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出立


 父の執務室を出た後、自室に戻るや否や、アリスは部屋の机の引き出しから封筒を取り出して中を確認した。


「良かった……」


 手元の紙に記載されていることに安堵の息をつくアリスを、ナタリーが不思議そうに眺めている。


「アリス様、公爵様はなんと…大丈夫ですか?」


 皇室から手紙が送られてきた後に呼び出されたことを知っているのだろう。


 そして、今の皇室が私に伝えてくることなど理不尽な要求である可能性が高いと、当たりをつけているのか、心配を滲ませた声色をしていた。



「スクワード港地区へ、謹慎せよとーーつまり、私を王都から追放する命令がくだされたの」


「えぇ!?そんな! 

何故ですか?」


「色々と理由をつけているけれど、要するに聖女が現れてしまった今、皇后様にとって、私は用無しとなってしまったのよ」


 ナタリーはそれを聞いて青ざめてゆく。



「そんな馬鹿なお話がありますか!?今までウェスタリス家がいたから、お嬢様がアレク様の婚約者であるからーー


皇后様の地位は、磐石でいられたのですよ!?」


「けれど、聖女の伴侶が次期国王となる不文律がある以上、私にいられると困るのよ…」


「アレク様はー」



 ナタリーが言い募ろうとして居る言葉を右手で制して、アリスはニコリと笑う。


「そんなことより、これを見て!」


 手にしていた書類をナタリーの前にドン!とかざした。

 そこには、スクワード港地区の住所が記載されている。


 ナタリーが想像していた落ち込む姿ではなく、目の前にはふふんっと得意気に鼻をならして、頬を高揚させているアリスがいた。

 

 ナタリーは、輝いたものを見るように目を瞬かせる。


「これは…えっと?何でしょうか?港にある建物の住所ですか?」


 ちいさく首を傾げると、アリスはニヤリと口元に笑みを浮かべた。


「これは、お母様が残してくれた私の〝隠れ家〟よ!」


 山の上から海が見える素敵な土地ーー。


 夜空は煌めき、太陽の光りでゆらめく海の漣を聞いて、木々の生い茂る山を降りると、そこには自分で整えた花畑が広がっていた。


 〝いつか時期が来たら、アリスにも見せてあげるね〟


 母が亡くなる前、そう語っていた海岸の近くにある小さな隠れ家。母が令嬢時代ーー中等部の頃から学園の夏休みのたび、身分を隠してそこでカフェを開いていたという。


 母亡き後、この土地と建物の権利は私に譲渡された。

 特に大きな財産になる訳でもないから、母を亡くして泣きくれる子供を慰めるには、良かったのだろう。

 ーーそう、父なりに気を回して未成年である私の名前を権利者としたもの。


 

 スクワード港地区ーー昔はそれなりに栄えていた港だった。


 しかし、数年前から海を超えた先の孤島に魔物が増殖した影響で、大量の瘴気が発生し、それが海に影響して、突如、大津波がスクワード港地区の住民を襲った。


 その時海が運んできた瘴気と、津波被害により一時は廃れていた。


 聖女が現れた影響からなのか、最近は瘴気が薄らぎ、少しずつ復興しているとか。


 従来ほどとはいかないけれど、観光客もちらほら居る自然豊かな土地だ。


「まさか!

こちらに住まわれるおつもりですか!?

お嬢様のお住まいは公爵様がきちんと…せめて、教会など人がいて生活に困らないところを手配してくださいますよ!」


「いいえ!

家を出ると決意した時、ここが思い浮かんだの。

もう決めたわ!!」



 言うが早いか、ドレッサーを開け放つだけではなく、衣装部屋まで足を運んで、持って行ける物を吟味する。


「ダメね。服は港街で買い直すわ」


 一つのケースを片手に、身を翻して部屋を出ようとする。今着ている服は、決闘試合を観戦するにあたり、ナタリーに目立たないものを選んでもらったのでそのまま着て行くことにした。



「お待ちください!まさか、お供もつれずに行かれるのですか?」


「ぇえ。私は追放された身なのよ?罪人なの。お供なんて連れて行かないわ」

「ですが…っ。


いえ、では私も共にーー」



 続きの言葉を遮るように、ナタリーの唇に、人差し指を当てがう。



「ありがとう。でも、ナタリーには子爵家の兄弟達の立場もある。

罪人の私と共には連れていけないわ」



 大きく目を見開いて、涙を溢れさせるナタリーを、アリスはぎゅっと抱きしめる。


「私の店に、お客さんとしていずれ招待するわ。

落ち着いたら来て欲しいの」


「ぜ、絶対ですよ!」


 学校外での友人ーーそれに近い存在だった。子爵家にある借金のため、こうして働き始めた彼女だけれど、たわいもない話を沢山して、彼女の存在に私はとても、救われた。


「勿論よ」




♢♢♢




 

「あらアリス、何処へ行くの?

先程旦那様からお叱りを受けたのでしょう?部屋で謹慎していなくて良いのかしら?」


 義母の声に続いて、義妹の声が聞こえてきた。



「血統が良くても、こうなっては私以下ね」



 ナタリーに見送られながら外に出ようとしたその時、クスクスと笑いながら階段を降りてきた義妹のルーナと義母はアリスの前まで歩み寄ってくる。


 決闘試合で何があったのかーー生徒や保護者のみが入れる会場なのに、そこでの出来事を父が知るにはかなり早いと感じていた。

 

 だから、従者ではなくこの義妹から父に伝えたことであるのは、見当がついていたが、どうやら本人も隠す気はないらしい。


 アリス自身も、試合でのことも含めて隠すつもりは無かったので、義母とルーナに向き直る。



「ぇえ。

私は辺境の地へ行き、そこに住みます、

お義母様、そしてルーナと話すのはこれで最後かも知れないですね。


八年間ーーお二人とはあまり会話をする機会はなかったけれど、お世話になりました」



 アリスは手にしていた荷をおいて、スカートを摘みカーテシーをした。


 そんなアリスに、義母は嬉々としながら驚きの声をあげる。


「まさか、追放されるのですか?

二日前までは社交会でも頂点近くに君臨し、誰もが誉めそやしていた貴女がねぇ。

ふふ、それはお気の毒ですわね」


 その義母の言葉にルーナは目を瞬かせた。


「え?お姉様がいなくなるということはーー私が公爵家唯一の娘になるのではないですか?」

「そうよ!良かったわねルーナ!!もしかしたら、第二皇子の婚約者に選ばれるのは貴女かもしれないわ!」



 二人はこれから輝かしい未来が待っているとばかりに目を輝かせて色めきだっている。


 義母と義妹が来てからーーこの家は義母と義妹の笑い声だけが響いていた。


「だってお姉様は、お母様がいないでしょう?

淑女として母の存在は不可欠ですのに。皇太子の婚約者なんて変だと思いましたの」


「ルーナの言うとおりよ。本当は鈍臭い子だと思っていたのだけど一応ね?黙っといてあげてたのよ。

前の奥様の手前ねぇ。早くに亡くなられてお気の毒に思ってたのよ?

そのせいで娘が聖女様を害するまでに落ちぶれて、これも母が早くに死んだせいよね」


 何度か話しかけようとしたけれど、恐れ多いからと言う理由でさけられつづけ、ついぞ、呼びかけに答えてくれなかった。



 無言になっているアリスに気付き、何を考えたのかルーナは口元にニヤリと笑みを浮かべた。


「当家から聖女様を害する罪人が出るなんて、とんだ恥知らずですわ。私が聖女様に変わり、お仕置きして差し上げます」


 そう言うや否や、唐突にアリスの髪を掴んで引っ張りはじめた。


 あまりに予想外の動きをされたので、アリスが「いたっ」と声を漏らして驚きを現にしているうちに、今度は頬を叩こうと手を振り上げたのが目に入る。


 その動作を見ながら、それまでの家での記憶がーー不意によぎった。



 アリスの作った化粧品やポーションを好んで使ってくれているのは知っていたから、それだけでも居場所があるのかと考えていたこともある。


 皇太子から婚約破棄をされた後になり、まだ一日しかたっていないけれど、この二人がこぞって私のあることないことを含めた悪口を声高に邸宅の使用人や親戚、友人知人に広めているのはナタリーから聞いて知っている。


 ここぞとばかりに、自分達が社交界において私よりも上の立場になったと嬉しそうに語っていたのだとか。


 たった一日の動きでそれならば、この先もっと行動には拍車がかかるだろう。今の恍惚とした表情で歩み寄る様からも、それがありありと伝わってきた。


 二人がこの家に来てからーー私を家族に加えることなど考えていなかったことがわかった。


 ほんの少し、期待していたことは嘘ではない。


 だけど、もうそんなことで傷付いたりはしない。


 アリスは二人の目に宿る嘲りの視線をまえに、息を呑んだ。


 ーー何故だか今、あの黄金の瞳が、脳裏によぎる。



『俺に出来るのは、ここまでです』



 思い返すほどに、胸に湧き上がるこの感情はなんだろうか。


 ーー名前をつけるのだとしたら、そう。



 これが、勇気というものかしら。



 ルーナが振り下ろす手——それはアリスの頬に届くはずだった。


 しかし、アリスは冷静にルーナの手首を掴み上げ、ぐいっと引くと、勢いよくルーナの頬を叩いた。




パンッ





 乾いた音があたりに響く。

 

 これまで朗らかに貴族令嬢らしくおっとりした姿しか見かけたことのない義姉、アリス。



 公爵令嬢として屋敷内で誰にでも優しく淑やかに振舞ってきた皇太子の元婚約者。



 そんな印象の根強いアリスが人の頬を感情の赴くままに叩きつけたことに、誰もが目を疑った。



 静まり返ったその場で、アリスは優雅にカーテシーをして微笑んだ。



「それでは、皆様ーーさようなら」




 荷物を片手に掴み、扉を開いて、もう一度ちらりと中へ視線をやると、赤くなった頬をおさえたルーナと義母が呆然とアリスを見つめている。


 そんな間抜けな姿へ向けて、アリスはふ、と笑みを浮かべて言った。





「ごきげんよう」






 

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