第五話 ブルーと白のギンガムチェック
❀小鳥 side❀
想太と鈴のことは、仲間たちに何も言わないでおいた。
鈴の、男を見れば即アタック! それも知り合いのうちなら尚!
の、性格は、皆、知っていたし。
私も私で、どこか落ち度があったのは自覚している。
想太を本気で好きなら、もっと頻繁に連絡していれば、もっと、頻繁に会いたいと言っていれば――。
だけれどそんな頻度で、会いたい人でもなかった。
大学入学、新しい顔ぶれ。そんな高揚感と混じってか、選択科目のドイツ語で知り合った想太と、あれよあれよという間につき合うようになった。
あの光景を目にしたあと、そりゃ、少しは泣いた。
だけど泣く資格は、私にはない。
あの日、私は、”この人とつき合うの”――と、夢くんをあのアパートに連れて行ったのだから。
私と別れないと言っていた想太が、あんなことをしていた。
鈴は想太を私の彼氏だったと知っていながら、あんなことをしていた。
そんな複雑な、変な思いを、背中から抱きしめてくれた夢くんを、頼ってしまう。
そんな、自分に、辟易する。私こそ、男をとっかえひっかえしているのではないか?
そのせいか――。
「ちょ、小鳥、顔赤いよ」
次の講義の教室へ入り、友人の帆乃香たちの席へと近づくなり、そう言われた。
(いつもの如く、鈴は寝ていて講義に出てこない。誰の隣で寝ているのか……知ったこっちゃない。)
「あー。何かダルい」
頭が重い。フラフラする。
「熱あるんじゃない?」
「あるかもー」
私は鼻をすんと啜った。
「家で休んでればいいのに」
「出席とるじゃん。このコマ」
「代返してあげるってば」
「うんー」
「保健室行って、とりあえず休んでから帰りなー」
帆乃香の面長の顔が二重に見える。
ちょっとヤバイかも、と感じた。
「倒れるんじゃないよ」
「ふぁい」
私は降りてきた階段教室を、再度昇っていった。
保健室は、この建物を出て、すぐ目の前の新しい建物にある。
同じフロアには教務室やら学生科がある。
私はフラフラと、保健室のドアをノックし、ガラガラと中へと入っていった。
若い女の、眼鏡をかけたひっつめ髪の”女医さん”っぽい医務室の先生が私を見るなり、「あら、顔が赤いわね」と言った。
先生は私を長椅子に座らせると、体温計を差し出しす。
「季節の変わり目だからね。体調崩す子多いわね」
やがてピピピと体温計が鳴った。
38度2分。あらら。
「薬あるから、飲んで。薬品アレルギーとかある? しばらくベッドで休んで。落ち着いたら帰るといいわ」
ベッドに横になる。ああ、消毒液の匂いだ。
安心する。
半ば微睡みながら、休んでいたところ、だった。
ガラッとドアが開いた音がし、息をはあはあと、あがらせた、人が入ってきたようだ。
カーテンで仕切られているから、どんな人か解らなかったけれど、はあはあ、ぜいぜい、と、かなり呼吸が乱れている。
「あなた、また走ってきたの? 死ぬわよ」
「はぁ、はぁ、はぁ、ちょっと、休ませて下さい」
「病院は――」
「大丈夫です。はぁ、はぁ、くっそ、悔しい――」
「悔しい、って? なに言ってんの。そんな体で」
「日に日に……体力が落ちて、きてる……」
「もうやめなさい。次、そんな状態で来たら即刻病院送りにするわよ、トカイくん」
――!
と、トカイ? 渡海って、夢くん?
その名字って、滅多にないはず。
彼はカーテン越しの私の隣のベッドに、倒れるように体を落とした音がする。
夢くんなの?
仕切られたカーテンの向こう。
ひどく呼吸が乱れた様子。
だ、大丈夫なの?
喘息の発作か、何か?
その聞こえてくる呼吸が、ひどく苦しそうだったので、私は、声をかけられずにいた。
ねえ、夢くんなの?
心配でできた泥が、心の中を渦巻く。それでも私は、薬の副作用か、泥のように眠ってしまっていた。
△△△
「なんだ、風邪か」
休講はないかな。サボりじゃないけど、家に帰ろうかな、と、キャンパス内の掲示板をじっと見ていた時に後ろから話しかけられた。
夢くんだった。
それにしても最近、キャンパス内で良く会うなぁと思いながら。
これも何かの縁なのかなぁ。
「うん。フラフラする」
私はマスクをつけていた。だから夢くんは私が風邪をひいていると解ったのだろう。
「熱は?」
「ビネツ」
「大丈夫?」
「うん」
私は、昨日からずっと思っていたことをストレートにぶつけてしまった。
「昨日ね、保健室で横になってたんだけど、夢くんだよね? ものすごい息あがらせてきたよね。どうしたの?」
そう言うと、夢くんは表情を変えずに、固まってしまった。
あれ? 何かの地雷?
「喘息とか持ちだったの?」
「あ、ああ。そう。実は喘息。喘息。そう、喘息」
何かを取り繕うかのように夢くんは不自然に激しく頷いた。
「走って大丈夫なの?」
「うん。――控えないとな、もう……」
その言葉に翳りを覚えたのは錯覚か。
「風邪、治しなね」
「うん」
「んで、俺の部屋、来いよ」
ぼーっとしている頭の中でも、心が疼く。
”俺の部屋来いよ”
何て傲慢で、そして、嬉しい科白。
「……行く」
「風邪治してからね。あ、でも、看病してあげてもいいけど」
どっかーん!
か、看病……。
おでこに手を当てられたり? お粥とかあーんされたり?
それを瞬時に想像して、全身が破裂しそうになった。
そして、次の日。ではなく、次の次の日。
流石に、熱発の状態で夢くんの家に行くなんて、伝染したら申し訳ないし、行くには万全の体調で行きたいしという訳で。
私の風邪みたいな症状も良くなって、鼻声が若干残るぐらいまで回復した、約束の午後七時過ぎに、彼のアパートのピンポンを鳴らす。
キャンパスから徒歩十分くらいのところだった。私は通学するのに地下鉄を使うので、今日もそれできた。
住所はラインで教えてもらっていた。
「いらっしゃい」
ドアがガチャリと開き、夢くんは笑顔で迎えてくれた。
「お邪魔します」
「どうぞ。――散らかっているけど」
彼はそう言っても、荷物が少ない印象をうけた。
玄関に置いてある靴は二足だけだったし。部屋には、テレビと、ベッドと、丸テーブルと、少しの本と。
全然散らかってなどいない。
夢くんの部屋の香りが、ドキドキを加速させた。
「お酒、買ってきたよ」
何ごともないように、私はスーパーの袋を持ち上げて見せた。
「あー。俺、酒……」
「駄目だった? あ、ごめん」
「いや、こっちこそごめん。体質に合わないんだ。――でも、酔っ払いの介抱ならまかせて」
そう言ってにこっと笑った。
そんな素敵な笑顔の夢くんに、か、介抱されたい――……。
その長い腕、その広い胸。きゅん。
「――酒も飲んでいないのになぜ顔が赤くなる?」
「えっ、あのっ、いやっ」
すると、夢くんは私の顔を覗き込んで、
「なーんかいやらしいこと考えてたろ」
と顔を近づけてきた。
「違いますっ」
「慌ててるとこが怪しい」
「違います。ば、晩ご飯、ピザとりましょうよ。私、奢りますから」
「そーやって話を逸らすところとか、敬語に戻るところとか……」
「――もう、いいですっ。いいっ!」
「何もしないってば。ははは」
そんな言葉に少し淋しくなる乙女心。だけど、頭をぽんぽんと叩かれた。
それだけで――。
もう。
「夢くん、タバコもやらないよね」
デリバリーしたピザを、テーブルに乗せて尋ねた。
「うん。やったことない」
ピザのチーズをぴろーんと伸ばし、ピースを手にとって彼は答える。
「真面目だねぇ」
「体質に合わないと思って」
「体質って――夢くん、意外にナイーブ?」
「うん。神経質かも」
「A型?」
「A型」
「私と同じだ」
夢くんはピザと一緒にオーダーしたオレンジジュースをごくりと飲む。
彼の喉仏が動くのを見た。
夢くんて、ゴツゴツしてる。
指の節々がゴツイ。だけどすべすべしているキレイな手。
細い肩。脚も細いけれど、骨々しい。
体もスリム。余分な肉がない。
やっぱり素敵だな。夢くん。
口の端にチーズつけてても、ピザ食べてるだけでも絵になるなんて、ズルイ。
「――格好いいな、夢くん。モテるでしょ」
私がそう漏らすと、彼は頭をポリポリとかいて、そんなことないよ、と言った。
いや、その様子からすると、そうでもないらしい。
夢くん、嘘つくの下手だ。
「小鳥はモテるだろ。可愛いよ」
――きゅん!
「なに赤くなってんの。はは、かわい――」
そう言って彼は指で私の頬をつつく。
「からかわないでー」
押し寄ってくる夢くんの重みに耐えられず、左腕がカクンと曲がり、肘が床につく形になった。
「ごめん、倒しちゃって」
夢くんが、私の手首を優しく取り、引っ張ってくれた。
正面からまじまじと見る、彼の顔。
「あれ? 夢くんって、私とどっかで会った?」
「え? キャンパス内ではハッピ姿の小鳥を見かけたけど。初めて声をかけたのは、この前の海でしょ」
「だけど、なんか……」
海で出会う前に、どこかで会った気がする。
私もキャンパス内で何回か、夢くんを見かけたことがあったからだろうか。
天然の栗色の髪、セピア色の瞳、色白で、小さい唇――。
気のせいか。
起き上がった拍子に、キャビネットの上に写真が飾られていて、私はそちらに気を引かれた。
「家族写真?」
私の視線を追うと、ああ、と夢くんは云い、その写真立てを手に取った。
「そう、家族の写真。妹の高校入学の祝いの時のやつ。親父の行きつけの寿司屋で」
言いながら、手渡してくれる。
白髪で、日本酒のお猪口を片手に、顔を真っ赤にしてにこにこしている穏やかそうなお父さん。
小柄で、可愛らしいお母さんは、背筋を伸ばして、やはりにこやかに微笑んでいる。
夢くんは、片手でピースをし、もう片手で妹さんの頭に手を乗せている。
真ん中に両手ピースの妹さんは、祝ってもらっているのが嬉しいのか、はち切れんばかりの笑顔。目が垂れていて、唇がぷっくり。
夢くんが穏やかな性格なのは、お父さんの影響かな?
妹さんは、どちらかというと、お母さん似かな?
年の離れた姉妹と言われても、違和感がない――のは、写真越しだからだろうか。
「いい家族だね」
「うん。恵まれてるよ」
「うちもいい家族だよ」
実の父母ではないけれど、ベタベタに仲がいいと言う訳でもないけれど、関係は悪くない。
「それは良かった」
私は気を取り直して、ビールに手を伸ばした。
「飲むねぇ」
「お酒は強いんです。ビールなんてもう水です」
私はもう既にビール3本を、空にしていた。
「きっと、小鳥と同じで、俺も酒は強い家系なんだけどな」
確かに、写真のお父さんはご機嫌にお猪口を持っている。顔が赤いのは、飲んだ量が多いからか?
地下鉄に乗って帰らなきゃいけないから、あまり飲みすぎないようにしないと。
ほんとは……ここに泊まれたらいいんだけど――でもうちのお父さん、朝帰りとかうるさそうだし。
夢くんとお泊りなんて……考えただけで爆発しそう。
優しく添い寝してくれる?
それとも激しく抱く?
きゃっ!
沸いた頭で、ふと夢くんを見ると、彼の目は充血していた。
「もしかして夢くん、眠い?」
「いや――ごめん。俺、ここんとこバッテリー切れやすくて」
お酒を飲んでいない夢くんの方が、フラフラし始めた。
「ああ、じゃあ私、帰ります。片づけておくから」
「帰らないで」
そう、手首を掴まれた。
「――」
私は驚いて彼を見る。
「あ、ご、ごめん。俺、淋しがり屋でさー」
「ああ、あ、ああ、そっか。じゃ寝つくまで傍にいるよ」
胸がぎゅっと鳴るのを抑えつつ、平静を装って答えた。
「ごめん、酔っぱらいの介抱するって、言ったのに」
「そんなに酔うまで飲まないから、大丈夫」
終電まで、あと3時間ほどだ。
もう少し、飲みたい気分だったし。いや、正直に言うと、もう少し、傍にいたい気分だった。
夢くんは脱衣所で、ブルーと白のギンガムチェックのパジャマに着替えてきた(パジャマ萌え~)。
テーブルにメガネを置き、ベッドに倒れこむように寝転がると、やがてすうすうと寝息をたて始める。
あ、メガネをはずすと幼な顔になるんだ。
眉毛なんてハの字に下がって、かわいーの。
私の座るテーブル越しの真正面にベッドがあって、私は肩肘をつきながら、彼の寝顔を見つめていた。
「――っく。ふっ……く」
何やら変な音がした。
新しい缶ビールのプルタブを開けようと、手許にあった視線を、ベッドの上の夢くんに向ける。
首に手をあてがって、ひどく苦しそうだ。
――呼吸困難!?
体をエビのように丸ませて、ひどい汗!
「夢くん! 夢くん!」
私は彼の肩を激しく振って、名を呼んだ。
「……くぅ。あぁ……」
パッと夢くんは目を開けた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ」
全力疾走した後のように息があがっている。
「大丈夫? 病院行こ。救急車呼ぶよ」
「ああ、いや大丈夫。ごほごほっ」
「お水持ってくるね」
「……助かる……」
私が部屋に繋がる廊下に設えられていたキッチンから、コップに入ったお水を持って部屋に戻ると、夢くんはベッドの上部の引き出しをサッと閉めた。
まるで、私に見られないように。だけど、私は気づいていた。
そして、口に何やら含んでいるのも、気づいていた。多分――お薬。
渡したお水で、それを飲み下した。
お酒を飲める家系。
なのに、飲まない。
飲まない、飲めない。
それはきっと、薬を服用しているから。
「発作? 何の病気なの?」
「ただの喘息だよ」
驚かせてごめん、と彼は弱々しく笑った。
そして、起こしていた身体を、また横たえた。
「本当に大丈夫?」
「大丈夫。もう眠れる」
私は布団を掛けてやる。
ありがとう、と夢くんは言うと、また目を瞑った。
まだ息は荒いままだ。
一人にさせるのが不安だった。
でも連絡もなしに外泊なんてしたことないし。
薬も飲んだようだし、彼は大丈夫って言ってたし。
ここにいても、私のできることはない。
逆に、気を遣わせてしまう。
私は、終電ギリギリの時間まで居座って。
心配しながらも、ようやく呼吸が整い、静かに眠っている夢くんにおやすみを告げ、ドアを出て行った。
――死んじゃったり、しないよね――?
✱夢大 side✱
俺は、できる限り、小鳥の傍にいたい。
夜中にそっと俺の様子を窺いながら出て行く彼女に、何も言えな買った。
俺は……無力だ……。




