嘘ではない、真実でもない
「碧、まずいぞ!」
午前中の仕事を終えた僕に、咲田が駆け寄って来た。
「どうした?」
「看護師の水田さんと、彩李ちゃんがカフェで話しているらしい」
「え!?」
「早くいけ!」
僕は慌ただしく白衣を脱ぐと、急いで医局を後にし、彩李ちゃんたちが居たというカフェに向かう。
息を切らしながら店内を見渡したが、彩李ちゃんの姿はない。
帰ったのだろうか?と思い、店を出ようとしたところ声をかけられた。
「あ、碧先生!」
「水田さん…」
いつもと同じように笑顔を向けてくる彼女に、ちょっといい?と店外へ誘う。
「ここに、病院コンサートでピアノを弾いてくれた伊藤彩李さんは居なかった?」
「あ、私、お話ししましたよ!」
「彼女がどこに行ったか知ってる?」
「そろそろ行かないと、と言って帰られましたが……」
「いつぐらい?」
「10分ほど前でしょうか」
10分前なら既に電車に乗っているかもしれない。
今日は大学でレオンハルトさんと合わせると言っていたから、夜にでも連絡をとってみようか……と考えていると。
「伊藤さん、また体調崩されたんですか?
帰る時、顔色もあまり良くないようでしたし……。
碧先生は伊藤さんにご用だったのですか?
何かお伝えし忘れたことでも?」
え?彩李ちゃんの顔色が悪かったって?
「伊藤さん具合悪そうにしていたの?」
診察室で診た時には何ともなかった。
あの時から、まだ1時間くらいしか経っていない。
急に体調が悪くなったのだろうか……と一瞬考えたが、あんなに調子の良かった彼女が急に具合が悪くなるのはおかしい。
「ええ。私も帰られる時に気がついたんですけど。
血の気が引いたような顔色だったので、声をかけて引き留めようとしたのですが、かける間もなく帰られてしまって……」
彩李ちゃんの体調を気遣うように話しているけれど……
もし本当に体調が悪くなったのだとしたら、ここは病院だから、すぐに僕のところに来るはず。
今日のレオンハルトさんとの合わせだって、とっても楽しみにしていた。全力で頑張ると言っていた彼女が、そのまま帰ってしまうだなんて有り得ない。
彼女との話で何かあったに違いない。そう確信した僕は彼女に問いかけた。
「ところで、彼女と何を話をしてたの?」
「はい。コンサートのお礼と次も楽しみにしていることをお伝えしましたけど」
「それだけ?」
いつもと同じように冷静に話をしようとしたが、思ってもみないほど冷たい声色が出た。それだけじゃないよねとの思いを込めて、僕は彼女に鋭い視線を向ける。
まさか僕がこんな反応をするとは思ってもいなかったのだろう。
彼女から笑顔が消える。
「え…? 碧先生がピアノを弾かれることとか…」
「それから?」
「あと……幼馴染と同じピアノの先生だったとか……」
「それから?」
「…リサイタルで、隣の席……だったとか……」
「それから?」
「……その後、食事に行ったこととか……」
「それから?」
「…もっ…もう他には言っていませんっ」
今まで見せたことのない迫力で詰め寄る僕に怖気づいたのか、彼女はみるみるうちに顔色を悪くし、言葉の歯切れも悪くなっていく。
そんな彼女に、僕は更に問いただした。
「リサイタルで隣の席だったのは偶然だったって話した?
食事は祝勝会で、聴きに来ていた親しい人や同門の生徒がたくさん来ていたこと伝えた?」
「え…えっと……あの……
でも、私、嘘は言っていません!」
最後だけ、やけに強気になる彼女に、強い嫌悪感が込み上げてくる。
自分の中にこんな感情が生まれるなんて想像もしていなかったけれど、彩李ちゃんのこととなると、今までに感じたことのない感情が湧き出て来るなんて新鮮だな。
怒りでいっぱいのはずなのに、頭の片隅ではやけに冷静な自分がそんなことを考えていて、それを面白いと感じてしまう。
それにしても。
彼女はやっぱり確信犯か。
咲田が言っていた通りだったな。なぜ彼女は、自分のその言動が他人に受け入れられないと気づかないのだろうか。
「嘘ではないけれど、真実でもない。
聞いた人が勝手に誤解したんだって、前も言ってたよね。
1度目は、そういうこともあるかと見逃したけれど、2度目は確信犯だよね」
「私………」
「あの時、君は言葉が足りなかっただけで、僕への好意からではなかったと謝罪したけれど、全く反省してなかったってことだね」
「い、いえ……。本当に……本当にそんなつもりは……」
彼女の顔は真っ蒼になり、手足がガクガクと震えている。
まだ否定しようとする彼女に、ダメ押しとばかりに言い放つ。
「そう?前に勤めていた病院でのこと、僕は知ってるから。
僕は卑怯なことをする人間と親しくするつもりはない。
それに、はっきり言っておくよ。僕は君に対して特別な感情を抱いたことはないし、これから抱くことも決してないから」
「……っ」
僕はきっぱりと言い切った。見上げる彼女の目から涙があふれ出すが、これ以上は言葉をかけるつもりはなかった。
今、僕にできることは……
医局に戻りながら、今何をするべきなのか思いを巡らせる。
彩李ちゃんとすぐにでも連絡を取りたかったけれど、直接聞くまでは下手に連絡するのは止めた方がいいような気がした。
彼女が言うように本当に具合が悪くなって顔色が悪かったのだとしたら、きっと僕のところに来るはずだ。そのくらいの信頼関係は築けていると信じたかった。
そうなると彩李ちゃんの顔色が悪くなったのは、水田さんとの会話のせいで………
あれ……?
水田さんが話した内容って……あれって彩李ちゃんの顔色が悪くなるようなことだったかな?
僕にとっては彩李ちゃんに誤解されたくない内容だったけれど……
「碧、大丈夫だったか?彩李ちゃんに会えた?」
医局に戻ると、心配そうな様子で咲田が声をかけてきた。
「いいや。彩李ちゃんには会えなかった。
でも水田さんとは話せて、彼女が彩李ちゃんにいろんなことを言ったことだけはわかった」
「彩李ちゃんに会えなかったか……」
「仕方ないね。今日こんなことが起こるなんて思ってもいなかったし。
とにかく、僕は今日の仕事を済ませたら、すぐに帰るから。
教えてもらって助かったよ。ありがとう」
咲田にお礼を言って、僕は一刻でも早く帰れるようにと仕事へと向かったのだった。
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