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イギリス爆撃機軍団出撃日誌(2)1939年開戦から年末まで


 開戦当初、爆撃機軍団には4つの集団が属し、それぞれブレニム双発爆撃機、ウェリントン双発爆撃機、ホイットレイ双発爆撃機、ハムデン(ハンプデン)双発爆撃機を装備していました。機種別に集団が組まれていたわけです。この中で一番爆弾搭載量が少ないのはブレニムで、例えば単発機のバトル軽爆撃機などは、爆撃機軍団にはおらず大陸派遣軍に随行して偵察や戦術爆撃を行っていました。ブレニムも爆撃機軍団のために、ドイツ本土へ偵察に出ることもありました。


 ドイツはワルシャワ突入に先立ち、容赦なく市街地への砲爆撃をやりました。おそらくテラー爆撃ではなく、民家や民間人にお構いなく、ポーランド兵が拠点にできそうな建物を片端から攻撃したのだと思いますが、攻撃意図などを伝える資料は見たことがありません。ともかくワルシャワ戦の生存者は多くの民間人死体を見ており、今更な気もするのですが、イギリスもドイツも民間目標攻撃のエスカレーションを開戦当初は気にしました。ですからもともと非力な開戦当初のイギリス爆撃機軍団は、硬い軍事目標をわざわざ選んで爆撃する羽目になりました。


 もちろん、前大戦以来の比較的安全な任務としては、宣伝ビラ投下があります。9月3/4日夜間、ホイットレイがルール地方やハンブルクに最初の対独ビラ投下を行いました。月明かりの夜には、偵察任務を兼ねることもできました。


 ヴィルヘルムスハーフェンなどドイツ軍港への最初の攻撃は9月4日でした。ホイットレイとウェリントン、合計30機が出撃しました。「sortie(出撃)」と「attacked」と書いてある合計機数が一致しないのは、途中で早いうちに引き返した機体があるのでしょう。目標近くまで来て、雲で目標が見つからなかった機体が10機出ました。そして対空砲火でブレニム5機、迎撃したドイツ機によりウェリントン2機が落とされました。未帰還機7/30というのは震えあがるレートです。対空砲火で落ちたのがブレニムばかりなのは、小型なので低空まで下りて至近で投弾しようとしたのかもしれません。


 大損害から気を取り直した爆撃機軍団は、ブレニムによるドイツ本土偵察を9月20日から再開し、11月下旬まで続けました。延べ37機がそれぞれ単独出撃し、7機が失われました。


 あわせて、デンマークとオランダに挟まれたドイツ領の海岸へ向けて、しかし海岸へ近づきすぎないようにウェリントンとハムデンがたびたび近づき、攻撃してもよい軍事目標のドイツ艦艇を探しましたが、12月末まですべて空振りでした。


 ただし12月3日、ヘルゴランド島周辺ないし北海で、ウェリントン24機がドイツ巡洋艦を攻撃し、爆弾1発を命中させたと報告しました。英語版Wikipedia「German cruiser Nürnberg」によると、ドイツ軽巡ニュルンベルクはそのころ、ノルウェー南方で機雷敷設を支援していましたから、この艦かもしれません。そうだとすれば、13日に別の出撃をしているので、損害は軽微または皆無であったのでしょう。24機がまとまって出撃したのですから、ドイツ艦隊の所在に気付いての出撃でしょう。Me109とMe110が迎撃に現れましたが、Me109撃墜見込1機が報告されただけで、イギリス側の未帰還はありませんでした。


 12月から1月にかけて、ホイットレイ爆撃機部隊は地味な任務についたのですが、少し背景説明が必要です。私のHPのほうで「ドイツ空軍の海上作戦」を書いたのもずいぶん前になります。


https://seesaawiki.jp/maisov/d/seeluft


 長いコンテンツですが、ここで当面必要になる史実はわずかです。ドイツ海軍は当面(VIIB型のような外洋型Uボートがまだ少ないので)空軍にその作戦を支援しろとも言いませんでしたし、フランス空軍が健在なうちはブリテン島の西側での航空作戦は困難でした。ですから海軍は戦術的指揮下に置いた水上機部隊でイギリス等の沿岸への機雷敷設をやりましたし、空軍も要請に応じていくらか爆撃機部隊などで協力しました。1940年2月ごろ、ドイツ空軍がますます多忙になったことと、イギリスがドイツの磁気機雷に対策を講じ始め、(イギリスはまだ結構困っていたのに)効果が減じたのではと疑われたことを背景として、ドイツによる航空機雷敷設は細っていきました。


 この航空機雷敷設に苦しんだイギリス軍は、航空機雷敷設に携わるドイツ水上機の泊地(と目される場所)に対し、繰り返し夜間爆撃を行いました。その効果はどこにも書かれていないので、あったとしても、ドイツの行動に影響はなかったのでしょう。


 さて、開戦当初の爆撃機軍団にとって最も印象的で、犠牲の大きかった戦いは、12月18日に起きました。「Battle of the Heligoland Bight (1939)」という名前で英語版Wikipediaに項目も立っています。この戦いについては、かつて夜戦撃墜王レントの生涯を扱うコンテンツで触れました。Me110双発戦闘機を駆って、ポーランドで1機撃墜、3機地上撃破という戦果で二級鉄十字章を受けたばかりのレント少尉は、この迎撃に参加して2機の撃墜を認められました。


ヘルムート・レントとその時代/開戦の年

https://seesaawiki.jp/maisov/d/kokusento%5flent#content_1_2


 これも拙作ですが『士官稼業~Offizier von Beruf~』の第23話「フランス戦」に、この戦いを短くまとめた記述があります。まずこれを御覧に入れましょう。ヘルゴランド・バイトとはヘルゴランド島を中心とする、デンマークとオランダに挟まれたドイツ領の海岸がつくる浅い湾のことで、ヴィルヘルムスハーフェン軍港はその中にありました。


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 1939年12月18日、双発のウェリントン爆撃機は24機編隊で出動し、ドイツ空軍のパイロットたちは合計38機の撃墜を報告した。ちょっと多いなと思う指揮官もいたかもしれないが、防空見張台からは敵機44機の襲来が報告されていたから、問題にならなかった。実際に撃墜されたのは12機で、貴重な長距離爆撃機の損害としては十分に大惨事だった。ドイツ側は2機を失った。

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 もちろんこれは事実の全てではなく、重要な事実すら欠けています。この最重要軍港を守るため早期警戒レーダー「フレイヤ」はすでに稼働し、その情報を受けた第1戦闘航空団(JG1)の司令でドイッチュバイト[=ヘルゴランドバイト]戦闘機指揮官を兼ねるシューマッハ中佐(当時)が、広域的な戦闘機による防空戦闘をコーディネートしていました。ですからI./ZG76(第76[双発]駆逐航空団第I飛行隊)所属のレントにも命令が飛んだのです。戦闘機無用論の前提のひとつ「迎撃機の離陸・上昇は間に合わない」という条件は、130kmの距離でウェリントン爆撃隊をとらえたレーダーと、広域的な指揮関係整理によって崩されていたのです。


 当日が快晴で、今までのように雲の影響がなかったことも、イギリス空軍にとってはショッキングだったことでしょう。「編隊を組んで対空機銃の死角を消し合えば、接近は容易でない」という通念が、正面から崩されることになったからです。高速化した戦闘機は容易に被弾せず、対空機銃が機銃手の死傷によって無力化すれば、そこには死角が生まれました、


 Tail end Charlieという言葉にはふたつの意味があります。ひとつは大型機の後部機銃手です。Patrick Hollis氏の解説文があります。度胸を必要とするだけでなく、死傷率も高い部署です。ついでに脱出口からも遠かったとか。


https://pjhollis123.medium.com/the-tail-end-charlie-66511372e3b7


たぶんPatrick Hollis氏は、テネシー州ノックスビル市のHazen Historical Museum FoundationでExecutive Directorをしている人でしょう。地元紙のインタビュー記事があります。


https://www.knoxnews.com/story/money/business/2026/01/11/knoxville-east-tennessee-40-under-40-honors-patrick-hollis-hazen-historical-museum-foundation/87198689007/


 もうひとつの意味は、爆撃機が緊密な編隊を組んだとき、その最後尾中央の機体のことです。ここが最も狙われやすい位置であることは、英語版Wikipedia「Combat Box」で触れられています。


https://en.wikipedia.org/wiki/Combat_box


 要するに、爆撃機にもその編隊にも避けられない弱点があり、そこを攻め口にして編隊の一部……あるいは相当部分が噛みちぎられるリスクは、考えられていたより大きかったのです。


 これは悲しいマラソンの号砲でした。夜間爆撃に活路を見出したイギリス爆撃機にはドイツ夜間戦闘機が追いすがり、ノルデン照準器の利点を生かすべく昼間に飛び続けたアメリカ爆撃機は、機銃増設と機体強化を繰り返していきました。「速ければよかろうなのだ」と後部機銃を廃止して高速化に振ったモスキート爆撃機という鬼っ子も生まれたのですが。


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