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モブに慈悲はない…?  作者: いす


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88/110

88話目

88話目です

誤字・脱字があったら申し訳ありません

一のバイトがよりによって山中にバレてしまった次の日。

なんというか、いつもの一週間よりも何倍も濃い気がして、その疲れのせいか授業もあまり集中出来ずに、いつの間にか放課後まで時は進んでしまっていた。

ぐでっと身体を預けていた机から起き、脇に掛けた薄い鞄を取って肩掛けベルトを引っ掛ける。新崎達はもう部活に行ってしまった。山中の入部について目立った素振りが見えなかったということは、彼女は今、一の件を優先しているのだろうか。

ふと、今の天気が気になって窓の外に視線を運ぶ。

昨日の強風は微風にまで落ち着いたが、雨が代わりにと勢いを増している。昨日と同じように傘がいるのだろうと肩に掛けた鞄をがさごそ探っていると、また昨日と同じようにベルトが乗っていない肩がトンと指で叩かれる。

「ね、またお客さん」

向けば昨日から少し髪型が変わったような気のする茶髪ちゃんがそう言い、指先を追って扉を見ると山中が閉まっている扉の影に少し隠れるようにして立っていた。

お礼を言って半ば駆け足で行くと、「帰り際にすみません」と山中は頭を下げる。

「いや…まぁ別に」

「昨日の(はじめ)の話をしに来たんですけど、良いですか?」

「…まぁ」

同じ場にいた身として、やはり話しておきたいのだろう。もしかしたら、一が俺にバイトの事をなるべく隠すよう頼んでいたことも聞いてしまったのかもしれない。

入り口すぐで長くなりそうな会話もなんだと、階段近くまで少し離れる。

「まず、一がバイトをしてたの、先輩知ってたんですよね?」

「あぁ」

「一が先輩に頼んだと、昨日、あの後に聞きました。身内の隠し事を私が知らなかったとは言え、手伝わせてしまった事には変わりありません。すみませんでした」

「いや、別にそれは良いんだけども…」

深々頭を下げられ、丁度帰宅途中の生徒や部活の忘れ物でも取りに来たのかジャージ姿の奴等に奇異の視線を向けられ、居心地悪く頭を上げるようお願いする。

というかそもそも、それをするとしても(はじめ)でなければ意味がないはず。

知らないものに対して責任を問うなんてのは無意味で、満足いく答えも出ないことだろう。

「肝心の(はじめ)は」

「一応校則違反ですし、生徒会長にも報告しに行ったんですけど…文化祭や体育祭で働いてくれたからと細かい雑用を今」

尋ねるとやっと山中は下げた頭を戻してくれて、絶賛罰を全う中と何処か不服そうに教えてくれた。

真面目な彼女だからこそ、身内の罪には罰を厳しくしてほしいのかもしれない。

実際のところ校則違反がどれだけの罰で平均済んでいるのか喰らったことがないから詳しくは知らないが、まぁ多分あいつ初犯だし、万が一罰が追加されたとしても最悪軽い指導的なので終わりで停学までは行かないと思う。

納得して、頭が自然と浮かび上げた別の疑問をこの調子で口に出す。

「…それで、なんで(はじめ)はバイトしてたんだ」

結局、この疑問が一番にある。

ただ遊ぶ金の為ならばそれで良いが、他に特別な理由があるのならばここまで立ち会った者として聞いておきたい。

問うと、山中はえーっとと困った様子で視線を廊下の壁や床に彷徨かせる。

何か言いたくない様な事なのかと「言いたくないなら別に」と追って付け加えたが、決心したのか、その言葉に彼女は横にいいえと首を振った。

「その……親孝行らしいです」

「親孝行…?」

「えぇ。高校を卒業して大学、もしくは働く事になったとき、そこで手に入れたお金ってことで母さんに何かしらを…らしいです」

俺が予想していた事と数倍良いことで、言葉を繰り返したあと、間抜けながら口がそのままぽかんと開いてしまう。

だが、数秒の間を経て口を閉じ次に開けるときに言葉を一緒に吐き出した。

「の割には結構使ってたような気も…」

俺が覚えてる限りでは確か体育祭の準備終わりに誘われ、山中もあの時一緒に奢って貰った身。それに加えて実際は行かなかったにせよ、文化祭の終わりにも桜丘先輩達にも同じ話をしていたし、もし本当に行くことになっていたのなら、あいつ自ら率先して桜丘先輩達の分だけでも奢っていた事だろう。

その金遣いで果たしてしっかり目的達成まで距離を近付けていたのか、一の言い分に対して少し半信半疑になってしまう。

しかし、本当にそうらしい。山中は俺の考えを否定するためにまた首をぶんぶん横に振る。

「全て貯めていた訳ではないみたいで、昨日、家中を探してみたらちゃんと貯金箱がありました」

「はあ…」

「額も額で、母さんにも相談したんですけれど…」

言葉の続きを止め、昨日のその時の記憶が蘇ったのか、山中の表情が苦くなる。

だが、それでも話すことにしたらしく一度ため息のような吐息を漏らして、続きを話してくれた。

「母さん、怒りはしたんですけど、それでも相当嬉しかったらしくて、途中から誉めてるのか叱ってるのか分からなくなって…微妙な感じで終わりました」

不服そうな原因がようやく分かった。

家でも学校でも満足いく罰が与えられず、むしろ良い感じに終わりそうなのが山中には不満で不服なのだ。真面目故の正しい悩みではあるが、正しすぎるが故に面倒な所に陥ってしまったらしい。

その救いの糸になるか分からないが、とりあえず言えることは言っておくべきかもしれない。

「…バイトは?」

「もちろん辞めさせました」

「…なら、それで良いんじゃないか。これ以上やって、変に(はじめ)がグレたりしたら一層面倒になるし」

正直な話、山中やあの物騒な気配のする母親がいればもし変な風になったとしても、周り含めて一瞬で矯正されそうな気もするけども。

しかし、山中には低い可能性の話は効果覿面だったらしい。

「…変になられたら困ります。…分かりました」

「余った時間はなに、勉強を教えるとか」

「確かに…。ここは少し難しいですし、本腰入れて教えても良いかもしれません」

案外、俺の言葉にはそこそこながらも力があるらしく、山中はメラッと瞳に静かな炎を燃やし、グッと力を込めて拳を作る。

そして、俺を見上げた。

「本当に、一の件はすみませんでした。それと、他にも色々言ってくれて」

「まぁ…どうも」

「それじゃあ、私はそろそろ私のことを、こほん。私のことを!待っている冬花ちゃんを迎えに行きますので、ふふ」

「…そう」

ちょっと誉めたくなるぐらい清々しく恩を仇で返しながら、山中は笑みを溢して階段をとたとた駆け降りていった。しかし、俺は冬花ちゃんの心に傷を与えてしまった人間。大人の対応を見せ、一言に怨みと妬みと苦しみを込められるだけ詰め込める。

その後は、した事よりも清々しく笑う彼女を静かに見送った。

と、上に続く階段の方から誰か二人が、手すりの傍でしゃがみこんでこちらをジッと覗いてるようなのが視界の端に見えた。

正面に写せば見慣れた先輩達が鞄を肩に掛け、スカートを危なくしながらこっちのやり取りを見ていたらしい。

片方の目が俺をジトッと睨み、それを見兼ねてかもう片方の背丈の小さい方が手をひらひらしながら先導して階段を降りてくる。

「今帰りー?灯くん」

「どうも」

「…」

矢波先輩の言葉に頷き、横にいる口を尖らせながら遅れて降りてきた桜丘先輩をちらりと視線を運ぶ。

「…どうも」

「…ふーん」

プイッとそっぽを向かれてしまい、その際振られた鞄が腰辺りにぼすんと命中する。

一応、解決したことを矢波先輩には報告していたはずなのだが、伝えていないのか伝えていてこれなのか、なにより、こうも不満を露にされてしまうと俺の手は触れるとなにかご利益でもあるのかと勘違いしてしまう。なにか、先輩達との関係を確立するために桜丘先輩が伸ばしてくれたあの手だったのだろうが、俺のめんどくさい性格が難を作り出した。

言葉を失い、ひたすら雨の音の中で立ち尽くしていると、矢波先輩がひょいひょい手招きしてきて、それに招かれるがまま少ししゃがんて高さを合わせた。

「君が言ってあげなよ」

「いや…えぇ…」

「恥ずかしいのは分かるけど、あのときの春だってそれ以上に恥ずかしかったんだよ?ほーら、男の子頑張って!」

「でも流石にここじゃ…」

そもそも、ここは学校の廊下。部活の時間のために人通りは少ないが、当たり前ながら俺らを除いて一人としていないわけではない。

俺が渋るとめんどくさそうなため息が漏れ聞こえ、仕方ないなぁと変わらず落ちる雨を窓から眺めていたムッとしている桜丘先輩の傍へと駆け寄る。

「春、灯くんがここじゃ恥ずかしいってさ。僕の家行こっ?」

矢波先輩が促すと、桜丘先輩も怒りで忘れていたらしい人の目を思い出して、うんと納得して頷く。

矢波先輩がくるりと踵を返し、俺を捉えた。

「僕の家、行くよ?」

「…分かりました」


二日ぶりの矢波先輩の家に通され、目立って変化は無い可愛らしい部屋の扉が、明かりを付ける音と合わせて鳴り、開く。

強いていえばあの片耳折れたウサギの人形が、ベットの布団に埋もれていたぐらいだろうか。なんて、辺りを見渡してしまったせいであの時の出来事や発言が頭の中で不意に蘇り、心と身体が色々な感情で震え上がる。

コートも傘も乾かすからと持っていかれた事もあり、それを隠すことが出来なかった。

だから、矢波先輩は寒さが残っていると思ってしまったのか、親切に暖房を掛けてくれる。単に自分が寒いからかもしれないけれど。

そして、近くにあったクッションを一つ手に取り、二日前と同じテーブルすぐの場所に置き、「座って」と俺の場所をポンポン叩いて指定する。

進められるがままにクッションに腰を落とす。

すると、すぐにでも桜丘先輩がすすっと制服のまま距離を詰めてきて、触っていいのか眼差しが言葉無く尋ねてくる。

「まぁ…ど、どうぞ」

「本当に良いの…?」

手を恐る恐る差し出すと、今度は言葉が不安を覗かせながらそう確認してくる。

一度は断ってしまった事。

そんな声音になってしまってもおかしくはなく、だからその不安を消せればと深く頷いた。

「そ、それじゃあ…失礼します…」

「は、はい…」

妙な空気の下、おっかなびっくり桜丘先輩の白い肌の手が近寄ってきて、それに左手を全て任せる。

そっと指先から触れてきてくすぐったく、間抜けな声が漏れそうになって慌てて息を呑む。しかし、そんな俺の動揺に気付いておらず、俺の手にひたすら集中しているのか、桜丘先輩の髪から覗く黒の瞳は、下に落ちたまま俺の手を一点に捉えている。

桜丘先輩の細い指先が俺の特別何もない指を掴むとキュッと握り込み、先輩の胸元の傍まで運ばれ、最終的には両手が俺の手を優しく暖かく包んだ。

ペットショップの動物ってこんな感じなのかもしれない…とか、変に余計な事を考えておかないと色々どうにかなりそうになる。主に汗。

「灯くんの手、ちょっと冷たいね」

ぐにぐにふにふに、何かの検査でもするかのように細かく指先から手のひらまでくすぐるように白い指が触れていく。

「外から帰ってきたばっかりだしねー。どれどれ~?」

もう片方に矢波先輩がズリズリ膝を擦らし寄ってきて、余っていた右手をギュッと強く握ってくる。

桜丘先輩の暖かな手とは違い、矢波先輩の手は俺と同じく外の風で冷えてしまっているらしい。

けれど、それだけでは恥ずかしさと気まずさと慣れない感覚で湧き上がってくる熱は収まらない。

「あの…あの…」

半ばうわ言気味にそろそろお止めになって頂きたいと懇願するが、二人は気に止めることもなくニコニコ笑って俺の手をいじくり回す。

「男の子の手ってこんな感じなんだね…ふふっ」

「もーちょっと筋肉とかでゴツゴツしてるのかなーとか思ってたけど…灯くんだからかな?」

「どうなんだろうね?」

「あ、あの…」

「…あ、ごめんね!さ、触りすぎ、だよね…」

パッと手が離され、心が安らぎ息が自然と漏れる。

矢波先輩も一緒になってそろそろ止めてほしいと視線を向けたが、傍若無人に人の頼みはそう通じない。

「やだ」

そんな簡潔な言葉とは真逆に、強い意思を感じるぐらいに俺の手が先輩の両手に塞ぎ閉じ込められる。

助けを求めて桜丘先輩を見ると、矢波先輩の手をジッと見つめ、そしてちょっと躊躇いながらもまた俺の手を掴んだ。

「あの…」

「わ、私もやだ……かな?」

一言であらゆる意味を持つ万能な言葉を言い続ける俺を、覗くように桜丘先輩が躊躇しながらも瞳を上げる。

果てしなく押しが弱いために、そんな力の無いすぐ折れてしまいそうな声にさえ断る事が出来ず、敗けを認めるかのように視線を逸らし、結果両手を先輩二人に塞がれてしまう。

次第に手は暖かくなってくるが、それ以外の所は過ぎて熱くなってきている。

…10分もした辺りでようやく満足してくれたのかパッと矢波先輩が右手を解放され、少し遅れて桜丘先輩も何処か名残惜しそうに細く整った指を手の甲、指の背の順に這わせて左手からモコモコのカーペットに帰っていった。

無意識なんだろうが、誘惑でもするかのようなその行為は、俺の身体にゾワッと鳥肌を立たせる。

と、矢波先輩が自分のクッションまでとたとた戻り、にやりと口を緩め不適に言葉を放つ。

「これで僕達と灯くんはただならぬ関係になったわけだけど」

「何でその言い方なんですか…」

「た、ただならぬ関係…!」

桜丘先輩が言葉を繰り返し、ちらっと俺を横目で見て赤くなる頬を両手できゃーっと恥ずかしげに覆う。

多分、桜丘先輩が蓄えてきた変な方面の知識が、その言葉と読んできた本のシーンとを繋げてしまったのだろう。

よく使われていそうなイメージではある。昼ドラとかならたくさんありそう。

「とにかく、一般的な先輩と後輩、そういう関係からは外れたってこと。先輩後輩って幅が広い関係だからね」

「まぁ…確かにそうですけど」

例え仲が良くても良くなくても先輩と後輩であればそう周りには伝えることが出来る。

しかしだからこそ、自分とその人の関係がいまいちはっきり見えないものであり、しっかり確認しようにも言葉で直接聞くのは大抵もどかしく感じるものだろう。

でも、やっぱりただならぬ関係では無いと思い、目でそれに意を唱えると、先輩は違う物を探し始めてうーんと唸る。

「…じゃあ、家族公認の仲でも目指す?」

そして少しの間の後、指をピンと立てて一つの答えを弾き出す。

「か、家族…公認…!」

桜丘先輩が顔を覆うぐらいに手の高さを上げ、指の隙間からこっそり俺の方を見てくる。

もうこの人は何を言っても反応するんじゃないかと、困った視線を壁に逸らした。

「あ、そうだ!なんだったら、今日これから僕の家で晩御飯食べてかない?それなら、僕の両親にも挨拶できるし、お得」

「いやそんな急には…」

唐突な誘いを断ろうとするが、先の言葉は桜丘先輩のルンと跳ね上がるような声に封じられてしまう。

「あ、だったら私のお母さんも呼んできて良い?今日、お父さん遅くなるみたいだから」

「ん、いいよー」

「それじゃ、話してくるね。あ、着替えもしてこなくっちゃ!」

トントン拍子に俺を省きながら話が進んでいき、桜丘先輩が嬉しそうにスカートをはためかせながら軽い足取りで部屋から出ていく。

二人きりになり、静かになった部屋で雨がポタポタ地面に打ち付ける音がかすかに入り込んでくる。

つまり、今は雨が弱くなっているのだろう。

帰る時として申し分なく、決定事項と化したそれを何とか崩そうと試みる。

「ちょっと無理矢理過ぎませんかね…」

自分も親に話をしに行くのか、扉から出る直前の矢波先輩に首を向けて言う。

すると、彼女は俺を見下ろして優しい表情でくすりと笑った。

「こういう無理矢理なの、君、嫌じゃ無いんでしょ?」

「……」

そう言い残し、反論が無いことは分かりきっているのか、俺の反応を待つこと無く、扉は矢波先輩を廊下に出しギイッと音を上げて閉まった。


グッタリと凭れるように自宅の家の濡れた扉を開け、靴の揃った見慣れた玄関にドッと込み上げてきた疲れをため息として吐き出す

桜丘先輩の母親は前に俺を見たときに爛々と目を興味で輝かせていたから根掘り葉掘り聞かれてしまうのは覚悟していたが、矢波先輩の母親も似た感じだったのは想定外だった。

途中から帰ってきた矢波先輩の父親には敵視され、居心地の悪さならば今までで一番かもしれない。

なのに、逃げるに逃げれず時刻は8時を目前にしている。

喉も久しぶりに喋り過ぎてしまったからか痛み、開けた際に流れてきた寒さにこほっと咳が漏れる。

全員が全員、俺を中心にして話す感覚は学校ではほとんど味わったことがない。…無いわけではない。

ただ、見間違いでなければ矢波先輩達はそれをきちんと楽しんでくれていた。

だから、まぁそれで終わりで良いんじゃないかと受け入れて、靴を揃え寒さの蔓延する、リビングから届く照明しかない冷えた廊下を同じく冷えた靴下で気持ち早めに歩いていく。

昨日と今日。二日連続での外食は流石に妹中心の母親でさえも気に掛けさせてしまったのか、夕食の断りと帰宅時間が遅れる事を連絡するとき、珍しく小言をいくつか言われていた。

だから、今鉢合わせるとまたあれこれ始まりそうで、階段を明かりを背にして急いで駆け上がり自室へと逃げた。

今の短い走りで僅かに身体に加算された疲れを減らすため、さっさとお風呂へと端が濡れた制服を脱ぎ片付け、そして着替えを手早く引っ張り出す。

溜め込まれていた冷気を暖めるため、ストーブの電源を付けて着替えと洗濯機に入れる服を持ち、扉を閉める。

すると、その音が似たような音と重なり、鳴った方に顔を向ければ妹が丁度部屋から出てきていた所らしい。

今まで幾度してこの光景はあったのに、少し前のあの出来事が合わさり動きがピタリと止まってしまう。

俺が止まってしまったことを妹は怪しみながらも、何か言いたげにして、けれど言わずに目の前をすたすた通っていく。

「…あー」

自然と声が漏れた。

それに反応し、妹の闇を呑んだ漆黒の髪がふわりと舞った。

「…?」

「いや、その…」

一応、妹は俺の事を気にかけ、俺の悩みを払おうとしてくれたのだ。ならば、立ち直れたのか自分でも解らないにせよ、これ以上の心配はさせないよう、全てじゃなくとも一言二言話しておくべきだろう。

階段の前で立ち止まり、ジッと妙な間を待つ妹の表情は格段嫌そうには見えない。

だから、しっかり頭で考える時間はあってくれた。

「…色々、迷惑掛けて申し訳ありません」

堅苦しく言うと、他に音があれば呑み込まれてしまいそうなぐらい、小さくか細い声が聞こえてきた。

「…別に」

「いやまぁ、気にはさせてただろうし…なんか欲しいものとかあるなら…」

何か話を続けないといけないような気がして、そんな考えてもなかったことを口は勝手に外に放り投げてしまう。

ただ撤回するのも兄らしく無く、迷った挙げ句の末、そんな高いものは厳しいと俺のお財布状況を伝え、逆に俺が相手の優しさにお願いすることにした。

俺の閉めたばかりの扉に逸らした視線で、本当に無理と察してくれたのか妹は数秒表情を崩さずに考え、どうしてか照れたように口をモゴモゴさせ出す。

そして俺と似て、視線を床に落としつっかえながら願いを言った。

「じゃ、じゃあ…。この後、一緒に…その、ゲームでも…とか…」

自分の腕をもう片方の手で抱き、気まずそうに妹は立ち尽くす。

「…え、あぁ」

実際の所、どんな高いもののお願いであれ諦めて買うつもりではあったが、一つとして予想していなかったお願いで、反射的に俺もつっかえながらこくっと頷く。

すると、ぱぁっと妹の表情が晴れる。だが恥ずかしいのかすぐにそれは俺と似た無愛想なぶすっとした顔に戻ってしまった。

「でも、風呂入ってからで…」

手に抱えた着替えを少し目立つように上げると、うんうん何度もあかべこのように妹がうなずき返す。

「そ、それじゃ、先に準備して待ってるから…!」

「あ、あぁ…うん」

兄妹でゲームなんて何年ぶりかと過去を振り返ってしまうぐらいに困惑し、生返事で応える俺の脇を抜け、妹は駆け足で俺の部屋に入っていく。

嬉しそうに緩んだその横顔も、俺が間近で見るのはいつぶりだっただろうか。

過去に耽り取り残されていた俺を寒さが足元を突いて戻してくれる。

妹のお願いを叶えるため、それと冷えきった身体を溶かすために階段を降りてお風呂へと歩を進める。

けれど、寒さが意識をはっきりさせても、何処かぼんやりとしていて、ついさっきの妹さえもまるで夢か幻だったのではないかと信じられなくなってくる。

あまりに意外過ぎた事だったからだろうか。

開けっぱなしの口からこほっとまた漏れ出た俺の咳は、勢いを弱めた雨の打つ音にすぐかき消されてしまった。

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