第一話-3
ファラームには二箇所の広大な砂漠が存在する。
ファラームの西側の半分近くの面積を占める魔法砂漠。これはかつて魔王ルビーブレイドを撃退するのに使った極大魔法の影響であり、生物の住めない過酷な環境のわりにオアシスがあったり、旅人の往来が出来たりと不可解な現象も多い場所でもある。
もう一箇所はブラザーズシティーの北側、魔法砂漠ほど広大では無く、単純な生活環境で言えば魔法砂漠よりはマシではある。しかしこの砂漠は灼嵐砂漠と呼ばれ、砂漠の中で自然発火さえ起こしそうな高熱の砂嵐が頻発して砂漠の中を渦巻いている。
この砂漠も魔法砂漠と同じく研究が進んでいるが、この砂漠の中のみで起きる超高熱の砂嵐は、ファラームで開きやすい『門』から流れてくる魔界の影響とも、ファラームに極端に多い魔界から帰化した亜人の影響共言われている。
天才的な魔力の流れを感知する能力を有していても感知出来ない微弱な魔力、魔界の空気の様なモノがこの灼嵐砂漠に流れて、この砂漠で不自然な砂嵐を発生させていると言うのが、ファラームの研究家の中で最有力の原因だが、今だ証明されていない。
そこから更に北上すると、灼嵐砂漠の荒野を区切るようにファラームの北東端とする様な標高の高い岩山がある。この辺りでは名産品などはもちろん、作物を作れる土壌では無いため人も住まず、往来も無い。
ミストはその岩山を更に越えて、北上していた。
砂漠と岩山を越えるため、この辺りには人は住んでいない。『門』が開いたとしても、その『門』から出てきたモノは、この余りにも何も無いところに長居はしないだろう。
だからこそ、盲点でもある。
少なくともファラームに長く住む者であれば、灼嵐砂漠と岩山を越えて行く意味が無い事を知っているため、詳しく探ろうとはしないのだ。
「だからドールはここを選んだのか」
ミストは苦笑しながら呟く。
岩山をさらに北上し岩山が途切れると、ファラーム大陸の北東端に出るのだが、ここにのみ小さな平原があり、そこに小さな集落があった。ごく小さな集落は人口で言えば百人もいないだろう。だが、だからこそ自給自足が出来るくらいの敷地である。
家畜が放牧され、そこそこの広さの畑もある。
魔王の隠れる集落としてはほのぼのとした集落で、血腥さの欠片もない。
この村へ来る為には、特殊な『門』でも使わなければ一度は灼嵐砂漠を通らなければならないので、ミストの様に空から移動するのも必ずしも安全では無い。村から出るのも標高の高い岩山を通る必要があるので、空を飛べなければ村から出る事もままならない。
完全に隔絶された集落ではあるが、元ルビーブレイドの配下であり、今ではドールの部下であるオウルは『ゲートマスター』として『門』を多少なりとも操作出来る。
自然発生する『門』は土地によって開きやすさが変わってくる。ファラームでは極端に開きやすいという特徴があり、いつ、どこに開くかを正確に予想する事は出来ないが、多少の操作は出来る。
と言うのも自然発生する『門』は全てが完全にランダムでは無く、一度開いた『門』は完全に閉じたり破壊したりしなければ、その場に残りやすいという特徴がある。また、『門』は一定の数が常時存在する事も研究で分かっているので、一度開いた『門』を破壊するのではなく、その近辺に対応策を講じる事で『門』対策としている。
その自然な『門』では無く、自身の魔力で『門』を開くゲートマスターは希少な存在であるが、そのための魔力の消費が非常に激しいため、自由自在という訳にはいかない。
魔王バルギアルはこの『門』の研究を行なっているが、『門』には所有権を持てるモノも存在する事が分かっている。これも特殊な事ではあるのだが、所有権を有した『門』は多少の魔力で意図的に開く事が出来る。といっても、その『門』の開閉のみなので、この集落の様な特殊な環境の場所への出入口くらいしか役に立たない。所有権を持つもののみが開閉出来るという条件も、出入口に使うには利便性に欠けるため、よほど『門』の特性に精通した者でもないと有効活用出来ない。
そういう事を考えると、ドールにこの場所を提案したのはオウルだろう。
オウルはルビーブレイドの元にいた時によく知っているが、参謀として極めて優秀な能力を持っていたが、必ずしも好戦的な性格ではない。こう言う集落で悠々自適な生活というのは、いかにも彼らしいとミストは思う。
ミストはそう考えながら上空から集落を見ていると、北東端の桟橋に人陰を見つけた。
笠を被った小柄な人陰が、呑気に釣りをしている。
ミストはその姿を見つけると、すぐにその人物のところへ降り立った。
「釣れるかい?」
ミストが桟橋で釣りをしている人物に声をかけると、その人物はミストを見上げる。
「あら、ミストじゃないの。お久しぶりね。元気にしてた?」
独特の喋り方をする、老人の男性の声でミストに返した。
笠を被った老人の声をした人物は、喋り方だけではなく風体も独特だった。
彼の頭部は黒い鳥、カラスと例えるのが最も近い姿だった。服装も風変わりな白を主とした装束ではあるが、魔界でも希少な存在である。
彼はテングと呼ばれる種族の中でもカラステングという希少種なのだが、魔界の中でも極めて珍しい存在なので、詳しい事は誰も知らない。カラステングと呼ばれるくらいなのでテングと言うのが全てこの老人の様に、カラスの顔をしているという事はないのだろうが、他のテング族をミストは知らないので比べようがない。
「よう、やっぱりオウルだったか。で、釣れるのかい?」
「ええ、想像以上の大物がね。座ったら?」
オウルに言われ、ミストはオウルの隣りに座る。
「随分と久し振りね。ルビーブレイドのところにいた時以来だから、何百年か振りになるのかしら?」
「お互い、それだけ会ってないのによく忘れないもんだよな」
「私達と人間とでは時間の感覚が大幅に違うからね。それに、私のすぐ近くにミスト許すまじって呪文みたいに繰り返してる娘がいるから」
「ああ、アレか。うちのボスも困ってたよ」
「ええ、うちのボスもよ」
オウルも苦笑いする様に言う。
バルギアルはドールを自己中心的と例えた事があるが、ルビーブレイドの三配下の残り一人のリフは、自他共に規律を守らせる事に厳しい性格なのでさぞかし煙たいだろう。
「けっこううちのボスも困ってるから、そっちで引き取ってくれない?」
「悪いが断る。二度と近寄りたくないからな」
「あらあら、あの娘も嫌われたものね。まあ、あの娘の貴方の嫌い方もなかなかのものだから、しょうがないのかもね」
オウルは笑いながら言う。
「でも、ウチもこれ以上物騒な子は手に余るのよね」
「何? オウルとドールとリフの、ドール勢力だけじゃないのか?」
「この集落にいるのは、勢力で分類するならドール勢力だけど、私達だけじゃないわよ」
オウルはさらりと重要な事を言う。
「具体的にどう言う連中がいるんだ?」
「今は貴方がいるわよ」
「いや、俺は数えなくていいよ」
「そうなの? バルギアルも連れて引っ越してくればいいのに」
「さっき物騒なのは手に余るとか言ってなかったか?」
オウルとミストが話していると、一人近付いてくる人物がいた。
ミストはその人物に目を向ける。
初老の紳士で、杖を付いて歩いているが、特に杖の補助が必要な感じはない。田舎の集落には似つかわしくないスーツ姿だが、そのスーツは着古した安物のようではあるものの、紳士との一体感のため独特の雰囲気を持っている。
人あたりの良さそうな顔立ちではあるが、顔色は青白い。
「吸血鬼の生き残りか?」
ミストが尋ねると、オウルは頷く。
「彼は日光の中でも歩ける、耐性の強いタイプでね。『先生』は知ってるでしょ?」
「あれが?」
ミストは立ち上がって、近付いてくる老紳士を見る。
「おや、お客様とは珍しいですね」
「初めまして。ミストと申します」
ミストは老紳士に頭を下げる。
「いやいや、高名な『白刃』である貴方が私のごときに頭を下げないでください」
「いえ、かの『先生』であれば、俺から頭を下げるのは当然の礼儀です」
「聞いていたよりしっかりとした方ですね」
老紳士が笑いながらミストに座る様に手で示す。
「うちの娘が色々言ってたからね。あの娘の言う事はちょっと大げさなのよ」
「その様ですね。私はジジュと申します。『白刃』のミスト殿」
「よして下さい。『白刃』なんてカビ臭い二つ名は好きじゃないんです。ミストの名前の方が好きなんで」
「分かりました。私の事も『先生』などではなく、ジジュとお呼び下さい」
老紳士、ジジュは柔らかい笑顔で言う。
吸血鬼の『先生』と言えば、『始祖の残滓』と呼ばれる最古の吸血鬼ミリアが唯一吸血鬼に変えた人物であり、吸血鬼の長い歴史の中でも五人といない老人の吸血鬼である。
吸血鬼に噛まれた人物は吸血鬼になる、と伝えられるが、実はそれは正確な情報ではない。噛んだ吸血鬼の能力によって噛まれた側の能力は大きく左右されるが、そもそも噛まれた側が吸血鬼への変容を耐えられなければ完成しないのである。
それゆえに、子供、老人の吸血鬼で実力を持つ者は極端に少なく、今では禁忌とされている。
もっともそれはミリアやジジュが吸血鬼になってから、随分と後にあって出来たルールである。タブーになる前から存在する、子供のマスターと老人の従僕の組み合わせは魔界でも伝説級の存在であり、ミストも話には聞いていたが会った事は無かった。
「しかし、ミスト殿は何故こんな所に?」
「ウチのボスのパシリですよ。オウルにも会いたかったし」
「あら、嬉しい事言ってくれるじゃないの」
オウルは釣り糸を垂らしたまま笑う。
「しかし、ジジュ殿がいるって事は、『始祖の残滓』ミリア殿も?」
「ここにいます。先のヴァンパイアウォーズの生き残りのごく少数も、一緒に住んでいますが、ミスト殿。『始祖の残滓』はあまり私も好きな二つ名ではありませんので、あまりその名は出さないでもらえますか?」
ジジュは柔らかい笑顔で言う。
実際に知っていなければ、この老紳士を最古の吸血鬼の一人とは思わないだろう。
しかし、いかに通った名前とはいえ『残滓』と言うのは確かにあまりいい響きでは無い。ミリア自身がどう思っているかは分からないが、ジジュからすると確かに多用してもらいたくない二つ名だというのは、予想がつく。
だが、ミリアが『残滓』と呼ばれるのにも理由がある。
吸血鬼は生きた年数がその実力に直結する。それで考えると今生きている吸血鬼の中で最古の吸血鬼であるミリアは、無敵の強さを持っている。が、ミリアは陽光に弱いと言う致命的な弱点を克服出来ていない。下僕であるはずのジジュが陽光に対し耐性を持ち、日中を行動できるにも関わらす、である。
そのためミリアは吸血鬼からは蔑まれている所もあるが、いざ戦うとなるとミリアの戦闘能力は夜に限定されるとはいえ、ミストですら夜の間神速で逃げ回ったとしても、生き延びれるかは分からない程だ。
魔王ドールと、ルビーブレイドの元で軍権を握っていたリフと参謀のオウル、さらには最古の吸血鬼のミリアとジジュ、ヴァンパイアウォーズの生き残りが少数と言うのがこの集落に住む者らしい。
が、その戦力たるや、一国の軍隊どころの話では無い。もしこの集落が全力で本格参戦しようものなら、それはファラーム女王であっても手に余るだろう。
(ま、オウルがそんな事にやる気になる事も無いか)
ドールやミリアも好戦的な性格では無く、オウルも穏健派なので無意味な戦闘にはならないと思われる。オウル自身物騒な者に手に余ると言っていたので、リフの他にも吸血鬼の数体は戦いたいのだろう。この戦力を考えれば夢も見たくなるが、オウルは冷静な戦略家である。
この戦力をもってしても、ファラームの女王と軍隊であれば手に余る事態とはいえ、手に負えない事態では無い。
ファラーム軍はそれ程までに強大なのだ。
ファラームの強大な戦力は、何も女王だけではない。
ファラームには常識では測れない戦力が三つある。
一つは総司令アルフレッドの率いる、ブラザーズシティー防衛軍。防衛軍だけであれば、そこそこ強力な戦力程度なのだが、アルフレッドが率いればそれは常識が通用しない程に強固な軍隊になる。しかも、彼が率いれば軍隊だけでなく、ブラザーズシティーに住む老若男女を問わない数十万人が例外なく驚異的な兵士に変わる。それが必ずしも守るに適していないブラザーズシティーを、難攻不落の要塞に変えている。
もう一つはファラーム女王、リリス・メイ。彼女は一人で一軍と言っても過言ではない。尋常ならざる攻撃魔法の他、最上位の竜である双頭竜を力で従えているというだけでも常識外れな魔術師なのに、神速を誇るミストですら目を疑う体術の使い手でもある。魔術師であれば接近戦が不得手と思われ、それもあながち間違いでは無いのだが、リリス・メイに関しては当てはまらない。完全無欠の生物兵器と言える。
そしてもう一つはファラーム王都に駐在するファラーム正規軍である。
ファラーム正規軍は、その一人一人が一騎当千を謳われる吸血鬼と比べても遜色が無く、その個々の能力を持ちながら統制のとれた集団戦をこなす。その隊長格になれば、ちょっとした魔王クラスの実力を有すると言われる程であり、先のヴァンパイアウォーズですら王都には進軍出来なかった。それはブラザーズシティーで止められた事もあるが、数体の吸血鬼では王都に近付く事すら叶わなかったのだ。
ファラームを本気で力で落とそうとするなら、ファラームの『門』が全て開き、このドール勢力やクルーファ城を占拠しているリャルドー勢力が全面的に協力して、さらにバルギアルやオウルといった参謀が死力を尽くして作戦を立ててようやく互角といったところだろう。
もちろん机上の空論どころの話では無いので、オウルやバルギアルはファラームとの直接戦闘は考えていないのである。
「時に、ミスト殿は何故こんなファラームのハズレまで? 情報はもちろん、目的が無いとこんな所まで来たりしないでしょう」
「実にその通り。ウチのボスは色んなモンを警戒してましてね、場合によっては共闘の必要もあるんだとか。わりと血腥い話ですよ」
「ミストが本気になれば、大抵の事はできるでしょ?」
オウルが笑いながら言うと、ミストは苦笑いしながら首を振る。
「俺一人でどうにかなるなら、どうにでもしてるんだけど。俺一人じゃ、どうにもならないのがファラームなんだ。ジジュさんなら充分わかるでしょう?」
「確かに今のファラームを力でどうにかできるのなら、半年以上前に変わっているでしょうね。我々吸血鬼を過剰に評価するつもりはありませんが、力ではどうにもならないと教えられましたよ。長生きはするものですな」
「まったくよ。最近の若い子達はそれをわかってないからね」
オウルとジジュは老人独特の、最近の若い者は的な話をしている。
(いや、あんたらには及ばないけど、俺もそんなに若く無いんだけどねえ)
「ところで、ここって何か釣れるの?」
「釣れるわよ。晩御飯には期待してなさい」
オウルは自信満々だが、ジジュが苦笑いしているのを見ると、基本はボウズらしい。
まあ、それ込みでオウルらしいかも知れない。
「釣りか、俺も手伝おうか。面白そうだし」
「では、私もお供しましょう」
そうやって、桟橋の上で魔王配下の二人と最古の吸血鬼の一人は、桟橋の上に並んで釣りを始めた。




