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僕が傍に居たい



『彩李にお客様?』


そう言いながら部屋を出てきたのはレオンハルトさんだった。

彼は僕を見て大きく目を見開き、苦いものを嚙み潰したように顔をしかめた後、僕の耳元で呟く。


「Aili is yours.」


突然、聞こえてきた英語にハッとするが……彩李ちゃんが僕のもの?

ドイツ語がわからない僕に、簡単な英語だと通じるだろうとの鋭い視線を向けられる。


その時、頭に思い浮かんだのは、優輝から言われたあの言葉「彩李は俺のものじゃない。彩李は彩李自身のものなのに…な」。

そしてその言葉は、今、僕の心にストンと落ちた。

細かいニュアンスまで伝えることができるほどの自信はない。

それでも、これだけは伝えなければと思った。


「No. She isn’t mine. Her life is hers. 」


僕の言葉に、彼が息を飲んだのがわかった。

彼にとっては想定外の答えだったらしい。


僕だって彩李ちゃんが彼の元に行かないで、僕の傍にいてくれることを願っているし、できれば大切に大切に囲ってしまいたいとすら思う。

でも、僕は彩李ちゃんが弾くピアノが好きだし、多くの人に彼女のピアノを聴いてもらいたいと思っている。

魔法がかけられたかのような多彩な音色。目の前に広がる情景。自分が奥にしまい込んでいた感情すら思い出させてくれるような音楽は、きっと多くの人の心を揺さぶることだろう。

あの時、彼女のピアノに心奪われた僕のように。


彩李ちゃんの演奏する音楽に心惹かれるのは、それが彼女そのものだから。

彼女がこれまでに出会った人たちのとの関り、その中で得てきた多くの出来事、感情が反映されているから。

だから、彩李ちゃんは彼女にしか表現できない音楽を創り出せる。


そのひとつが高校生だった僕と彩李ちゃんの関係。

そして間違いなく、レオンハルトさんからも影響を受けているだろう。

時を経て、なおも変わり続ける演奏を僕はこれからも聴きたいと思う。


ただ……願わくば。

彩李ちゃんが苦しい時や悲しい時、僕が傍に居たい。

レオンハルトさんではなく、僕を選んでほしい……


「You never forget your words.」


驚いた表情のしていたレオンハルトさんが一転、意地の悪そうな微笑を僕に向ける。

言ったこと忘れるなって、忘れることはないよ。


「Of course.」


もちろんと答えると、彼は僕の肩をボンと叩き「Good luck.」と言って背を向けた。


『伶さん、行こう。何食べれるの?

ねえ、彼も後からアイリーと一緒に来るかな?』


ドイツ語に切り替わり何を話しているのかはわからないが、彼はそのまま振り返ることなく伶さんと歩いていく。

『Danke schön (ありがとう) 』 僕は彼を見送りながら感謝の言葉を口にしたのだった。



☆…♩♪♩. ♩♪|♪♪♪♩. …☆



「みどり……くん…」


私の頭は混乱していた。

どうして碧くんがここに居るの?

今日はいったいどれだけ想定外のことが起きるのだろう。


「彩李ちゃん、少しだけでいいんだ。話をしたい」


真剣な顔を向ける碧くんに「どうぞ」と言って研究室に招き入れ、ソファーに向かい合わせに座る。わざわざここにまで来るなんて、今日の診察で見落としか何かあったんだろうか。


「あの……ごめんなさい。メッセージもらってたのかしら。

私、着信音を消してて。メッセージも確認してなくて………」

「いや、メッセージは入れてないよ。直接話したくて……。

強引に押しかけてしまって、こっちこそごめん」


メッセージを送られてないことを聞いて、少しホッとする。

なにせ今日はそれどころじゃないことだらけで、診察が終わって電源を入れ直したきりスマートフォンを確認していなかった。


そう。

病院で看護師さんから碧くんの話を聞いて……

レオンから『愛している』と言われて……

ようやく自分の気持ちに気づいたと同時に失恋して……


それなのに、こうして碧くんを目の前にすると、心がザワザワと騒ぎ出す。

碧くんの心にいるあの人が羨ましい、そう思ってしまう。


「水田さんから聞いたんだ。彩李ちゃんの顔色が悪かったって」


ああ、水田さんっていうのね。

碧くんの口から彼女の名前が出て、やっぱり……と思うと、胸が締め付けられるように痛んだ。もう碧くんの耳に入っているなんて、やっぱり彼女と碧くんは……。

それでも、私の体調を心配してきてくれたの?

切ない思いが胸に広がる。


「体調が悪くなった? 大丈夫?」


優しく問いかけられているのに、私は苦しくて逃げ出したくてたまらない。

どうして、そんなに私に優しくするの?

ただの同級生、ただの患者なのに。


「だ…いじょ……ぶ…」


大丈夫と言おうとしたのに、声がかすれて言葉に詰まってしまう。

同時に、ポトン、ポトンっと太腿に置いていた手の上に水滴が落ちた。


「ご…ごめん…な…さい…」


涙だと気づき、慌ててハンカチを取り出して拭う。

家族の前ですら滅多に泣かなかったというのに、碧くんと再会してから涙腺が緩んでいる。

感情をコントロールできない……


「彩李ちゃんっ」


慌てて立ち上がった碧くんが、私の傍に来て床に膝をついた。

碧くんは私の背中を優しくさすりながら「レオンハルトさんと何かあった?」と尋ねてくる。


確かにレオンとの間に何かが起こったのは間違いない。

でも、今の私の涙は……

私の心を占めているのは……


この作品を見つけて読んでいただき、ありがとうございます。

興味惹かれる作品でしたら、評価いただけると嬉しいです。よろしくお願いします。

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