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催涙雨  作者: キノ
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第四話

 目が覚めると十時をまわっていた。遅刻だ。また秘書に煩く言われるな。ここまで考えてから思い出す。秘書は死んだのだった。

 ベッドから起き上がり大きく伸びをする。

 リビングにでて、もしかして、と期待してみるが、やはり猫の姿はなかった。当たり前か。

 昨夜は駄目もとで街のいろんなところを探した。だが猫の影ひとつ見つけられなかった。

 あれは夢だったのかも知れない。一晩たちそう思うようになっていた。だとしたら秘書は生きているかもしれない。ぼんやりとそんなことを考える。

 夢から覚めたような脱力感。

 あれだけ謎を残しておいて消えるのか、猫。

 俺の中の記憶からも。

 未だに思い出せないのだ、猫の姿が。

 何度も記憶を辿って思い出そうとしているのに、あの小柄なシルエットが再生されるだけだ。その全てが白くぼやけていて不明瞭。もどかしい。

 猫が居なくたって俺には何の関係もない。どうだっていい。

 そのはずなのに、昨日猫と過ごした僅かな時間が俺を諦めさせない。たったあれだけの時間で、何かを得たわけでもないのに。ならばそれはきっと猫自身によるものだろう。

 もう一度猫に会わなければならない。

 何故だかそう思っている。

 だがその猫の姿が記憶から抹消されようとしているのだ。これは何を意味するのだろう?

 忘れてはいけないと、危機的意識ですら持っているのに。

 なんだかもう頭がパンクしそうだ。

 あれこれ考えるのが億劫になり再びヘッドに倒れこんだ。

 と同時にインターホンが鳴る。

 「まさか、」

 弾かれたように飛び起きて玄関まで走る。深呼吸をして呼吸を整えてから覗き穴を覗く。

 「…ハルさん!?」

 そこにはハルさん、もとい情報屋が立っていた。

 

 俺が扉を開けるとハルさんは久しぶり、と手をひらひらふる。いつも通り黒縁のメガネに薄手の茶色いロングコートといった格好だ。

 「そんな残念そうな顔しないでくれよ。猫ちゃんじゃなくて悪かった。だけどその代わり色々と情報を持ってきてあげた。」

 「知ってるんすか、猫のこと。」

 「当たり前。あぁ、君の秘書なら今朝警察が見つけたよ。通りかかったサラリーマンが通報したらしいね。まぁ立ち話はなんだし失礼するよ。」

 言いながらずかずかとリビングまで入っていく。

 この人とは長い付き合いだ。俺より五つほど年上のハルさんは俺にとって裏社会で生きる上での先輩であり、兄のような存在だ。

 そういえば昨日秘書に情報屋と合う約束をしておけと言ってあったんだった。恐らく秘書はそれを果たす前に死んだのだろうが、タイミングがいい。

 「どうせまだ朝飯もとってないんだろう。食パンを買ってきてあげた。はい、顔洗って服着替えて。」

 「どうも……あの、ハルさん。猫を見ませんでしたか。例の、猫…」

 ハルさんは一歩俺に近づくと聞き分けの悪い子供をあやす様に言う。

 「キタ。今は猫のことは忘れな。想ったって戻らないものは戻らない。おまえのことだ、解ってるんだろう?」

 因みにキタ、というのは俺のことだ。

 「ハルさん、知っているんじゃないんですか。どうして猫のことを知ってたんです?」

 「情報屋だからだよ、そりゃあ。ねぇキタ。俺といるのに他のヤツの話は止めないか。ハルさん寂しくなっちゃうから。」

 「けど、」

 「それよりもっと他に心配するべきことがおまえにはあるはずだよ?」

 言いながらハルさんがテレビの電源を入れる。朝のニュースが報道されていた。写っているのは俺の事務所だ。

 「…大丈夫っすよ。俺がいたって痕跡は残してません。昨夜、猫を探しているときに思い出して、事務所消してきました。」

 「そうだったの。さすがキタ。賢い賢い。だけど危ないところだった。思い出していなかったら今頃犯人にされていたかもしれない。サツとご対面するのは嫌だろう?」

 「そうっすね…うっかりしてました。」

 本当に危ないところだった。今までならこんなミスはしなかっただろうに。

 らしくない。よく解らない気持ちの落ち込みから立ち直ろうと焦り、失敗してはまた焦り。その内今までの生活が出来なくなってしまうような底知れぬ恐怖が胸に巣食っている。

 「まぁそんなに落ち込まないでよ。ほらご飯食べて。食パン冷めちゃうよ。」

 暗い顔をする俺を気にしてか、ハルさんの声が幾分柔らかくなる。

 「じゃあ、頂きます。…そういや、ハルさんが好きなんでしたね、食パン。」

 「そ。素朴な味が堪らないよね。」

 言いながらハルさんも食パンを食べ始める。

 「猫のことはね、俺もよく知らないんだ。昨日おまえと居るのを見てから軽く調べてみたんだけど、何も出てこないんだ。本当に、何も。ね。」

 「そうっすか…。ってか、何で俺と居たからって調べるまでするんすか。ストーカーまがいですよ。」

 「いやぁ、キタは俺の大事な弟だからね。」

 「ど、どうも…?」

 常にへらりと笑顔を浮かべているハルさんからは、何を考えているのか読み取るのが非常に難しい。長い付き合いだが未だに解らないこともある。信用はしているがその信用に頼ったりはしない。ハルさんはそういう人だ。そんな人だから俺も信用出来るのだ。

 「ねぇキタ。昨日おまえに依頼を持ってきた依頼主のこと、調べておいたよ。どうせまた俺を頼ってくると思ったから、一足先にね。」

 「あ、それは…助かります。ありがとうございます。」

 ハルさんが机に何枚か隠し撮りと思しき写真を並べる。

 「こいつが今度の依頼主。死体のような見た目だね。無職の五十五歳独身。ニートかと思えば両親は一昨年に亡くなっている。死因は…なんだったかな、あ、そうそう。自殺だ。」

 「自殺?トラブルでもあったんすかね?」

 「そ。自殺。」

 俺の問い掛けには答えず、ハルさんが目を細める。

 「キタ…まだそれ、続けているの?」

 ハルさんの視線の先には俺の左手首がある。

 「また包帯が新しくなってるね?自分の手首切るのがそんなに楽しいとは思えないけど。」

 ハルさんの視線から隠すように左手首を右手で覆う。

 「人を殺した後にいつも自分の手首を切ってる。それで己の罪から逃れられると思うの?」

 人を殺した後に自分の手首を切る。それが俺が仕事後に毎回している“儀式”だ。

 そんなことで自分の罪から逃れられないのはよく解っている。だがそうせずには居られないのだ。とにかく自分も傷付かなければ気が済まない。それだけなのだ。

 ハルさんが小さく息をつく。

 「…いや、解ってるよ。おまえは良く解ってる。俺らに逃げ道なんてないんだ。おまえは意外と真面目だからね。良く解ってるからこそ抱え込みすぎてしまうんだ。」

 ハルさんの手がゆっくりと俺の左手首を撫でる。

 「頑張り屋のキタにはハルさんがご褒美をあげよう。いいことを教えてあげる。猫のことだ。」

 猫、という言葉に意識せず反応してしまう。そんな俺を見てハルさんは聞こえよがしに溜息をつく。

 「全く、妬くなぁ。そんなに猫が気になる?まるで恋でもしてるみたいだよ、キタ。」

 「は、恋?やめてください、猫は男っすよ。」

 「そう、そのことなんだけどね。今度の依頼主の殺人対象は猫。女の、猫なんだ。」

 「…女?」

 だったらやはり俺が知っている猫とは違う人物だったということか。

 ―いや、違う。

 猫が自分で言っていたじゃないか。僕で合っている、と。

 では、どういうことだ?猫が女だったというのか?

 「訳のわからないと言った顔だね。けど、俺の情報に間違いはないよ?」

 「はぁ…それはよく知ってます。」

 ハルさんはある特殊な情報網を持っている。それ所以この街の誰よりも早く的確な情報を得ることが出来るのだ。

 「まぁ、詳しいことはまた猫本人に聞けばいいんじゃないかな?」

 ハルさんがにこりと笑う。

 「勝手に出て行って勝手に帰ってくる。猫ってそういう生き物なんだよ。」




 帰りはキタが車で駅まで送ってくれた。よく出来た弟(俺曰く)だと思う。ありがと、と頭を撫でようとすると、人前なんでやめてくださいと断られた。

 「ハルさんはこの後どうするんすか。今日も仕事ですか。」

 「いや、特にこれといった用事はないけど。そうだ。折角駅まで来たんだし気分転換していこうよ。ナツメがおまえに会いたがっていたし。」

 ナツメ、というのは俺達のよく行くキャバクラの従業員だ。まぁ、俗に言うキャバ嬢というやつだ。

 俺は気晴らしに最適だと思ったのだが、キタは困ったような顔をする。

 「いや、今はそういう気分では…」

 「まぁまぁ、いいじゃない。たまには息抜きも必要だよ、キタ。」

 乗り気でない様子のキタを半ば強制的に歩かせる。

 息抜きとは言っても、俺がナツメに会いに行く大抵の理由は情報だ。ナツメは俺の中学時代の同級生だ。そのよしみでこれまでも色々と世話になった。ナツメの店には様々な人間が訪れる。ナツメはその人間から巧みに情報を聞き出してくれる。主に色仕掛けなどの方法で。

 隣を歩くキタを見る。

 俺がこんな風に自主的に情報収集をして、無料で情報を開示するのはおまえだけなんだよ、キタ。

 それがどうしてなのか解ったら、とっておきのご褒美をあげよう。

 ねぇキタ。それでおまえはどんな顔をするのかな。喜ぶのか。驚くのか。絶望の色を浮かべるのか。

 俺的には最後のが見れたら最高なんだけど、さすがにおまえを虐めるほど堕ちてはいない。

 おまえには笑っていてほしいと思うよ。

 だからまぁ、永遠に気付かないでくれたら、助かるんだけどなぁ。本当に。

 そんなことを考えていると、キタが俺からさり気なく離れていった。



 

 さっきからハルさんが一人でにこにこしている。いや、基本的にこの人は常に口元に笑みをたたえているのだが、それはあくまで作り笑いだ。(それはそれで不気味なのだがもう慣れた。)だが今は本当に笑っている。変な言い方だが、本当に笑っている。ハルさんがそういう時は大抵よからぬことを考えている。この人は実は根っから加虐思考者なのだ。

 よって危険を感じた俺はハルさんと距離を取ることにする。

 「ちょいちょい、避けないでよキタ。俺なんかした?」

 にやりと小憎たらしい笑みを浮かべながら俺の肩に腕を回してくる。酔っ払いの絡みかよ。

 「ハルさん、今なんか変なこと考えてたでしょう。」

 「変なこと?失礼だなぁ、俺が考えてたのは楽しいことだよ。」

 「楽しいことっすか。」

 「そ。とっても楽しいこと。」

 だったらやはり加虐的なことか。

 ハルさんが未だに笑顔を崩さずにこちらを見ている。今の加虐思考の餌食は俺らしい。

 俺は更に歩を速めた。


 「キタ!来てくれたのね!やっと来てくれたのね!!!」

 キャバクラに入ると早速ナツメさんが出迎えてくれた。ハルさんはキタが来たなどと世辞笑いも出来ないギャグを言っているが無視でいいと思う。

 「入って入って!ワイン御馳走しちゃう!」

 「おっいいねぇ。」

 「あんたじゃないキタによ!」

 「ええ?なんで?俺には?」

 「仕方ないから水だけ出してあげる。」

 「水って酷くない!?」

 仲の良さ気なこの二人は中学時代の同級生で、今ではめでたく恋人同士らしい。そんな二人と一緒に居るのは初めは居心地が悪かったがそれも今では慣れ、三人でよく飲みに行くようになっていた。

 「キタ、ワイン白か赤かどっちがいい?」

 俺に椅子を薦めながらナツメさんが言う。

 「いや、俺は今日は長居するつもりはないんで…」

 二人の気遣いはありがたいが、俺にはやらなくてはならないことがある。依頼主を探さなければ。もし依頼主が秘書を殺した犯人だというのなら、俺がこの手で殺してやる。仇討ちなどではないが、秘書には今まで世話になった借りがある。

 ―?

 何か忘れてないか?

 どろどろとした違和感が口中に広がる。

 何かを忘れている気がする。

 苦い。

 形容しがたい違和感に吐き気すら覚える。

 ××。

 確か二文字だった。俺が思い出さなくてはならない二文字―

 「いやぁ、ほんと猫って可愛いよね。」

 「―!」

 そうだ、猫。猫だ。猫を探さなければ。「キタ。本当に猫にばかり反応するんだね。俺の話聞いてた?」どうして今まで忘れていたんだ。あんなに猫のことばかり考えていたのに。なんなんだ。俺はどうしてしまったんだ。「ねぇキタ。」猫は今どこに居るんだろう。放っておけば帰ってくるとハルさんは言ったが―

 「キタ。ハルさんのこと無視しないの。」

 「……っ!」

 むぎゅ、と右頬をつねられる。

 ハルさんが拗ねたような顔で俺を見ていた。

 「あ…すいません、ハルさん…」

 「全く。ほんと妬くなぁ。俺の声が聞こえなくなるほど猫に気持ちを持って行かれてる。おまえをそこまで追い詰める相手ってどんな奴?」

 追い詰める、か。俺は追い詰められているのか。

 「追い詰められてる。疲れ切ってフル回転の頭から煙出して錆びれてる。くまもひどい。不眠?」

 「…ハルさんは俺の考えてること全部解るんすね…エスパーっすか。」

 ハルさんは得意気にふふん、と笑う。

 「凄いでしょう。」

 「褒めてないっす。引いてるんです。」

 「え、なんで!?なんで引くの!?」

 真面目に問い返すハルさんが面白くてつい笑ってしまう。するとハルさんは頰を緩め嬉しそうにワインを一口啜った。

 「な、なんすか気持ち悪い。」

 「失礼だなぁ。キタも段々ナツメに似て口が悪くなってきてるよ。」

 「これでも自重してますよ。ってか何自分だけワイン飲んでんすか。」

 「だってキタ、ドライバーでしょ?飲酒運転、ダメ絶対。」

 両手でバツ印を作るハルさんの頭をナツメさんが軽く小突く。

 「どの口が言ってんのよ。この前ベロンベロンに酔ったままバイク乗ってサツにお世話になったのは誰よ?」

 「誰だろう。俺じゃないけど、」

 「あんたよ、馬鹿。」

 「ハルさん、それは馬鹿っすよ。」

 「…二人共酷いな!?」

 俺は笑いながら水を喉に流し込む。

 話していると落ち着いてきた。飲酒運転を普通にしてしまうような、色々と適当なハルさんを見ていると気が楽になる。主にこんな人も居るんだから、という意味で。 

 なんやかんやで優しい人達だ。きっと俺のことを気遣ったりしてくれているのだろう。

 やはり他人は必要だ、と思う。結局気持ちの支えになるのは他人なのだ。

 ―しんどい時には手伝ってくれる人が居た方がいい。

 昨夜の猫の台詞が頭をよぎる。

 支えになるような他人が、あれには居るのだろうか。

 ハルさんに意見を貰おうと顔を上げると、ハルさんは少し寂しそうな顔をしていた。

 「…行ってくるか、キタ。捜し物が気になるだろう。」

 ハルさんがワインのグラスを覗き込みながら言う。

 「カラスがさっきから五月蝿いんだ。猫がおまえを探してるらしいよ。」

 「猫が…?」

 「そ。ねぇキタ。気を付けて行くんだよ。これを持ってきな。お守り。」

 ハルさんが俺に手を伸ばす。俺が訝しみながらも掌を差し出すと、黒いものが落ちてきた。

 「羽?」

 「カラスの羽。何かあったらそれを振り回すといい。適当に。」

 「振り回す?」 

 「カラスも猫もおまえの味方だよ、キタ。」

 グラスの水滴をなぞり、ハルさんはにこりと笑った。

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