第四話 檸檬堂
✱夢大 side✱
「小鳥ちゃん」
「――渡海さん」
出会ってから数日後。不意にキャンパス内で彼女を見つけた。
大学のキャンパスって不思議だ。
有象無象の奴らが行き来しているのに、知り合いだの――小鳥ちゃんだの、気にかけたら視点がすぐにフォーカスされる。
秋の柔らかな日差しを受けて、紺のジャケットを羽織った小鳥ちゃんは、目を丸くする。
「こんなとこで、会える、なんて――。あ、あの私、3コマの講義が終わって、これからどうしようかと考えていたところだったんです。図書館で時間を潰そうか、生協に行って新しいシャープペンを買おうか、とか」
どこか焦ったように話す彼女。俺は少し困ってしまう。
照れている。恋愛対象として見られている。
――まあ、そっちの方が都合がいいのかもしれない。
「と、渡海さんは、これから授業ですか?」
「うん。だけど――いいや。ちょっとお茶でもしない?」
背の高い俺と話す時、彼女は俺を見上げる形になる。
可愛らしい。その、はらりと揺れる栗色の前髪とか。
愛しくて、思わず微笑んでしまう。
「はい」
素直な子だな――俺に惚れてるから? ――いやいや。
それは、ちょっと。
「欅堂でいい?」
「はい」
欅堂とは、大学近くの髭のマスターのいる喫茶店だ。
学生で賑わう店内はいつもコーヒーの香りが漂っている。
日替わりパスタやちょっとしたスイーツなどもある。
自分より小さい、彼女の歩幅に合わせて、二人、並んで歩く。
――手を繋ぐことは、しない。
誤解させるだけだ。
檸檬堂の、店内に入って、窓際の席に向き合う形で座った。
俺はブルマンを頼み、小鳥ちゃんはハーブティーを注文した。
オーダーしたものが来るまでの間、俺は顎の前で手を組んで、じっと彼女を見つめた。
彼女は戸惑ってしまっているのか、瞬きが多くなる。
「な、何ですか?」
「いや――。さっき、君に、出会えて良かったと思って」
「……わ、私も、です」
震える小声で彼女は答える。
今にも、口からハートが飛び出してしまわぬばかりに。
そんな彼女に、触発されてか、つい言ってしまった。
「君のこと、好きだよ」
その言葉が、そのままの意味なのに。
勘違いさせたか? だけど、本当に小鳥ちゃんのことが、好きなんだ。
――好き、にも、色々あるだろう?
「あ……。――私も、です」
顔から、火が出そうな勢いで、彼女は声を絞り出す。
「……よかった」
あ。
そこで、思い出した。
「小鳥ちゃん、彼氏いるんでしょう」
ふるふるふるっと、顔を左右に、激しく振って彼女は答える。
「一応、の彼氏です。つきあってるかどうかも解らない状態なんです」
そして視線を宙に浮かせ、何やら考えに耽る素振り。
同じく、俺も頭の中を巡らせる。
”一応、の彼氏”――何だっけ……そうだ……”ソウタ”とは元々、うまくいっていないのか。
俺の存在が、ふたりの恋を邪魔しているのではないか?
だったら俺は――。
――だけど、引くに引けない。
彼女が、俺に小さな恋心を抱いていて、それでいて傍にいてくれるのなら。「
エゴだけれど。
それでも、小鳥ちゃんには、傍にいて欲しい。
俺の残り時間に。
そこで、ウェイトレスさんが来た。
注文の品を置いた後、“ごゆっくりどうぞ”と言い、彼女は去っていった。
「一緒に住まないか」
「――はっ!?」
俺の唐突の提案。
彼女の大声に、去って行ったウェイトレスさんがこちらを振り返った。
小鳥ちゃんはは慌てて口を手で覆う。
「す、住むって?」
「同棲だよ」
「ど、同棲……。出会ったばかりで?」
「時間なんて関係ないさ」
取り敢えず、俺はコーヒーにミルクと砂糖を入れた。
上背のある俺でも、ブラックコーヒーは好まない。人は見かけによらないっていうだろ?
あああ、でも、変なこと切り出してしまった。
あああ、無表情を保っている俺が、ここまで、変なこと言って、混乱しているのは誰にも解らないだろ?
色んな思いを、スプーンでかき混ぜる。
「渡海さん、の、独り暮らしのお家?」
「うん。ワンルームの学生アパートだけど」
「それは何で――」
「君と一緒にいたいから」
小鳥ちゃんは、目も口も大きく開けて、狼狽える。
そりゃそうだよな。思いながら、俺はコーヒーに口をつけた。
甘い。
――俺が、彼女に恋をしていたら、本当に甘い会話だったのだろうな、とか、思いながら。
「えっと……。それはすごく嬉しいんですけど。――うちの両親が許すかどうか……」
俺は嘆息をつき、
「そうだよな」
と、答えた。
「じゃあ、代わりにちょくちょく、俺んとこ遊びに来てくれる?」
「はい、それなら――」
尚も彼女は困惑している。
「別に……私と会うのだったら、普通ににデートとか、こうやってお茶を飲むとかできるじゃないですか」
「うん。そうだね。――ごめん」
「いえ」
当たり前の話だ。
学生で、同棲。
自分が実家暮らしで、ずっと家に帰らず。というのも、彼女は気後れするだろう。
ましてや、彼女は仲のいい家族に囲まれている。
「渡海さんは、兄弟いるんですか?」
彼女は戸惑いながら、別の話題を考えに考えた挙句、そんな言葉を吐き出した。
俺は、うん、とうなずきコーヒーをひと口、こくんと飲み下して言った。
「いるよ。妹がひとり」
「妹さん……渡海さん、顔整ってるから、妹さんも可愛いんでしょうね」
俺は静かに笑う。
「可愛いよ。今度写真見せてあげる」
「やぁだ、渡海さんて実はシスコン?」
「かもな。高校生で、一番可愛い盛り? 生意気盛りでもあるけどね」
「思春期まっしぐらの時期ですね」
うん、と生返事をして、俺は前々から言いたかったことを真っ直ぐに伝えた。
「なぁ、小鳥ちゃん。もっと仲良くなりたいから、俺のことも名前で呼んでよ」
彼女は瞳をくるっと揺らす。
「……えっと――」
「夢大」
「ゆう、ゆうた……。ゆ、ゆ、夢……くん」
「うん。それでいい。これでぐっと仲良くなった」
真っ赤に頬を染める彼女。
やっぱり可愛らしい。
いつも、俺の言動は彼女を勘違いさせている。
けれど、発している言葉に、嘘偽りはない。
「あー。あともう、敬語もいらないから」
「はい――。あ、うん」
「遊びに来てくれるなら、いつか、小鳥ちゃんにご飯つくってもらおっかな」
彼女の手料理は、どんなものなのだろうか。
「いいですよ。料理は人並みにできます」
「じゃあ、期待しよっかな」
「うん」
「あ、そだ。ライン交換しよ。――今更ですが」
「今更ですが。ふふっ」
「これで、いつでも連絡とれるね」
にっこりと笑う俺に、スマホに視線を落とす。
そんな彼女の手は震えていた。
――俺は、どこまで小鳥ちゃんに踏み込んでいいものか、胸の奥がちくっと鳴ったのを覚えた。
❀小鳥❀ × ☆想太☆ × ✱夢大✱ × ☆彡???☆彡
「私は、この人と、つきあっていくの、って、言うの」
小鳥はそう言って、夢大の手を引き、大学近くの想太のアパートへずんずん向かっていた。
「……あ、つきあっている、とか、じゃなく、私は、夢くんのことを……一方的に……」
急に顔を赤くして、ぱっと夢大の手を離す。
彼は、その手を取り直す。
「それで、いいの?」
夢大の心情は複雑だった。それに、小鳥は気づくこともなく――。
「あの……”連れてこい。その、好きな奴っての。俺がそれで納得の行く相手だったら、別れてやる”だって。私たち、ほどんど会うこともなくなったし、連絡だって……ラインだってしてないんだよ? それが、つき合ってるって言える?」
「いや別に、そういうカップルもいるんじゃない?」
「私はそういう風には、思わない。想太だって、ただ意地になってるだけ」
夢大は毎日の小鳥からの連絡を思い出していた。
通話をするのは、週に三回。ラインだって、一日に一回程度だ。そんなに寄りかかり体質ではない。それでも、”ソウタ”なる彼氏の乏しい連絡に、不満を抱いていたようだ。
夢大と小鳥は、”彼氏彼女”の関係ではない。
つき合うどうこうの前の関係にしても、どちらもベタベタではなかった。
「……とりあえず、きっぱりすっぱり別れたいの」
夢大をちらっと見て、想太のアパートのドアをしっかり見据える彼女の心は、もう揺るがないものだった。
合鍵をがちゃがちゃとこじ開ける小鳥は、どこか勇んでいる。
これから、別れる。想太の言った通り”好きな奴を連れてきたら、納得が行ったら、別れてやる”その言葉に戦いを挑んでいるようだった。
さっきから戸惑いばかり見せる夢大。ここにいていいものか、と、踵をむぐむぐ踏み鳴らしながらも、扉を勢いよく開けた小鳥の後ろに立つ。
小鳥は、無造作に靴を脱ぎ、横づけのキッチンとバスの間を通り、リビングの戸を開けた。
……そして、フリーズした。
何故なら、独り暮らしの、一応の彼氏である想太は。
毛布に包まれていたけれど、おそらく、全裸のまま、女を腕枕していた――。
その女は――小鳥の友人、鈴だった。
ダイスケなる、トモヤなる彼氏を遍歴し”つまらない”などとのたまり、持ち前の愛嬌を振り撒いては、己のあらゆる欲求を満たす子であった。
ベッドでくうくう寝ているふたりを見、後からついてきた夢大に、えへへ、と笑って見せる小鳥。
「同じ学部だし……接点があったんだね」
接点。接合したのだ。いつから、ふたりは……? そう、少し哀し気な表情を見せ、ふう、と息を吸って、小鳥はべちべちと想太の頬を叩く。
「ん……なん……! あ? 小鳥!?」
男は上半身を起こす。そして、慌てふためく。
「こ、これは間違いで……。プ、プレゼミで知り合って……。意気投合して……。えと、小鳥の知り合いだったから……。共通の話題で仲良くなって……。あ! でも別にここまで仲良くなるつもりは……!」
小鳥は冒頭から、語尾まで、きちんとよく把握することができていた。
冷静だった。
「ってか、その男、誰だ……?」
全裸のままの、情けない姿の想太は、震える声で夢大を指差す。
「渡海夢大です――俺は、一生、小鳥の傍にいるので。……一生」
小鳥はハッとし、色んな感情から、つーっと涙を流した。
「そんな訳で、納得したよね。別れてね」
言いたいことも沢山あっただろうが、小鳥は北風のように真っ直ぐと言い放った。
夢大は小鳥の為にしっかりしていないといけない、と、毅然としていた。
想太はどんな思いなのか知らないが、口をぱくぱくとさせていた。
鈴だけが、やはり眠りの達人。すうすうと柔らかに眠っていた。




