一目惚れ
僕、矢那井碧は医局に戻って自分の席に座るなり、机の上に突っ伏した。
「自然に話せた…はず」
うるさいくらい音を立てている心臓の音を感じながら、大きく息を吐いた。
あれから10年以上たったというのに、こんなにも動揺するなんて…
彼女のこととなると、あの頃も今も変わらず僕は冷静でいられなくなる。
気持ちを落ち着かせるために、コーヒーでも飲もうと立ち上がった。
「矢那井くん、どうしたの?今日の患者さんで何かあった?」
「あ、寺井先生。いえ……その……」
戻ってくるなり机に突っ伏した僕の様子を心配して、同じ科の先生が声をかけてくれる。
「いや、いつも冷静な矢那井くんらしくないから。何かあったに違いないと思ってね」
「ご心配いただいて、ありがとうございます。あの……」
「あー、寺井先生、たぶん大丈夫ですよ。俺が聞いたことだけだったら」
マグカップを手にした男がにやにやと笑いながら僕たちの間に入ってくる。
咲田か。よりにもよって。
咲田は大学からの付き合いで、この病院で同期として一緒に働いている医師だ。
「聞いたって、何を聞いたんだよ?」
平静を装って問い正す僕に、咲田は人の悪い笑顔を向けて言ったのだった。
「今日、耳鼻科近くの科で診察室に入ってた先生や看護師はみんな知ってるんじゃない?
あと、MRIの人たちもね!」
「っ…!!!」
知られている…
いったい、いつの間に。
「咲田くん、僕が聞き出そうとしていたのに先に言っちゃだめだよ!
せっかく矢那井くんを動揺させようと思っていたのに~」
寺井先生、さっきまでの真面目な顔から一転して面白そうに笑っている。
ということは、知っていて振ってきていたということで……
「寺井先生、知ってて聞くとはさすがですね!」
「いや~、万が一別のことがあったりするかもしれないしさ。
念のためだよ、念のため!
で、で。どういう関係なの? 僕、同級生ってしか聞いてないんだけど?」
「ただの同級生だったにしてはMRI室に駆けていく時の碧の慌てよう、少なくとも俺は碧のあんな顔初めて見ましたね!」
「矢那井くん、今まで浮いた話なかったからさ。ある意味心配してたんだよね~」
「そうそう。アプローチしてもなびかないって有名ですもんね~」
勝手に盛り上がる二人に明らかに医局の面々が注目している。
しかも楽しそうな顔で!
「……っといていください!」
「何かあったら相談に乗るからね~」
「後で話聞かせてな~」
居たたまれなくなって逃げるように医局を出た僕の耳に、追いかけるかような二人の声が背中越しに聞こえてきた。
なんでいじられるんだ?絶対に咲田のせいだ!
とにかく一人になりたくて医局を出て1階にある受付ロビーへと向かう。
就業時間が終わったこの時間帯、残業している病院の職員たちも奥の部屋へと入っているため、昼間騒めいているのが噓のようにひっそりと静まりかえっている。
僕はロビーに置いてあるグランドピアノの方へ向かう。
昼間はこのピアノの自動演奏がBGMとして流れているが、僕は時々人気がなくなった時間帯を見計らって気分転換に弾きに来ることがあった。
まさか、再会できるなんて思ってもいなかった。
ピアノに座って目を閉じると、今日再開した彩李ちゃんの姿が浮かんでくる。
それは次第に高校生時の彼女の姿へと移り変わっていく。
僕がずっと恋焦がれていた彼女の姿へ。
僕は指が鍵盤に触れる感触を味わいながらピアノを奏で始めた。
ふと目を開けて顔を上げると、東側の全面ガラス張りになっている窓から、満月の光が差し込んでいた。
☆…♩♪♩. ♩♪|♪♪♪♩. …☆
小さいころから、こだわりのない子どもだと言われた。
僕は器用な子供だったらしい。
何をやらせても高いレベルで申し分ない結果を出す。
本人は普通に生活しているだけだから、自分が特別だとも思っていなかった。
経済的にも恵まれた家庭だった。
そのことは家族も自覚していたため、欲しいものをやみくもに与えることはなかったが、特に自分から欲しいとねだったこともなかった。
人にも物にも執着がない子ども。
人間関係もそつなくこなし、争うこともしない。
平和主義といえば聞こえはいいが、小さいころから『人生こんなものか』と自分を含め、周囲のこともどこか他人事。
自分にも他人にも興味がない、そんな可愛げのない子どもが僕だった。
彼女との出会いは…
思い返してみると、あれは一目惚れだった。
高校に合格した次の日。
合格者が受けるクラス分けのためのテストがあった午後、全体説明と物品購入のために向かった体育館で彼女と初めて出会った。
いや……、見かけたと言った方が正しい。
その日、高校受験をして入ってきた僕たち外部生と内部生は、はじめて一堂に会した。
早々に体育館に入り緊張気味に座っている外部生の僕たちに比べて、内部生たちは楽しそうに話しながら入ってくる。
余談だが、僕は中学校受験をしなかった。
正確に言えば、両親が「勉強はいつでもできる。おまえに必要なのはたくさん人と出会って、いろんなことを経験することだ」と言って受験させてもらえなかったのだ。
残念ながら親の思いが僕に届くことはなく、相変わらず人にも物にも執着しないまま、当たり障りのない中学校生活を送り、都内有数の進学校であるこの高校を受験したのだった。
「じゃあ、終わったら校門のところで待ってて。一緒に帰ろう」
「うん。後でね」
ちょうど、隣の席の子がきたようだ。
チラッと隣を見ただけのつもりだったが、僕の視線は彼女に縫い留められたかのように離すことができなかった。
ハーフだろうか?
彫が深く綺麗な顔立ちだった。
大きな目が印象的で、ブラウンの長い髪は後ろにひとつにまとめられている。
「また後で」
そう言って、一緒に来た男子生徒は自分の席へと向かった。
くっきりとした目鼻立ちで大人びた雰囲気の彼女は、凛とした空気を纏っていた。
全てを終えて帰っていると、校門の近くでさっきの女子生徒が立っている。
「あ…!」
やっぱり目を止めてしまう。
さっき受けた説明では、高校のクラスは成績順に外部生と内部生が半々ずつとなるらしい。
運が良ければ一緒のクラスになれるかもしれない。
そう思いながら見つめていると、しばらくしてひとりの男子生徒が彼女に駆け寄って来た。
彼女の凛とした表情が緩んで、花がほころぶような笑顔が広がった。
あんな可愛らしい笑顔をするんだ…
一瞬ドクンと大きく波打った鼓動の後、ザラっとした焦燥感に駆られる。
自分の中をザワザワとした気持ちが駆け巡るが、それがいったい何なのか受け入れられなくて戸惑う僕がいた。
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