74話目
74話目です
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体育祭は終わり、まるでその時の歓声を受けて色づいたかのように、外に伸びる樹木たちの葉は黄色く、またはオレンジに色づいて本格的な秋の始まりを、何処かの秋の味覚食べ放題を流しているテレビだけではなく、実際の周りで体感させてくれる。辺りに流れる風も熱気は抜け、外に出掛けるには夏だけの服では肌寒く少々事足りなくなっていた。
そう、本当に足りないのだ。
…今日の午前、家でのんびりと普段のようにゴロゴロゴロゴロしていると、半ばゲーム機として活躍している携帯が、ピロピロ鳴り本来の役割を唐突に果たした。やっていた別のゲームから手を離し、携帯を取れば画面上の右下のメールボックスには一通のメール。ポチポチ液晶に触れてそのメールの欄を開いてみれば、差出人は矢波先輩。
そこで凍るように手が止まった。
矢波先輩のメールが俺にとってあまり良い物ではないことは、勿論俺は知っている。
しかし、いつもならば矢波先輩のメールには前兆のようなものがあって、こんな突拍子もなく届くものではない。
となれば、中身は俺にとってろくでもない事か、はたまた操作ミスによる手違いのメールか。それは開けてみなければ分からない。なんだっけ、シュレディンガーの猫だっけ。長靴を履いた方だっけ。
とにかく、鬼が出るか蛇が出るが。試してガッテン。
ビクビクしながら今度はその先輩からメールに触れて確認してみれば、中にあったのは無数のもしかしたらの未来から選ばれた一つのお話。
『今日、デート行かない?先輩からのお願い♡』
そんな短いお誘いだった。
…そんなこんなで秋になってからろくに出掛けず、まるで秘蔵のコレクションのようにしてクローゼットに放り込まれた長袖を引っ張り出し、拒否できないメールの返事にまた返ってきた返事の時刻に合わせ、ちゃっちゃか準備を進めていく。と言っても、どうせ俺の荷物なんていうのは基本、鞄に財布、あと携帯ぐらいなものでテーブルに乗っけた鞄にその通りの物を忘れず入れていく。それと何を見せられても落ち着けるよう、覚悟も心に背負わせておく。これが中々の重さで足取りもその影響でどんよりしてしまう。近頃のホラー映画はなにがあったっけ…またハリウッド辺りから飛んできたんだっけ…サメが。
見たくもないのにテレビのcmで勝手に流れるホラー映画がフラッシュバックして、より足に鉄のような重さがのしかかる。しかし、その重さだけでは動くことを完璧にストップさせることは出来なくて、だからこそ気分はガクリと下がる。
なんならいっそ、高熱でも出した方がそれを理由に出来るのに、そうならないから面倒で憂鬱なのだ。
そんなことを考えている内にも、身体だけ動かして進めていた準備は整え終わり、整っていないのは俺の覚悟だけとなった。集合時間まで余裕があり、まだ今向かっても三十分近く待たされることになるだろうが、それでもいつぞやの遅刻の事を踏まえ、逆に三十分早く行くのは得策かもしれない。
それに、そんな長い時間突っ立っていれば嫌でも覚悟とい名の諦めも仕上がっているはずだろう。そうだったらいいなって信じてる。
やけくそ染みた結論を出して、忘れ物がないか一通り部屋中を見回し、大丈夫なのをしっかり確認して扉を閉める。
とてとて階段を降りて玄関を開ければ、頬に触れるのはやはり涼しい風。空の天気は快晴とは言えず、ネズミ色の雲が遠くには見える。…そう言えば、さっき予報では午後から雨が降るかもしれないと言っていた様な覚えがある。靴箱の上にコテッと置かれていた折り畳みを鞄に放り込み、一応の雨対策を済ませて扉を越えた。
待ち合わせの場所として指定されたのは駅の傍にある、そこそこのサイズの木を、取り囲むようにして置かれた木製の背もたれの無いベンチ。
オレンジの葉がクッションのようにして覆い被さっていたが、素直に座らずにそれを払って腰かける。
流石に三十分も速く来たのだ。まだ、先輩の姿が見えることはなく、代わりに見えたのは駅に吸い込まれていくように向かっていく家族や、私服の同年代。気温が落ち着いた事もあってか、ただ散歩目的にうろついているのもちらほらいた。
視界に入った店の窓に立つ服を着たマネキンも、秋服仕様で中々にモコモコしていて、鼻につく何処かのスイーツらしき店の甘い香りも、さつまいもか何かだろうか、かなり濃く、嗅げば頭を溶かしにかかってくる。
あぁ…それを食べながらのんびり本とか読みたいなぁ…。
…でも、もしそれでクリーム的なのをうっかり本に落としたりしたらとんでもない悲鳴を上げてしまいそうな予感がする。紙から甘い香りとかもう読むとき集中できなくなると思う。
そんな、甘い香りの風に髪を委ねてボーッとしていると、いつまでも続けられてしまいそうで、少し身をよじるように動かして意識をハッキリさせておく。俺がここに来たのはおじいちゃんの昼下がりみたいな行動のためではないのだ。かと言って、何か時間を潰そうにも先輩が予定よりも早く来てしまえば、形としては俺の方が後に来たことになってしまうかもしれないだろう。だから、結局ここからは動けなかった。
そんなこんなで顔を下げて、時々、落ちた葉っぱが風に押されてカサカサ流れていく石畳と見つめ合って時間を潰していると、また通ってきた葉っぱをギリギリ踏むぐらいの近さに、トンと靴が置かれた。そこから伸びる足はとても白く、そして柔らかそうでそんな足を追いかけるかのようにもう一つの靴もトンと鳴らして並んだ。
「灯くん」
何処か機嫌の良さそうな声音が、俺の名前を呼んでくる。
「どうも」
何度も言ってきた挨拶と一緒に、すっと顔を上に向ける。
視線を矢波先輩に向けると、パチリと瞳が合ってしまい、何度か目を泳がせた後に先輩の肩辺りに視線を残す。
「今回は、前みたいに遅刻はしなかったみたいだね。うん、良い子良い子♪」
「止めてください…」
先輩の手がうりうり頭を撫でてくる。それを、ストップさせようと、言葉は出てくるが直接的に手を払うことが出来ず、素直に何往復も先輩の手を動かせてしまう。眉を寄せて先輩を見上げても、楽しそうなにぱっとした笑顔が返ってくる。頭だけでなく、その中身まで揺れてしまい追加の言葉が出てこない。
少しして、満足してくれたらしく手がやっと離れてくれた。
「でも、遅刻しないのは偉いけどちょっと早すぎないかな?まだ二十分もあるけど」
そこそこ待っていたつもりだったのだが、実際の時間はそこまででも無かったらしい。モニュメントに貼り付けられた時計は俺が到着してから長針は数字を二つしか進んでいない。と、またそれが小さく前に進んだ。
「俺は前の事もありましたから。…それより、そう言う先輩だって同じじゃないですか」
「それはもちろん、君とのデートが楽しみだったから…」
「素直に言いますね…」
「って言うのもあるけど、本当は君よりも早くここに来て遅れた君をからかうっていう目的だったの」
「…そうですか」
「うーん…色々考えてきてたんだけどなぁ…」
もったいなさそうに先輩が言葉を漏らすが、こっちとしてはただひたすらに困るだけで、もしそうなっていたらと考えるとゾッとする。昼下がりのおじいちゃんで良かった。ありがとうおじいちゃん…。お年玉俺だけくれなかったけど…。
何とも言えない表情の俺に、矢波先輩が「でも」と言葉を付け加え、話し出す。
「楽しみにしてたっていうのは本当なんだよ?ほら、服だって可愛いの着てきたし」
くるりとその場で先輩が回り、膝丈ぐらいのスカートが風を受けて花のつぼみのようにふわりと膨らむ。
一人称やら何やらで勝手に想像していたが、普通にそういう女の子っぽいのも進んで着るらしい。口には出せないが身長と相まって、凄く可愛らしく見えてしまった。
「……」
「どう?僕の魅力に見惚れちゃった?」
図星を付かれ目線が泳ぐ。
俺のその行動を素早く見つけた矢波先輩から、ふふんと嬉しそうな声が聞こえる。
逆に見抜かれた俺ははぁぁと間抜けな声が出そうなぐらいに居心地が悪く、話を切り上げられればと立ち上がって身体を少しそっぽに向けた。
「そろそろ行く?」
「…えぇ。ここでのんびり話してるとせっかくの覚悟が消えそうですし」
目的はここでのんびり雑談を楽しむ事ではない。いや、矢波先輩の楽しみに付き合わされるという事なら間違いは無いかもしれないが、それでも本来の目的がきちんとあるならばそちらを優先した方が良いだろう。そうすれば、こちらも終わった事を言い訳に早々に帰れるかもしれない。
とかなんとか似たような事をこれまでも幾度となく考えてきた気もするが、試してみなければ結果は分からない。
主人公と違い、人間には成功や平穏だけでなく、失敗や後悔なんかがすぐ後ろに付いている。可能性は無限大というよく聞く良い言葉っぽいそれも、あながち間違いでは無いのだ。ただ、成功した事例しか基本的に取り上げられないから懐疑的になるだけで。
俺が可能性の内の得する世界を引き当てられるようにと祈っていると、どうしてか俺の話を聞いた先輩の口の端が少し緩んでいるように見えた。何か、変な事でも言ってしまったのかと放った言葉を振り返るが、そもそもそんなに喋ってないから見つからない。
気になってしまい、恐る恐る口を開く。
「な、なんですか?」
「ううん、君のその意気を誉めてた所。さっ、行こ?」
「…はあ」
俺よりも一歩早く、矢波先輩は髪を揺らして進んでいく。
俺は特に歩を速めることなく、その後ろに付いていったが、自然とすぐにその距離は埋まり逆に追い越してしまいそうになってしまう。
変に離れてしまわないよう、意識して、先輩に合うようにゆっくりと震える足で付いていった。
連れてこられた場所はシアター、ではなくそこからは全く関係の無いショッピングモール内の食品売り場。
状況が掴めずに唖然としていると、矢波先輩がはいとカゴの乗っけられたカートを渡してきた。
「これは…」
自然と漏れた心中の声。
それを聞いた矢波先輩はくすくす笑いだして、歩き出しながら事情を話してくれた。
「今日の目的、映画じゃなくてお買い物だったんだ。勘違いさせちゃってごめんね?」
「えぇ…」
…思い返してみれば、先輩は一度として映画を観に行くとは言っていなかった。それを読み違えてブルブル震えていたのは俺。ついさっき、先輩が笑みを溢していたのも、それを見て自然と表に出てしまった物だったのだろう。
肩の荷が降りるのと同時に、無性に逃げたい気持ちになってくる。
はぁ、と深いため息が漏れる。カートにどんよりした体を預ける形で任せ、それを原動力にカートのタイヤを回していく。
と、不意に彼女は振り返り、にやりと笑顔を浮かべて言葉を切り出した。
「映画、そんなに見たいんならこれが終わったあとにでも一緒に行ってみる?最近新しく出たのもあるし♪」
「…結構です」
「そっか」
端から俺の返答なんて分かっていたかのように、端的な言葉で話が終わる。
短い話をしている内に、適当に入っていたお惣菜エリアを抜けて、鮮魚コーナーへと辿り着く。今の俺みたいな死んでいる目の魚が、天井を見つめて氷に囲まれていた。
流れる冷気が少しひんやりする。
「それで、なにを買いに来たんですか?」
「ん、ケーキとかの材料をね。それも結構たくさん」
「誰かの誕生日てすか?」
「んーん」
矢波先輩は首を横に振り、
ケーキの材料、そう言っていたのに魚をじっくり見つめて、ぽつりと「アリかも…?」と呟いた。
「…誰のためか知りませんけど、魚は止めた方が良いと思いますよ」
「じゃお肉?」
「目的はケーキですよね…」
「いやぁ、そのケーキ、サプライズ用に作るからさ、そういうドッキリ的なのも必要かなぁ、って」
「サプライズですか?」
誕生日のためではないが、サプライズでは行うらしい。
前に城戸さんの誕生日会をサプライズでやったのと、俺のそういうイベント事に対する知識不足が重なって具体的な内容が思い当たらない。
俺の質問に先輩はすぐ答えてくれた。
「実を言うと、どうやら家庭科部の後輩ちゃん達がサプライズのパーティーを計画してくれてるみたいでね」
「ほー」
「もう少ししたら、受験勉強がもっと忙しくなるからって、多分気遣って今にしてくれたんだろうけど。偶然、その話を聞いちゃってさ」
カラカラ軽いタイヤを回して先輩のあとを追っていく。
鮮魚コーナーを通った先は調味料やレトルトが纏められた棚がいくつもあるエリア。そこのひとつで先輩が曲がる。
「このまま行ったら、素直に驚けるか分からないし。で、だったらサプライズ返しをしよう、って家庭科部の他の皆と話し合ったの」
「…これはその材料ですか」
「うん」
「俺なんにも関係ないですね…」
俺が今しているこれが、俺に全然関係もない、それどころか面識すらない誰かの為の労働でしかないということを知り、ちょっとやる気が減ってしまう。いや、大体どの労働もやる気そんな無いけども。
と、未だ空っぽだったカゴの上に砂糖がどさりと乗せられ、矢波先輩もカゴの縁に手を乗せ俺を覗き込んできた。
「タダ働きが嫌なら後で色々試作も作るから、それ食べさせてあげるよ?」
「…変なもの入れないでくださいね」
遠目にまだ見えている魚に視線を運ばせる。
「安心して、僕だって三年間家庭科部に居たんだから、スイーツからおかずまで、何でも美味しく作れるよ♪あ、何だったらお嫁さんにでもいかが?」
「…遠慮します」
知ってたと言わんばかりにふふと先輩は笑い、小麦粉やらベーキングパウダーやら、他にも色々カゴへと放り込んでいく。その迷いのない、これまで何度も繰り返して来たような動きを見る限りは、本当に料理は手慣れているらしい。値段も細かくチェックしている辺り、主婦のような雰囲気も見えてくる。雰囲気だけでしか無いけれど。
一通り粉類は揃い終えたのか、先輩はカゴの中身を一つずつ指差して、「じゃあ、次ね」と言って先導していく。
導かれるままに後ろを従者のように歩いていれば、今度着いたのはお菓子のエリア。
煎餅からグミに、それに加えて期間限定と名のついた栗味のお菓子がズラッと棚に置かれている。割と頻繁に帰りにここに来ているからかそこそこ馴染みを感じていると、ねぇと声を掛けられ意識を戻された。
「灯くんは、赤と黒、どっちが好き?」
「え、あぁ」
てっきり別の物の事を言いそうになったが、その先の言葉をストップさせて、先輩の顔を挟むように並んでいる板チョコの左側に指を立てる。
「赤?」
「はい」
「へー、てっきり黒とか苦い方が好きかと思ってたけど。それじゃ、今日はこっちで」
選ばれたのはレッドカラー。
通常の三倍のお値段な訳はもちろんなく、三種類とも一律同じ値段で揃っている。初めから選ばれなかったのは茶色だった。
というか、そもそもの話
「それ、俺が決めて良いんですか」
「うん、みんな甘いの大好きだし、もし灯くんが黒を選んだとしても、後から甘くすればそれで良かったし。今の質問はただ君の好みを知りたかっただけ」
ルンとした声音でそう言われる。
「…そうですか」
的確に矢波先輩の仕掛けた罠に引っ掛かりまくっている気がしてならない。落ちた視線の先、ピカピカに磨かれた床には疲れきった俺の顔が写り込んでいる。
さっき見たアジを越えていた。
「よし、ここもオッケー…だね!さ、灯くん、次行くよ!」
「了解です」
ほんの欠片重くなったカートを押して次に向かったのは飲み物付近のエリア。目的はきっと牛乳だろう。ろくにお菓子作りなんぞしたことはないが、牛乳は大抵において使うのは流石に知っている。物語の主人公のように、お菓子は牛乳が必須。つまり、主人公は牛乳ということである。絶対違う。あいつ液体じゃないし。
しかし、主人公の存在は外しても目的はピッタリあっていた。
カゴに1リットルの牛乳が二つドンと置かれた。自分の子供に与えるはずの乳が違う生物に奪われているのに、中々牛は良い笑顔。
そこに、近くにあった卵も重ねられそろそろカゴもそれなりにズッシリしてきて、押すにも程々力がいる。
しかし、まだ買うべきものはあるらしい。鞄からちっちゃいメモ用紙らしき紙を引っ張り出して、次の行き先を設定する。
「えーっと、次はあっちだね」
「結構買いますね」
「でも、次で最後だから。荷物持ち、お願いね?」
例えどんなに重くなろうと、俺はこの仕事の給料であるケーキを貰うと約束してしまったのだ。
ならば、そこは引き受けた側としてきっちり完遂しなければいけない。
こうして男手を先輩は連れてきた時点で、重くなることは想像済みだったし。
俺が了解の意を込めて頷くと、よろしいと満足げにまた道を先導してくれる。
そして急に話を振ってきた。
「ね、今の僕たちって周りから見たらどんな感じなのかな?」
「兄妹じゃないですかね」
場所が場所故に、周りにいるのはほとんどが主婦っぽい人なんかだ。ここがそれこそシアターだったりしならば同世代も多く、変な勘繰りがされていたかもしれないが今ならばそれぐらいにしか見られないだろう。
俺が特に反応も見せず淡々と返すと、先輩は歩を緩め俺の隣に並び立つ。
「じゃあ、僕が姉だね。姉と弟の姉弟」
「その自信はどこから来るんでしょうか…」
「なら、君がお兄ちゃん?ふふっ、お兄ちゃん♡」
それは本当の妹さながらの可愛らしさと元気の良さが混じった笑顔。
…だからか、少し物悲しくなってきた。
「………」
「なんでそんな悲しそうな顔なの…」
「…いや、最近妹がそんな呼び方してくれなくなって…はぁ」
ラノベ特有のお兄ちゃん大好き妹なんてのは、その名の通りラノベだけ。こっちの妹なんて話しかけてくるときは大抵「ねぇ」とか「ちょっと」とか、そんなそっけない感じで過去の可愛いげはもう無い。辛い。泣きたい。
一時、そういう楽しげな思い出を頻繁に貰っていたからこそ、それが過去の物へと移り変わったとき苦しさと言うのは倍増する。
表情が勝手に歪んでしまったのか、先輩が俺を見て申し訳なさそうにあはは…と苦笑いをする。
「…あ、ほらお菓子買ってあげるよ」
珍しく気を使ってくれたようで、端っこに立つようにして置かれていた板チョコの上にブドウのグミが投げ込まれた。
「いや…子供じゃないんですから…」
「そう?まぁ、でも僕が食べたいからそのままで良いよ」
「…分かりました」
「んじゃ、最後の果物、買いに行こっか」
妹も季節も、望んでいなくても時間が経てば自然と変わっていってしまうもの。
しかし、季節が一周するかのように、妹もきっと、あの頃の可愛らしさをいずれ取り戻してくれるのだと俺は信じている。
希望と願望を込めて、とりあえずカートを強く押した。
一通りの買い物を済ませ、両手一杯の荷物を持って紅葉間近の木の下を歩んでいく。
空に漂っていた雲は、前に見上げたときよりより黒さが増していて、雨はもうじき降る予感がした。
が、そのための用心で持ってきた傘を開くことは出来ない。
隣を見れば、美味しそうにグミをモグモグしている先輩が
俺の鞄をお腹辺りでバウンドさせていた。
買い物終わり、邪魔になるでしょと半ば強引にぶん取られ、今となってはベルトも調整されて先輩に合ったサイズにされてしまった。
取り返そうにも両手はビニール袋で塞がっていて、行動は起こせそうにもない。
だから、複雑に瞳を向けることしか出来なかった。
俺が鞄を気にかけていると、お菓子の袋をがさごそまさぐっていた先輩が、お、と口を開けた。
手元を見れば、他のと何ら変わらない紫色のグミだったが、よーく見てみると形が違う。パッケージに写っているのにそっくりなキャラクターのようなずんぐりむっくりしているなにかがちょこんといた。
「なんです、それ?」
「時々入ってるって噂のレアな奴。…ちょくちょく買ってたけどやっと出てきてくれた…」
嬉しげにそれを乗せた片手を余っていた片手で支え、おぉ…と声を漏らして瞳をキラキラ輝かせる。その図はどう見ても子供にしかみえず、微笑ましくなってしまう。
というか、実際に口が緩んでしまい、慌てて小さく咳払いをして正し、誤魔化すために言葉を加えた。
「…食べないんですか?」
「…灯くん、食べたい?」
「いや良いですよ…」
「そ、それじゃあ遠慮無く…」
先輩がはむっとグミを口に放り込む。もぐもぐ数回頬を動かした後そのまま頬が緩んだ。味としてはきっと変わりは無いんだろうが、やはりレアと言う言葉は特別性があるらしい。スーパーレアとかウルトラレアとか、星5とか期間限定とか水着とか確かに皆明かりに群がる虫の如く惹き付けられてるし。俺もだけど。
そんなことを少し考えているとごくりと喉を鳴らして先輩がグミを飲む込む。
そして、何故かまたお菓子の袋をまさぐり始めたかと思えば普通のを一つ、取り出してグッとそれを掴んでいる腕をこっちに伸ばしてきた。
「これは」
「僕に譲ってくれたお礼。ほら、あーんも今なら付けてあげるよ」
短い言葉で理由を求めると、そんなサービスの説明が返ってきた。
しかし、それを素直に受け取ることが出来ない。両手が塞がっていて、食べるためには口をグミを挟む先輩の指のほんの近くまで近づけなければならない。
断ろうにもこの人に断りを入れてそれをすんなり受け入れてもらったことがろくにない。もしかしたら一回として無かったかもしれない。
涼しい風が吹き抜けているというのに、じんわりと汗ばむ背中に不快感を持ちながら、ゆっくりと身体を下げて口を開ける。
「………」
「ほら、お食べ」
動物にエサでもやるような感覚で、ぺいっと指で弾かれたグミが口にホールインワン。
よく食べるブドウの味が、照れやもどかしさでごちゃごちゃになって分からない。
甘いものを食べてながら苦み走った顔をしていると、先輩が茶化すように「もう一個いる?」と聞いてきて、首をブンブン横に振る。
味に混ざった照れを誤魔化し呑み込むため、がさりとわざとビニール袋の音を立てた。
「…そう言えばそろそろ文化祭ですね」
ついでに別の話題も振って誤魔化しを重ねておく。
まぁ、本当に文化祭が近いのは確かだし、だから先輩は余ったグミの入ったパッケージを鞄にしまい、すぐに話にのってきた。
「君のところはもう何出すか決まった?」
「いや…多分、来週ぐらいには決まるかと思いますけど」
「ま、内の高校他だと人気の演劇があれだからねー。色々めんどくさいよね」
「まぁ」
いつぞや新崎達と話したことだが、内の高校にはほぼ毎年、近隣にある劇団と演劇部がコラボしていて、それがかなり人気を得ている。
だからか、それ以外の普通の生徒たちが劇をやろうとしても、皆面白半分にしか受け取らなくなるのだ。だから、やる側も真面目にはやらなくなり、ネタに突っ走ったり過度な期待はしないでくださいとみなみけスタイルを取っていたりするしで、まずクラスでの出し物で選ばれることはない。
代わりに喫茶店が人気を集め、ちょっとした都心のコンビニくらいには数が出る。
しかし、主人公がそんな安直な物を選ぶわけがない。
かといって演劇は言った通りあれで、クラス同様に俺もどうなるか行く末を考えていた。
「…そう言う先輩は、何やるかもう決め終わってたりするんですか?」
こちらが聞かれたのだからとそちらに聞くとこくりと先輩が頷いた。
「うん。家庭科室で昼食を手作り。だから、クラスの方には参加しない」
「…手作りですか」
「ふっふっふっ…生徒会長からはきちんと許可を貰ってやるから完璧!もしもの責任は学校が取るからねっ!」
「外道ですね…」
今のご時世高校生の手作りなんてのは色々引っ掛かりそうな物だが、許可はちゃんと手に入れた辺り、料理の出来や衛生に信頼はあるらしい。
事前の衛生チェックだったり器具の検査だったり作る料理の提出がどーのこーのと、それをやっとクリアしたんだと誇らしげに先輩が話す。
そんな話を全て話させたいのか、弱めの向かい風が道を抜け、自然と歩みが遅くなる。
ぼちぼち手がビニール袋の重みで痛くなってきた。
話を聞きながら袋を持ち直し、手の痛みを気持ち軽減しておく。
「あ、そうだ。暇だったら当日家庭科室に遊びに来てよ?特別に僕の手作りをタダで食べさせてあげよう」
タダ。
その言葉を聞いて疑いの目を先輩に向ける。
「タダって言葉、怖いんですけど。…その代わりにまた材料運べとか言わないですよね」
タダより怖いものはない。
そのまま信用して良いのか尋ねると、先輩の口が「あっ」と何かに気づいたのか少し開き、すぐに閉じたかと思えばピンクの唇が笑みの形を作る。
「そっか…ご飯食べさせる代わりにまたこうして手伝わせれば…」
「え…あの…それは」
不穏な言葉が耳に届く。
どうやら、さっきの昼食を食べさせてくれると言うのは本当にただの善意だったらしい。そこに俺が余計な事を閃かせる情報を与えてしまったのだろう。…えぇ。
撤回出来ない自分の発言をあのとかいやとかそんな雑な言葉で取り繕おうとするが、働いてしまった先輩の閃きが止まることはない。
しばらくの黙考の内、曇り空の下に輝く太陽のようなキラリンとした笑顔が現れた。
「文化祭、よろしくね♡」
「あの…困るんですけど」
「灯くんが親切な後輩で良かったなぁ…。遠回しに手伝いたいなんて言ってくれちゃって。も~可愛いなぁ♪」
「ドンドン都合よく解釈されてくんですけど…」
しかし、だからと言って素直に受け入れてはいけない。
決定事項としてなってしまったのなら、その中身を軽くする方向で話をシフトさせればいい。
「まぁ…あのほら、俺も内容が決まってないとは言え文化祭もあるんで、そんな重労働とかは無理ですよ…?」
だからせめて最初に言った荷物運びぐらいで勘弁して、と目で聞くと「もちろん!」と矢波先輩が元気に笑う。
「ギリギリのラインで決めとくから!」
「そうですか…ありがとうございます…」
クラスの作業に、縁がろくにない部活の手伝い。
ましてや、そのどちらもが明確に何をするのか知らず、とても不気味に思う。
何事も先が見えないと言うのが一番恐怖を感じるもの。
…後悔で身を落としていると、そろそろ辺りが見慣れた場所に変わり始めた。
夏祭りに体育祭の帰り、もう二度も見た公園は曇り空のせいか子供の姿はない。
というか、累計三度目だがその全てで子供が遊んでいた試しがない。
まぁ、今時の豊富なゲームなんかがあればそうなってしまうのも仕方が無いことなのだろう。俺も昔は公園とかろくに行った思い出がないし、大抵は家でそんな感じだった。
いや、今も大体そんな感じで変わってなかった。
しかし、それでも何処か寂しさは感じてしまうもので、関係があるわけでもないのに感慨深く見てしまう。
横目で公園を眺め、捉えきれなくなった辺りで視線を真正面に戻す。
風に揺れる髪の毛が視界を邪魔してうっとおしい。
手の痛みも合わさって、少しため息のようなのが漏れてしまった。
「……」
「流石に疲れちゃった?」
「え、あ、いや。もう少しですし、大丈夫です」
俺のその行動に気づいた先輩が覗き込んでくる。
会話も止まり、風しか流れていない場ではそれが耳に届いてしまったのだろうか。
「春も言ってたけど、無理は禁物、だからね?それでもし身体とか壊したら、僕が付きっきりで看病してあげるよ。ふふふ」
まるでそうなったら面倒くさい事になる、とか言いたげに不適で怪しげに、何かを企むかのようにくっくっくと笑う。
「…気を付けます」
そしてまた重い袋を揺らして道を歩いていけば、見慣れたとはいかなくとも見覚えのある家へと近づいてきた。
そして、俺たちが近づくと同時に空もどんどん雲行きを怪しくし、雨はもう間近らしく、自然、足取りが速くなっていた。天気予報では午後と言っていたが、もう少し正確なのを知っておけば良かった。
玄関の扉の前まで着くと、甘い香りが奥から漂ってきた。すでにあった材料で桜丘先輩が作り出していたのか、導かれるかのように先輩が扉を開けた。
「灯くん、お疲れさま。とりあえず、そこに置いといて良いよ」
「ええ」
玄関から上がったところに二つのビニール袋をがさりと置く。長らく働いた両手がやっと解放されて痛みも引いてくる。
と、不意に奥の扉が開いた。
「やーちゃん、お帰り。それと、にーにゃんくんもここまでありがとね」
「どうも」
聞き覚えのある声。そして、開いた扉からその持ち主である桜丘先輩がひょこっと顔を出した。着ていたエプロンがはらりと揺れる。
「お、芽野帰ってきたな」
「あ、ほんとだ~」
全く持って聞き覚えのない声が二つ。遅れて、全然知らない女子が桜丘先輩に続いてひょこひょこ二つ、顔を出した。
…誰?本当に誰?
矢波先輩に説明を目で求める。呆然と立ち尽くし、一歩後ろに下がる。
丁度、件の二人も俺に気づいたらしく興味深くこっちまで向かってきた。片方の背の高い方もエプロンを着ている。
「あんたが芽野の言ってた仁田…だっけ?」
「…ど、どうも…」
「へ~」
おっとりした感じの方にジロジロと観察され居心地が悪い。
置いたビニール袋が壁となって距離をこれ以上詰められることはないが、それでも見られるだけでもキツい。
俺が苦笑いに加えて目線を海洋横断の域でむっちゃ泳がせていると、桜丘先輩とケーキの出来やなんやと話していた矢波先輩がやっと助け船を渡してくれた。
「ほーら、二人とも灯くんが怯えてるでしょ。離れて離れて」
「あ、ちょっ」
「押さないでよ~」
グイグイ背中を押され、二人は奥の部屋へと運ばれていく。そして、見えなくなったかと思えば矢波先輩が扉から顔だけ出して現れた。
「ケーキ、食べていくんでしょ?ほら、上がって上がって」
「いや…流石に…」
流石に顔見知りですら無い女子が二人もいる場所へ踏み込む勇気はない。タダ働きも嫌だが、この状況ならばケーキをのほほんと食べるだけで終わるわけがない。
女子は徒党を組むと強くなるのだ。四人もいればもう世界征服とか出来るに違いない。
俺が玄関でその…と、言偏見を持ちつつ帰りたい態度を詰まった言葉で見せると、矢波先輩が肩に掛けていた物に手をのっけた。
「これ、僕が預かってるけど良いの?」
「俺の鞄…」
鞄には必要最低限しか入っていない。しかし、だからこそ全てが俺にとっては必要で、取り返さねばいけない物。
まさか…俺が躊躇うことを読んで…。
というか、翌々考えてみれば家庭科部が矢波先輩と桜丘先輩だけだなんて勝手な思い込みに過ぎなかった。部長や他の部員らしき人がいるのは当たり前だったのだ。
俺の驚いた顔にふふと微笑んで、矢波先輩は扉の奥へと消えていく。それはつまり、俺がこの後どう動くのか、見なくても分かるということである。
俺が引いてしまったもしもの確率は中々大変な物だった。
結局、また諦め靴を脱いで、置いてかれたビニール袋を拾って魔境へと足を踏み入れた。




