第二話 ピンクとチョコのマーブル
❀小鳥 side❀
小春日和が続いているとはいえ、この十月中旬という季節。
流石に、海水は冷たいだろうと、私は女友だち三人――帆乃香、さやか、鈴――が水辺で戯れているのを、砂地に座ってぼーっと見ていた。
今日も講義をサボってきた。サボるのが大学生の特権であるかのように。
生真面目なさやかはちょうど、空きコマだったからついてきた。
鈴は珍しく午前中に起きたようだ。
それにしても秋なのに、あたたかい。不思議。
けれど、風の香りと、まだ正午を過ぎたばかりだというのに、もう夕暮れのようなセピア色の日射しが、確かに秋を示している。
お尻をついている砂地だって、真夏のように熱を帯びていない。
使い終えて間もないカイロの中の砂のように、ひんやりとしていた。
秋かぁ。
センチメンタルな季節だな。
女四人でレンタカー借りて、海に来たなんてしょっぱすぎるよなぁ。
あー、帆乃香、ヒザ丈まで捲ったジーンズを濡らしてらー。
カゼひいてもしらんぞー、私は遠目で思う。
小学生がプールではしゃぐような歓声が飛び交う秋の海。
私たち、もうハタチになるんだよ。
水遊びなんかではしゃいじゃって――ははは。
私はひとりで笑ってしまう。
そして私は浜辺でうーっと伸びをし、そのまま後ろに倒れ込もうとした。
ゴツン。
「痛っ」
倒れ込むときに、後頭部に何かが当った。
ふとふり向くと、それは人の脚だった。正確にいえば、脛。
ぎょっとして、私は両手を腰の後ろについて体制を整えた。
「あ、ご、ごめんなさい」
頭に当たった人は、長身でメガネのスマートな人だった。
――ドクン。
その人に、胸の鼓動を覚えた。
――え? なんで? 自分で私の胸に尋ねる。
長身。細身。インテリメガネ。優しそうな瞳。
「いえ。痛くありませんでしたか?」
柔らかな笑み。
「は、はい。大丈夫です――……」
私は、小さな声で返事をした。
「スカート、汚れてない? 地ベタに座っちゃって」
「はい、大丈夫です。これ、ナイロン製ですから」
私はピンクとチョコ色のマーブルスカートを履いていた。
「そう」
彼は微笑んだ。
彼は、砂浜を遠くの方から海に平行に歩いてきたらしい。
大きな靴の足跡が、ずっと続いていた。
黒いジャケットに白いYシャツ、チノパン姿。
服のコーディネートは別に普通なんだけれど、何か動悸めく。
「お、おひとりで来たんですか?」
「うん」
彼は海に向き直り、目を細めた。
「あの子たちと来たの?」
「はい」
「いいね。賑やかで」
帆乃香たちはこの初秋の季節、水のかけ合いなんてしている。
タオルも持ってきてないし、レンタカーなんだぞ? 車汚れちゃうって。
まぁ、楽しいんだったら、いいけれど。
「君は、皆と遊ばないの?」
私は座ったまま、彼を見上げるように首を伸ばし、左右に振った。
冷たい水に浸かって、風邪などひきたくない。
「そう」
すると彼は、身体を折って私の隣に腰を下ろした。
こ、こんな、急接近……。
風に流されて、この人の髪からあまい香りがなびいてくる。
栗色で、ストレートの髪。
「どこから、来たの?」
「市内です。皆、学校の友達で」
「そっか――」
ザザン、ザザン。
押し寄せる波。返す波。
久しぶりに訪れた客人が嬉しいのか、波は私の友人たちに幾度も幾度も投げ打ってくる。
じゃれあって脚にまとわりつく犬のよう。
私と、その男の人は、しばらく黙って海を見ていた。
友だちは海に夢中で、私が男の人と並んで座っていることなんて気づかない。
ふと、私が彼の横顔を見ようとして、視線を向けると、彼も同時に私のことを見、バチンと目が合ってしまった。
――わ!
セピア色の瞳にやられてしまう。
だけど。だけれども。――目が離せない。
胸が高鳴っているのが解った。
三百六十度パノラマ風景の中、この人しか見えていなかった。
「お腹、空かない?」
突然、彼が口を開いた。
「あ、えっと……」
少々困っていると、彼は頭をポリポリとかきながら、
「良かったら、ご飯、行かない?」
そう切り出した。
私はこの言葉を軽薄とは受けとめなかった。
ただ、さりげなく、同性の友だちを誘うような軽さだった。
「――はい」
私も、同じような軽さで、頷いていた。
いきなり現れた、見ず知らずの男の人。
大して言葉も交わしていないし、身分だって解らないのに。
ちいさな頃、「知らない人にはついていかないこと」と散々言われたけれども。
何故だろう。
初対面で、
“この人ともっと一緒にいたい”
そう思った。
彼は私の返事を受け、スッと立つと、
「車、行ってる。青のアクア」
と言い、今度は海に平行ではなく、海を背にして駐車場へと歩いて行った。
彼の姿が砂浜から消えた頃、私は海ではしゃぐ皆に向かって大声で叫んだ。
「ごめーん。先、帰るねー!」
風に乗って、私の声は彼女たちに届く。
「あー、解ったよー」
その声を聞いて、私は踵を返し、走り出した。
「あ? えー、ちょっと、帰るってー?」
「一体、どうやって?」
「ちょっと小鳥―!?」
息を上がらせて、青のアクアを見つけた時、彼はエンジンはかけずに車の中にいた。
私に気がつくと、助手席のロックを解いてくれる。
✱夢大 side✱
「失礼します」
「はい。どうぞ」
彼女が、車に滑り込む。
甘い香りがする。彼女がちらっと俺を見る。俺の心はくすぐられる。
高揚感の中にいた。
俺の車に乗り込んできて、嬉しい。
半面、初対面の俺にのこのこついてきて、警戒心など持ち合わせてないのかこの娘は、と少々心配になる。
だけど、大丈夫だ。俺はこの娘に手を出したりはしない。
助手席に乗るのに慣れていないのか、シートベルトを締めるのにまごまごしている。
そんな横顔を、俺はじっと見つめる。
色白で、目尻と頬にホクロがある。
栗色の髪の毛は無造作に肩の辺りで垂らしている。
どこかまだ、少女のようにあどけない顔立ちだ。
彼女はふっと俺の視線に気がつく。そして目が合うと、照れてサッと目を逸らした。
「行くよ」
「あ、はい」
海近くの駐車場の砂利道をガタガタと走り、入り組んだ道を何度も右折左折を繰り返すと、やっと大きな道に出る。
「名前言ってなかったね。僕、渡海夢大」
「渡海さん。――珍しいお名前ですね。私は香林小鳥です。私の名前もあまりないですけど、なんだか、お寺の庭の鳥みたいで」
「素敵だよ、小鳥ちゃん」
いきなり名前で呼んで、馴れ馴れしかったか? だけど、自然と口が動いたのは事実だ。
小鳥ちゃんは、ぱっと顔を赤くする。元々の顔が白いから、変化はすぐに見て取れた。
さっきから照れたりするのは、俺を男として見ているから?
――だろうな。
何も心に響かない、異性について来る子なんていないよな。
虚弱体質だったけれど、今は身長は180㎝近くまで伸びた。
細身体質なのは昔から変わらず、腹も出てないし、まだ禿げてもいない。
自分に自信があるなんて決して言えないけれど、理由はなんでもいい。
小鳥ちゃんが、俺の隣にいる。
やっと、やっと摑まえた、幸せの青い小鳥。
「ど、どこに行くんです?」
まだ緊張している様子の彼女は、どもりながらも尋ねてくる。
「空港。でっかい飛行機見ながらランチしよ」
「素敵」
小鳥ちゃんは、こほん、と咳払いをして尚も尋ねる。
「渡海さんは、大学生ですか?」
「うん。大学四年。実は小鳥ちゃんと同じ大学だよ」
「えっ、私のこと知ってたんですか」
「うん。初めからね。大学祭前後であんだけ目立つハッピ着て、あっちゃこっちゃで頑張ってれば目につくよ」
――嘘をついた。
彼女を認識したのは、竹男と一緒に行ったパンケーキ屋が初めてだ。
コトリ、という名前に俺の耳は反応し、その姿を見て、胸の奥が反応した。
この子で間違いない、と――。
先日行われた大学祭の実行委員は、一日中テント張る指示したり、横断幕ペイントしたり、あちこちかけ回っていたけれど、誰が誰かなんて解ったもんじゃない。
広いキャンパス内、皆同じパッピを来て、目に留めることもなかった。
「じゃあ、キャンパス内で何度か渡海さんとすれ違ってるんですね、私」
「うん。さっき海で君を見た時、どっかで見た顔だなって、思い出したんだ」
「渡海さんは、ひとりで、何で、海にいたんですか?」
君を追いかけてきた、なんて言えるはずもない。
俺はしばし黙って、ハンドルを右に切る。
「海っていうのはね、行くのに理由なんてないんだよ」
と言い、ひとつ、おいてから、
「――なんてね」
と、小さく笑って見せる。
「キザだったな」
そう、つけ加えた。
「いえ――。全然。その理由、納得しますよ。うん。私たちだって、理由もなく、とにかく“暇なら海だーっ”ってノリで来たんですから」
「僕もそんなノリ。君と会ったのも、本当に偶然。本当に。本当に。――そっか。拉致っちゃって悪かったね」
俺は“本当に”を繰り返してしまった。どこか変だったか。
「いえ。私、あなたともっとお話してみたかったし」
「僕もだ。キャンパス内で、ずっと君に声をかける機会を窺っていたんだよ」
小鳥ちゃんは、また、カカカと顔を染める。
そして俯いてしまう。
ああ、あんまりけしかけたら駄目か。
さっきの自分の科白だったけど、流石にキザすぎる。
話題を変えてみる。
「いいや。でも、この夏は、走ってばっかだったなぁ」
「走ってた? 短距離?」
「いや、長距離。マラソン。ひとりで走ってたよ」
「ひとりで? キツくないですか」
彼女の興味を引いたようだ。
少し、嬉しい。
「キツかった。さすがに」
「夕方っていっても、夏場はまだ暑いですよね」
「……走ってると風がキモチ良くてね。夏の緑も眩しいし。何とも言えない」
「あ、その気持ちは解ります。自転車乗ってても、風も景色もキレイだって思います」
「うん。キレイな風景。……海は海でもオフシーズンがいいかな。静かに佇んでいられる」
信号で車は止まった。
俺、ハンドルに手と顎をのせ、横断歩道を行き交う人々を眺める。
そんな俺を見て、小鳥ちゃんは口をを開いた。
「渡海さんて、何か眺めるの、好きですよね。さっき海で私たちはしゃいでたとこにいたし。文化祭の実行委員やってる私を見てたり。マラソンの時の景色とか、海とか、空港とか。そういうの」
信号が青になり、車をまた発進させる。
「うん――。ぼーっと何かを無心で見るの、好き。心を開放してる感じかな」
「いいですね。私も心奪われる時、ありますよ。空が綺麗だったりすると、つい心奪われたりして」
「うんうん」
やっぱり、そういうところは似ているな、と思いながら「もうすぐ着くよ」と顔をほんの少し、近づけた。
目と目が合っただけで、彼女は姿勢を正し、頬を染めて、俯く。
「ああ、ほら。飛行機だ」
俺はフロントガラスを指さして言った。
「えっ? どこどこ?」
子どものように、パッと顔を上げて目を丸くする。
「近くで見ると、こんなに大きいんですね」
飛行機はゆっくりと空港に向かっている。白い機体は、だんだんと、大きくなってくる。
「空港行けば、もっとデッカいの見れるよ」
「本当? 私、飛行機って乗ったことなくて」
「じゃ、空港行くのも初めて?」
「はい」
「嬉しいね。君を誘って良かった」
にこっと笑うと、彼女もぎこちない笑顔を向けた。
そして、駐車場に車を置き、歩いて港内へと向かう。
秋の西日が俺たちを照らす。どこか切ない。
小鳥ちゃんは立ち止まって、空を仰ぐ。
「――どうしたの?」
「いや、西日が綺麗だと思って」
やっぱり同じことを考えている。
「ああ、そうだね。空港は空の玄関口だっていうから、ここから見る空って格別に綺麗に見えるのかもね」
彼女の髪が、夕風にそよぐ。
目が、西日色に染まる。
ああ、可愛い。
抱きしめたい――。
のを、必死に我慢した。




