3.石段の先へ
部屋の窓からは、明るい光が差し込んでいる。
外からは、車の行き交う音や談笑する人々の笑い声が聞こえる。
船のエンジン音や、漁師たちが作業をしている乾いた音も聞こえてくる。
それらの音が湊を眠りから覚ました。
スマートフォンを覗くと、時刻は昼を少し過ぎていた。
アラームの音にも気づかないほど、ぐっすり眠っていたようだ。
「やっと起きた?」
部屋を覗いた母が笑いながら声をかけた。
「今からおばあちゃんの病院に行くけど、湊も行く?」
「ううん。留守番しとくよ……」
湊は目を擦りながら、ぼんやりと答えた。
「そっか。今日はおじいちゃん休みだから、一緒に留守番しててね」
そう言うと、母は部屋を出ていった。
大きなあくびをした後、まだ少し疲れの残った体を起こす。
下に降りると、ソファに腰をかけた祖父がテレビを見ていた。
母が用意してくれていた食事を食べながら、湊は昨日のことを考えていた。
鈴という少女。
一緒に遊んだこと。
楽しかった時間が頭に残っていた。
食事を終えて部屋に戻った湊は、スマートフォンを取り出す。
画面の中のキャラクターを指で弾いて、狙ったモンスターにぶつけている。
湊は指を離すタイミングと角度を微調整しながら、次々とモンスターを撃破していく。
まるで精密機械のように正確だった。
『パーフェクトクリア!』の文字が画面に表示された。
しかし湊には達成感がなかった。
スマートフォンの画面を消して、窓の外を眺める。
昨日、鈴と出会った浜辺が見える。
(また遊べるかな……)
そう思って、外へ出ることにした。
「外に遊びに行ってくるね……」
玄関へ向かう前に、湊は祖父に声をかけた。
「おお、いっぱい遊んでこい」
祖父は嬉しそうに言った。
浜辺には昨日と変わらず人の姿はなく、波と木々の静かな音だけが流れていた。
砂浜には石段が作られており、湊はその上に腰を下ろした。
正面に広がる海をじっと眺めていた。
しばらく待っていたが、人の来る気配は全くない。
湊はスマートフォンを取り出し、画面に視線を落とす。
(もう帰ろうかな……)
諦めかけた、そのとき。
急に頬に何か冷たいものが触れた。
「ひゃっ」
驚いて後ろを振り向くと、肩を揺らして笑う鈴が立っていた。
昨日と同じ格好だが、今日は赤い小さなポシェットを首から下げている。
頬に触れたのは、両手に持っているラムネだったのだろう。
鈴は二本のラムネのビー玉を押し込んで、片方を湊に渡した。
「はい! 競争!」
そう言って、昨日と同じように豪快に飲み始めた。
湊も負けじと飲むが、やはり鈴には敵わない。
「今日も私の勝ちー!」
鈴は楽しそうに笑う。
その顔を見ていると、湊も楽しい気持ちになれた。
「行こう!」
そう言って、鈴はどこかへ歩き出した。
今まで、友達はいなかった。
欲しいとも思わなかった。
誰かと遊ぶなんて、面倒だと思っていた。
そんな湊だったが、鈴と一緒にいる時間はなぜか嫌ではなかった。
「……待って」
湊は先を歩く鈴を追いかけた。
鈴が下げているポシェットが、歩くたびにカチャカチャと音を立てている。
(何が入ってるんだろう……)
湊は気にはなったが、聞くことはしなかった。
二人は昨日と同じ道を歩いていく。
やがて、遊んだ公園も通り過ぎていった。
「公園じゃないの?」
湊は今日も公園で遊ぶと思っていた。
「今日は別の場所ー!」
鈴は遠くの道を指差して言った。
しばらく歩いていると、左右に分かれた道が見えてきた。
右の矢印と『お宮』と書かれた看板が置かれている。
書かれている矢印に従って、右の道を進んでいく。
すると、大きな鳥居が現れた。
「到着ー!」
鈴は鳥居の前で、両手の拳を空高く突き上げた。
「……神社?」
「今井津須佐神社!今井の祇園さんって呼ばれとるんよ!」
鳥居をくぐると、駐車場の先には石段が佇んでいる。
左右には、一対の狛犬が待ち構えていた。
下から見上げるそれは垂直に近く、不揃いの段がはるか上まで続いている。
「……まさか、これを登るの?」
石段というよりは、まるで灰色の壁のようだった。
「140段以上あるけ気合入れるよ!」
鈴は屈伸などの準備体操をしている。
二人は一歩足を踏み出した。
周りは木々に囲まれており、どこか神秘的だった。
鈴は軽々と登っていく。
ふと下を振り返ると、恐ろしくなるほど高かった。
湊の足は、まるで鎖につながれたように重くなっている。
先を行く鈴を必死に追いかけて登った先には、少し開けた平坦な場所があった。
湊は崩れるようにして座り込んだ。
「もうギブアップ? まだ半分なんよ!」
鈴には疲れた様子がまったく見えない。
「まだあるの……?」
その先には、再び壁のような石段が現れた。
「もう疲れたよ……」
湊は石段を見上げながら弱気になっていた。
「若いのになん言いよん!」
鈴が湊の肩を軽く叩く。
「鈴の体力が凄いんだよ……」
「じゃあ、遊びながら登る? グリコじゃんけん!」
湊は思わず鈴の顔を見た。
「……グリコじゃんけん?」
「そう! グーがグリコで三段、チョキがチョコレートで六段、パーがパラシュートで六段!勝った手の種類で登る回数が変わるんよ!」
「それなら聞いたことある。でもパーはパイナップルじゃない?」
「昔から北九州とか行橋はパラシュートやったんよ!」
「そうなんだ……」
鈴は自分の指を組んで、ぐいっと捻って顔の前に持っていく。
絡めた指のわずかな隙間を覗き込む。
「……何してるの?」
「湊がなんを出すか予言しよんよー!」
鈴は片目で指の隙間を覗き込んだまま答えた。
「……それで分かるんだ」
湊も鈴と同じようにやってみた。
「……何も分かんないよ」
湊は覗き込みながら首を傾げた。
「時間切れー!いくよ、じゃーんけーん……」
「ぽん!」
鈴はグーを出して、湊はチョキだった。
「やったー! グ・リ・コ!」
鈴はトントンと三段登った。
「いくよー! じゃーんけん……ぽん!」
また鈴の勝ちだった。
「チ・ヨ・コ・レ・ー・ト!」
鈴は楽しそうに六段登っていく。
それからも湊は負け続け、一歩も動けないでいた。
見上げると、鈴の顔はずいぶん高いところにあった。
「湊、置いていくよー!」
鈴は下まで聞こえるぐらいの大声で叫んだ。
そう言われて、湊はムッとした。
じゃんけんは運だから、勝てるかもと思っていた。
しかし、なかなか勝てない。
「いくよー! じゃーんけーん……ぽん!」
湊がグーで、鈴はチョキだった。
「あっ! 負けたー」
「やった……」
初めて勝った湊は、小さくガッツポーズをした。
三段しか進めなかったが、湊は嬉しかった。
自然と笑顔も浮かんでいた。
それから湊も何度か勝つことができ、鈴との距離が縮まってきた。
「じゃーんけーん……ぽん!」
最後は鈴がパーを出して勝った。
「パ・ラ・シ・ユ・ー・ト! やったー!」
最後の一段を登りきり、鈴が大きく両手を上げた。
「負けちゃった……」
悔しかったが、その顔はどこか晴れやかだった。
鈴に続き、湊も最後の一段を登りきった。
石段の先では、大きな杉の木が二人を出迎えるように佇んでいた。




