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イギリス爆撃機軍団出撃日誌(10)当たるまで落とせ


参照: 116~117頁「戦略爆撃:1943年」


 ああやっと地図が参照できました。戦果がないと地図さえ示すものがなくなるのです。85頁「連合軍によるヨーロッパ爆撃作戦:1940年~42年」で3年を1ページで済まされていました。


 1942年3月から使われ始めたGeeでしたが、ドイツ側の妨害電波は8月から始まり、周波数を切り替えられる新型Geeがやや遅れて登場しました。その努力と並行して、少数のパスファインダー部隊機を個別に2ヶ所のレーダーで地上からとらえ、三角測量の要領で現在位置を出して正確な投弾コースに誘導するOboe(オーボウ、オーボエ)が1942年8月から登場しました。後には、電波を受けやすい高空を飛べるモスキート軽爆撃機がOboeを装備してパスファインダー部隊に加わりました。前回述べたように、Oboeは最終的にはゲームチェンジャーのひとつと評価されたとしても、それは導入直後のことではなかったわけですが。


 ドイツはOboeを一時的に妨害し、偽信号でイギリス爆撃機に投弾を強いることもできましたが、いたちごっこは終戦まで続きました。ダール大尉に率いられたOboe通信解読・妨害チームについては英語の紹介ページがあります。


https://www.gyges.dk/jamming_service%20Oboe.htm


 ただしOboeは基地のレーダーを使う以上、有効距離の限界があり、1944年6月にレーダー基地そのものの前進が可能となるまで、限界を超える手段はありませんでした。この技術と並行して、ちょうど1943年初頭に実戦投入にこぎつけたのがH2Sでした。


 対空砲弾に真空管を仕込み、周囲に敵機らしい金属の塊を検知すると破裂して弾片を飛ばすアメリカ海軍のシステムは、その核となるVT信管の名前で有名ですが、これはイギリスがアメリカの支援を期待してアメリカ参戦前に譲渡した技術(レーダー共同開発という形式)がもとになっています。浮上したUボートがごく短時間飛ばす短波通信を探り当てるHF-DFもイギリスの開発品で、イギリスの電波兵器のいくつかは世界最高水準であり、不可能事を可能にするものでした。H2Sも、機上の小型装置でマイクロ波を発生させ、高周波を生かした鮮明な地上画像を得るものでした。闇夜であっても電波の目で地上を見ることができ、本国からどんなに離れた目標も従来より正確に狙えるようになりました。そしてそれはもはや、満月の夜を選んで爆撃をしなくていいということでもありました。


 パスファインダー部隊のための目印も進化し、爆弾として投下して、しばらく設定高度で空中に光を残す「マーカー爆弾」も登場しました。すぐには目立った効果はなかったのですが、爆撃機の近くでドイツ側の通信を妨害する装置の実装も始まりました。そして補充を吸い込む地中海戦域の戦況好転を背景に、ようやく四発爆撃機部隊の量的拡大も目に見えるものになりました。


 ひとつ爆撃機軍団にとって悪いニュースがあるとすれば、イギリス政府がロリアンなどフランスのUボート基地を優先目標とするよう1943年1月14日に命じてきたことでした。


 年末年始はOboeや新型マーカー爆弾のテストを兼ねた出撃が続きましたが、1月14/15日、戦時内閣の求めに応じてロリアンへの大規模攻撃が発起されました。カナダ空軍を中心とする新編成の第6集団が出撃しました。マーカーはうまく機能しましたが爆撃はばらけました。都市への絨毯爆撃というコンセプトは、ロリアンを皮切りに8回続いた潜水艦基地爆撃に合わず、堅牢なブンカーへの効果は限定的でした。


 14ヶ月ぶりに企てられた1月16/17日のベルリン爆撃は、四発爆撃機ばかり201機を集めたもので、新しい攻撃スタイルの幕開けとも言えました。ただしベルリンにはGeeもOboeも届かないのでした。例によって厚い雲が爆弾をばらけさせ、何らかの事情で空襲警報が遅れたために死者198人がでたものの、爆撃の戦果としては華々しい成功とは言えませんでした。


 Oboeの届くデュッセルドルフを狙った1月27/28日の爆撃は、狙った工場群にようやく爆弾が集中しました。そして2月11/12日、ウィルヘルムスハーフェン軍港は雲に覆われていましたが、H2Sで正確な投弾位置をつかんだパスファインダー部隊機は、風に流される欠点はあるにせよ、空中で輝くタイプのマーカー爆弾を使いました。そして投弾された爆弾のひとつが海軍の弾薬庫を直撃し、その爆発で軍港の広い範囲が損傷し、雲の上からも大爆発が感じ取れました。しかし同様の空中マーカーによる爆撃となった2月14/15日のケルン爆撃では幸運のくじを引くことはできず、243機の爆撃機(158機は四発)を動員して死者76名という結果でした。


 2月27/28日に427機がケルンに向かうなど、空襲は大規模化の傾向を示しましたが、誘導と集弾の面からは冴えない結果が続きました。そんな中で、四発機ばかり302機が飛んだ3月1/2日の空襲も集弾は悪かったのですが、飛んだ先はベルリンでした。広いベルリンが広く大量の爆弾を浴びて、死者こそ191人でしたがかつてない損壊の広がりが生じました。これがしばらくの間、イギリス爆撃機軍団の成功した爆撃の典型的な姿になりました。

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