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モブに慈悲はない…?  作者: いす


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89/110

89話目

89話目です

誤字・脱字があったら申し訳ありません

カレンダーが一枚進み、今年最後の月となった12月。

天気予報は間違うこと無く空を晴れにし、雲の切れ目からは青空と冷たい太陽が時折姿を見せていた。

気温は雨が降っていた11月後半の方が低かっただろう。

自室の窓を開けてもむしろ心地良いようなすっきりとした風が流れてきて、ふわぁっと欠伸が眠気を主張してくる。

いつもならばこの眠気を携え、午後の授業を気だるげに取り組んでいたのだが、風邪を引いてしまってはそれは叶わない。

単に喉の疲労で出ていたと思っていた咳は風邪が原因だったらしい。12月になった初めの今日、頭痛と喉の痛みと熱の三連打で俺を自宅に縛り付けてきた。

まぁ流石にラノベでよく見るように、ベットの上で身動き一つとして取れないわけではないが、それでもこのコンボは日常を面倒にする。

もしかしたらこれが妹にも移ってしまったんじゃないかと焦ったが、当人は今日、楽しそうに中学校へと登校していった。

結果、一人で療養と留守番を任され、ついでに夏の余り物であろう素麺を母親から『食べれたら食べて』と置き手紙で任されもし、少しばかり早い昼食はそれで済ませた。

でも、冷蔵庫の中には探しても他にまともな食料は無かったし、あの食べれたら食べてはもはやお願いではなく命令だったのではないだろうかと、ボーッと携帯をいじりながら暇潰しにそんな疑念を抱く。

子供の頃ならば休んで見る笑っていいともが一番に楽しかったのだが、いいともはもう終わったし、何よりここまで年が経つとあの頃の繰り返しは色々と厳しい。

無邪気を無邪気に出来る歳ではなくなった。

だから、上手いこと時間を少ない運動で消費することが思い付かず、いじっていたスマホの画面は放っておくと俺よりも早くスリープモードになってしまう。

それを起こすことなくテーブルに乗せ、掛けたマスクのズレを指で直す。

何を集中してするでもなく、ゲームをちょっとやったり読みかけの本を少し読み進めたり、そんなこんなで時間を潰していると眠っていたスマホが急にブルブル震えながら目覚める。

腕を伸ばして見てみれば、表示されていたのは矢波先輩からの電話。

まぁ、今時スマホが発達していると言っても流石に電話越しに風邪が移るなんて事はない。

何の気なしにポチポチ押して電話を取る間に、短く咳が漏れる。

「…どうも」

「ん、やっぱりガラガラだ」

スマホを通じ、教室からでも掛けているのかザワザワとした音が遠くに聞こえてくる。

やっぱりということは誰かしらから俺の状態は聴いているのだろう。「えぇ、まぁ」と返すと不安げな桜丘先輩の声が控えめに入ってくる。

「だ、大丈夫?風邪って聞いて…。わ、私たちが雨の日にばっかり呼んじゃったからかな…?」

「いや、まぁ自己管理不足…だと思います」

もしかしたら一端ぐらいはそこにあるのかもしれないが、だからと言って責任を押し付けても意味がない。

その雨の日に出掛けるような状態を作り上げたのは俺で、精神を疲れさせていたのも俺。大体もう全部俺が悪いってことで流行りのヒール役みたく終わらせようと思ったのだが、矢波先輩はそうする気はないらしい。

桜丘先輩から変わっての一言と共に交代するとねっ、と俺に一つ尋ねてくる。

「これからさ、君の家行っていいかな?看病したいんだけど」

「授業、終わったんですか」

「うん、受験の諸々で今日は午前でおしまい」

「…なら、その通りに勉強してた方が良いと思いますけど」

12月ともなれば、三年生の受験勉強は真っ盛りどころか修羅場までいっていることだろう。一学年下がった俺ですらあれこれ意識し始めているのだ。

矢波先輩達は表にはそういう所を出さない人達だが、表があるということは必ず裏もある。そして、その裏がどんなものかを俺は知らない。

だから例え来たいと言われても、無闇に病気を近付けないことこそ、なにも知らない俺が出来るせめてもの手助けになるのだろう。

けれど、素直にこれを伝えるのは流石に恥ずかしく躊躇われ、あくまで話の流れに沿って、そこにしっかりと拒否する声音を含めて言う。

「それじゃあ、ここで灯くんに一つ問題です」

だが、返ってきたのはこっちの拒否を受ける気の無さが全面に出た、突拍子もないクイズ。

「…なんですか」

「君の看病を一、二時間で済ませてすっきりとした気持ちでやる勉強と、君が治る日まで心配して、ずっと不安で心配を溜め込んだ状態でやる勉強。どっちが効率良いと思う?」

「それは…に、二番目じゃないですかね…」

「ふーん…」

酷く冷えた声がスマホから小さく聞こえ、背中に冷や汗がじんわりと滲み、それを窓から流れ込んできた風が、一層冷たく背を凍えさせる。

スマホを少し離し、咳を聞こえないようにして吐き出した。

矢波先輩が答えとして選んでいたものと違うのは分かっている。

それでもやはり万が一が無いわけではないし…とスマホを戻し頑なに拒んでいると、先輩はクイズの答え合わせを飛ばして、次の質問へと進める。

「…マスクは着けてるんでしょ?」

「まぁ、はい」

「ならだいじょーぶ」

「マスクを信頼し過ぎじゃないですかね…」

俺が言うと、少しの間が生まれた後先輩の声が真剣なものへと変わる。

「君が、僕たちの事を色々心配してくれるのは嬉しいけど、僕たちも君の事が心配なの」

「…別に、倒れるほど重病って訳じゃないですから」

「それでも、君の傍にいたいの」

「………」

そんなことを電話越しにとはいえ、何の躊躇い無しに言われてしまうと、頑なだった意思を無性に折ってしまいたくなる。

俺の沈黙が自分の言ったことは効果があるのだと知り、続けざまに先輩は「どうかな?」と答えを促してくる。

「風邪が移っちゃっても、文句もなにも言わないから、ね?」

「…」

上がった体温を抑えるために、加えてぼろを出さないようにと口を閉ざしていると、電話の先から矢波先輩と桜丘先輩のひそひそ話が微かに漏れ聞こえてくる。

「ほら春、交代…!もうちょっとで押しきれるからっ!」

「う、うん…!分かった…!」

その言葉通り桜丘先輩の声がメインに変わる。

「灯くん、私からもお願い出来ないかな?」

「春、もうちょっと可愛い声で…!」

「えっ、そんな急に…!えーっと、…あ、灯くん…お、お願い♡…うぅ、やーちゃーん…」

後ろに控えるプロデューサーの指示に従って桜丘先輩が健気に張り切ってくれたが、俺が何とも言えずに無言でいると、机に頭でも沈めたのかくぐもった唸り声をスマホが拾ってくる。

ここまでされてしまうと、桜丘先輩のその頑張りを無駄にしたくないが為に出した言葉にも最初のような拒否の声音ではいけなくなる。

「まぁ…」

「まぁ…ってことはもしかして?」

矢波先輩に電話の相手が代わり、期待に満ちた声が俺の言う話の先を求めてくる。

先輩達は多分、何があっても看病することを諦める選択肢しかないのだろう。

こんな長く行くか行かないかのやり取りをしている時点でそれはひしひしと伝わってくる。

ならばこちらが折れない限りいつまでもこれは続き、桜丘先輩にもさっきみたく余計に飛び火しかねない。

それでは結局、受験勉強にも支障を来して本末転倒になってしまう。

ギリギリ痛む頭で考え込み、その際漏れた咳を皮切りにして言葉を出した。

「…分かりました。その、無闇に近づかないなら」

「ほんと?」

「はい」

すると、電話の奥で「春、灯くん良いって!」と嬉しげな声が聞こえ、ノイズのように低く響き続けていた桜丘先輩の唸り声が止み、本当?と明るく聞き返す声が漏れてくる。

「それじゃ灯くん♪僕たち色々お買い物して行くから、寂しいかもしれないけどちょっと待っててね?」

「…まぁ、はい」

「じゃーねー♪」

上機嫌な別れの挨拶を先輩が言い、プツッと電話がそこで切れる。

通話終了と表示されたスマホの画面をホームに戻し、また眠りに付かせて脚の低いテーブルの上にことんと置く。

ここまで酷く拒んでおいても、実際来ることになるとどうしても部屋が散らかってないか、汚れてないかが気になってしまい、身体をぐっと伸ばしてあちこち部屋を見回していく。

僅かに開きっぱなしだったクローゼットを閉め、他にもどうかと視線を動かすが、格段俺が気になるような場所は見当たらない。

前に矢波先輩達が来た時から多分ほとんど変わっていない。強いて挙げれば、いつも同じ本屋ばっかで買っていたせいで、どれもこれも同じカバーの本棚ぐらいだろうか。

一列に綺麗に揃うと全て纏めて一枚のデザインのようにすら映る。

壁画のようなそれを眺めて心を落ち着かせ、先輩達が来るまでの間、ベットに腰掛けて壁掛け時計を見上げる。

あの時計が1時に向かって針を進める姿は何度も見たことがある。

だが外の景色や俺の周りの環境は時計同様に全く同じに揃うことなく、まるで時計だけが自分の物であるはずの時間に取り残されているようにも見えた。

そんなこんなであまり大きく動けない中、部屋に余計や先輩達の迷惑になるものが無いか探しながら時計だけを取り残していると、40分ぐらいした辺りで玄関のインターホンがピンポンと鳴る。

それはさっきの矢波先輩のクイズの答えを教える音でもあり、正解は一番目と答え合わせをした。

重い身体で玄関に向かい、マスクに隙間が無いかを確認して扉を開けると、やはり先輩達がいた。

桜丘先輩の両手にはビニール袋が持たれ、視線を上げて先輩二人を見るとそのどちらの顔も柔らかくほどける。

「良かった。急に悪くなって倒れてたりしたらどうしようかなって、やーちゃんと話してたの」

「ほんとに酷くないみたいだね」

「どうも」

枯れた声で会釈し道を開けると、先輩達はおじゃましますと入ってきて、靴を綺麗に並べて脱ぐ。

てっきり制服かと思っていたが、二人の服装は一度家に帰ったらしく私服。

冬に合わせ、コートの下は矢波先輩がモコモコしていて、桜丘先輩はゆったりと落ち着いた服装だった。

「制服でも良かったんだけどね、こっちの方が動きやすいから看病には向いてるかなって」

まじまじ見てしまっていると、流石に気付いたのか矢波先輩が理由を教えてくれる。

「なんか、すみません。まじまじ見て」

「んーん。君に見てほしくて着てきたってのもあるから。どう?可愛いかな?」

靴を脱いで一段高い廊下に上がりくるーんと一回転して、靡いたスカートが収まる前ににひひと笑って俺を覗き込んでくる。

子供のようなその仕草と見た目に、心が撃たれるようにどきりとしたのは確かだが、俺がそれをどう濁そうかと頭で努めていると先輩は廊下をとたとた歩いていく。

「…て、病人に聞くことじゃないよね。春、袋貸して。僕がお(かゆ)作っとくから」

「私が看病してて良いの?」

「うん。灯くんの親とかが帰ってきたら一番乗りに挨拶できるし」

「あ、だったら私も、その次で良いから呼んでほしいな」

「ん、りょーかーい」

「ちょっと」

妙な企みに驚いて割り込む。が、矢波先輩はそれを無視してビニール袋を重そうに両手に持ちリビングに消えてしまった。

ガチャリと開けた扉が閉まると、桜丘先輩の瞳はこちらを指し、「部屋に行こっか」と階段への道を俺に譲る。

「そう言えば、お昼ってもう食べちゃったかな?」

「食べましたけど、まぁ多分入ると思います」

(はじめ)までいかなくとも俺も一応男子高校生。

お粥ぐらいならば無理せずとも食べきれる。

「そっか。でも、だからってあんまり食べ過ぎちゃうのもダメだからね?」

「はい」

自室への扉に着き、短い会話が終わらせて、扉を開け部屋の中へと先に足を置く。

病人という立場上、自然座る席はベットになり、桜丘先輩はテーブルの傍に暖かそうなロングスカートを手で押さえながら腰をそっと落とした。

そして俺の実際の状態をとりあえず知りたいらしく、優しげな表情で口を開いた。

「風邪って聞いたけど、どこら辺が悪いか教えてもらっても大丈夫?」

「えっと、喉とか頭とか」

「熱は?」

「それも、まぁ」

言われて意識すると余計痛む気がして、意識的に意識しないようにする小難しいことに挑んでおく。

俺が意識しないようにする事に意識してしまい失敗している間、桜丘先輩はそっかと不安げに呟いてなにかをハッと思い出す。

「あ、冷えピタやーちゃんの袋に…。ちょ、ちょっと待っててね!」

「え」

バッと立ち上がると走って出ていき、俺一人取り残されてしまう。

間抜けな声を出した口を閉め、少しばかり待っているとリビングの戸が閉まる音、遅れて階段をたんたん駆け上がってくる音が家に響く。

その音も止まると、今度は俺の部屋の戸が開き、冷えピタのあの青い箱片手に桜丘先輩が息を切らしていた。

「大丈夫ですか…」

「あ、あはは…」

立場の逆転に桜丘先輩は苦笑いで答えた。

「おでこに貼るの下に置いてきちゃってて…。今、貼ってあげるから」

「いやそれぐらいは別に自分で…」

俺が箱に手を伸ばすが、サッとその箱は上に持っていかれる。

「ダメだよ。灯くんは病人なんだから、あんまり動かないで。ね?」

首をわずかに傾け柔らかい物腰で話すが、そこには絶対にさせない強い決意が見える。

あくまで促すようにして俺の答えを詰まらせ、その間に冷えピタの包装を丁寧にぺりぺり剥がす。

「おでこ、見せてもらってもいい?」

「いや自分で…」

「絶対だめ」

細やかな反抗も短い我が儘のような一言で強く封じられ、諦めて自分のおでこを髪を手で持ち上げて見せる。すると桜丘先輩が近寄ってきて、目の前で膝を付き、視界の上で綺麗な細い指がシートを持ってちょんちょん動く。

「…」

「ふふっ、いい子」 

身動き取れずに固まっていると、ピトッと冷たい感触がおでこに当たりそのままそこに残り続けた。

子供のような扱いをされ、微笑む先輩に返す反応にどうにも困り、その悩む顔を隠そうと持っていた髪を下ろした。

「他には不便な事ってない?汗とか…寂しい、とか?」

汗はあるにはあるが窓を開けているお陰で不快感も際立ってはないし、寂しいのに関しても普段は一人の事が多いし、問題はない。嫌な慣れ方しちゃってる…。

とにかくもうして欲しい事はなく、首をいいえと横に振る。

それに何処か不満げに先輩は頷いた。

看病という看病がこれといって出来なかったからだろうか。しかし、それは事前に伝えていた事でもある。直接それを話したのはほぼ矢波先輩だが、一言ぐらい聞いているはず。

そのままでいると、少しして一階のリビングの戸が開く音が遠くに聞こえてきた。

階段を一段一段慎重に上っているらしく、間の長い音が続き上りきると部屋の扉を声がノックする。

「はーるー、開けてー」

「うん、待ってて」

桜丘先輩が扉にとたとた駆け寄り、ドアノブを捻って矢波先輩をいれる。

木のお盆の上には湯気を天井に伸ばす真っ白のお皿。それには買ってきてくれたのか見慣れない木のスプーンが乗っていた。

「勝手にお皿とか選んじゃったけど、大丈夫だったかな?」

「えぇ、妹のじゃなければ多分」

「妹ちゃんのって…あの上の方の棚にあった可愛い食器?」

「はい。使ったら絶対怒られるんで…」

妹は勝手にこっちのを使ってくるがこっちは妹のを勝手に使えない。兄妹なんかでは多分、よく起こることだろう。

危惧している間に矢波先輩がテーブルを少しベットに寄せて、持ってきたお盆をそこにかたりと置いた。

「大丈夫。見つけはしたけど、僕の背だと足伸ばしても届かなかったから」

「それは…なんかすみません」

「別に謝らなくても良いけど。ん、ほら、冷めない内にお粥食べて」

木のスプーンがお皿の縁に沿ってこちらにつーっと運ばれ、それにお礼を言って受けとる。

真っ白なお粥にはネギが振りかけられているぐらいで、それ以外目立ってなにか悪意が入っている気配はない。

流石に先輩と言えど病人にはちゃんと優しくしてくれるらしい。

「…そう言えば」

「どうしたの?やーちゃん」

マスクを降ろし、ネギとご飯を掬って口まで運ぼうとすると矢波先輩が声を出し、それに桜丘先輩が首をこてんと傾げる。

俺も釣られて動きが止まり、スプーンがお皿の上で留まった状態になる。

俺と桜丘先輩の二人の視線が集まると、いや、と顎に指を当て光景を思い浮かべるように宙を見た。

「こういう時ってさ、本とかだとあーんってするのが定番だな~って思って」

「あーん…」

「い、いや別に良いですよ」

「そう?言ってくれればふーふーだってするけど」

「ふーふー…」

「別に大丈夫ですよ…」

自分の考えを無理に押し通す気はないようで、俺が焦りと気恥ずかしさを隠しながら断るとじゃあいいやとすんなり諦めてくれた。

危なかった…と、留めていたスプーンを口まで運ぼうとすると、その手がギュッと誰かに掴まれる。

「…ね、灯くん」

手の先を見れば矢波先輩の言葉を繰り返していた桜丘先輩が、ジッとこっちを真剣に見つめていた。

「な、なんでしょう…」

「私がしてあげる」

「おぉ、春が大胆」

「いや、え、あの…」

左手の掴む力が少し増して、そこにもう片方の手がぐぐぐと俺の指を一本一本ひっぺがそうとし、急に小競り合いが起こる。

「矢波先輩…」

助けを矢波先輩に要請するが、テーブルに頬杖付いて桜丘先輩の大胆な行動に感動しているだけで、特別何かはしてくれない。むしろ、この状況を楽しんでいるようにも見える。

多分、ついさっきの看病らしい事をあまり出来なかったのがこの行動の糸を引いているのだろうが、だからと言ってここまで力技で来られると単純に怖い。

力を込め最後の一本まで対抗しようにも、風邪の症状が邪魔をし、なす術なく指は離れてスプーンは桜丘先輩の手に渡ってしまう。

自分の手が持つそれを、先輩は大事そうに近づけ息を掛ける。

「ふぅ…ふぅ…」

湯気が収まってくると、はいっとスプーンを俺に差し出してくる。

しかし、素直にそれに食いつくことが出来ず矢波先輩をチラチラ見ていたが、逆に俺に諦めるよう言葉で勧めてくる。

「灯くん、せっかく春が冷ましてくれたんだから、照れないでたべる。文化祭の時も一回したでしょー?」

「でも…」

1回2回でなんでもかんでも慣れるのならば、俺の会話技術はこうはなっていない。

と、言葉を発しそのままになっていた口に、かぷっとスプーンが突然入ってくる。

食後でもすんなりと喉を通る薄い味付けのお粥を残して、スプーンは外に引っこ抜かれてしまった。

「ふふっ」

その持ち主を見れば、緩む口に手を当て満足そうに瞳を細めていた。

「どう?灯くん、お粥美味しいかな?」

「…はい」

「春から聞いて量は少なめにしといたけど、材料も余ってるし必要だったらまた作るからどんどん食べてね?春、あーん係はよろしく」

「うんっ、頑張るね!」

むんと鼻息を強く出して、またお粥をスプーンで掬う。

「ふー…はい、あーん」

俺の意思などいつも通りに無視され、お粥を飲み込むとすぐに次が口の前まで迫ってくる。

少しでも反論しようと口を開けるとその隙間をスプーンが埋め、出そうとした声をお粥が呑み込ませてしまう。

こうなってしまうともうどうしようもなく、かぷかぷ運ばれるお粥を食べさせてもらっていると、ふと玄関の扉が開く音がする。

まだ時間は2時には遠く、母親は考えにくい。

ならば妹だろうか。

矢波先輩が真っ先にピコンと反応して、待ってましたと言わんばかりにがたっと立ち上がる。

「それじゃ、灯くん。僕挨拶してくるからー!」

「いや、あのちょっと…けほっ」

「灯くん、立っちゃダメ。まずはお粥を食べきってから、ね?」

追いかけようとした所を桜丘先輩に言葉で抑えられてしまい、出ていく矢波先輩をそのままにしてしまう。

とたとた階段を駆け降りる音が響き、知らない人がいたことに妹が驚いたようで悲鳴染みた声が静かな部屋に届いてきた。

「灯くんの妹ちゃん?」

「多分、はい」

「そっか。じゃあ、私もあとで挨拶しとかないとだね」

何をされているのか、下から妹の戸惑ったような声と悲鳴のようなものが響く中、俺の不安とは真逆にほんわか桜丘先輩は笑って、量を減らしていくお粥をまた俺の口に自分の息で冷ましてから運んでくれる。

「大丈夫ですかね…」

「やーちゃんの事だから、流石に嫌われる事だけはしないと思うよ」

言うと、まるであっちにそれが聞こえていたかのように悲鳴がぴたりと止まり、リビングに足音二つで入っていく扉の音がした。

兄弟仲良く懐柔される日はそう遠くはないのかもしれない。

仁田家の未来を考えていると、お粥がまた口に入れられ、そして今のでお皿の中が空になり、置かれた木のスプーンがからんと軽い音を上げて底に当たる。

「…ごちそうさまでした」

「おかわりはどうする?」

「いや…。ふぁぁ…」

風邪薬の副作用と満たされたお腹。加えて、流れてくる心地よい少し冷たい風が、忘れていた眠気を欠伸で大きく蘇らせる。

先輩たちが来たことに対して、自分にも気づかないよう潜ませていた安心も、何処かで関係しているのかもしれない。

一度流してしまったが故に、二度目の眠気は一層強く、落ちた瞼が瞳を遮ってくる。

桜丘先輩は瞳をパチパチさせて堪える俺に、そっと声を掛けてきた。

「眠いなら、寝てても良いんだよ?ほら、横になって」

「いやでもせっかく来てくれたんですし…」

「看病に、ね?」

「…そうですね」

ゆっくりと眠らせるのも看病の一環と捉えているらしい。

桜丘先輩はお皿の乗っけられたテーブルを元の位置に戻すと、枕をぽんぽん叩いて俺の頭をそこに誘導してくる。

導かれるままに横になり腰にかけていた布団を身体に乗せると、自然と瞼は眠りへと誘ってきて、降ろしたマスクの下の自分の呼吸も段々落ち着いてくるのが分かった。

「灯くん、お休みなさい」

桜丘先輩から小さく掛けられた言葉は子守唄のように優しく耳をくすぐり、俺の意識を闇の中へと落としていった。


布団の温もりと外の冷たさ。そしていつの間にか誰かがしていた、母親が昔寝付かせる時にしてくれた覚えのある、俺の脇腹をとんとんと規則的に叩くのが重なり、しばらくぶりに闇の中から意識が醒めても瞼を開けることが叶わない。けれど起きていることは伝えようと布団に包まれながら横に向いた身体で身動きをもぞっと小さく取った。

すると、叩いていた誰かもそれに気付いてくれたようで「ん」と、微かに声がした。

続けて、パシャッとカメラのシャッター音のような物。

それで完全に意識が醒め、視界がぼやけながらもなんとか開けて、今の異音の原因を探り始める。

「灯くん、おはよ」

「…おはようございます」

瞳を開けて真っ先に飛び込んできたのはスマホに顔が少し隠れた矢波先輩。

言葉と共にスマホからその隠れた顔を横に逸らす。

多分、俺の脇腹を叩いていたのもこの人なのだろう。

感触のしていた部分付近に布団を挟んで手が乗っかっていた。

と、それよりも確認しなければいけないのはあの眠気を飛ばした異音。

原因は間違いなく俺に向いているこのスマホで、となればシャッター音が鳴る理由なんてのは内蔵されているカメラの機能を使った以外ありえない。

「…写真、撮りました?」

眠気が完全に抜けておらず、細い目で聞くと疑惑のスマホの画面側が俺に向けられる。

そこに写っているのは気持ち良さそうに眠る俺で、先輩が画面をスライドさせると他にも何枚か似たようなのが写し出される。中にはマスクを勝手に取ったらしく、素顔のままのも混じっていた。

「可愛い寝顔だよね」

「そんなの撮ってどうするんですか…」

「んー、デスクトップにでもしとこうかなー。受験勉強の癒しにするんだ♪」

「なぜパソコンにまで…」

「だって、君、スマホの方にすると他の人に見られたらどうするんだーとか文句言いそうじゃん。だからほとんど持ち出さないパソコンの方に」

スマホの画面がくるりと矢波先輩に返り、ポチポチなにか操作を始める。

止めようにも流石に力付くで奪い取るのは俺には無理で、視線で不満を訴えるしかない。痛みとぼやけの重なる頭ではまともな言葉も出てこず、出たとしてもどうせ結果は変わらないのだろう。

それに、似たような事を過去に俺もやった覚えがあります…。

名残惜しくも暖まった布団から身体を一部抜かし、なんとなく部屋を見回すと桜丘先輩がいない。テーブル上のお皿も片付けられてしまったらしく消えており、代わりに何故か袋タイプのフルーツ味ののど飴が、ちょこんとそこに置かれていた。

「あの、桜丘先輩は」

時計を見上げながら矢波先輩に聞いてみる。

時計の針はおよそ一時間ぐらい進んでいた。

「春なら今、隣の部屋で妹ちゃんと仲良くお話中。君の妹、すっごく可愛いよね~♪…(うち)にくれないかなぁ、ちらっ?」

スマホの操作を止め、下から覗いて俺の反応を窺ってくる。

迂闊にどうぞと言えば本当に貰っていきそうな気さえあるようにそれは見え、だから首を振って強く断る。

折角、ぼちぼち関係が善くなってきているのだ。

ついでに言葉も足してその意思をはっきりと表に出しておく。

「嫌ですよ…」

「むぅ…。あ、そうだ、その飴、妹ちゃんからだって」

「これ、ですか」

テーブルの飴の袋に手を伸ばす。すると、触れた裏側にザラザラと触れ慣れた紙の触感があり、裏返せば一枚の紙が張り付けられていた。

それには短く『あげる』と可愛らしい文字で書かれていて、幼く感じるその文字から読むに、本当に妹からの差し入れらしい。最低限しか情報を書かない辺り確信がある。

ならば早速と袋を開け、適当に取ったブドウ味ののど飴を口の中にからんと放り込んだ。

と、そこで誰か隣の部屋から出てくる音がして、少し歩いたあと俺の部屋がノックされる。

「やーちゃん、入っていい?」

俺がまだ寝ていると思っているようで、扉越しのその声は小さめ。扉を鳴らしたのは桜丘先輩。

「うん、いいよー」

「っしょ…あ、灯くん起きてたんだね」

入ってきた桜丘先輩に、こくんと頷いて応える。とたとたベットの傍まで駆け寄って来ると膝を付いて、俺と視線の高さを合わせる。

「灯くんの妹さん、灯くんのこととっても心配してたよ」

内容とは裏腹に兄妹愛のようなものを感じたのか、朗らかに微笑んで桜丘先輩は話をする。

ただ、兄という立場が真正面からそれを受け入れるのを阻み、ちょっと照れ隠しのような振る舞いを見せてしまう。

「…そうですか」

しかし矢波先輩は俺の覆い隠した部分をすぐに理解し、からかい混じりに俺に聞いてくる。

「妹ちゃんから気に掛けてもらって、素直に嬉しいんでしょ?」

「…」

「灯くん、そういうのはきちんと言った方が妹さんも嬉しいんじゃないかな」

「まぁ…はい…」

桜丘先輩に諭され頷くと、満足そうに先輩二人は口の端を柔くした。

「よろしい。…それじゃ春、そろそろ帰ろっか」

「だね。あんまり長く居たら色々迷惑になっちゃうもんね」

「ま、本当は灯くんのお母さんに挨拶しときたかったんだけど…妹ちゃんにも会えたし寝顔も撮れたから大満足♪」

矢波先輩のその言葉に「寝顔?」と桜丘先輩が首をかしげて返すと、これ、とスマホの画面を矢波先輩は見せる。

すると、桜丘先輩の目が興味深そうにキラキラ輝いて、矢波先輩を扉の傍まで手招きで呼ぶ。

訝しげにしながら黙っていると「後でこれ…」と密談の端っこが耳に届いてくる。

後でこれ、の後に続く言葉なんてのは限られている。

少しずつ晴れていっていた頭がその中から嫌な可能性の言葉を導き出す。

「こほっ…あの…ちょっと…」

咳も気にせずに慌てて声で止めに掛かったが、取引は成立してしまったらしく、二人は俺にじゃあねと手を振りながら、そそくさ逃げるように部屋から出ていってしまった。

せめて見送りでもと思い立ち上がったが、閉まったばかりの扉が近づくと急に開き、そこから矢波先輩が顔だけ出して「しっかり休んどく」と声音固く忠告されてしまう。

戻ってすとんとベットに布団を巻き込みながら腰を落とした。

壁越しの足音は徐々に小さくなっていき、一度忘れ物がないか確認のためかリビングに寄った後、玄関の重い扉が閉まる音が鈍く響く。

さっきまで家を賑やかにしていた足音はそこで聞こえなくなってしまった。

物静かになるとすぐに隣の妹の部屋が開く音がして、リビングにでも行くのかと思ったが、階段を降りる足音は聞こえず、廊下を少しばかり進んだところで止まりそして俺の部屋がこんこんとノックされた。

それにんーと鳴き声のような返事をすると、ドアノブが捻られ妹が入ってくる。

「…風邪、大丈夫?」

「まぁ…」

俺が応えるとなにか話でもあるのかテーブルを挟んで妹は腰を下ろし、開けられたのど飴の袋を見た。

ついさっき、先輩達からしっかりと感謝を伝えろと言われたばかり。

そう薦められたからやるではあまり気持ちが感じられないかもしれないが、だからと言ってなにも言わなければお礼さえも伝えることはできない。

常に近くにいたからこそ、言いづらい物があり、あーとかうーとか言葉探しで唸っていると、何かあるのかと妹に悟られてしまう。

ジッと見られ、意を決して長くもない言葉を吐き出した。

「のど飴…ありがとう」

「……うん」

妹は顔を少し俯かせそう言うと、居心地悪くさせてしまったのか手持ち無沙汰にのど飴の袋に手を突っ込む。

そこからオレンジ味を取り出して袋を解き、味そのままのオレンジ色をしたのど飴を口にぽいっと放り込んだ。

兄妹どちらものど飴をカラカラさせ、気まずい空間でどっちかのアクションを待っていると、動いたのは妹でも俺でもなく、玄関のインターホンだった。

「…お母さん、じゃないよね」

「だったら普通に開けるな」

誰なのか妹が玄関まで行こうと腰を上げたが、そこでのど飴の存在を思い出し、あわあわしながらこっちに視線を運んでくる。

流石に客人を飴を舐めながら出迎えるのはマナー的な部分があるだろうし、となればもうほとんどブドウが溶けかかっている俺が行くのが最善だろう。

病人ではあるが、変な勧誘とかセールスだったらそっちの方がさっさと帰ってくれる。

俺が行くと言うと心配してか僅かに妹の表情が曇ったが、それでも分かってくれたらしく体育座りで腰を落とした。

咳で喉を痛めながら階段を下り、勧誘対策にちょっと辛そうな顔に意識しておく。

声については電話越しでもガラガラと言われた。ならば、変な準備もいらないはず。

用意を整えて玄関に辿り着き扉を開けると、いつかの夏に思い出のある光景と似たようなものがそこには映し出されていた。

「仁田、お見舞いに来ましたわ!」

城戸さんが一人、仁王立ちで構えていた。

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