第六話 アボカド
❀小鳥 side❀
「おはよ」
次の日ラインで呼び出した。大学のキャンパス内のカフェ。
「おはよう」
夢くんはまるでゆうべ何もなかったかのように、爽やかな笑顔で丸テーブルの私の向かいに座った。
「大丈夫なの? 体調」
「うん。――夕べはごめん」
「走ったり、しない方がいいんじゃない? 差し出がましいようだけど」
私はさっき頼んでようやく飲める温度になったカプチーノを口に含んだ。
何もオーダーせず、席に座りもしない、夢くんは、立ちつくしたまま苦い表情をした。
「――体が言うことを聞かなくなってるのが解る」
――ズキン!
その言葉と表情に、私の胸は疼いた。
「大丈夫? 季節のせい? 段々寒くなってきてるし」
夢くんは、今日初めて見る、私と同じような、濃黒のブレザーを羽織っていた。
「いや……。まあ、ね。ところで俺、今日これからの四コマで終わり。小鳥は?」
話題を逸らされた。
だけど、”僕”から”俺”“小鳥ちゃん”ではなく、呼び捨てになっていることに、二人の距離が縮まっていることを感じた。
「今日はもう講義ないよ」
「そっかー。あの……」
夢くんが、私を誘おうとしているのが解った。
「待ってる。夕飯作るよ。部屋行ってもいい? 一緒に買い物行こ」
夢くんは心の底からの笑顔を見せた。
「小鳥の手料理なんて嬉しいな!」
私は買い物カゴをカートに載せ、“いざ出陣”と鼻息を荒げた。
夢くんの家から近くのスーパーに、ふたりでやって来た。
なんか――まるで夫婦みたいだ。
私は想太の存在などすっかり忘れて、浮足立ってい
た。
「今日の献立は何にしますか?」
「えーとぉ。メインはロールキャベツとぉ。アボカドサラダ。ポトフなんてどうでしょう」
「いいでしょう」
カラカラと夢くんがカートを押しながら私たちは会話をしている。
こういうのって、平凡だけど、なんだか幸せ。
「あとは、今、夕方のタイムセールでコロッケとか安いはず。それを狙いましょう」
「ラジャー」
野菜のコーナーで、まずはキャベツとタマネギ、パセリ。サラダ用の野菜なんかをカゴにヒョイヒョイと入れた。
あとは、お肉のコーナーでベーコンとひき肉を買った。
「小鳥。ビールはいいの?」
ぐっ。ビ、ビール。
「あはは。飲みたそうな顔」
「でも、夢くん、飲まないでしょ」
「うん。でもいいよ。君が飲みたいなら」
私はその言葉に甘えてふらふらとお酒のコーナーへ行った。
そこはパラダイス☆
ビバ☆アルコール!
「目ぇキラキラしてる」
あとからカートをガラガラと押してやってきた彼は言う。
「命の水」
「そうかぁ。あはは」
私は数本のビールを抱えながら、夢くんに尋ねた。
「全然飲めないの?」
「飲まないようにしてる」
きっぱりとそう言われたら、何も返す言葉がない。
やっぱり、お薬を飲んでいるから? とも言えなかった。
会計を済ませた私たちは、手を繋いで帰った。
背の高い夢くんの手は大きくて。
私の手を、あたたかく、優しく、包んでくれた。
まるで、お父さんのような愛情を感じた。
「――さて。とりかかりますか」
夢くんをリビングで待たせて、私は両袖を捲った。
彼は”手伝うよ“と言ってくれたけれど、私は完全なる自分の手料理をご馳走したかった。
家ではほとんど料理をしない。
だけど、想太の家ではよく作っていた。
デミグラスソース仕立てのロールキャベツは彼の好みのもので、いつしか私の得意料理になってしまっていた。
バリっとキャベツを剥がしながらそんなことを思い出した。
彼氏――だった人の、好物を別の男の子の家で奮うって、ちょっと不謹慎?
でもこれが一番作り慣れているから、自然とこのメニューを選んでしまった。
やっぱり不謹慎か。
でも夢くんには美味しいもの食べて、元気になって欲しいし。
日に日に寒くなってきてるし。あったかいもの出したかったし。
誰にでもなく、私は弁解を繰り返しながら、キッチンに立っていた。
夢くんの家のキッチンは、ちゃんと使われている跡がある。
ちゃんと自炊しているようだ。
料理上手なのかな。私の作ったもの、満足してくれるかな。
あれこれ考えながら、何とか料理を完成させた。
「夢くーん。お待たせ。できた、よ……」
料理を運ぼうと、リビングに入り、一旦声をかけた。
すると、夢くんはベッドの上でくぅくぅと寝息をたてている。
左腕を枕にして寝入っていた。
疲れてるのかな。
私は彼にタオルケットをかけて、頭に枕をそっと入れた。
息を吐き、仕方なくひとり、ロールキャベツをつまみにお酒を飲むことにした。
BGMが、好きな人の寝息なんて素敵だよね。
なんて、せっかくの料理を食べてもらえなかった無念さを払うように、自分に云い聞かせる。
私は、彼の眠っているベッドによりかかり、ひとり酒を始める。
くぅー。
ビールはひとくち目がいちばんおいしい。
――まあ、ふたくち目もみくち目もおいしいけど。
こんな幸せな飲み物を知らないだなんて、夢くん、人生の半分は損してるよ。
私は鼻歌を鳴らした。
夢くんは、相変わらず眠ったままだった。
眉をすっかり下げたまま。幼顔になって。
やっぱり、前にどこかで会った気がするんだけど……思い出せない。
前世で出会ってた? なんてね。
――終電の時間もあるし、そろそろ帰ろうかな、と、お皿を片づけ、自分の手荷物をまとめた。
その気配に気づいたのか“ん~”と声を出し、夢くんは目を覚ました。
「……小鳥、帰らないでー」
「おはよう、夢くん。でも、終電があるんだ」
「夜中に目が覚めて、君がいないと淋しい」
甘えた声出して、かけたままのメガネの奥の瞳は潤んでる。
「眠っちゃってごめんね」
「ううん。それはいいんだけど……」
夢くんは起きあがり、“タオルケットありがとう”私の隣に腰を下ろした。
「お願い。泊まってって」
「……私もここにいたいけど――」
外泊なんて、親が何て言うだろう。
「お願い」
そんなに、顔面アップで言われたら――弱い。
「――うん。解った。お腹空いたでしょ? ご飯温めるよ」
明日の始発で帰ればいい。実家の皆はまだ、寝静まっている、夜明けのうちに。
しかし、改めてご飯を食べた後、今度は私の方が寝入ってしまった。
掛けられた柔らかいお布団の中で目を覚ましたら、なんとまあ、お昼の十二時!
夢くんは、読んでいた新聞から顔を上げ、“おはよう”とにっこりと笑って言った。
「おはよう――じゃない! やばい!」
あろうことか、今日は土曜日。
今日はお父さんは仕事休みの日。帰ったら家にいる!!
「俺もさっきまで眠ってた」
「そんなケロッと言わないでよ。うちの親、きっと怒ってる――携帯に着信がないのがまた怖いわ」
すると夢くんは新聞をバサッと畳んで、思いがけないことを言った。
「小鳥の家に行こう。やっぱり一緒に住もうよ。俺、挨拶に行くよ」
「――はっ!? 何言ってんの」
「同棲する、許可をもらいに行く」
突然何を言い出すの?
「そんなの、許されるわけないじゃない」
私はとにかく急いで早く家へ帰ろうと、身支度を始めた。
「だって、終電気にして過ごすのも嫌だろ。今日なんかも、休日はどこにも行かずにのんびりできるし」
「そんな――。とにかく、私、帰らなきゃ」
「俺も行く」
「怒鳴られるのが目に見えてるわよ」
「うん。大丈夫」
「お父さん、怒ると怖いよ」
「うん」
それでも屈しない、頑固な夢くん。
どうしてもついて来ると言って聞かないので、仕方なくふたりで私の実家へ帰ることになった。
地下鉄の中でもそわそわ、ドギマギが止まらなかった。隣に夢くんがいるのに――いや、いるからこそ、色んな気持ちが渦巻いている。
「そんな心配しないで。大丈夫だから」
さっきから“大丈夫”をくり返している夢くん。
その自信は、一体どこから来るのだろう。
などと首を捻りつつ、私と夢くんは実家に辿り着いた。
いつも帰ってる場所なのに、今日はよその家のように入りにくい。
どうしよう。チャイムを押して入ろうか。
鍵を使って入ろうか。
チャイム押したら誰か出てくるだろう。
お父さん、お母さん――どちらでも怖いな。
お姉ちゃん、お兄ちゃんなら、呆れながらも怒らずに入れてくれるだろうけど。
「どうしたの? 大丈夫だって」
まごまごしている私に、また夢くんは根拠のない自信をぶつけてくる。
――えーい。
私は観音開きの黒い扉を開け、鍵をあけ、玄関に入り、半ば自棄の大声で「ただいまー」と、言った。
やがて、パタパタパタ……と、スリッパの音がして、出て来たのは、お母さんだった。
「まぁ、まぁ、小鳥ちゃんたら、なんの連絡もなしにっ! どこにいたの!!」
洗い物でもしていたのか、エプロンで手を拭いながら、心配と怒りの混じった言葉を吐いて。
私の隣りで毅然と立っている夢くんと、私の顔を交互に見、唖然とした顔をした。
そりゃ、そうだろう。朝帰りの娘が見知らぬ男をつれてくれば、こんな顔になるだろう。
次のお叱りの言葉が来るのに、身構えた。
――だけど。
「あら、あなた――?」
夢くんを見て、お母さんは硬直していた。
夢くんは、にこにことしている。
「僕、渡海夢大と申します」
「トカイ……?!」
お母さんが口に手を当てる。
「何??」
今度は私が、お母さんと夢くんを交互に見る番だった。
「……小鳥ちゃん、自分の部屋へ行ってなさい」
「? う、うん――」
何? 何が起きているの?
言われるままに、私が階段を昇っていこうとした時、お兄ちゃんとすれ違った。
「た、ただいま」
「ひゅう。朝帰りぃ」
お兄ちゃんは、前髪をビシッと立ててオシャレをしている。
私はからかわれ、恥ずかしくなって何も言い返せないでいた。
「俺はこれからデートだよん。じゃな」
27才になるお兄ちゃん――正確には従姉弟にあたる人だけども――は、結構女遊びが激しい。
お兄ちゃんが高校生の頃から家に何人彼女を連れて来たか知れない。
とにかく、入れ替わりが早い。
無断外泊なんて数知れず――……。
逆に29才になるお姉ちゃんは真逆。
美人で大人しい。もうずっと前からつきあっている彼氏もいるみたいけど、外泊なんてしない。
男であるお兄ちゃんはともかく、そんなお姉ちゃんを見てきたからか、自分の朝帰りが恥ずかしく、申し訳ない。
さっきだって、お母さんは開口一番に、私を叱った。
――あれ。でも。
その後すぐ、夢くんの方に目も心も奪われてた。
彼があまりにもかっこよかったから?
そんな夢くんは悠然としていた。
私は一日ぶりのベッドにごろんと寝転がった。
なんか、変――。
階下から、いいコーヒーの香りがしてきた。
大切なお客さんが来た時に、お母さんはとっておきのカップとソーサーでおもてなしをする。
お父さんの低い声も聞こえてくる。
一体何を、話しているのだろう。
私は天井に向かって、大きく息を吐いた。
その後、あくびが出て、急に睡魔が襲ってきた。
夢くんの家で、始発を逃すほど散々眠ってきたというのに――。
私は深く、深く寝入ってしまった。
目を覚ますと、日はとっぷりと暮れていた。
カーテンからはお日様の光ではなく、街灯の灯りが微かに差し込んでいる。
階下からは、今度はおいしい晩ご飯の匂いがしてきた。
あ、そういえば夢くんは――?
私はくしゃくしゃになった洋服のまま、階下へと行った。
リビングのドアを開けると――ソファにはまだ夢くんがいた。
私が入って行ったことによって中の空気は変わった。
なんか、ピリッとしたような。
だけど、それはすぐ柔らかい空気になり――いや、柔らかな空気を取り繕って、お父さんが私に言葉を発した。
「いやあ、いいじゃないか、夢大くん」
「いいわよ。小鳥ちゃん。夢大くんのところで花嫁修業してきなさいよ」
へ? 何? 両親とも……。
……何か変だ。
「花嫁修業――?」
私は首を傾げ、夢くんを見た。
「一緒に住んでいいってことさ」
そう言って夢くんは笑みを見せた。
やっぱり何か変。
「え? 何で?」
片方が実家暮らしで、大学生の身分で同棲なんて、どこの親が許す?
同棲してたとしても、普通親には隠さないか?
「夢大くんの家で、これ、食べなさい」
お母さんが重箱を出してきた。
煮物やら揚げ物やらの香りがした。
「じゃあ、おいとましようか」
夢くんはソファから立ち上がりそう言った。
「あ、う、……うん」
夢くんに促されるように私たちはリビングを出、玄関でお父さんとお母さんに見送られた。
「じゃあな、ちゃんと彼に嫌われないようにな」
「小鳥ちゃん、週に一度は家に寄るのよ」
私はこんな展開に戸惑いつつも返事をする。
「……解った」
夢くんの部屋に帰り、お母さんから繕ってもらったおかずをテーブルに乗せ、ごはんとみそ汁は自分で用意して、ふたり揃っての夕食。
いただきますを言って、さあ食べよう、と言った時だった。
夢くんはどれを食べようかと、迷っているように見えた、けれど。
「――なんか、ダメだ。食欲ない」
ごめん、と言って夢くんは箸を置き、ベッドにもたれかかった。
「今日は、疲れちゃった? いいよ、眠っても」
「ごめん」
そう言うと彼はベッドへ上がり、伏せた。
――病弱だよな、夢くんって。
虚弱体質? う~ん。
私はビールの缶を冷蔵庫から出し、今日もひとり酒を始めた。
だけど、もう終電も始発も気にしなくていいんだ。
嬉しいけど、妙な感じ。
一体、何があるのだろう。
私と、夢くんと、それを取り巻く世界に。
私はそれを聞いていいのだろうか。
それを知ったら、私はどうなるのだろうか。
夢くんとの関係も、変わってきてしまうのか。
彼が寝床についたので、部屋の蛍光灯をオレンジ色に変えた。
この温かく柔ら中な灯りが、胸の奥底にある妙な不安も、溶かしてくれればいいのに――。
✱夢大 side✱
――よかった。
俺の”ほんとう”を知っていてくれる人物がいてくれて。
過去、現在、未来を知ってくれている人がいてくれて。
俺はこれから、ただ、精一杯に小鳥を愛するだけが使命だ――。




