ドイツ空軍データブック(2)夜間戦闘機の構成比と戦術
プライスによると、1942年7月27日現在、ドイツ空軍作戦機のうち戦闘機の内訳は、以下の通りでした。
単発戦闘機 945
双発昼間戦闘機 58
夜間戦闘機 203
Fighter-Bombers 40
後に続く各飛行隊の装備機数合計と合わないのは、プライスが記載を省いた独立中隊等があるのか、もともとの総合計と内訳のドイツ軍報告書が別々であって矛盾しているのか、今となってはわかりません。
おそらくドイツ語ではJagdbomberであったと思われるFighter-Bombersですが、どうやらこの書類では第2戦闘航空団第10中隊や、第26戦闘航空団第10中隊に配備された当時最新のFw190戦闘機を指しているようです。どちらも大西洋岸の第3航空艦隊所属であり、1942年4~5月のベ―デッカー爆撃を最後に双発機によるイギリス本土爆撃をほぼ断念した爆撃機部隊に代わり、アリバイのようにイギリス本土を襲撃し続けました。我々はヤーボというと1944年以降の西部戦線のイメージがあり、「地上支援任務に就く戦闘機」はみんなヤーボなんだろうと思ってしまうのですが、少なくとも1942年にはドイツ空軍は後方移動妨害や陣地攻撃を爆撃と呼んでおらず、ヤーボの定義が狭かったことをうかがわせます。例えばこのころリヒトホーフェンの第8航空軍団に配属され、セヴァストーポリ要塞付近で戦っていたBf109E部隊もあったのですが、それはヤーボには数えられていないのです。
第2戦闘航空団第10中隊はその後、地上攻撃部隊として転属や改称や再編を繰り返し、1943年秋以後は第4地上攻撃航空団第I飛行隊の一部としてオーストリアに終戦まで駐留しました。このオーストリア移駐にあたって、Fw190F/Gに機種転換しています。地上攻撃機ととらえられている機種ですが時期と場所から言って、アメリカ爆撃機部隊へのロケット弾攻撃に使われたこともあったかもしれませんね。
さて、この記事の本題はそこではありませんで、夜間戦闘機の機種別内訳です。Ju88C-1戦闘機を持つI./NJG2はシチリア島のカタニアに本部を置き、どうみても夜間戦闘ではなく敵船団襲撃や味方船団防衛をやっていたように見えますが、それも勘定して第1~第4夜間航空戦闘団の所属在籍機体を数えると、次のような内訳になります。I./NJG2以外はすべて、Luftwaffenbefehlshaber Mitte(ライヒ航空艦隊に改称されたのは1944年2月)に属し本土防衛に当たっています。
Bf110 187
Do217 62
Do215 6
Ju88 53
まずDo217はもともと双発爆撃機だったものですが、このころの夜間戦闘機型はFw190と同系統のBMW社エンジンを積んでいます。Ju88のうち30機はシチリアのI./NJG2が持っており、長距離を飛びつつ敵戦闘機とガチで殴り合う場所に優先配備されていたように見えます。Do215はDo17の輸出型で、スウェーデンへの輸出話が開戦で吹っ飛んだものですからあまり増えません。
1944年5月31日には、ドイツ軍は絶望的な努力の果てに、夜間戦闘航空団を9個(第1~第7、第101~第102)に増やしたうえに、新装備実験を眼目とした第10夜間航空集団(Nachtjagdgruppe 10)まで作ってしまいました。もちろん標準的な航空団のサイズである9個飛行中隊が満たせていないものだらけでした。そしてこの記事のために困ったことは、一部の飛行隊が機種を混在させていて、それぞれの機数がわからないことです。ですからそれらはまとめて「混在」として集計することにします。
Bf110 308
Ju88 170
Do217 38
He219 2
混在 191
Do217を持っていたのは、第1夜間戦闘機学校を改組してできた第101夜間戦闘航空団で、要するにちょっと旧式の訓練器材であったと思われます。これに対しHe219は、他の資料を見ても実験部隊系を除くと第1夜間戦闘航空団第I飛行隊に集中しており、1944年5月からほぼHe219だけの飛行隊になっています(上の表では混在枠)。「不遇の」高性能機としてよく架空戦記のネタにされるHe219ですが、そのエンジンは耐用時間の短さがなかなか改まらなかったDB603系列で、「誉」エンジンさえ計画通りなら計画通りだった多くの日本機を想起させる話です。あるいは、空のケニッヒスティーガー。
Ju88がそれでもかなりの数を占め。Bf110の半分くらいには増えているのがわかります。機上搭載レーダーとその要員(パイロットと無線手/機銃手に次ぐ3人目)を積むとなれば、Bf110では狭いのです。撃墜王レント中佐はBf110からJu88Gに乗り換えました。第2位のエースであったシュナウファーは最後までBf110Gに乗っていましたが、機上レーダー時代を迎え、狭いスペースに3人目を迎えることになりました。
じつはイギリス空軍も、マーリンエンジンの「次の」セイバーエンジン開発が難航してタイフーン戦闘機の登場が遅れ、並行していたヴァルチャーエンジンに至ってはトーネード戦闘機計画を巻き込んで開発中止となるありさまで、マーリンエンジン(とその搭載機体)を精一杯性能向上させてしのぐしかなくなりました。ですから1941年から1942年にかけて、Bf109FやFw190Aに対してイギリス戦闘機はやや分が悪かったのですが、まあ、夜間戦闘にはあまり関わりなく過ぎ去りました。




