4.お見舞い
車の窓からはスーパーやコンビニ、薬局、銭湯などの店が次々と見えては、後ろへ流れていく。
通り過ぎていく景色を眺めながら、湊は祖母のことを思い出していた。
何年も会っていない祖母の顔は、はっきりとは覚えていない。
ただ、元気で優しい人だったことだけは記憶の片隅に残っていた。
「もうすぐ着くよ」
母は湊のほうを振り向いて言った。
前方に顔を向けると、白い建物が目に入った。
『新行橋病院』
(ここに、おばあちゃんが……)
湊は心の中で呟いた。
少し離れた駐車場に車を停めて、歩いて病院へ向かった。
歩きながら眺めていると、屋上に備えられている設備が目に入った。
円形のヘリポートだった。
湊はそれを一瞬眺めたあと、母の後を追った。
自動ドアが開くと、ひんやりとした空気が頬に触れた。
外の暑さが少しだけ遠く感じられた。
広いロビーには待合の椅子が並んでいる。
人の話し声や機械音が静かに響いている。
外とは違う、少し乾いた空気と病院独特の匂いを感じる。
湊は辺りを見回しながら歩いた。
円形の天井は吹き抜けになっており、そこから差し込む日差しが、病院という閉鎖的な印象を少しやわらげてくれている。
その中央には、二階へと続くエスカレーターが伸びている。
すぐ近くに売店があり、お菓子や飲み物が並んでいるのが見えた。
湊は足を止めて眺めたが、祖父と母に置いて行かれそうになり、慌てて二人の後を追った。
エレベーターで六階の病室へ向かう。
扉が開くと、目の前にはナースステーションがあった。
その左右には廊下が広がっている。
突き当たりには、壁一面に大きな窓が設けられていた。
白い壁、消毒液の匂い、医療器具を運ぶ看護師。
前を歩く祖父が、ある病室の前で足を止めた。
二度のノックをして、扉を開ける。
四方の壁は白く、茶色の床が広がる個室だった。
正面の窓からは、外の景色が見える。
窓際には椅子が二つ並べられている。
ベッドの周りには白いカーテンがあり、その横には点滴スタンド。
二つの引き出しと、観音開きの戸棚がついた床頭台も置かれていた。
横になっていた祖母は、三人の姿を確認すると上体を起こした。
白い髪には軽くパーマがかかり、丸顔は少しやつれている。
優しい目をしているが、その奥には芯の強さも感じられた。
祖母の顔を見た瞬間、うっすらとした記憶の中の顔が少しずつ甦った気がした。
祖母は湊に満面の笑みを向けると、軽く手を叩いた。
「あら、男前が来たねぇ」
湊は返事に困ったように視線を逸らした。
「電話がかかってきたときはびっくりしたよ」
母は心配そうな顔で祖母に話かけた。
「そうやろ、急に入院することになったけねぇ。でも全然大したことないけ心配せんでいいよ」
祖母は笑って答えた。
「ほんと、びっくりしたんやけね」
母はそう言いながら、持ってきたりんごの入った袋をベッドの横に置いた。
「これ、お見舞いに買ってきたんよ」
「まあ、りんごねぇ」
祖母が嬉しそうに袋を覗き込む。
「湊が選んだんよ」
「嬉しい。ありがとねぇ」
祖母は湊に優しい笑みを向けた。
「……うん」
湊は少し照れたように答えた。
祖母は湊を見つめたまま尋ねた。
「湊は今、夏休みなんやろ?」
「……うん」
「じゃあ、いっぱい遊ばんとねぇ」
「……ゲームする」
「あら、ゲームばっかりじゃつまらんよ」
祖母はくすっと笑った。
「外には、もっと楽しいことがいっぱいあるんよ」
「ひとりで遊んでもつまらないし……」
「そうかい。でも、外に出たら友達ができるかもしれんよ」
祖母は湊に優しく笑いかけた。
湊はなんと答えればいいのかわからなかった。
祖母はそんな湊を見て、ふっと表情を和らげた。
「まあ、ここにおっても退屈やろ?」
そう言うと、祖母は枕元に置いていた財布を手に取った。
「下に売店があったやろ?これで好きなもの買っておいで」
「……いいの?」
「いいよ。お菓子でもアイスでも買っておいで」
祖母はそう言って、湊に小遣いを渡した。
「ありがとう」と言って、湊は売店へ向かった。
病室を出て行った湊の背中を見送りながら、祖母はぽつりと言った。
「湊、ほんとに大きくなったねぇ」
「そうやろ。最近、背も伸びたんよ」
母も笑って答える。
「わしに似て、男前になったの」
祖父が嬉しそうに言った。
「もう、お父さんったら」
母が笑うと、祖母も楽しそうに笑った。
「あの子も元気そうでよかった。せっかくの夏休みやけ、一緒に遊びたいねぇ」
「うん……そうだね……」
母の表情がほんの少しだけ曇った。
それに気づいた祖父と祖母は静かに視線を重ねた。
祖父の表情にも、わずかな影が落ちる。
祖母は二人を見て、にっこりと笑った。
「湊にそんな顔は見せちゃいかん。さあ、笑顔笑顔」
「そうやの」
「うん……」
祖父は眼鏡を指で軽く押し上げ、湊が出ていったドアを見る。
「湊は、なんを買ってくるかの」
「きっと、お菓子やろ」
「アイスかもよ」
三人の間に穏やかな笑い声が広がった。
その頃――
湊は売店にいた。
(どれにしようかな……)
湊はしばらく悩んだあと、お菓子をいくつか手に取り、レジへ向かった。
会計を済ませると、そのまま受付の待合席へ向かい、空いている椅子に腰を下ろした。
スマートフォンを取り出し、ゲームを始める。
ゲーム画面では新しいイベントが始まっていた。
しばらくして、祖父と母が病室から出てきた。
「戻ってこないと思ったら、またゲーム?」
母は呆れたように言った。
「ほお、そんな小さい画面でしよるんか」
祖父は湊のスマートフォンを覗き込むようにして言った。
「もう一回おばあちゃんのところ行く?」
母に聞かれ、湊は首を横に振った。
「……いや、いい」
湊はもう一度病室へ行く気にはなれなかった。
祖母のことは少し気にはなる。
けれど、あの病室の静けさがどうにも苦手だった。
三人は病院を出た。
外に出ると、夏の暑さが一気に押し寄せてきた。
車に乗り込み、祖父の家へ向かう。
「おばあちゃん、元気になったら一緒に遊ぼうねって言ってたよ」
母がそう言った。
湊は何も答えず、窓の外に目を向けた。
遠ざかっていく病院を眺めながら
(おばあちゃんはすぐに元気になるだろう)
そう思いながら、湊はスマートフォンの画面に目を戻した。




