勝利の花
衝撃的な光景に、会場は水を打ったように鎮まりかえっていた。
アレクは後ろへ避けようとしたが、顎先を殴られてから体勢を保持しきれず、何とか後ろへ倒れ込むのを堪えるが、ふらりと地面へ片膝をついた。
「っ……」
視界が揺らぐも、意識を保ち、剣を支えに立ちあがろうとするも足には力が入らず難しい。
そうしている間に、地面に落ちた剣を拾ったラルフは、跪いているアレクの顔に、剣先を向けた。
「ルールに従い、10秒は待ちます。
続けるならばーー
次の一撃はご覚悟なされませ」
「くっ……」
ラルフがカウントをはじめると、皇太子は悔しげに歯を食いしばり、足に力を込めようとした。そこには降参する気配など微塵もない。
立会人として傍に控えていた従者は、その光景に額から汗をたらしていた。
(ま、まずい。軽い脳震盪を起こされている。あれでは10秒以内に立ち上がるのは不可能だ)
従者は皇室の観客席に控えている皇帝と、皇后の様子を仰ぎ見た。皇帝は冷静な面持ちで、目を閉じた。
皇后は身を乗り出して何やらこちらに訴えかけながら首を左右に振っている。
「7、8ーー」
カウントが10秒に近づくと、ラルフは冷静な瞳で見下ろしたまま、ゆっくりと剣を持ち上げた。
「…っまて!降参だ!!負けを認める!」
従者は立会人席から白い旗を掲げて叫んだ瞬間、審判をしていた校長は、両手首をあげ「それまで!」とラルフの行動を静止した。
そしてーー次はラルフの立つ方角に右手のみをあげて、高らかに試合終了の宣言を述べた。
「この勝負ーーレナード帝国の第一皇子。
ラルフ・レナードの勝利とする!!!」
会場にはどよめきと混乱の波が波紋の様に広がってゆく。此処にいる人々は殆どがフォルゲン帝国民である。
そして、相手は同じ規模の国土を誇る隣国レナード帝国の皇子であることから、フォルゲン帝国の皇太子は、国の名誉と威信をかけて、今回の試合を必ず勝たなければならなかった。
それが出来る学園の成績であった筈で、ここにいる皆は、アレク皇太子の勝利を見に来たのだ。
この会場に、レナードの皇子を応援していた者は数少ないだろう。居るとすれば、彼の友人と、立会人席にいる従者マルコくらいである。
〝何が起こったんだ?〟〝あのアレク殿下が負けた?〟〝馬鹿な、相手は全てにおいて平均的な成績しかとっていないらしいじゃないか。何か不正を働いたんだ!〟
〝てか、この場合。大会をしめる勝者へ花を贈る者は誰が担うんだ?〟〝確かに。今回の試合でレナードの皇子の勝利を讃えるなどこの国の令嬢が出来よう筈もない〟〝せっかく勝てても、恥をかくだけと言うのに〟
ーーそう。この様な決闘での大会勝者は、決闘試合の作法に添えば、女性から勝者を祝う花を捧げられてから締め括られる。
様々なざわめきがこだまする中、一階の席でゆらりと動く影があった。
羽織っていた外套を肩下までするりと落として、ただ一人立ち上がった姿を、審判も観客席の皆も見逃さなかった。
闘技場の上で、治癒師や医師に手当てを受けていたアレクは、その姿を捉えて目を見開いた。
「アリス?」
背筋を伸ばして、両手で一輪の花を握りしめているのは、昨日までフォルゲン帝国皇太子の婚約者であった、アリス・ウェスタリス。
これまで品行方正であり、母親から受け継いだ薬師の実力で数多の功績を残しているが、聖女を害した罪により表舞台から消えるだろうと囁かれ、一夜にして社交界のトップから堕ちた公爵令嬢。
堂々たる姿勢、ロゼ色の瞳に宿る光――堕ちた公爵令嬢という言葉が嘘のような威厳を漂わせている。
しかし、彼女が勝利の花をあげるとすれば、それはアレク皇太子でしかないという刷り込みがこの場の全員にある。
皇太子が負けたのに何故立っているのかと、会場にはまた別のざわめきがおこる。
〝まさかレナードの皇子に花を?〟〝堕ちても、この国の公女よ彼女の倫理観的にあり得ないわ〟〝では、何故ここで立っているの?〟
ラルフは口元に小さく弧を描いて、アリスの元へと歩みを進めた。
左手は後ろに、右手は胸元に添え、整った所作でお辞儀をする。
そして、口上を述べた。
「我が姫に、勝利を捧げます」
それを聞いて一際大きくなるざわめき、治癒師により動けるようになったアレクが、立ち上がり、アリスの方へと手を伸ばす。
しかし、それに気付いた様子もなくーーアリスはニコッと笑みを浮かべて一輪の花をラルフに差し出した。
「ありがとう我が騎士様。貴方に勝利の花を捧げます」
その瞬間ーーアレクは動揺を宿して目を見開く。人々の動揺と混乱により、うるさく騒めく会場で、花を受け取るべくラルフが近寄る。
そっと花に手をやった時、ポツリと言った。
「俺が貴女に出来ることは、ここまでです」
「ーーえ?」
花を受け取ったラルフは、後ろへ振り返った。
「皇太子殿下!決闘の条件は覚えてらっしゃいますか!」
その時初めて、アリスはアレクがこちらを見ていることに気が付いた。
(アレク…)
二人の視線が交差する。
アレクの従者は、眉を寄せて悔しげな表情を浮かべるも、試合の結果は誰にも覆しようもない。
そして、一度目を閉じたあと、最初に動いたのはアレクだった。
戸惑いを浮かべるアリスの前に片膝をつく。
「皆の前で、名誉を貶めたことを深く謝罪申し上げる。
ーーこの度の、ご令嬢への無礼、本当に申し訳ないことをした」
それは、本心を乗せているかの様な温度を含んだ謝罪だった。
不満を抱いた様子の皇后が何か言葉を発しているが、今はそんなことはどうでも良いことで、あの断罪劇が、アレクの本意に背くことであったことがわかっただけでも収穫だと思えた。
だけどーーアリスはそっと目を閉じる。
自分の頭には未だ卒業式での衝撃が残るせいか、その謝罪に返す言葉は見つからなかった。
――けれど、彼女の心は、ある答えを出し始めていた。




