第42話 ささやかな夜の宴
サザサンド共和国ほど、東西で様相が違う国も珍しい。不毛の砂漠が広がる東部とは異なり、富と人口が西側に集中しているのだ。
その理由として挙げられるのが国を縦断する大河だ。雄大な河は蛇行しながら、豊かな水量によって様々な生命を育む。人のみならず、木々や動物までもが拠り所としており、種の営みを繰り返すのだ。今までも、そしてこれからも。
そんな国柄なので、西部には大小の街が数多く存在するのだが、ある日を境に奇妙な噂が囁かれるようになった。
(最近、皆が不思議な夢を見せられた)
この国において流言の流布は厳しく罰せられる。そのため、噂を耳にしても大っぴらに広める様な真似はせず、胸のうちにそっとしまい込むのが大半だ。夢ごときが何だという。それよりも日々の暮らしを全うするだけで精一杯だと、どこか鼻で嘲笑うような気持ちになりながら。
大河に程近い長閑な村に住む、とある少女も両親から聞くと、似たような想いを抱いた。自分には無縁の話だろうと。それから本日42度目の鐘が鳴ると、美しい所作で立ち上がった。
「お父様、お母様。おやすみなさい」
「おやすみ、良い夢を」
少女は両親に挨拶をすると、自分の寝室へと向かった。ドアの内鍵をかけ、唯一の木窓を閉め切るった所でようやくベッドに身を預けた。
「こんな暮らし……いつまで続くんだろ」
法律に縛られる毎日は着実に少女の心を蝕んでいた。いっその事、砂漠の世界へ飛び出してしまおうか、そう自棄を起こしかねない程度には。
そんな暗い気持ちも、睡魔が曖昧にしていく。そして現実と夢の境界が馴染んだ頃、それは起きた。
「こんばんわ。突然の来訪をお許しください」
「えっ、誰!?」
少女は思わず飛び起きた。そして声のする方を見れば、暗闇の中で発光する男の姿が見えた。漆黒のマントを羽織っているのに、体型沿いに縁取りでもしたかのように輝いている。そして特徴的な赤髪と、整った顔立ち。
少女は思わず見惚れながらも、強い戸惑いを覚えた。
「あなたは、一体どうやってここに?」
男は精練された仕草で拝礼をした。ただし、問いには明確に答えようとはしない。
「暴漢の類ではございませんのでご安心を、レディ。不躾な事ですが、今宵、私に誘拐されては貰えませんか」
「誘拐……ですか?」
「ええ。貴女を夢の世界へご招待したいのです」
「夢の世界……」
少女は全く理解が及ばず、ただ言葉を繰り返すだけになる。その様子を見て、赤髪の男は優しく微笑みかけた。
「貴女の望むもの、どのような事でも実現させてあげましょう。それこそ思うがままです」
「ほ、本当ですか!?」
「ええもちろん。何でもね」
「じゃあ、私、月を見たいです!」
「つ、月ィ……?」
男は拍子抜けするが、少女は本気であり、瞳を輝かせながら続けた。
「今夜は満月なんです。でも夜中に外出はもちろん、窓を開ける事も出来ません。だから、キレイな夜空を見たいなって!」
そのささやか過ぎる願いに、男は顔を伏せた。
(年頃のお嬢さんの夢がそれって、哀しすぎるでしょ!)
赤髪の男、アカイヤロはうっかり素の人格を晒しそうになるが、すぐに体面を取り戻した。
「お安い御用です、レディ。それでは夜の散歩へとご招待しましょう」
「良いんですか!?」
「夢の世界に二言などありませんから」
アカイヤロが指を鳴らすと、閉じられた木窓が勢いよく開き、夜風を室内に誘い込んだ。
「それでは行きましょう。しっかり掴まってください」
「行くって、ここからですか?」
「さぁ、いざ夜空の旅へ!」
アカイヤロは少女を優しく抱きしめると、窓から外へ身を躍らせた。部屋は3階だ。重力に従って落下していく2人は、地面に激突する寸前に強い浮力を得て、そのまま大空へと舞い上がった。
今宵は快晴。一面に星々が空を埋め尽くし、そして青白く輝く真円の月が、正面に大きく映る。
「……キレイ」
「どうですか。お望みの光景を眼にした感想は?」
「ほんと、言葉が出てきません……あっ、でも兵隊さんに見つかったらどうしよう!」
「ここは夢の世界ですよ。法律だとか、そんな下らないルールなど存在しませんから」
「そうなんだ。良かったぁ」
安堵した少女は、曇りなき眼を空に向けた。愛してやまない青い月と、満点の星空を心に焼き付けるかのように。
その横顔を間近で見たアカイヤロは、胸の内でコッソリと溢した。
(この娘は欲望が純真過ぎる、そんなもん食ったら腹でも壊しかねないな)
そうして遊覧飛行を続けていると、少女が気付いた。河のほとりが明るく、何やら騒がしい事にも。
「あそこ、何かあるんですか?」
「気になりますか。では行ってみましょう。他の夢まで覗けるチャンスですよ」
「他の夢って……うわぁ!」
進路を変えたアカイヤロは、一直線に降下していく。そうして降り立った光の正体に、少女は眼を見開いて驚いた。
「ここは……」
「世の中には、色んな願望が有るって事ですよ」
そこは夜更けであるにも関わらず、大勢の人でごった返していた。松明による煌々とした灯りが照らすのは、道々の店で遊びに興じる人、酒場で肩を抱き合いながら歌う人々と、思い思いの夜を過ごす様子だった。
そして何より、少女の安堵を誘ったのは顔ぶれだ。見知った人ばかりであり、遠くには友人の姿までが見える。
「あそこに幼馴染がいます!」
不意に駆け出した彼女だが、その正面は2人の人物によって遮られた。
「ハァイお嬢さん。美味しいイカ焼きはいかがかしら? ニンゲン風情には勿体ない……じゃなくて、すっげぇ絶品ですのよ」
「セッちゃん。売り子をやるなら、もう少し笑顔増やして」
「うるさいですのよ。これでも精一杯ですの!」
騒がしい口上で差し出される串焼き。少女は受け取ろうとしたのだが、すぐに手を引っ込めた。
「あの、私、お金を持ってないんで」
「ハァ? あのね、ここは夢の世界ですのよ。そんな野暮ったいもの、要るわけ無いんですわ」
少女は押し付けられるようにして串を受け取ると、勢いよく頭を下げ、たどたどしくもお礼を告げた。だがその頃にはセシルは他所へ移ろうとしていた。残されたギーガンも「楽しんでね」という言葉を残し、立ち去っていく。
「行っちゃった……。これ、食べて良いんですか?」
「もちろんですよ。美味しいものなら沢山ありますから、期待しててくださいね」
「あぁ、本当に夢みたい!」
少女は歩きながら、サクサクとした歯切れ良い食感を味わった。そうして通りを進む間にも、赤白ダンゴがどうの、サソリ揚げがどうのと呼び込む声がする。もちろん全てが無料である。
あまりの事に少女は目移りさせたが、とある屋台に視線が定まる。それはハニークラウドと描かれた看板であった。
「これも食べ物屋さんですか?」
おずおずと店主に話しかけてみた。すると、アカイヤロに劣らぬ美青年が、やや無愛想ながらも答えてくれた。
「そうだ。世にも珍しい菓子なのだが、所望するかね?」
「はい。おひとつお願いします!」
「相わかった。しばし待つが良い」
店主は鉄鍋に砂糖を2さじだけ取り出すと、魔力によって強烈に熱し、白い煙を生じさせた。それを木串で巧みに巻き取ると、何ともフンワリとした塊が出来上がった。
少女は度肝を抜かれた。その形状は見たことも聞いたことも無く、まるで空をたゆたう白雲のようである。促されるままに口を付けると、舌先に触れた途端に消えた。そして、目が覚める程に甘い。
「美味しい! こんなお菓子、初めて食べました!」
「そうか。喜んで貰えたなら幸いだ」
「気に入ってくれましたか。このハニークラウド、だいぶウケが良いんですよ。いやはや、流石は我らがネイル……」
「ネイル?」
アカイヤロは、少女が聞き返すのにハッとさせられた。ここでネイルオスの名を出すわけにはいかない。唐突なピンチに脂汗が浮かぶ。だが幸運にも、言い繕う事には成功した。
「ねい、寝入ってた所を叩き起こした職人さんなんだよねぇ」
「そうだったんですか!? お休みの所をすみません!」
「いや、まぁ、気にするな。そなたが楽しんでくれれば良いのだ」
そんなお茶目な窮地を挟みつつも、エスコートは概ねが順調であった。少女は行く先々で、輪投げによってミニウサギのぬいぐるみを接収し、くじ引きでは良く分からない形状の髪飾りを授かった。そして見世物小屋では、美女による情熱的なダンスの見物もできた。
そんな怒涛の夜遊びを過ごした頃、空は薄っすらと白みだす。
「楽しかった……でも、そろそろ眠気が」
「そうですか。では、今宵はこれまでとなりますね」
「ワガママを言うと、もっと遊びたいです。こんな時間は二度と巡ってこないでしょうから」
「そんな事はありませんよ。貴女が強く望みさてすれば、叶います。夢とはそういうものですからね」
「本当に、本当にそうでしょうか」
「今宵、貴女は自由の喜びを味わいました。それをお忘れなきよう」
話が出来たのはそれまでだ。少女は意識を手放すと、力なくアカイヤロに身を委ねた。それからは収穫物とともに、彼の腕に抱きかかえられた。
「さてと。家に帰す前に、今日の報酬をもらっときますか」
アカイヤロは少女に魔法をかけると、フワリとした塊を浮かび上がらせた。小さく、色素も薄いそれを、一息で吸い込んでみる。
「うん、やっぱり純真すぎる欲望だ。でもまぁ、健康志向に目覚めたと思えば、悪くないかな」
そんな呟きを溢すと、朱に染まる空を飛んだ。周囲には同族達が、やはり誰かしらを抱きかかえており、仕事の終わりを無言で告げた。宴の終焉を迎えたのである。
明晩も忙しくなるな。アカイヤロは少女を元の部屋に戻すと、音もなく立ち去っていった。




