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低音障害型感音難聴



気が付いたら眠っていたようだ。

差し込む光が眩しく、そっとまぶたを持ち上げる。

飾り気のない壁や天井。むき出しの蛍光灯が目に入る。

あれ?ここは?


「彩李、大丈夫?」


隣に座っていた母から声を掛けられた。


「あ……、お母さん」

「何か飲む?飲み物買って来てるわよ」


いくつか飲み物を差し出した母から水を受け取って口に含む。

今日は病院に来ていて、入院することになったことを思い出す。

母は私が眠っているのを見て、起こさずにいてくれたらしい。


そうだった。

担当の先生が碧くんで……

碧くんと再会したから、昔の夢を見たのね。

心にじんわりと広がる苦い出来事を思い出していたら、コンコンとドアがノックされ、碧くんが入ってきた。

母が慌てて立ち上がり、頭を下げる。


「どうぞ、お母さまはそのままかけられていて下さい」


碧くんは母にそう言葉をかけた後、私の傍に来る。


「彩李ちゃん、身体の調子はどう?顔色は悪くないようだけど…」

「耳に綿が詰まっているような感じで気持ち悪いけれど、それ以外は気になるところはないみたい」

「もうすぐ夕食の時間だけど食べられそう?」

「あまり食欲はないけれど…できるだけ」


一昨日からの耳の不調のせいで食欲はなかったが、食べないわけにもいかない。


「もし、固形物が辛ければ…」


碧くんがにっこり笑って、手に提げていた袋をテーブルに載せた。


「ゼリーやプリンだったら入るかな、と思ってね」

「そんな!担当の先生にいただいたら駄目でしょう!」

「これは久ぶりに再開した同級生からのお見舞いだと思って」


そう言って微笑まれると、せっかく買って来てくれたものを固辞するのも悪いように思えてくる。

私はお礼を言ってありがたく受け取ることにした。


「お母さまがいらっしゃる時でよかったです。彩李さんの病気について一緒に聞いていただけますか?」


碧くんはそう言って、診断の結果、画像で腫瘍は確認されなかったこと、眩暈はなく、聞こえの検査で低い音が聞こえづらくなっていることなどから、低音障害型感音難聴で間違いないだろうという。

早速、今日の夕方から投薬を開始するからと薬の説明が始まった。


「でね、この薬なんだけど。おそろしく不味いんだ。でも頑張って飲んでね」

「そんなに不味いの?」

「100人中100人が不味いと感じると思う」


にこやかな顔を崩さないまま断言しているが、言っていることは残酷だと思う。


「何かに混ぜたほうが飲みやすいとか…? あったら嬉しいけれど……」

「うーん…。グレープフルーツジュースに混ぜたら少しは飲みやすくなるとは言うけれど、混ぜた分だけ量も増えるのでお勧めはしないかな。気合で一気に飲んで終わらせるのが一番だと僕は思う。」

「気合……ね。頑張るわ……」


うんうんと頷きながら、碧くんはとびっきりの笑顔を向けてくる。

この笑顔で言われると、嫌だなんて言ってはいけない気持ちになるじゃない。

もちろん、嫌なんて言わずに飲むつもりではいたけれど……

きっとこの薬を飲む患者さんたちも同じように笑顔の圧力をかけられて、誰も嫌だとは言い出せないに違いない。


「その後、プリンとかゼリーで口直ししてね」

「あ…、それもあって、持ってきてくれたの?」

「まあね」


碧くんから感じる圧力が消えて、優しい顔をのぞかせる。

こんな顔するんだ……


彼は自分の笑顔がどう見えるか解かった上で、微笑んでいるのだろうか?

すっきりと整った顔立ちは、高校生の頃も女の子に人気だった。

今は……年を重ねた分だけ穏やかさが増しているように思える。


高校生の時、最後にあんなに避けていたというのに、今日再会した碧くんは優しすぎる。

もう、あの時のことは忘れているの?


「それから、この病気の原因はストレスや疲労によるものと言われているから、今日は病院だけれどゆっくり休んでいってね。

眩暈はないようだから明日退院はできるけれど、家に帰ってからも身体を休めることを優先にしてもらって、無理はしないでほしい。投薬はしばらく続けることになると思う。

お母様もご心配かと思いますが、しばらくは無理しないよう見守ってあげて下さい」


高校生の頃のことを思い出していた私だったが、碧くんが言った「しばらく」という言葉に現実に引き戻された。


しばらくとはどのくらい?

私の耳、ちゃんと治るの?

ピアノ、これからも弾けるの?

母は落ち着いた表情で頷いているが、私は途端に不安になる。


「あの…仕事…。私の耳、元に戻るの?」


勇気を出して尋ねてみる。

碧くんは私と目を合わせて、大丈夫とでも言うように穏やかに微笑んだ。


「聞こえの検査でも、ほら低音が聞こえづらくなっているけれど、年齢的に見たらそこまで聞こえていない状態じゃないんだよね。

前の病院で正常の範囲内と言われたのは、あながち間違いでもないんだよ。

ただ、彩李ちゃんはいつも耳を使う仕事をしているから、一般的な人よりも敏感なのだと思う。そのおかげで今回も早く気づけたんだろうね。

薬を飲むことで元の状態に戻るはずだから心配はないよ。

回復までの期間は個人差があるから何とも言えないけれど、薬の効果はわりと早く出てくると思う。ただ……」

「ただ?」


今日してもらった聞こえの検査の結果を見せながら話をしてくれる。

元の状態に戻ると聞いて、ホッとしたのも束の間。

言い淀む碧くんの表情は明らかに迷いが見えた。

彼は少し考えるような表情をした後、再び話し始めたのだった。


この作品を見つけて読んでいただきありがとうございます。

興味惹かれる作品でしたら、評価を頂けると嬉しいです。

よろしくお願いします。

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