第一話 キャラメル
❀小鳥 side❀
「小鳥―、次、文化人類学だけど、どうする?」
帆乃香が、今終わったばかりの統計学の講義のノートとテキストを鞄に入れながら尋ねてきた。
統計学の教授は厳しくて、ちょっとおしゃべりしただけで、マイクを通して注意する、というようなひと。
そのピリピリした空気から開放されて、講義室はざわざわと生徒たちの雑談の声で溢れかえっていた。
「今日、3コマ連チャンなんだよね~。きついわ」
私は香林小鳥。国立の大学に通う、ニ年生だ。
楽しい仲間がいて、それなりに彼氏もいて。
毎日愉快なキャンパスライフを送っていた。
「サボるか」
帆乃香が黒めがちな瞳をくるんと回して言ってきた。
「さやかに代返頼むか」
「頼むか」
私もその提案に乗った。
統計学の教授は、毎回出席をとる。
しかも、抜き打ちテストなんてやるから、気が抜けない。
それに比べて、文化人類学の教授は、出席はたまにしかとらないし、テストは流石にタブレット持ち込みはNGだけど。
ノートやプリントアウトした書類を持ち込み自由だっていうし。
それさえあれば試験はパスできるはず。
あまり真面目ではない帆乃香に私。
逆に、生真面目なさやか。
それに、今頃まだ家で寝てるだろう、鈴。
経済学部六組。仲良し四人組だ。
「街に行って、パンケーキでも食べてこようよ。新しいお店、オープンしたんだ」
「そうなの? 帆乃香リサーチ早っ。」
そう言うが否や、帆乃香はスマホを取り出した。
そして四人のグループLINEに発言する。
ほの【パンケーキ行く人!】
お店のURLも貼りつけた。
私もページを開く。
こと【私行くよ!】
しばしあって、シュポッと音がする。
すずたん【いまおきたあ さごはんいっっっしょたべにいく】
SAYAKA【ってか私また代返? 仕方ないなぁ。お土産よろしく】
私と帆乃香は顔をつきあわせて笑った。
「よし、参ろうか」
「参ろう」
長い髪を揺らして、帆乃香は立ち上がる。
美人な帆乃香には、その黒髪が似合っていて羨ましい。
色素の薄い私は、色を抜いてもいないのに、髪の毛は栗色だ。
顔も白い。青白い。目尻と頬に薄茶色のホクロが散っているのが、ちょいネック。
まだ寝ぼけ顔の鈴と駅で待ち合わせて、三人になった。
目当てのパンケーキ屋は込んでいて、かろうじて並ぶことはなかったものの、私たちが入店すると空席がなくなった。
お昼時前の時間だったからかもしれない。
「ラッキーだね」
と、帆乃香。
「日頃の行いがいいからね」
と言う鈴に、
「いやいや、あんたは日頃の行いが悪い」
と、私と帆乃香の声が重なった。
「全然学校来てないじゃん。単位大丈夫なの?」
メニューを開きながら帆乃香が言う。
「大丈夫。私、要領いいから。去年だって、単位ひとつも落としてないし」
人差し指を立てて鈴が言った。
鈴は愛嬌のある顔をしている。
男の子の友だちも多いみたいで、その愛嬌を駆使して、あちらこちらからテストの情報や過去問を持ってきてくれる。
私たちは、その恩恵にあずかっているというわけだ。
持つべきものは、顔の広い友達だと、改めて思う。
「メニュー決めた?」
「チョコバナナ~」
「私は苺カスタード~」
「小鳥は?」
「私はまだ、メニュー見てないんですけど」
テーブルの上には、メニュー表がふたつしかなかった。
先にふたりにとられてしまったのだった。
「じゃあ、私が決めてあげる。ん~、塩キャラメルね」
勝手に帆乃香が決めてしまう。
「塩キャラメル~?」
思わず声が出てしまう。
「何、嫌いだった?」
「いや、食べたことない。でもブーム去ったんじゃない? 塩キャラ」
「なんじゃ塩キャラって。何のキャラ? 食べたこと私もないの。だから、ちょっと分けてね。あっ、店員さ~ん」
帆乃香がどんどん事を進める。
そういう彼女の性格、嫌いじゃないけど苦笑してしまう。
店員さんが帆乃香の声でやってきて、オーダーをとりにきた。
ここはネット―オーダーに対応していないらしい。
その方がいい。無駄にパケット代を使わなくていい。
「チョコバナナのやつと、苺と、塩キャラメル。お願いしま~す」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
店内はがやがやとしていた。
白を基調としたお店で、椅子もテーブルも壁も全部白。
テーブルはざっと見、十個あって、カウンターの席も全部埋まっちゃっていた。
人気店になるだろう、と私は思った。
「今度、ここに、智哉と一緒に来ようかな」
と、鈴が頬杖をついて漏らした。
「トモヤ? あんたの彼氏、ダイスケくんじゃなくて?」
「大輔とは別れた。今は、智哉」
帆乃香の質問に、あっけらかんと鈴は答える。
「とっかえひっかえじゃないの」
「だって、飽きたんだもん。大輔ってなんていうか、生真面目でぇ。寝てる暇あったら学校に来い、とかって言うんだもん」
鈴は唇を尖らす。
「それ、生真面目って言わないから。普通だから」
帆乃香が突っ込む。
「だって、小鳥たちだって講義サボってるじゃん」
「学校には、行くだけ行ってるよ。一応。それに、この前の大学祭で実行委員なんてやってたんだから、私。ぐうたらじゃないわよ」
お祭り騒ぎの好きな私と帆乃香は、興味本位で実行委員をやっていた。
大変だったけれど、楽しかったな。
充実感で溢れて、その打ち上げの大人数でのビールが美味しかったこと。
「ふうん」
「大輔くんも気の毒ね。こんな女に関わっちゃって」
私がため息交じりに言うと、鈴は、
「だって、もう大輔のことは何とも思ってないもん」
と、軽くあしらった。
「小鳥のところは長いわね」
帆乃香が矛先を私に向けてくる。
「そうね。想太とは一年の春早々からつきあってるからね」
想太とは、私の彼氏の名前。
一年の四月、同じクラスになって、席も隣で、なんとなくお友だちから彼氏に発展したという感じだ。
「だけど、もうなあなあね。最近会ってないし」
「えー。飽きられた?」
「お互いそうかも。会わなくてもいいって感じ。最近じゃ、想太のことあんまり思わなくなったな」
想太と会わなくなってどれくらい経つだろう……一ヶ月以上か。
昔は一日に何回もやりとりしていたラインも、今じゃすっかり音沙汰なし。
同じクラスだったけれど、一般教養の講義も一年で終了したから、講義で彼と会うこともなくなった。
私は、女友だちと一緒にいる方が楽しかったりする。
「お待たせいたしました。チョコバナナパンケーキのお客様」
そこで、店員さんが待ちに待ったものを運んできた。
「は~い」
帆乃香が満面の笑みで応える。
「苺ソースのお客様」
「私~」
そして、塩キャラメルのパンケーキが私の前に置かれた。
「ん~、美味しそう」
「食べよ食べよ。いっただっきま~す」
「……塩キャラメルって、しょっぱいのかなぁ」
ぽつりと言う私に、ふたりは大きく笑った。
「なあに今更? ブーム去ったとか言ってたのに、未経験なの? 処女なの? しょっぱくなんかないわよ。きっとアクセント。甘いものをより甘くするためなんじゃない?」
そう言って、帆乃香がフォークを伸ばしてきた。
「あっ、ちょっと!」
「いっただっきま~す」
ぱくり、と帆乃香が、私の塩キャラメルを食べてしまった。
「ん~。美味しい~」
「ちょっとぉ。まだ私、ひと口も食べてないのに」
「隙があるからいけないのよ」
反省する素振りも見せない帆乃香。
あらためて私は塩キャラメルに向き直る。
ああ、美味しさが半減した感じ……。
すかさず私も、手を伸ばす。
「あっ、私のバナナ!」
悔しいから、私も帆乃香の一番大きなバナナにフォークを刺した。
そして、ぱくり。
「ん~、美味」
「も~う」
「隙があるからよ」
私が言うと、笑いが起きた。
こんな楽しい仲間。
私は、まだこの時点では何も知らずにいた。
これから起こる、出会いと別れを。
“ほんとうに たいせつ”を――。
✱夢大 side✱
コトリ、という名が耳に入ってきて、俺はハッとした。
まさしく、ことり、と、胸が鳴ったのだ。
女子学生らしき四人組が、わいわいと賑やかだ。どこにでもある光景なのに。
白い店内。窓際の彼女ら。
”コトリ”は一体、どの娘だろう。
「夢大よぅ。オマエだけだよ。こんな女子女子してる店、つき合ってくれるの。新オープンだってさ」
目の前の大学の同級生、竹男がクリームで口を一杯にしながら言ってくる。
そのせいで、俺の気は反れた。
「……その体型で、甘党とはな。ま、その体格だからか」
俺はプレーンのパンケーキを食みつつ、応える。
竹男はこてこての甘党だ。チョコの袋を差し出せば、レポートの課題の一つも、代わってやってくれるような奴。
デカい。ラガーマンみたいだ。
だけどその実、吹奏楽サークルで、可愛らしいフルートなんか吹いている。
「コトリのところは長いわね」
また、あの女子集団の声が届いて来た。恋バナをしているようだ。
首を傾げて応える娘が、コトリ、なのだろう。
俺から見える位置にいた。
”ソウタ”という呼称も聞こえてきた。彼氏か。
コトリは、よく見ると、色素の薄い、栗色の髪の女の子だった。
――見つけた。
”ほんとうに、たいせつ”を――。
△△△
また、コトリを見かけた。
それは偶然であり、きっと、必然。
そういう風に言うと、ちょっとストーカーっぽいけれど。
彼女は、学食にいた。例の女子たちと。
「コトリ、これから海見に行こー。文実の特権でさ、レンタカー、割引きくし」
「さやかはまた、真面目に講義出るのかなぁ」
「鈴も、強制的に起こそう。連行!」
文実――文化祭実行委員。
そうか、彼女らはそこに所属していたのか。
「S田浜。いいじゃん」
「いいねー」
コトリはうんうん、と、首を振っている。
後ろ姿。色素の薄い栗色の髪。それだけで、コトリだと解る。
”特権””割引”ハッと思いついた。
竹男も、その”特権”を持っていたはずだ。
吹部で、楽器運搬によくトラックを借りていると聞いている。
その、〇×レンタカーなら、事前予約なしでも、吹部の名を出せば、きっと、すぐに借りることができるだろう。
俺はひとり、学食の薄いチャーシューの乗ったラーメンをかき込んだ。
食べ終えたら、目指すは、S田浜。
――もう、この際、ストーカーでも何でもいい。
コトリを、摑まえたい――。




