第三話 境界行者組合
# 第三話 境界行者組合
境界行者組合の中は、外から見たより広かった。
入口を入ってすぐの広間には、木の長机がいくつも並び、壁には依頼札が所狭しと張られている。奥には受付台。右手には酒場。左手には武具の手入れ場。階段の上には、宿泊用の小部屋があるらしい。
人の密度が高い。
キサーラ・ディナン・メルは、まずそこに圧倒された。
森とは違う。
都市の通りとも違う。
ここでは、多数の個体が、ひとつの目的を持って滞留している。
獣人の傭兵。
森エルフの薬師。
山ドワーフの斥候。
人間系の剣士。
翼を持つ小柄な伝令。
鱗のある水辺の民。
それぞれが武器を持ち、傷を持ち、声を持ち、過去を持っている。
その全員が、一度はこちらを見た。
当然である。
霧の森から現れた、金髪、金眼、額に琥珀の端末を宿す黄金の女。
この環境で目立たない方が難しい。
ニム・アラタが小声で言った。
「堂々としろ。こういう時は、こそこそした方が怪しい」
「了解しました」
「いや、返事も少し小さく」
「了解しました」
「そうじゃなくて」
バルグ・オルムが肩を震わせた。
「面白いな、お前」
「私は娯楽目的で設計されていません」
「そういうところだ」
リュカ・セレネは無言で受付台へ向かった。
彼女が通ると、数人が軽く手を上げた。リュカは小さく頷くだけで返す。
多くを語らずとも、彼女がここで信用されていることは分かった。
受付台にいたのは、灰色の髪をひとつに結った中年女性だった。
人間系だが、目の色が薄く、耳の先がわずかに尖っている。混成系の新人類だろう。
机の上には記録帳、封蝋、小さな精霊灯、それから透明な石板が置かれていた。
「リュカ。朝から何を拾ってきたの」
受付の女性は、キサーラを一目見て、そう言った。
「森で倒れてた」
「森は最近、よく人を落とすね」
「空から落ちた」
ニムが咳をした。
リュカは少しだけ考え、言い直す。
「たぶん」
受付の女性は目を細めた。
「その『たぶん』は、あとで聞くとして。名前は?」
「キサーラ・ディナン・メル」
キサーラは答えた。
「出身は」
「遠い場所です」
「所属は」
「ありません」
「職能は」
キサーラは一拍置いた。
観測。解析。現地潜入。精霊環境調査。月面統合知性の介入痕確認。魔王群の残存信号調査。
いずれも不適切。
ニムが横から助け舟を出した。
「剣は使える。あと、精霊も少し見えるらしい」
受付の女性は羽ペンを止めた。
「少し?」
リュカが言う。
「森の声に反応した。けど、聞き方が変」
「変?」
「精霊を、構造として見ると言ってた」
受付の女性の視線が、キサーラの額の琥珀端末へ向いた。
「……月神殿の者?」
「違います」
「魔王領の者?」
「違います」
「旧文明遺跡の遺産?」
「分類不能です」
「本人が言うことじゃないね」
女性はため息をついた。
「私はマイラ。ここの受付と、行者の登録を采配してる。あなたを追い出す気はないけど、組合に入るなら最低限の確認は必要だよ」
「確認内容を提示してください」
「喋り方が硬いね」
「軟化を試みます」
「いい。そのままで」
マイラは机の上の透明な石板を指で叩いた。
「これは精霊石板。魔王汚染、呪い、重い犯罪印、月神殿の拘束印なんかを見るためのもの。完全じゃないけど、組合の入口としては十分」
「触れればよいのですか」
「そう。手を置いて。力を入れない。精霊に怒鳴らない。嘘を押し通そうとしない」
「精霊に怒鳴ることは可能ですか」
「たまにいるんだよ。そういう馬鹿が」
バルグが小さく笑った。
「前にいたな。石板に『俺は無実だ』って叫んだ奴」
「本当に無実だったのですか」
「違った」
「なぜ叫んだのですか」
「馬鹿だからだ」
キサーラは、その説明で一応納得した。
右手を石板へ置く。
冷たい。
その感覚がまず来た。
続いて、石板内部に封じられた小精霊の反応を検出する。
単純な水精でも火精でもない。旧文明由来の検出機能に、土着化した精霊反応を重ねたもの。
用途は認証。
構造は不完全。
しかし、十万年の地上社会に適合した、十分に美しい道具であった。
石板が淡く光る。
周囲のざわめきが、少しだけ静まった。
普通なら、青、緑、赤、白のいずれかが出るらしい。
だが、キサーラの手の下で、石板には金色と琥珀色の細い線が走った。
それは文字ではない。
だが、キサーラには読めた。
石板の精霊が、問うている。
――あなたは、何。
キサーラは答えなかった。
いや、答えられなかった。
彼女は人間ではない。
新人類でもない。
月面超人類でもない。
魔王AIでもない。
精霊でもない。
では、何か。
海王星の沈黙から切り出された、黄金の義体。
外縁の知性の目。
だが今、ここで冷たい石に手を置いているのは、確かにキサーラだった。
石板の光が、一瞬だけ強くなった。
マイラの眉が動く。
「……変だね」
「異常ですか」
「異常というより、前例が少ない。魔王汚染はない。月の拘束もない。呪いもない。だけど、種族反応が出ない」
「種族反応」
「普通は出る。人間系、エルフ系、ドワーフ系、獣人系、海民系、翼人系。混じっていても、何かしら傾きは見える」
「私は該当しません」
「自分で言い切るんだね」
マイラは、じっとキサーラを見た。
受付台の向こう側で、精霊灯がゆらりと揺れる。
「ただし、危険反応も出ていない。少なくとも、この石板はあなたを敵とは見ていない」
リュカが小さく頷いた。
「森と同じ」
「なら仮登録はできる」
マイラは記録帳を開いた。
「キサーラ・ディナン・メル。仮登録。等級は最下位の灰札。監督者は……」
「俺は嫌だぞ」
バルグが即答した。
「誰もまだ頼んでない」
「頼まれる前に断った」
ニムが手を上げた。
「俺でいいよ。どうせ拾った責任があるんだろ」
「分かってるじゃないか」
「こういう時だけ世の中は分かりやすいな」
リュカも静かに言った。
「私も見る。森に関係がありそうだから」
マイラは二人を見て、記録した。
「ニム・アラタ、リュカ・セレネ。共同監督。バルグは?」
「俺は関係ない」
「発見時に同行」
「関係あった」
バルグは天井を見上げた。
「分かった。鍛冶場の仕事があるから毎日は無理だ」
「それでいい」
マイラは机の下から、小さな灰色の札を出した。
金属とも木ともつかない材質で、表面には組合の紋章が刻まれている。
「これが灰札。仕事を受ける時に必要。なくすと再発行に金がかかる。悪用されるともっと面倒。首に下げるか、袋に入れて肌身離さず持つこと」
キサーラは札を受け取った。
軽い。
だが、社会的には重い。
これは通行証であり、身分証であり、彼女が地上で得た最初の居場所の印であった。
「感謝します」
「礼は仕事で返しな。ちょうど簡単な依頼がある」
マイラは壁の依頼札を一枚取った。
「西水車小屋の精霊灯が狂ってる。夜になると灯りが勝手に増えたり消えたり、家畜が怯えて乳を出さなくなった。子供が一人、そこで倒れて熱を出した。大物じゃないが、放っておくと面倒になる」
リュカが札を見た。
「水精?」
「たぶん。古い水路に絡んでる。月神殿は小規模だから後回しにしろと言った。村は困ってる」
ニムが肩を回した。
「灰札の初仕事にはちょうどいいな」
バルグは渋い顔をした。
「水車小屋か。あそこ、昔の歯車が残ってるんだろ。錆びた機械と水精は相性が悪い」
キサーラは依頼札を見た。
紙に書かれた文字。
精霊異常。
小規模事故。
地上社会の生活基盤。
調査対象として適切。
「受けます」
「即答かい」
マイラは少し笑った。
「いい。ただし、キサーラ。ひとつ覚えておきな」
「何でしょう」
「精霊の問題は、斬れば終わるとは限らない。ここでは強いだけの者は長生きしない」
キサーラは頷いた。
「了解しました」
リュカが補足する。
「まず聞く。次に見る。それから動く」
「森と同じですか」
「だいたい同じ」
バルグが槌を叩いた。
「それでも駄目なら、殴る」
ニムが笑う。
「この組合の方針がよく分かったな」
キサーラは灰札を手の中で握った。
地上に降りてから、まだ一日も経っていない。
だが彼女はすでに、森に挨拶する方法を知り、冗談の難しさを知り、門番の疑いを知り、子供の笑顔を知り、そして今、仕事を得た。
これは観測である。
任務である。
そう定義するのは容易だった。
だが、灰札の冷たさが掌に残る。
それは、単なる情報ではなかった。
キサーラは顔を上げた。
「西水車小屋へ向かいます」
ニムが頷く。
「その前に飯だ」
「食事は不要です」
「必要だ」
「この義体は――」
ニムは指を立てた。
「無難な説明」
キサーラは口を閉じた。
リュカが少しだけ笑った。
バルグも笑った。
マイラは記録帳を閉じながら言った。
「まずは腹を満たしな、黄金の新人さん。ここの朝粥は、少なくとも魔王よりは優しい」
広間の者たちが、そこで小さく笑った。
キサーラには、何が面白いのか完全には分からなかった。
けれど、敵意のない笑いだということは分かった。
彼女は、ゆっくり頷いた。
「では、食事を試行します」
再び笑いが起きた。
こうして、海王星の沈黙から来た黄金の観測者は、最初の依頼に向かう前に、地上で初めての朝粥を食べることになった。




