カモミール
試合が終わり、ラルフはマルコに誘導されて医務室にて治癒師から頬の治療を受けていた。
「結構深い傷です。もしかしたら跡が残るかもしれません」
治癒師からの言葉に、マルコは「皇妃様にどう説明すれば良いのか…」と呟く。
そこへ、突如、予期せぬ人物の声が聞こえてきた。
「失礼いたします」
ラルフの黄金の目が自然と声のした方向へと吸い寄せられる。
侍女のナタリーに扉を開けてもらい、中へ入ってきたのは、外套に身を包んだアリスだった。
室内に入ると、アリスはフードを後ろへと取り払い、美しい白金の髪を露わにする。
呆然としていたラルフだったが、はっとして立ち上がった。
「ど…一体どうしたのですか?もう帰られたと…」
アリスは、戸惑いを浮かべたラルフの近くに歩み寄り、頬の傷に目をやると、眉根をよせた。
そして、先程渡した花を持つラルフの片手に、自らの手を添えた。
突然か細い手を重ねられて胸が高鳴り、動揺から目を見開いたラルフをよそに、柔らかな白い光がじんわりと花弁へ染み込んでいく。
「ーーこの光は、魔法…ですか?」
ラルフの問いかけに、アリスは頷いた。
「はい。
この花はカモミールと言う種類の花でして、傷を癒し、炎症を鎮める力を持っています。
とくに〝魔力処理〟されたものは、傷跡が残りにくいのです。
……事前に私の魔法で効能をあげていたのですが、その傷の深さでは足りないのではと思ったので…
この花は、かかりつけの薬師に渡して、塗り薬へと調合してもらってください」
アリスはそう述べると、空いた方の手で外套の内ポケットから四つ折りの手紙を取り出して、ラルフへと差し出した。
ラルフはひとつ瞬きをすると、ふっ、と笑みを浮かべてその手紙を受け取る。
「ご配慮いただき、ありがとうございます」
その美しい笑みに、今度はアリスの方が照れてしまい、頬を少し赤らめて、魔法を込め終えた手をパッと離す。
小さくコホンと咳払いをして仕切り直すと、ロゼ色の瞳で黄金の目を真っ直ぐとらえ、薄い桃色の唇に微笑みを浮かべながらお礼の言葉を紡ぐ。
「ーーラルフ様、今日は私の名誉のために戦ってくださり有難うございました。
貴方は、とても素敵な騎士道をお持ちなのですね。
試合を見て、こんなに感動を覚えたのは初めてです」
これまで、幾度となくアレクの試合を応援してきたであろうアリスの口から述べられた言葉に、ラルフの瞳が一瞬、感動の色を浮かべたのをマルコは見逃さなかった。
内心では(やれやれ)と思いつつも、主人の青春を邪魔しないよう、口を挟むことなく、〝惚けてないで、今が頑張りどころですよ〟と言わんばかりに肘でこずくと、そっとお辞儀をして後ろにさがる。
「あ…ち、ちが…違うんです。
俺は貴女だからーー」
前のめりに踏み込んで言葉を紡ごうとした。
しかし頭の片隅で冷静に自分の立場と、アリスの立場を考える思考も働き、アリスのロゼ色の瞳に宿る高潔な輝きに見据えられるほど、この人は手の届かない人だと自分を諌めなおした。
「?」
小さく首を傾げるアリスに、ラルフは言い淀みながらも、ゴホンと大きく咳払いをした後、姿勢を伸ばして述べた。
「ーー貴女の新たな門出に、少しでもお役に立てたのなら、良かったです」
「ーー」
皆の前で婚約破棄をされた公爵令嬢。
それは汚名で始まるものではなく、皇太子の婚約者という肩書きをなくし、新たなスタートを手にしただけに過ぎない。
その花向けに、勝利をささげた。
口にせずとも、そう言わんとしていることが、ラルフの眼差しから伝わった。
〝どの様な困難があっても、貴女を応援している〟
そう背中を押されている様に思えた。
(この方は…なんて、暖かい眼差しをするのかしら)
周りに惑わされず、流されず。
私の痛みにいち早く気付き声を上げてくれた。
たった1人、学園生活を華々しく締めくくり終わるための場で羞恥にさらされていた私を背に庇い、決闘の末、約束通り勝利した。
おそらく、学園生活では隠していた実力を晒してまで。
ーー全ては、私が今後待ち受ける困難に打ち勝てますようにと願ってくれたから。
アレクの婚約破棄宣言に、冷えていた心の中がじんわりと暖められるようだった。
「アリス様、申し訳ありませんが、そろそろ…」
ナタリーに促されて、はっと我にかえったアリスは、ここに来て確かめたかったことを最後に確認する。
「レナード皇子。
今回の試合で、貴方の立場は…」
「ご心配は嬉しいですが。
大丈夫です、元からそんな立派な立場でもありません」
「…ですが、もし」
「ウェスタリス公女。
試合でお見せしたとおり。
貴女の騎士は、そんなに柔な男ではありません」
冗談めかした内容ーーされど、自信満々に挑戦的な笑みを浮かべられると、アリスの答えは一つしかなかった。
「ーーはい」
彼は、確かに柔な人ではないから。
アリスはラルフの言葉を噛み締めたあと、一息すい、フードを被り直す。
「レナード皇子、私は貴方の今後の幸福を願っています」
それだけ告げると、踵を返して、扉へと背を向ける。
出て行く前に、もう一度ラルフへ顔を向け「それでは、ご機嫌よう」とだけ告げて部屋を後にした。
静かに閉ざされた扉を見届けたラルフは、小さく呟く。
「こちらこそ、願っていますよ。
貴女の幸せを」
ーーそれはまだ、誰も気づいていない始まりだった。




