリスケル様。ご無沙汰です」
「国書を届ける外交官か。相当な出世なんじゃないか?」
「私としては料理を頑張りたいんですけどね」
リスケルは密かにフィーネへ助力を頼んでいた。キリツネックを魔族との協調路線に誘うものである。さすがに女王の親書となると、国交や国防に関わるので、決して無下にされる事はない。議会でじっくりと審議されるのは確実だ。
「そういえばリスケル様、これからどこへ行くんです?」
「そうだなぁ。北国かな、スノザンナかノースレイクあたり」
「グレイスノヴァって村を建ててるんですけど、王都からちょい東の所に。そこに寄ってもらえます?」
「別に良いよ、通り道だし。何か用事でもあるのか?」
「えっと、エミリアさんとラスマーオさんがお待ちですよ」
「ヒィッ……」
その名を聞いた瞬間、リスケルの全身から血の気が引いた。
「あいつら、何か言ってたか?」
「そうですねぇ。聖剣が無事かどうかを気にしてましたよ」
「あぁ……もうお終いだ」
それじゃあ失礼とエマが馬車を走らせていく。リスケルはその後ろ姿を見送る事もできず、その場に膝を屈してうなだれた。
「どうしよう、オレルヤンの事を知られたら……」
「そろそろ観念したらどうだ。秘密なんぞいつの日かは明かされるものだ」
「いっその事、夢の世界の住人になりたいよ。毎晩のように宴を開いてさ」
「悪い冗談ならその辺にしておけ」
割と本気だぞと言いかけた言葉は飲み込んだ。なにせリスケルは英雄だ。世界中の人族を救う使命がある。だから彼はあらゆる困難を、恐怖をものともせず邁進していくのだ。
道中に、腰が引けたように歩く姿を晒しながらも。




