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モブに慈悲はない…?  作者: いす


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71/110

71話目

71話目です

誤字・脱字があったら申し訳ありません

秋の気配が感じられるようになり、夏に成長を進めた植物達がほんの少し、オレンジに色づき始めた近頃。

今年の夏は長くなりそう、熱中症に注意、とちょっと前までのテレビでは毎日そう繰り返し流れていたのだが、今朝見たテレビでは今週中にはもうこれまでの暑さは次第に涼しさへと変わっていくそうで、人気だった熱中症の話や避暑の出来る場所は消えて、これから始まる秋の味覚についてがあれこれ長く特集にして組まれていた。

そんな、ほぼ秋と言っても良いような今日。この高校では体育祭が開催される。

これから行われる雌雄を決するであろう熱い戦いを目前にして、ヒートアップしている体育会系の生徒達の熱を冷ますかのように、グラウンドにひゅうと駆けているのは涼しい風。太陽も俺たちが苦しんでいることにやっと気がついてくれたようで、時折、雲の裏に隠れては街全体を覆う大きな日陰を作っていた。

しかし、日陰と涼しい風がグラウンドを包んでも体育祭という、ビッグイベントの熱は冷める気配はない。むしろ、その熱気はドンドン増していっているような気さえする。

が、一部の生徒達のそんな熱く、ムンムンとしたやる気が強まれば強まるほど、逆に冷めている奴らはより冷えていくもので、女子に「頑張ってね!」と応援されている輩がいれば、けっ、とバカバカしい物を見る表情になり、似たような事をしている奴らの所に集まって話し合っている所を見れば、ある種の結託が組まれているようにも見えた。体育祭というのは、大抵、華やかに高校生活を送っている奴らがより、友情を深める場だけのように思われがちだが、案外そうでもない奴達もああして仲を深めているものらしい。

まぁ、その仲を深める方法の綺麗さには雲泥の差があるけど。でも、仲良き事は美しきかなって言うし、全部美しいのかもしれない。きっとそう。

そんな、美しい友情を深めたシーンをちらりと眺めていると、ポンと肩を叩かれた。

「…ん?山中」

振り向けば、立っていたのは(はじめ)の方の山中。

長袖を半袖サイズに折るというよく分からない服装に、頭には白組を現すハチマキをクルッと一巻き巻いていた。

もうそれ半袖で良くない…と、山中を見ていると、その半袖の答えの代わりに声を掛けてきた理由を教えてくれた。

「先輩、どうもっす。なんか、落ち込んでたみたいっすから気になって来たんすけど」

「…まぁ」

触れずにいこうとすればするほど、それは表情に出てしまっていたらしい。基本無表情でいたからこそ、少しの違いで見抜かれてしまったのかもしれない。意識して、いつも通りに表情を無にする。零の構えとか言うとカッコいい。

「まぁ、良いじゃないっすか。くじ引きっすから、仕方ないっすよ」

「なんの話だそれ…」

「え?組分けの話っすよね?」

「…あぁ、それ」

「新崎先輩達が全員赤組だからってそんな落ち込まなくっても大丈夫っすよ。ほら、自分が一緒ですし!」

「そういうことじゃないんだけどな…」

確かに、俺をピンポイントに除いて新崎達は赤組である。そして当の悩みのたねである冬花ちゃんはもちろん、高校生の身体能力に叶うはずもないと周知されているので、今日はテントの下で椅子に座ってのんびり見学中である。だがしかし、その瞳に写る先はウォーミングアップ中の新崎。新崎は冬花ちゃんの熱い視線に気づいて、ウォーミングアップを止めたかと思うと、傍にいた城戸さんと笠木さんに何かを喋って、冬花ちゃんへ話をしに向かった。

歩いてくる新崎を見て、冬花ちゃんはぱあっと明るくなり、遠目で分かるルンルンとした足取りで駆け寄り、新崎にぎゅっと抱きつく。笠木さん達も冬花ちゃんの掴めない思考のためか、普段の調子でそれを止めることが出来ないらしく、もどかしそうな感じでそれを眺めていた。俺はもう帰りたいです。絶対に組分けの紙を切った奴がこんな指をくわえるだけの状況を仕組んだに違いない。一生怨んどこう。

心がベキベキ砕けていく感覚でいると、いまいち分からない理由で励ましてくれていた山中が「あ」と口を開く。

「そうだ、自分だけじゃなくて二葉も白組なんすよ!」

「…ほー」

このままいくとうっかり崖から飛び降りてサスペンスしてしまいそうな気がして、目線を山中をグラウンド一体を見回して探す(はじめ)に向け、そっけなくフクロウみたいな返事をする。

「あーでも二葉昔っから運動とか苦手っすからねー…勝てるかどうか…あ、いたいた。おーい、二葉ー!」

グラウンドに丁度出てきた山中に、一がブンブン大きく腕を振って呼び寄せる。

すると、それに気づいた山中は怪訝な顔を見せながらも、一応こっちに歩いて来てくれる。確かに、一の言った通り、体操着姿の山中の頭には白いハチマキが髪に少し隠れるようにして巻かれていた。

「そんなに大きな声を出さないでください…はぁ」

「良いじゃないっすか、特に目立ってもいないっすし」

「他もそこそこ煩いからな」

(はじめ)一人が大声を出しても、周りがこっちに迷惑そうな視線や迷惑げな表情を向ける人はいない。

それどころか、それ以上の声でワーワー騒いでいるのがほとんどで、体育祭が始まればこれ以上になるのだから気分ががたりと落ちてしまう。もしかしたら、嫌そうなため息が漏れてたかもしれない。

山中は、一からの弁解を聞くと不満そうに少し睨んだが、すぐにそれを解いて、会話になってるか分からない会話に加わってきた。

そしてその矛先は俺。

「あの…先輩」

「ん?」

向けられた視線を合わせる事は出来ないが、顔を声の方にちょびっと向けて話を聞く体勢になる。

「最近の、冬花ちゃんの事なんですけど」

「あぁ」

冬花ちゃんの話で、少し食いぎみに反応を返してしまう。

と、重要そうな話を聞こうとしていると横から「あー」と何か思い出したような声がした。

「冬花ちゃん…って、あの、ちっちゃい子の事っすよね?飛び級…とか凄いことしたって聞いたっすけど。…あの二人ともなんで睨んでくるんすか…」

「それはもう知ってるから話さなくて良い」

「ええ、私たちが話したいのはそういうことではないんです。一はちょっと黙っててください」

「なんかいつもより冷たくないっすか!?」

すかすかすかすかカルシウムが不足している骨みたいな語尾でショックを受けている(はじめ)を無視して、山中に視線を向けて会話の先を求める。

「最近、冬花ちゃん…ボーッとしている事が多いんですよ…」

「ボーッと…」

基本、いつも何処か上の空、もしくは眠気に襲われている冬花ちゃんではあるが、山中の言うボーッと、と言うのはそれ以上を指しているのだろう。

不安の揺れる瞳でその時の状況を話してくれた。

「授業中とか…私、先輩たちに頼まれましたから、特別に席を冬花ちゃんの隣にしてもらってるんですけど…いつもなら、眠たそうとか、お腹空いてる、とかパッと見れば分かるんですけど…今は分からなくて…」

「そうか…」

俺の中でその原因だと推測出来るのは一つだけ。あの時の冬花ちゃんも、食べ物を忘れ、新崎を熱心に見つめていた。

「二葉…いつの間にそんな境地に…。自分なんて、前に冬花ちゃんを見かけたときなんて、何考えてるのかぜんっぜん分からなかったすよ?」

「それは(はじめ)が冬花ちゃんをよく知らないだけです。よーく見れば、些細な違いがたくさんあります」

「そういうもんなんすかね…」

「そういうものなんです。で、あの先輩は冬花ちゃんのそれに、心当たりってありますか?」

「…まぁ」

俺が頷くと、山中はぐぐっと距離を詰めて食い付いてくる。が、その心当たりを口に出す気にはなれない。なにせ、これは冬花ちゃんの恋の問題であって、そこに俺が関わって良い許可なんてものは得ていない。ましてや、誰かに話すなんてもっての他で、推測の一つも口には出せない。

俺が口ごもると、変に勘違いをしてしまったのか、山中の表情が陰鬱になってしまう。

「転校とか…そんなんじゃ…ないですよね?」

「…あぁ、それは無い。というか、山中が素直に聞けば多分、教えてくれると思う…多分」

「そう…なんですか?」

「あぁ」

俺のこの結論は所詮、見たのと、耳が勝手に聞いた言葉を繋げた結論だけであって、ここで何かの確証を持って仕方なく話すものではない。

それに、俺よりも山中の方が冬花ちゃんから、多分きっともしかしたら、いや絶対に信頼されているし、それは誕生日会の準備をしていたときの冬花ちゃんと山中を思い出せば、はっきり確証を持って言える。だから、素直に冬花ちゃんに山中が聞いてみれば、直接の答えは得られなくても、俺と同じような答えに辿り着くぐらいの情報は手に入るだろう。

そう思って、またこくりと頷く。

「…分かりました。流石に今日は聞きませんけど、これが終わったら…その、聞いてみます」

自分を落ち着かせるためか、山中は胸に両手を乗せ、普段は見せない柔らかな笑顔を見せた。

と、すぐにそれに(はじめ)が反応して、目を丸くした。

「珍しいっすね…。二葉がそんな優しい笑顔なんて…ちょっと気持ち悪いっすよ」

「わ、私だって笑うときぐらいあります…!」

「そうっすかねー?あ、でも家で、あの猫のパジャマ着てるときは、いっつも笑顔っすよね。どこで買ってきたか知らないっすけど」

「猫のパジャマ…」

その言葉を聞いて思い当たる物が一つ。まさか、と山中を見れば恥ずかしそうに顔を赤くしてそれを隠すためにそっぽを向く。

「あ、あれは貰い物…ですから…嫌々着るのもなんですし…」

「えー、その割にはにやにやしてるじゃないっすか。鏡の前でクルクル回ったりしてー」

「…っ!」

キッと山中は(はじめ)を強く睨む。

慌てて誤魔化すその振る舞いに自然と口から言葉が湧いてくる。

「気に入ってるのか…あれ」

「そっ、それよりもです!そろそろ体育祭も始まりますから!ほら、整列の準備、してください!」

「はーい。それじゃ、また後で、のんびり話しましょっすね、先輩」

「まぁ、時間があったら」

俺のなんとも言えない視線から逃げるように、山中が(はじめ)の首根っこをガッとわし掴みにし、ぼちぼち整列し始めた一年の塊に呑まれていく。

俺も、それに習って二年の方へと歩いていき、体育祭が始まるまでのんびりとボーッとする。

髪を揺らす涼しい風は、消えずに吹き続けていて、そっと頬も体温を少し奪ってひゅうと何処かへ駆け抜けていく。

この体育祭に勝ち目はない。

新崎が赤にいる時点で敗けは確定で、それを考えれば体育祭にやる気なんて端から無い。しかし、だからこそ気楽にいれるというもので、最下位を取ることに、罪悪感も何も全然湧いてこない。強いて言えば倦怠感ぐらい。

ふわとそれを表した小さなあくびは、またひゅうと吹いた風が何処かへと持ち去っていってくれた。


何事もなく、いつも通りスポーツマンシップに乗っ取って体育祭は行われ、熱狂と例えるに等しい盛り上がりの中、一つ一つの競技が白熱した応援を受けて無駄な手間も時間も取ることなく流れ良く、消化されていく。

そして俺も、この体育祭同様にそのスポーツマンシップに乗っ取ってグラウンドを駆けたのだが、言い渡された順位は最下位。いつも通りなのはスポーツマンシップやらと、帰ってきたときの体育会系の白い目。そして俺と似てる、非体育会の優しい「お疲れさま」の微笑み混じりの目だけで、主人公の傍にいるやつパワーみたいなのは、残念ながら発動はしなかった。

いやでも、俺が最下位を取らなければ他の四人中の三人がそれを押し付けられなくてはいけなくなるわけで、そう考えれば俺が最下位を取ったことにも少しばかりの意味はあるのだ。勝者がいるから敗者がいるように、その逆も同じだ。勝者に優越感を与えるのが敗者の役目。それを全うに遂行出来たと考えれば劣等感も何も湧いてこない。是非とも三位を取った赤組の全然知らない同級生らしい彼には、心の中で感謝して頂きたい。本当に熱い勝負だった…。

どんぐりの背比べだった気もするけど。

長々と言い訳をしながら、白い目から逃げるように休憩用の椅子の集まる、大きな二つの組を現す絵の描かれた大きな旗の下から離れ、同じように離れて俺を呼んでくる(はじめ)の方へととぼとぼ歩いていく。少し背を前に倒して悲しんでるようにして、ついでに幾ばくかの暗い顔をしておけば、周りから見れば最下位を後悔しているように見えるだろう。マジ反省してます。うっす。

俺の咄嗟の後悔体勢は案外、効果はあったようで、二人揃った山中に近づくと、一がすぐにはつらつに励ましの声を出す。

「お疲れさまっした!先輩!そんなに落ち込まなくても大丈夫っすよ!」

「…あぁ」

素振(そぶ)りだけにしか私には見えませんでしたけど…」

「…よく分かったな」

「えっ、落ち込んでたのフリだったんすか…」

一の方は引っ掛かったが、山中の方にはあっさり見抜かれた。俺の渾身の演技にギョッとしている(はじめ)を無視して、姿勢と表情を戻し二人との会話に入る。それと並ぶように、次の競技もそろそろ始まるらしい。グラウンドの上で、ガタガタと騎馬戦の準備が整えられていっていた。

「でも、先輩はダントツ最下位でしたけど、それ以外はみんな白組が上位を取ってましたし、点数としては今は白が勝ちですね」

「なぜダントツって付ける…」

三位の彼とは結構良い勝負していたというのに。

俺が僅かに山中を睨むと睨まれた山中はそれを止めさせるためか、変わらない事実を俺へと放る。

「とにかく、最下位じゃないですか」

「…まぁ、はい」

「でも、確かに今は白が優勢っすよね!もしかしたら、このまま新崎先輩たちに勝っちゃうんじゃないっすか?」

競技で得た点数が纏められたグラウンドの脇に置かれた得点板をチラッと見て、(はじめ)が少し調子に乗った様子でそう話す。

「お前…あれに勝つ気でいるのか…」

「え、先輩、勝つ気ないんすか?そりゃ、新崎先輩は運動神経良いって聞きますけど…」

「…運動神経云々だけじゃないけどな」

「?」

頭にはてなを浮かべる(はじめ)に素直にその理由を伝えることは出来ないが、とにかくいつものそれがあれば意図も容易くこの流れを変えることも出来るし、多分今のこの優勢の空気はそのために作られてるのだろう。

(ちまた)で話題のキャー主人公カッコイイー!をするための、言うなればお膳立ての第一段階目なのだ。そして俺たちもそのための犠牲。ヒロインの好感度をいつも通り上げるためのコラテラルダメージ。なにもしなくても上がるでしょあなた達。

しかし、そんな伝統行事はやっぱり口に出すことは出来ず、「まぁ」と言葉を適当に繋げて話を終わらせる。

「とにかく、油断は禁物って事で。ほら、騎馬戦始まるぞ」

「油断禁物…了解っす!」

赤の馬と白の馬。お互いがグラウンドとという戦場で睨み合い、開始の笛を静かに待つ。そして、その静けさはグラウンド全体に伝染し、試合の行く末を一瞬として逃さないとする人と、単にやる気が無くて黙っていた奴が、一緒になって息を呑む。

『第6種目・騎馬戦の開始です!』

冬花ちゃんのためだけに作られた見学席の隣、二人の放送委員らしき人たちが座っている放送席のマイクから発した言葉がアナウンスとなってグラウンドに流れ、パァンと教師の引いたピストルが響く。それに合わせ、静寂は解かれ、代わりに応援が轟く。隣にいる(はじめ)もワイワイし出して実際うるさい。

と、俺も騎馬戦の結果を見届けようとちょっと嫌な顔をしながらもグラウンドを眺めていると、突然、背中が小さな何かに叩かれた。

少しそれにビクッとして犯人に振り向く。その最中、聞き覚えのある声で名前を呼ばれる。

「やっほ、灯くん」

「矢波先輩…と、桜丘先輩」

「えっ!?桜丘先輩!?」

盛り上がっている観客席同様に応援を飛ばしていたはずの(はじめ)がグワンと恐ろしい速さで振り向く。それはもうバトル漫画で頭を殴られた弱キャラみたいな速さで。

それに桜丘先輩はビクッと驚いて、矢波先輩の後ろにパッと隠れてしまう。隠れる段階で頭に胸が乗せられた矢波先輩はおもっきり不機嫌そうでこっちにとばっちりが来ないか俺もビクビクしてしまう。

「一…」

「えっ…あ、ご、すみませんでしたっす…」

山中が落ち着かせるように冷たく名前を呼び、一も桜丘先輩の様子をはっきりと捉え、申し訳なさそうに頭を下げて謝る。それを見て、桜丘先輩は恐る恐る矢波先輩の背中から離れた。

「う、ううん…こっちこそごめんね、山中くん。急に隠れちゃったりして…」

「いいえ、桜丘先輩。今のは(はじめ)が完全に悪いです。さっきも大きな声は控えてと言ったばかりなのに…」

「…も、申し訳ないっす…」

山中からより冷やされた冷たい目で睨むと、うぅと(はじめ)は声小さくまたぺこりと謝る。

三人の会話に耳を傾けていると、不意に腕を触られているような気がして向けば、胸から解放されていた矢波先輩がいつの間にか俺の腕にペチペチなにかを貼っていた。

距離を詰められていたことに少しドキドキして、離れることを忘れてしまったが、その代わりに咄嗟の声が出る。

「あの、なにしてるんですか?」

「んー、最下位おめでとうのごほうび」

「えっ…あちょっと」

矢波先輩の手が離れ、その下を見てみると勝手に長袖を捲って、俺の腕に一つの絆創膏が貼られていた。これなに。

「別に…傷とかしてないんですけど」

「知ってる。ごほうびって言ったでしょ?」

「いや…ごほうびって…。あの…これ、もしかしてただの嫌がらせですか?」

「正解♪無理に剥がそうとすると痛いから気を付けてねー」

「無駄に絆創膏使って良いんですか…」

ただの嫌がらせだと気づき、もう一度よーく腕を顔に近づけて絆創膏を見てみれば、それのガーゼの部分に油性ペンだろうか、黒い線で描かれた片耳の折れたウサギが。そういうデザインではなく、追加で描かれた手書きのようにも見える。矢波先輩が描いたんですかと本人に視線を移せば、矢波先輩は「可愛いでしょ」と、求めている物とは少し違う事を笑って言ってきた。

「ふふ、先輩可愛いですね」

「山中…」

茶化すようにそう言われ、またその絆創膏のウサギとジーっと見つめ合った後に捲られた長袖でそれをすっぽりと隠した。これなら、ウサギは出てこないし、誰にも見られない。ケージのような役割。が、矢波先輩は俺が長袖を下ろしたのを見ると、不満げに頬を膨らます。

「せっかくの僕のウサギを…」

「これ描いたの矢波先輩ですか…」

「もしかしたら君が最下位で少し落ち込んでるんじゃないかって、慰められたらって描いたのにー…ぶーぶー」

「…別に最下位ぐらいじゃ落ち込みませんよ」

落ち込んでいるのはもっと別の話。自然と、それを見抜かれないために目線が嘘をついたときのように横を向く。

「ま、なら良いんだけどね」

「ていうか、先輩達保険なのにここでのんびり話してて良いんですか?」

目線を戻して先輩の腕を見れば、保険係を現す十字架のような病院で見かけるあのマークが描かれた腕章を鉢巻きの代わりに巻いていた。ついでに気づかなかったが桜丘先輩の両手にはいつぞや、俺が運んだ救急箱がプラプラと揺れていた。

なのに、そんなバイトスタイルで大丈夫なのか気になって尋ねてみると、隣で俺と矢波先輩の会話を微笑ましそうに眺めていた桜丘先輩がハッと何かを思い出して、ポンポンと矢波先輩の肩を優しく叩く。

「そうだやーちゃん、見回りしないと」

「えー、もうちょい灯くんと話してても良いじゃん」

「確かにそうしてたいけど…でも、これが今日の私たちのお仕事だから」

桜丘先輩はよいしょと救急箱の底に両手を当てて、安定する形でしっかり抱える。

「見回りってなんでですか?」

聞くと、桜丘先輩ではなく矢波先輩が答えた。

「これからあちこち歩いてみて、見た感じ元気無さそうだな~とか、体調悪そうだな~って人がいないか確認するの。で、いたら連行」

「時々、体調が悪いけど言い出せなかったりする人もいるからね」

「それに季節の変わり目だから、尚更ね。ちなみに灯くんはそこのところどう?元気ー?」

親戚の挨拶みたいな事を言われ、距離を詰められたあと、じっくりと矢波先輩に観察をされる。怪我をしていないと言えば嘘になるが、これに関してはガーゼや消毒液で物理的に手当てできるものではない。時間が勝手になんとかしてくれる物だろう。実質的な万能薬でもあるヒロインや友人の不意の的確なアドバイスのような言葉も、俺には処方されない。ならば、頼れるのは自分だけ。

もう少し涼しくなったら、気分転換にのんびり本でも読み漁ってみようか。

大丈夫ですと首を横に振って、ついでに体ものけ反らせて詰められた距離を気持ち離す。

「ほんと?」

「…ほんとです」

念押しに言葉を返すと矢波先輩はにっこり微笑む。

そして、俺の体から横に顔だけひょこっと出して、覗き込むようにして後ろにいる二人の山中にも、同じ質問をした。

「そ、なら良いね。あ、それとそっちの二人の山中ちゃん達はだいじょーぶ?」

「自分は大丈夫っす!」

「私も、まだ競技にはひとつも出てませんから」

「よーし、それじゃあここの三人はオッケーだね」

「でも、もし気分が優れなかったり怪我とかしたらすぐにでも私たちの所か、先生のいる保健室に来てね?無理は禁物、だからね?」

最後に注意するようにムッとした顔で桜丘先輩は話したが、その表情はすぐにパッと穏やかな笑顔に変わる。

それに(はじめ)が「はい!」と威勢よく返事を返した。

「それじゃあやーちゃん、そろそろ行こっか」

「ん、分かったよ。あ、そう言えば灯くんってこの後も他の競技に出たりするの?」

「いや、俺が出ると迷惑になりますし」

序盤のただ走るやつで俺の出番はもう終わり。序盤で最下位を取れば、後半の妙なプレッシャーも無いし、盛り上がってる奴等も熱中してるから俺の失態なんてすぐに忘れるだろう。大抵、皆の印象に残るのなんて最後の最後だけで、序盤の方の競技の内訳なんて誰もろくに覚えていないはず。だから俺はそこを選んだのだ。その証拠に、さっきまで俺に飛んできていた数人の白い目も、今となっては全員が騎馬戦に集中していて、多分後一つ二つも競技を挟めば誰が出ていたかすら忘れてくれているだろう。

「そっか、なら残りは山中ちゃんたちだけだね」

「山中くんも二葉ちゃんも頑張ってね。ファイト!」

「それじゃーねー、灯くん達~」

矢波先輩がブンブンこっちに大きく手を振りながら、二人は白組の方へと去っていった。

それに俺は小さく頭を下げて見送り、視線の端にいた山中は少し恥ずかしさも交えて手をフリフリ振り返していた。が、俺が見ていた事に気づくとバッとその手を下ろして無かったことにし、咳払いで視線を俺の視線を払おうとしてくる。

「こほん。あ、そろそろ騎馬戦が終わりますね」

「あぁ。…山中、なんか震えてない」

「え、あ、一?ぐ、具合でも悪いんですか?」

一が拳を作り、顔を下げてプルプルと震えておりちょっと不気味で数歩後ろに足を置く。山中も心配して声音はいつもよりも優しくなる。

もしや、桜丘先輩を驚かせてしまった事に後悔でもしてるのかと、一応立場的に適当な慰めの言葉を考えていると、突然グワッと下げていた頭が勢いよく上がってきて、また数歩後ろに砂を蹴って下がってしまう。

「うぉっ…!…な、なに」

「さ、桜丘先輩が…自分に頑張って…!頑張ってねって…!応援を…!」

ポツポツ喋っているような呟いているような(はじめ)その瞳には、決意の赤い炎が揺らめいているのが分かり、ついでに後悔じゃ全く無かったことも分かった。

心配していた山中も同じものを見て、呆れた深いため息が横から聞こえた。

俺からも同じ原因でため息が被ったが、それに(はじめ)本人が気づく気配はない。

が、急にギュルンと顔が俺に向く。

「騎馬戦の次、自分の出番なんでちょっと一位取ってくるっす!」

「あ…あー…速いなあいつ…」

頑張れの一言でも言おうと思ったのだが、返事を待たずに(はじめ)は結構な速さでピューッと何処かへと駆け出していった。

そのスピードに砂ぼこりが大きく巻き起こって避けようと目を細めていると、一の行く先を追うことが出来なくなった。

「あれは…健気…っていう風に例えれば良いんでしょうか…」

山中はパタパタ砂ぼこりを手で払いながら、一の今の行動の原因が把握できたようで、呆れた声で俺にそう言ってくる。単純に、桜丘先輩の応援が効いただけだったらしい。

「まぁ…そういうことで良いんじゃないか…。ていうか、あいつ一位を狙えるほど走るの速いのか」

まるでコンビニ感覚での一位宣言。応援されたとは言え、ある程度の実力があることを自覚してなければあんな高らかに宣言を普通はしないはず。堂々と宣言してそれで達成出来なかった時なんてもう、逃げたいどころか死にたくなるし。

傷口に塩を塗るのも確かに激痛だろうが、それよりももっと痛いのは慈悲で掛けられる言葉。それは傷口だけでなく心さえも痛めてくるのだからより厄介。

独り言のような質問をぽつりと残して考え込んでいると、親切にも山中はその疑問に答えてくれた。

「昔から運動だけはズバ抜けて上手かったですから…取れないことは無いと思いますけど…。私としてはあんなに調子に乗って変に怪我をしないかどうかが心配です…」

「…それならそれで桜丘先輩に手当てしてもらえるし、案外悪くもないんじゃないか」

この事を(はじめ)本人に伝えたら全身全霊で飛び込むように転びそうな気配がするから、話す気は無いがもしもの体で会話を続ける。  

「それでも…家族が怪我をするのは見たくありません」

「…確かに」

山中の声音に少し不安が混じっているのが聞こえ、適当な言葉で返して話を無駄に広げないよう、ぷつりとそこで終わらせる。

まぁ、もし当の本人が怪我を功名と捉えていたとしても、それを見た知り合いや家族には、やはり幾ばくかの不安は感じてしまうものだろう。

「……」

余計なことを話してしまい、これ以上墓穴は掘らないようにと災いの口を塞ぐ。

そのまま、終わりを迎えそうな騎馬戦に勝手に指示を出す脳内ゲームをボケーッと楽しんでいると、ふと今のこの状況が女の子と二人並んでいるということに気づき、ハッとして横目で山中をちらと見てしまう。こういう祭りと名の付くイベントな以上、どうしても色恋沙汰があちこち見掛けられる。

今も白組の一部の席で白の騎馬が赤の騎馬の帽子を取る部分を女子と男子がハイタッチで喜んでいたが、お互い意中の相手なのか、勢いでした行動にハッと気づき、顔を朱に染め二人してそっぽを向いてしまった。そのドキドキのワンシーンに、周りの友達もキャーキャー密かに騒ぎあっていた。そのまま縁もそっぽを向いてしまえばいいのに。まぁとにかく、そんな空気が今この学校に蔓延しているならば、二人で並んでグラウンドを眺めているこの状況も、今現在周りに変な誤解を与えてしまっている可能性ももしかしたらあるかもしれない。

こんな場合のよくある展開としては距離を取ったらヒロインが首をかしげて、主人公が事情を話したら「別に君となら…」的な感じなんだろうが、俺の隣にいる山中は普通に俺じゃない人に恋をしているし、多分素直に話したら話したで「そうですね嫌だから離れてください」と純粋に俺の心を傷つけてくる可能性だって全然ある。

自衛も兼ねて四歩、カニのように少しずつすり足でゆっくりと移動して、そこそこの間を作る。これなら、変な勘繰りが余計にされない限りは安心。ただの杞憂で終わるならばそれはそれで良し。

と、そんなことを考えているとパァンとピストルが鳴る音が響く。どうやら、騎馬戦が終わった合図らしい。

「…あっ」

ピストルの音が煙と一緒に消えていく途中、山中がなにかを発見したらしく、俺も気になってそっちに顔を向ける。

「なに」

「いえ、あの母さんが…あと、一も」

山中の視線から大方の見当をつけて、テント付近の観客を目を凝らしてみると、確かにこっちに向かって笑顔で大きく片手を振ってくる山中みたく夜のように真っ黒な長い髪の女性が一人いた。遠目だからざっくりとしか分からないが、かなり綺麗で山中の将来の姿を感じさせる。

そして、使われていない片手をなんとなく目で追ってみれば、一がガッシリと首根っこを捕まれてぐでんと項垂れていた。え、なんであいつ捕まってるの…。

「山中の母親…あれ何者なんだ…」

「多分…無理矢理捕縛したんだと思います」

「ほば…母親って息子捕縛するの…」

そんな過激な家族いるのと、驚愕した目を山中に向ける。

「いいえ…あの、一、昔っから家で走り回ったり、危なっかしい部分があって…それで止めるために…あんな感じに」

恥ずかしそうに言い訳する山中をよそに、山中の母親の振っていた手が今度は手招きへと変化する。さっさと行かないと山中もあれみたく捕縛されそうな感じがして、母親自体に聞こえてはいないのに、声を潜やかにしてそれを気づかせる。

「山中のこと呼んでるけど…」

「え、あそれじゃあ、ちょっと行ってきますね」

「…あぁ」

何処か嬉しさを感じる面持ちを見ると、家族関係に関しては良好らしい。大抵、この歳になればこういう場所に親が来るのは嫌なものなのだが、女の子だからかもしれないが、少なくとも嫌そうな気配は感じられなかった。知り合い程度の仲しかないが、それでも勝手にホッとして、声音も多少落ち着いて出せたかもしれない。

母親そっくりの黒髪をはらりと揺らして、山中は招かれるままに観客の集まるテント傍を目指して歩いていった。

にしても、山中の家は母親だけとも聞いていたが、見た目に反して元気にパワフルで、プロレスしてるとか言われてもうっかり信じそうになる。結局、俺の勘繰り避けのための行動もほぼ意味もなく、白組の席にも戻る気になれず、ぽつんとグラウンドの脇で一人立ち尽くす。することも話し相手もいなくなり、俺も妹とか来てないかなと辺りを見渡してみたが、それっぽい人は見当たらない。俺の家族関係が悪化の一途なんだけど。というか、切り離されていると言った方が正しい。もしくは島流し。

と、場内にまたアナウンスが流れる。

「それでは」と、放送委員が言葉を発し、さっきの、騎馬戦の結果が広くスピーカーから溜めを挟んでの大々的な発表。

勝者は白組。それを聞いて、白組からワーッと爆発するように歓声が沸き上がる。

更に一つ、主人公のためのお膳立てが完成した。

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