イギリス爆撃機軍団出撃日誌(1)序章
参照: 52~55頁「大西洋横断飛行:1919年~1938年」「大洋横断飛行:1927年~1933年」
『航空戦戦況図解』の解説文にもあるように、初期の長距離飛行では飛行艇と水上機が存在感を示しました。外洋での離着陸は困難とはいえ、低出力エンジンをしばしば複数積んで、多くの燃料等を背負って低速で飛ぶには、飛行艇と水上機が有利でした。第2次大戦期になっても、1941年7月にアメリカのホプキンス特使はカタリナ飛行艇に乗ってスコットランドから北極圏に飛んでスターリンと会いましたし、イギリスに売却されたボーイング314クリッパー飛行艇はチャーチルを乗せて何度か大西洋を横断しました。
しかし、そうはいかない国がありました。もちろんアメリカです。内陸部のためにフロートのない郵便機や旅客機がどうしても必要であるアメリカが、そうした航空機の全金属化と性能向上で先頭を走ったのは、まさに「そこに需要(市場)があるから」と言えるでしょう。
1932年11月、陸戦兵器を巡るジュネーブ軍縮交渉は行き詰まりを見せ、ドイツでは追い詰められたパーペン首相がシュライヒャーに代わられようとしていました。時のイギリス首相ボールドウィンは、"The bomber will always get through"というキーワードで知られる国会演説を行い、世界的な軍縮へ向けて率先する立場を見直す姿勢を示しました。これは「戦闘機無用論」のキーワードで知られる、全金属大型爆撃機に対する戦闘機の迎撃力が疑われた時期に吐かれた、「敵爆撃機を有効に迎撃できないなら、抑止力としての爆撃機部隊を持つしかない」という立場表明でもありました。本土防空責任の統一を契機として独立空軍として誕生したイギリス空軍はここから(グラディエーター複葉戦闘機ですら、まだ試作機が飛んでいません)、戦闘機と並んで爆撃機の近代化に手を付けていきました。
さて、この連載で取り上げる発掘資料の1冊目は、「イギリス爆撃機軍団出撃日誌」といった体裁の本です。
Martin Middlebrook & Chris Everitt
The Bomber Command War Diaries: An Operational Reference Book, 1939-1945
Viking(1985)
今は Pen and Sword Aviationから安いkindle版も出ていますね。unlimited対象なので「立ち読み」も可能です。
しかし「爆撃機軍団(Bomber Command)」とは何であって何でないのか……という解説がまず必要ですね。ここでカギになるのは「command status」という概念です。司令部の規模・設備・人員が充実すると、Commandと名前に入っていてもいなくても「command級司令部」と認められるのです。例えば爆撃機軍団と対になる戦闘機軍団は、1936年まではAir Fighter Zoneという名前で、1932年からはこの名前でcommand statusを得ていました。高射砲みっしりのロンドン中心街と、見張台や若干の対空砲があるOuter Artillery Zoneの中間にあった、もっぱら戦闘機で防空する区域の名前がそのまま司令部名だったわけです。そして1936年に戦闘機軍団となり、その下に6つの集団(これもgroup statusという概念があります)を置いて、イングランドから北アイルランドに至るまで本土全体をカバーするようになりました。
大陸反攻が迫った1944年2月、爆撃機軍団からいくらか軽爆撃機も加わって第2戦術空軍が発足し、戦闘機軍団からも戦闘機などが参加しました。そして残りの防空戦闘機などは1936年までAir Fighter Zoneの上級司令部だったグレートブリテン防空司令部(Air Defence of Great Britain)の名前を復活させて属することになったのです。
このように爆撃機軍団と言っても、爆撃機以外も属している場合がありますし、すべての爆撃機が属しているわけでもないのです。特に重要なのは、沿岸軍団です。
参照: 134~135頁「長距離洋上哨戒:1939年~1945年」
地味な印象がぬぐえない部隊ですが、その任務には対潜哨戒が入っていました。大陸爆撃任務から順次外されたウェリントン双発爆撃機や、B-24リベレーター爆撃機が知られています。また、ノルウェー沿岸でナルヴィク輸送船団を攻撃する任務の一部も、沿岸軍団のボーファイターやモスキートが担いました。
爆撃機軍団の任務も、我々がイメージする中身に沿ったもの、やや沿わないものが混じっているのですが、そのあたりから次回のお話を始めたいと思います。




