35話―― 握るこぶしは誰のため。
◇◇◇
まるで我関せずとばかりに言いたげな熾烈な生存競争。
竜と竜の食い合いはまるで世界の滅亡をその目で見ているような光景だった。
「これは、もしかして――」
「ふっ、どうやらうまくいったみたいだな。賭けはテメェの勝ちみてぇだぜポンコツ。成功だ」
ふーっ、と大きく息をつき大胆に表情を歪ませて見せるフィーネ。
やはりそれなりに分の悪い賭けだったのだろう。
珍しく彼女の頬に一筋の汗が伝っているのが見えた。
竜種の統率を乱すこと。
それがこのダンジョン攻略に置いて最も重要で難易度の高い関門だった。
確かに竜種の統率を乱せれば、勝機は格段に上がる。
だが、それはあくまで『第一段階』の『下準備』が済んでから発動する作戦のはずだった。
それなのに――ゆらりと傾きだすフィーネの身体。
その唇の端からは僅かに赤い雫が零れだしていた。
複雑な魔術式によるフィードバック。魔臓器の過剰負荷だ!!
慌てて駆け寄り、背中をさすりながら簡単な触診で魔臓器の損傷具合を確認する。
幸い、そこまで重篤な状況じゃなかったが――
「無茶しすぎだフィーネ!! ただでさえ不慣れな術式の上に補助もなしに『コード・バベル』を発動するなんて……どんな負荷がかかるかわからない代物なんだぞ!!」
「へっ! 何度も言うが冒険者にとって無茶なんて言葉はねぇんだよ。説教なんざ後でいいだろ。
それよりも……見ろよポンコツ。奴ら泡食って意識がぐちゃぐちゃになってやがる。
やっぱテメェの仮説は合ってたみてぇだな」
耳を塞ぎしてやったりと言いたげな顔で振り返ってみせるフィーネ。
やはりマナによる思念伝達を使って強制的に他の竜種の統率を取っていたのか。
彼女の視線を追い楽園を見渡せば、確かにフィーネの言う通り、
エンシェントドラゴンの声に従っていたワイバーンたちが『何か』から解き放たれたようにお互いがお互いを食い合っていた。
でも、それは主戦力であるフィーネが負担を負わなくても確認できたことで――
「俺一人犠牲になれば済むってか? 言っとくがあたしはポンコツ一人に無茶な難題を譲るつもりはねぇぞ」
不意に俺の考えを見透かすような黄玉の瞳に言葉が詰まった。
『コード・バベル』によって統率が乱れた今、フィーネの言う通り単独で行動するのならここしかチャンスはないだろう。
あとは俺自身の覚悟と能力の問題だが、でもそれは俺が一人でやり遂げようと心に決めていたことで誰にも言ったことのない『別枠プラン』だったはずだ。
それを――
「なんでお前がそれを……」
「バーカ、こちとら自己犠牲大好きなポンコツが考えそうなことなんてお見通しなんだよ。
どうだ? これで少しはやりやすくなったろ?」
「それは――」
確かにそうだけど……
「テメェがなんで毎度、捨て身なんざくだらねぇ真似してまであたしらを優先しようとすんのかあたしにはわからねぇ。
けどな、テメェの身体を大事にできねぇような奴に心配されるいわれはねぇんだよ」
そう言ってどうでもいいことのように口の中の血を苧吐き捨て、何立ち上がってみせるフィーネ。
まったくもってぐうの音も出ない反論だった。
だがそれでも僅かに湧き上がる反抗心に口を開きかけたところで、
「おっと、お喋りはここまでみたいだぜ。見ろよ。やっこさん、しびれを切らしてようやく動き出したみたいだぜ」
ゆったりと、それでいて全身を震わせるような殺気が身体にのしかかった。
本能的に顔を上げれば、今まで事の顛末を黙って静観していた天空の覇者たちが重い腰を上げ始める。
ギラギラと輝く黄金の瞳。
それは明らかな怒りを称えた破壊の化身だった。
「さーて、ここが正念場だぜポンコツ。
あたしらはダンジョンの主どもを怒らせた。あたしらは最後まで諦めず死んでも活路を見出すつもりだが、テメェはどうするよ。一人自己満足にオナってくたばってそれで満足か?」
「フィーネお前……」
「ふん、テメェだってそんなくだらねぇ死に方ホントはごめんなんだろ? だったら、どうせ死ぬならもっと派手にやらかして死のうぜ。それこそ酒の肴になるくらい愉快な死に方でな」
そう言って嬉々として唇を歪めてみせると、
「それになぁポンコツ。あたしは――」とおもむろに口を開きかけ、唐突にかぶりを振ってみせた。
「……いや、これを今言うのは野暮って奴か。
と・に・か・く。用意周到なテメェのことだ。ポンコツの足手まとい一人犠牲にせずこの状況を何とかする準備なんざもうとっくにできてんだろ?」
「隠してねぇで話してみろよ」そう言って俺の企みを看破するように意地悪く笑うフィーネ。
その表情はどことなく悪戯を仕掛けんとする子供に似ていて……
「はぁ……後悔するなよ」
そう言って観念するように肩をすくめると、
彼女の『期待』するもう一つの別プランの詳細をつまびらかに説明し、死地ともいえるダンジョンの深部で楽しげな笑い声が咲き誇るのだった。
◇◇◇
本音を言えば、俺がどうなろうと彼女たちさえ無事でいればそれでよかった。
そのために全てを想定し、準備してきた。
それなのにこの少女ときたら――
「俺の覚悟を全部無駄にしやがって。これじゃあ一人で抱え込んで馬鹿みてぇじゃねぇか」
そう小さく呟いて助走距離を取ると、俺は先ほどのやり取りを思い出し、小さな笑みを浮かべていた。
それにしても『このあたしが直々に骨を折ってやったんだ。それこそ失敗しましたなんて言ったら承知しねぇからな』――か。
「まったく。激励するにしてももうちょっとマシな言い方ってもんがあるだろうに」
「まぁそれがあの子のいいところだからね。それで覚悟のほどは?」
「とっくの昔に決めてるよ。まぁ実力不足なのは否めないけど――」
「それを無駄にする気もないんでしょ?」
「ああ、アイツが自分自身のプライドを賭けてまで紡いだチャンスだ。絶対に無駄にはしないさ」
「ふふっ、ようやくいい顔になったわね。まぁワタくんなら心配はないと思うけど、これは私からの激励かな」
そしてその聖母のような視線とは裏腹に、背中に飛んできたのは激励ではなく渾身の張り手だった。
スパーーンと肉がはぜる音が炸裂し、今も破壊と再生のむず痒い痛みが全身を駆け巡る。
反射的に硬直するからだ。
でもそれをやらかした本人は殊の外清々しい顔をしていて……
「フィーちゃんはさ。生きて帰ってこいって言ってるのよ。無茶を言ってるのは承知の上だけどその意味をはき違えないでね」
「もしかして、怒ってる?」
「怒ってません。今はね」
やっぱり一人で無茶しようとしたの怒ってるじゃん。
それにしても無茶は冒険者の特権か。
(まったくこんな無力な俺になんて無茶ぶりを期待するんだ、お前らは)
よりにもよってギルドから役立たずと追放された俺に生きて帰ってこいなどと……
冒険者を率いるリーダーとして甘すぎる。
だって相手はあの竜種だ。無傷で生還なんて夢物語もいいところだ。
ここは『あたしのために死んでくれ』と雑用に命令するところだろうに。
でも『それ』がリーダーの望みならば――
「応えなければこれまでの全部が嘘になるな」
無言で突き付けられた約束の形に今度こそ苦笑を漏らし、改めて『仲間』の顔を見渡してやる。
その一人一人の表情を魂に刻みつけ、小さく息を吸うと、
「ああ、約束通り、奴らに目にもの見せてやるよ」
そう言って、腰を僅かに落とし、大盾をレオの下に突っ込んでいった。
一歩一歩と縮まる距離。
タイミングを見計らって勢いよく大盾を踏みつけてやれば、
「ううううんにゃあああああああッッ!!」
レオの可愛らしい気合の雄叫びと共に、身体にかかった重力が強引に捻じ曲げられる感覚が襲ってきた。
シールドバッシュ。
一直線に俺の身体が打ち出されて、砲弾の如き速度で空を舞う。
それはいつしか誤爆に巻き込まれた時の十数倍の負荷が身体にかかり、それでも気合を込めて死ぬ気で耐える。
途中、縄張りに踏み込んできた不届き者とばかりにワイバーンの群れが襲い来るが、不安はない。なにせ――
「俺の『仲間』を舐めんなよクソトカゲ!!」
その叫びに応えるかの如く追随してくるかの如き援護射撃が寸分たがわずワイバーンの羽を射抜き、目の前の『障害』を墜落させていく。
そして――竜の巣のてっぺん。
空にぽっかりと空いた剥き出しの岩壁に手を伸ばすと、
「獲った!!」
ギリギリ掴み上げた岩肌を掴み上げて、身体をひねる。
途端、慣性の方向が変わり、転がるように岩肌に身体を擦りつける。
たちまち身体中に細かい傷ができるが――
「寝てる場合じゃねぇだろ俺!!」
軋む身体を強引に持ち上げ、身体を起こす。
痛がっている暇などない。ここからが俺の仕事だ。
地上を見下ろせばずいぶんと高いところまで打ち上げられたものだが……
「そんじゃあポンコツ!! 作戦通り頼むぜ」
「あとはお願いね」
「頼りにしてるっすよ」
仲間の声に背中を押され、ここで何もできないようじゃ男じゃない。
そうしてその声援に応えるように拳を突き上げれば、俺は一目散に竜の巣の頂上。
竜種たちがダンジョンを出入りするときに使っているであろう『大穴』を目指し、一人走りだす。
彼女たちを使い潰す覚悟は決めた。
その上で恨まれようと、責められようと自分のエゴを貫き通す覚悟も決めた。
でも誰にも彼女たちを『過去の英雄』にするつもりはない。
死地へ飛び込むだけの『価値』を見出した。
だから。
「まかせろ。必ずお前らの期待に応えてみせる」
そう小さく言葉を零し、そっと拳を握るのだった。




