表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/10

イギリス爆撃機軍団出撃日誌(6)銀幕に踊る しかし配備は進まない

参照:85頁「連合軍によるヨーロッパ爆撃作戦:1940年~42年」


 第6部分「イギリス爆撃機軍団出撃日誌(5)Their finest hour and the first happy time」で、1941年6月までがドイツ潜水艦と海上哨戒機の「First happy time」なのだという話をしました。冬の悪天候はイギリス爆撃機軍団を不活発にしましたが、1941年3月、チャーチルは「Uボートとフォッケウルフに対する攻勢」と爆撃機軍団に厳命しました。この場合のフォッケウルフはFw190戦闘機ではなくて、戦前の長距離旅客機を軍用機に仕立てた、Fw200海上哨戒機です。軍港都市群に加え、Fw200が使っている航空基地も目標として名指しされました。巡洋戦艦シャルンホルストとグナイゼナウが大西洋を荒らし回ってロリアン軍港に入港すると、それも目標に加わりました。


 チャーチルも空軍首脳部も、「ドイツの士気(の裏返しとしてのイギリスの士気)」に対する戦略爆撃を意識していました。そして「Uボートの重要部品を作っているから」といった名目で、ドイツの大都市が目標リストに滑り込まされるようになりました。ポータル参謀総長、フリーマン次長に次ぐ指揮序列第3位は気鋭の若手指揮官、例のアーサー"ボマー"ハリスで、こうした命令を出すことに心躍らせていたかもしれません。


 2月10/11日夜、ついに四発重爆撃機スターリング3機が、次いで2月25/26日夜からは四発重爆撃機マンチェスター6機が爆撃作戦に参加し、3月10/11日のハリファックス四発重爆撃機が続きました。中東などへの急派続きで爆撃機総数はなかなか増えず、それでも双発機の中では比較的強力なウェリントンが増加していました。


 戦意高揚映画Target for Tonightは1941年3~4月に撮影されたと言われています。架空の石油貯蔵施設を目標とするウェリントン爆撃機中隊が出動し、任務を達します。4分19秒前後から、爆撃機軍団司令官ピアース空軍大将と、その先任参謀だったサンドビー(Robert Saundby、おそらく当時は空軍少将)が本人役で出演しています。


https://www.youtube.com/watch?v=h6UPEFcaoo0


 4月4/5日夜にはブレスト軍港のグナイゼナウに航空魚雷が当たり、大きな損傷を与えましたが、残念ながらこれは沿岸防衛軍団のボーフォート双発雷撃機による手柄でした。


 5月8/9日の夜間爆撃では初めて出撃機数が300機を超え、四発機10機を含む364機が出撃し、10機が失われました。


 1941年3月にレンドリース法が成立し、イギリス空軍も多くの航空機を受け取りましたが、重爆撃機の多くはアメリカ軍に配備されたので、1941年8月のButt報告書が出たころのイギリス爆撃機軍団は、開戦当時より改善はしたものの画期的強化とも言い難い状態でした。バトルオブブリテンたけなわの1940年6月26日~10月12/13日夜には24時間平均98.1機が出撃していたところ、1941年3月12/13日夜~7月7日には108.8機が出撃しました。優良機材の比率増大で、1日当たりの投弾量は55.1トンから101.3トンに著増していましたが、それがまあ、いろんなところに落ちているのが暴露されたわけです。


 頭を抱えた爆撃機軍団を他所に、大西洋上では大きな変化が起きていました。ようやくイギリス海軍の態勢が充実し、大西洋を渡る船団に最初から最後まで護衛をつけられるようになったのです。Uボートとドイツ哨戒機は、イギリスからケープタウンに向かう航路へと重点を移し、せっかく整ったノルウェー→フランスの大回り航空哨戒ルートは閉ざされました。


 おそらくこれらを背景として、1941年7月9日に爆撃機軍団に宛てて発せられた指令からは、シャルンホルスト・グナイゼナウがいるブレスト港とUボート基地への言及を除いて、海軍を支援する視点が抜けました。代わって、従来からのドイツ国民士気を折る任務に加え、ドイツの交通網を攻撃し、特にルール工業地帯を孤立化させることがうたわれていました。この指令はあまり各種の記事で大きく扱われず、勇ましい仇名ももらえないのですが、まあ、効かなかったからでしょう。当たらなければどうということはありませんからね。このころ、ドイツ市民たちはイギリスの新聞が報じる夜間爆撃出撃機数はイギリスのプロパガンダで、実際には数機しか出撃していないのだろうと思っていたという話もあります。


 まだドイツ夜間戦闘機隊はレーダーによる誘導を受けられず、たまたまサーチライトが都合のいい場所で敵機をとらえるのを待つしかありませんでした。その幸運をようやくつかんでレント中尉のBf110が夜間初撃墜を記録したのは1941年5月でした。しかしまだ夜間の撃墜増加は「悪い兆し」の域を出ませんでした。機上レーダーの使用が問題外である限り、長く飛べる双発機であることは夜間戦闘へのメリットでしたが、Ju88などの大型双発機よりもBf110の軽快さが好まれました。すでにJu88双発爆撃機にも爆装しない戦闘機型がありましたが、ビスケー湾上で浮上するUボートをイギリス機から守る任務などについていました。


 ブレスト港とその周辺にいたドイツ艦に対しては、犠牲の多い昼間爆撃も行われました。7月24日、ドイツ戦闘機を誘い出すシェルブールへの囮攻撃も含めて爆撃機151機が出動し、ウェリントン10機、ハムデン2機に加えて、虎の子のハリファックス15機を差し向けて5機が落とされ、損失17機は損耗率11.7%に達しました。


 10月12/13日、5月以来久しぶりに3ヶ所のドイツ都市への夜間爆撃出撃機が合計300機を超え、373機に達しました。しかしそのうち四発機は26機に過ぎず、双発機と合わせ13機が失われました。


 作戦級ウォーゲームをプレイされる方は、晩秋の西欧に悪天が多く航空作戦が阻害されることをご存じかもしれません。出動と成果を求められる爆撃機軍団としては、ストレスの多い時期です。ピアース司令官は11月7/8日、大規模な出撃ができない日が続いたことを背景に、予報された悪天候を押して、ベルリンを中心とする大規模出撃を命じました。予報通り低温を伴う荒天で、氷結の影響と想定を超える燃料消費により、帰路の喪失機が続出しました。392機が出撃し、夜間爆撃としては異例の37機、9.4%が未帰還となりました。


 いよいよピアースの進退問題となりますが、それは次回。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ