在りもしない国 ③
「は……離せイオルド! もう諦めろ、お前たちに逃げ場はない!!」
「うるさい、お前を人質にすればあの気味が悪い連中も手出しできまい! まだ俺は終わっていない!!」
ヴァルソニア語で声を荒げながら、イオルドはリュシアン王子の手を引き、竜宮城を走る。
王子の体力も考えないがむしゃらな逃避、迷路のように入り組んだ城内で出口までのルートなど覚えていない。
続々と集まる兵士たちに捕まるのも時間の問題、そんな破滅しかない2人の逃走劇を……
『わ、わぁ……なんかとんでもないことになって来たぞぉ……』
……ミカは肝を冷やしながら見守っていた。
『どどどどどうしよ……一回戻って……いや絶対見失う、ううううううん……』
2人の後方を追従しながら両手を組んで唸るミカ。
幽霊ゆえ障害物は透過できるとはいえ、この入り組んだ城内で王子たちから目を離し、おかきを正確に導く自信はない。
何よりこの2人がいまだ囲まれずにいるのは、少なからずミカが周囲の視線を操作しているおかげだ。 この場を離れれば瞬く間に捕まるだろう。
『つ、捕まったらどうなるんだ……死ぬのか……? いや、別にこいつらが死んでも私には関係ないか……』
“――――しかしその方々を見殺しにしたとなれば、SICKにとってあなたの利用価値はどうなりますかね?”
『ひっ! な、なんか聞こえた! 今何か聞こえたぁ!?』
突然頭の中に響いた上位捕食者の声にミカの背筋がピンと伸びる。
本人、もとい本カフカはこの場に居ない。 音声の発声元はミカに装着された対霊首輪。
本人の犯行的な態度を感知し、おかきの音声で釘を刺すプログラムが事前に仕込まれていたのだ。
『や、やりますぅ……だから殺さないでェ……! えーとえーととりあえず適当な小部屋に誘導して……追手は別の道に誘導してぇ……!』
――――――――…………
――――……
――…
「ハァ……ハァ……い、行ったか……?」
「…………たぶん」
「たぶんとはなんだ! クソッ、生意気なガキが……!」
ミカに導かれたなど露も知らず、袋小路の物置部屋に逃げ込んだイオルドは悪態をつく。
部屋の外には兵士たちの足音が途切れない、実質的に2人はこの狭い部屋に閉じ込められる形となってしまった。
「何か武器になりそうなものはないのか!? 銃さえあればあのバケモノどもも……おい、お前も何か探せ!」
「……イオルド、私はお前を手伝うつもりはない。 王子としてこのままお前が逃げおおせるぐらいなら、ここでともに死ぬ覚悟ぐらいある!」
「なんだと貴様!!」
「お前の狙いは私のはずだ、殺すなら今殺せばいいだろう! なぜそうしない!?」
イオルドは青筋を浮かべ、力任せに王子を押し倒し、その首に両手を回す。
体重をかけて力を籠めればへし折れそうなほどか細く、そうでなくとも絞殺は容易な華奢な首。 だがイオルドは必死に自らの殺意を理性で抑え込んでいた。
「殺せるならそうしている! お前たちのことは殺したいほど憎い、だが……“今”殺すわけにはいかないんだ……ッ!!」
「……なぜ、お前は私を殺さない……!」
「何も知らないくせに、ほざくな!!」
「語らねば何もわからないのは当然だ! 対話を放棄したのはお前だろう、イオルド!」
「なんだと……!!」
『お、大声を出すんじゃあない……私が誤魔化せるのは見えるものだけなんだぞぉ……!』
裏方の苦労も知らず、王子とイオルドの口論は止まらない。
もはや2人の耳に兵士たちの足音は聞こえず、ミカも無いはずの寿命を縮めながら見守るしかなかった。
「お前は知らないだろう、我が国の真実を! この世界にヴァルソニアという国は存在しない!!」
「何を……!?」
「ありもしない過去から作られた幻想、それが私たちだ! そしてお前たち王族が、ヴァルソニアを形作る起点になっている……!」
困惑する王子に構わず、溜まりに溜まった膿を吐き出すようにイオルドは言葉をぶつける。
その眼には怒りだけではない感情が涙となって浮かんでいた。
「お前たちに不都合なことが起きれば、ヴァルソニアはその事実をなかったことにしようと改変する……それがどういうことかわかるか?」
「…………」
「過去にさかのぼって人間1人の痕跡を消す、その余波は計り知れない。 お前たちの死は周りの民草を巻き込むことになる」
「…………は?」
イオルドの口から出てきたのは、正気ならばまともに取り扱おうとも思えないよ多話。
だが王子には、自分をここまで執拗に殺そうとする人間から吐き出された言葉が、質の悪い冗談とは思えなかった。
「……私は“本”に触れた、だから知ることができた。 ヴァルソニアの真実、そしてお前たち王族が積み上げてきた罪を」
「待て……待て、イオルド。 わからない、わからないぞ……その話が本当だとすれば、お前は民を巻き込んででも国賊となる理由があるのか!?」
「あるさ。 言ったろう、私はヴァルソニアの真実を――――改変される前の歴史を知った」
怒りも殺意も通り越したイオルドの語り口はまるで氷のように冷たい。
後ろで聞いていたミカが身を震わせるほど、その背には筆舌に尽くしがたい激情が憑りついていた。
「リュシアン、貴様には5人の兄と1人の姉がいた。 王座を争い殺し合うような愚かな者たちだったよ、その結果としてお前以外の王候補は死んだ」
「僕……私に、兄や姉が……?」
「さぞ大掛かりな改変だったのだろう、ヴァルソニア全体に大きな影響があったらしい。 我々には知覚する余地もなかったがな……ああ、それと」
王子の首に回していた手をほどき、イオルドは目を瞑って天井を仰ぐ。
「――――私にも、家族がいたらしい」
「ぇ……」
「事実として知っただけだ、実感も沸かない。 悲しみもなく、弔うこともできないのだ」
「……だ、だから……お前は、復讐のために……?」
「そうだな、復讐だ。 あの空虚な国と無知な貴様らに対する復讐だ、だが……」
「――――それだけではない、ですよね?」
「……ふん、見つかったか。 鼻の効く小娘だ」
あけ放たれた扉から刺し込む光にイオルドは忌々しく目を細める。
目が慣れた先に見えるのは、額に汗をにじませたおかきとその背後に並ぶ兵士たちの姿だった。
「優秀な監視者がいたもので助かりましたよ。 イオルド……あなたは王子を殺すことで意図的に改変を起こそうとした、ある目的のために」
「…………」
「話を続けます、ヴァルソニアと――――この竜宮城の因縁を断ち切りましょうか」




